加茂駅を出発して木津川に出る。
恭仁大橋から木津川上流を見る。
セイヨウヒキヨモギ 田植え直前の田んぼ
山城国分寺跡 大きい礎石は7重の塔の跡らしい。横の芝生ではグランドゴルフに興じる人々がいた。
「山城国分寺跡」は奈良時代、聖武天皇が一時都を移した「恭仁京」跡でもある。
近くに大極殿跡もあったが、都としては完成しないまま造営は中止されて、近江紫香楽宮へ、その後難波京に遷都、そして745年(天平17年)に都は平城京に戻された。
わずか5年ほどのはかない宮城跡地は山城国分寺として再利用され、大極殿は金堂に転用されたというが、今は金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が残るのみ。
芝生に白いニワゼキショウが咲いていた。後に見たブルーのニワゼキショウ。
ニワゼキショウにも種類があるが、追及しないことにして出発。
前が三上山? 昔は杭を利用して均等に水を分けていたという「大井出」
杭はないが今もここで分水していた。
黒く熟れたクワの実。枝が高すぎる。
しし除けの柵を開けて山道に入り、加茂神社?の社の手前を右草の道へ。
尾根道を上り下りして草地に出る。
途中に表示があった「デケーレ堰堤」ってなに?
帰って調べると、デケーレは明治のオランダ人技師で、当時の堰堤も残っているとのことだったが、場所もわからなかった。
海住山寺への表示があり、山道を入ってしばらく行くと境内に出た。
立派な五重塔(国宝)が目に飛び込んできた。 文殊堂(重文)
しんどい思いをして山道を登ってきたのに、車道が前まで通じていた。
海住山寺(かいじゅうせんじ)は天平時代に大仏造立工事の平安を祈るために聖武天皇の命により良弁僧正が建てた「藤尾山観音寺」がはじまりらしい。
後、消失して20年後、笠置寺の解脱上人貞慶により旧寺を中興され補陀洛山海住山寺と名づけられたという。
本堂の前に変わった狛犬があった。
本堂に向かって右)子供を抱いた狛犬 口の中には石の玉が入っていた。
どうやって彫ったのかな? あちこちから眺める。
左の狛犬は横に小さい建屋があって見にくい。吽行と思うが口は少し開いている。
そして・・立派なものがついていた。 後ろに回ってみると、ご丁寧に後ろにも・・
建屋のぎりぎりのところから前を見ると・・何かを抱えている。楽器?何? 変わってる~。
台石に昭和53年・・・と書かれたのが作られた年月なのか?台石の作られた年なのか?
狛犬に気を取られていたが、目的の三上山へ急がねば・・
後で調べたら、需要文化財やヤマモモの巨木など見どころはいっぱいある。いつかゆっくり来たいと思った。
本堂の裏手から山へ。
倒木を乗り越え、上り、下って沢を超えたりしながら、冒険の道という山道を車道をいくつか横切りながら登る。
山頂を待ち切れず、途中で弁当を食べた。
そして、山頂(473m)に到着。登りはきつかった。
山頂の展望台は見晴らしがよい。「登ってきたぞ~」
下りはかいがけ道というコースを下る。 上りも下りも行き会う人は全くない。
ツルアリドオシ タツナミソウ
JR棚倉駅に着いた。
恭仁大橋から木津川上流を見る。
セイヨウヒキヨモギ 田植え直前の田んぼ
山城国分寺跡 大きい礎石は7重の塔の跡らしい。横の芝生ではグランドゴルフに興じる人々がいた。
「山城国分寺跡」は奈良時代、聖武天皇が一時都を移した「恭仁京」跡でもある。
近くに大極殿跡もあったが、都としては完成しないまま造営は中止されて、近江紫香楽宮へ、その後難波京に遷都、そして745年(天平17年)に都は平城京に戻された。
わずか5年ほどのはかない宮城跡地は山城国分寺として再利用され、大極殿は金堂に転用されたというが、今は金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が残るのみ。
芝生に白いニワゼキショウが咲いていた。後に見たブルーのニワゼキショウ。
ニワゼキショウにも種類があるが、追及しないことにして出発。
前が三上山? 昔は杭を利用して均等に水を分けていたという「大井出」
杭はないが今もここで分水していた。
黒く熟れたクワの実。枝が高すぎる。
しし除けの柵を開けて山道に入り、加茂神社?の社の手前を右草の道へ。
尾根道を上り下りして草地に出る。
途中に表示があった「デケーレ堰堤」ってなに?
帰って調べると、デケーレは明治のオランダ人技師で、当時の堰堤も残っているとのことだったが、場所もわからなかった。
海住山寺への表示があり、山道を入ってしばらく行くと境内に出た。
立派な五重塔(国宝)が目に飛び込んできた。 文殊堂(重文)
しんどい思いをして山道を登ってきたのに、車道が前まで通じていた。
海住山寺(かいじゅうせんじ)は天平時代に大仏造立工事の平安を祈るために聖武天皇の命により良弁僧正が建てた「藤尾山観音寺」がはじまりらしい。
後、消失して20年後、笠置寺の解脱上人貞慶により旧寺を中興され補陀洛山海住山寺と名づけられたという。
本堂の前に変わった狛犬があった。
本堂に向かって右)子供を抱いた狛犬 口の中には石の玉が入っていた。
どうやって彫ったのかな? あちこちから眺める。
左の狛犬は横に小さい建屋があって見にくい。吽行と思うが口は少し開いている。
そして・・立派なものがついていた。 後ろに回ってみると、ご丁寧に後ろにも・・
建屋のぎりぎりのところから前を見ると・・何かを抱えている。楽器?何? 変わってる~。
台石に昭和53年・・・と書かれたのが作られた年月なのか?台石の作られた年なのか?
狛犬に気を取られていたが、目的の三上山へ急がねば・・
後で調べたら、需要文化財やヤマモモの巨木など見どころはいっぱいある。いつかゆっくり来たいと思った。
本堂の裏手から山へ。
倒木を乗り越え、上り、下って沢を超えたりしながら、冒険の道という山道を車道をいくつか横切りながら登る。
山頂を待ち切れず、途中で弁当を食べた。
そして、山頂(473m)に到着。登りはきつかった。
山頂の展望台は見晴らしがよい。「登ってきたぞ~」
下りはかいがけ道というコースを下る。 上りも下りも行き会う人は全くない。
ツルアリドオシ タツナミソウ
JR棚倉駅に着いた。