午後は、京和菓子舗の方からお菓子の歴史・文化のお話を聞く。
今「お菓子」といえば甘いもの・スイーツ・おやつのイメージ。
日本人が甘いものを口にしたのはいつごろか?
菓祖神といわれる田道間守が常世の国から「ときじくのかぐのこのみ」タチバナを持ち帰った。
お菓子の始まりは果物だったともいわれるが、昔の果物は今のように甘くはなかった。
その後、遣隋使・遣唐使が菓子や製法を持ち帰り、砂糖も輸入されるようになったが、薬として入ってきたお茶の栽培が盛んになり、茶道の発展に伴いお茶菓子としてもてなしに使われるようになるが、都の公家や金持ちなど特権階級のもので庶民の口に入るものではなかった。
南蛮文化と共に甘いものも入ってきて次第に全国に広まる。
庶民が甘いお菓子を口にすることが出来るのはずいぶん後のようだ。
「京和菓子」は京都で作られる和菓子。
花鳥風月を色彩で表現する。そして複雑な花の形も単純におおらかに作る。
何よりも季節の表現を大切に、季節の移ろいのせつなさを色や形で表現する。
「もうすぐ春が来る」という期待感なども大切にしたいとも言われた。
「さくらもち」は咲き始めの頃~終わりの頃へと、色合いを変えてつくるのだそうだ。
咲き始め~盛り~咲き終わりへとお菓子の色を変え、最後に3日間だけ白いさくらもちを作って終えると聞いて感動を覚えた。今まで気がついていなかった。
散らしたアズキを梅に見たてたり、簡単な形を花に見たてたりという遊び心。
それも日本の伝統文化の理解があってこそわかる。
このごろはわかりやすいはっきりした形にしないとわからないと嘆いておられた。
京和菓子のすばらしさ、日本独特のお菓子文化を残したいという気持が伝わってきた。
最後にお茶とツバキのお菓子が出ておいしくいただいた。
今「お菓子」といえば甘いもの・スイーツ・おやつのイメージ。
日本人が甘いものを口にしたのはいつごろか?
菓祖神といわれる田道間守が常世の国から「ときじくのかぐのこのみ」タチバナを持ち帰った。
お菓子の始まりは果物だったともいわれるが、昔の果物は今のように甘くはなかった。
その後、遣隋使・遣唐使が菓子や製法を持ち帰り、砂糖も輸入されるようになったが、薬として入ってきたお茶の栽培が盛んになり、茶道の発展に伴いお茶菓子としてもてなしに使われるようになるが、都の公家や金持ちなど特権階級のもので庶民の口に入るものではなかった。
南蛮文化と共に甘いものも入ってきて次第に全国に広まる。
庶民が甘いお菓子を口にすることが出来るのはずいぶん後のようだ。
「京和菓子」は京都で作られる和菓子。
花鳥風月を色彩で表現する。そして複雑な花の形も単純におおらかに作る。
何よりも季節の表現を大切に、季節の移ろいのせつなさを色や形で表現する。
「もうすぐ春が来る」という期待感なども大切にしたいとも言われた。
「さくらもち」は咲き始めの頃~終わりの頃へと、色合いを変えてつくるのだそうだ。
咲き始め~盛り~咲き終わりへとお菓子の色を変え、最後に3日間だけ白いさくらもちを作って終えると聞いて感動を覚えた。今まで気がついていなかった。
散らしたアズキを梅に見たてたり、簡単な形を花に見たてたりという遊び心。
それも日本の伝統文化の理解があってこそわかる。
このごろはわかりやすいはっきりした形にしないとわからないと嘆いておられた。
京和菓子のすばらしさ、日本独特のお菓子文化を残したいという気持が伝わってきた。
最後にお茶とツバキのお菓子が出ておいしくいただいた。