みどりの野原

野原の便り

5月25日 談山神社~高家(たいえ)の道

2014年05月25日 | Weblog
高家と書いて「たいえ」と読む。
1回明日香から歩いて行ったことがある。
天空の里といった風情だったことを思い出す。

今日は談山神社からの下りなので楽かな?と思ったが、下りも又きつかった。

談山神社から西の山裾へ。

 
道ばたにヒメフウロの群落 今まで見たことがなかったのにどこから来たのか?
うちの庭に咲いているがこの辺で自生は知らない。 右)マルバウツギ


談山神社中興の祖 増賀上人の墓 直径4m 
珍しい貼り石の墓は西国名所図絵によると屋根もあったらしい。何回か積み直しの記録もある。あたりは談山神社の前身妙楽寺の関係の僧の墓地
100基近い墓石の大きさ・質・年代などはすべて調査は終わっているとか。
1500年より古い石仏はないとのことだった。


飛鳥寺方面への分岐近く石仏手前から高家(たかや)への山道を下る。

ここからは歩いたことのない道だ。きつい下り。
先頭で案内してくださる先生が道も作りながら先導してくださりお蔭で無事に下れた。


高家集落に降りてきた。春日神社に近い住宅の前庭には万葉歌碑がひっそりと建っていた。
「ぬばたまの夜霧ぞ立てる衣手の 高屋の上にたなびくまでに」舎人親王の歌
画家の熊谷守一氏の書だそうだ。


弁当を食べて春日神社へ。大和盆地の見晴らし

境内に埋もれそうな古墳があった。片袖式 詳しくはわかっていないとのこと。

 
  上部と下部が ばらばらになっていた五輪塔。
銘文から東大寺造営に関わった宋の国の?集団が作った石造物だとか。
なにげに転がっているがこの集団による石造物は他では重文指定されているものが多いらしい。


下って 高家ヒラノ古墳群 写真は2号墳 
調査でも特に変わったものはなかったらしい。どういう人たちが造ったのかもわかっていないとか。

 
  
そこからの下りの山裾は ガマズミ ケテイカカズラ スイカズラ マルバウツギ ウツギなど初夏の白い花が満開だった。


      勧請縄

 
  干し草ロールが積まれていた。しばらく歩いた所にヤワゲフウロが群生
前にも飛鳥の山手で平地より先に帰化植物のヤワゲフウロが出現したのだった。
帰化植物と飼料が関係あるのかもしれない。

2か所立ち寄ってだいぶ下へ下りてきた。


ヤグラネギを植えてある畑があった。
曲輪の工場へ立ち寄ってから生田公民館へ。

 
ここでは高瀬通常という人の「大日記」を見せていただいた。
高瀬は江戸~明治を生きた人で、約40年にわたる 政治・経済・文化・宗教など様々な分野の記録が克明に綴られている。
毛筆で書かれた書は超貴重なものなのに目の前で見ることが出来た。
パソコンで「書き直し自由」に慣れているので、いくら清書だとはいえ間違えずに書いてあるものだとしょうもないことに感心。
あらゆる方面にアンテナを張り巡らせ、情報の宝庫のような人だったらしい。

「何がいくら」とか「村の出来事」でさえ40年続けて記録があればいろいろと見えてくる。
まさに歴史書になっている。これが解読できたらおもしろいだろうなと思う。
コメント
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