みどりの野原

野原の便り

5月16日 南大東島 4日目-3 西港 公園 南ダイトウ開拓100周年記念碑 夕食 夜大東神社へオオコウモリ探し

2016年05月16日 | Weblog

切り通しの道を下ると西港。

西港

西港は南大東島のメインの港(他に亀池港・北港・南大東漁港)で、週に1~2便(月4~5便) 那覇 泊ふ頭から「貨客船だいとう」が入島する。
港とは言っても防潮堤もないため船は接岸できないので、人や荷物は「ゴンドラ」「鉄格子のかご」に乗り、クレーンで吊り上げられて上陸することになる。海が荒れているときは他の港からの上陸もあるらしい。

一度体験してみたいが、なにしろ那覇から13時間もかかるし、天候によって船は欠航になるなどのリスクもあり、体験はできていない。
せめて上陸の場面を見たいところだが、さっき塩屋から見たとき船が着いていたように見えたが、今回も見逃したようだ。

 
一仕事終えたクレーンがちょうど一息ついたところ。
                        右)「船客待合所」と書いたコンテナがトラックで移動。

 
        トラックからフォーク車?に積み替えられ、運ばれていく。


     そして、降ろされた。

 
           トラック   タンクの中身は水かと思ったが、糖蜜を輸送船に積み込むまでの一時貯蔵タンクらしい。

西港のそばの公園
南大東島は絶海の孤島・無人島だった。沖縄の人たちからは「ウフアガリシマ』 ウフ=大きい アガリ=太陽の意味で(遥か東方の島)と呼ばれヨーロッパの地図には「アムステルダム」と記されたり、ロシアの軍艦ボロジノ号の視察で「ボロジノ」と記されたり。『1800年(明治18年)には木製の国標が建てられ、日本の領土であることが公表された』

無人島だった南大東島に1900年(明治33年)八丈島から23人の開拓者が初めて上陸したのがこのあたりだったらしい。
絶壁が取り囲む中でもなんとか取り付くことができた場所だったのだろう。

公園には南大東島に開拓のためにやってきた人たちの記念碑などがある。

 
     南大東島開拓100周年記念碑         開拓団を率いてきた玉置半右衛門 像  
開拓者像や23人の名前を記した記念碑もある。

玉置半右衛門は八丈島出身の実業家 鳥島でアホウドリの羽毛販売で財をなした。
(鳥島のアホウドリは一時絶滅寸前まで追い込まれた。その後鳥島噴火)
無人島開拓の夢を持っていた玉置は希望者を募り(23人)1900年(明治33年)無人島だった南大東島に初上陸した。
八丈島から南大東島までの航路(八丈島~鳥島~宮崎~鹿児島~那覇~南大東島)1000キロを61日かかって到着した銘板も。

上陸の様子を描いたメンバーの1人、小島徹三の日記の碑もある。無人島に初めて降り立った時の様子がわかりすごい。
上陸の日は「幸いにも稀有な平穏」「島はうっそうとして声なし。タコ蔓が密生し手の付けようもない有様」
「島に生息する獣鳥人間を珍しいものの如く カラスは頭上に来てカアカアと鳴き、山羊は親しく人間に付き廻り、実に別天地」無人島に山羊?? 他にも開拓を試みて失敗したとも聞いたので、その時連れてきたもの? 
「現世の針の山と言いたき石灰岩石の中に一夜を過ごさざるを得ない」「荷物を揚げ天幕を張り野営ならぬ岩営を決心」「夜中に急雨激浪 寝具も浮かぶばかりの洪水となり」   すさまじい様子が記されている。

八丈島は信仰の厚いところで、上陸後まもなく神社が祀られたという。
 
ここ金毘羅宮 と 秋葉神社 一番最初にできた大東神社 島には3つの神社がある。
                             右)少し離れたところに上陸記念碑が建つ。

西港を出て戻る。

    A-COOPに立ち寄る。
夕食を食べる店探し。留守。休み。すぐ準備できない。などでウロウロ・・

 

 
やっと見つかった飲み屋街の2階「なすび」    おいしい食事にありつけた。ビンタンビールと泡盛で乾杯。

夜は又、大東神社へオオコウモリ探し。
6人の目で探したが見つけられなかった。空を飛んだのは見た人も。

12年前は8月でフクギの果実も食べごろで、すぐ近く低い垣根で見れたのだ。

南大東島5日目-1へ続く。
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5月16日 南大東島 4日目-2 ふるさと文化センター シュガートレイン 塩屋海岸プール フロンティアロード 

2016年05月16日 | Weblog
午後、ふるさと文化センターへ。

トラック輸送に代わる昭和57年まで島内を走っていたサトウキビ運搬用列車の機関車などの野外展示を見た後、
中で今はなきシュガートレインの映像や島の歴史、民具などの展示を見る。

 
        ふるさと文化センター        外に展示されているシュガートレインの機関車

 
中でビデオ鑑賞  トラック輸送に代わるまでサトウキビを満載したシュガートレインが港まで走っていた。
ボロジノ娘の汽車ポッポの歌と共に映像を見る。
「みよわれらが機関車は無線坂を登るたび・・難儀ポッポ 難儀ポッポ・・」

 
          アダンの草履               漁具・民具

その後、塩屋海岸を目指す。


環礁が持ち上がり隆起した島で、外側が丘陵地帯となっていて幕上(はぐうえ)。中央部は盆地で幕下(はぐした)と呼ばれる。、
お盆の縁にあたる幕上には木が茂り高くなっているので海は見えない。

塩屋海岸 塩屋プール


車を止めて塩屋海岸へ。
南大東島は砂浜がないので、岩盤を切り取ってプールが作られている。
昨日行った海軍棒プール(東)とこの塩屋プール(西)2か所にある。

 
海軍棒よりも波は静かなように見える。 時間があって、お調子者がもう一人いれば泳いでたかも。

 
磯のようなところはポットホールのような穴ぼこで、のぞくと貝や小魚がいた。
                       右)向こうに見えるのは西港か。クレーンや船が見える。

 
           ?ムニンハマウド                  アツバクコ 


        ハマゴウが花盛り

フロンティアロード
塩屋海岸からすぐ近く。かつてサトウキビを運んだシュガートレインの軌道跡が(フロンティアロード)西港まで続いている。

 
車を止めて歩く。リュウキュウマツの並木 
    右)シマグワやカジノキ ダイトウビロウ テリハボク フウリンブッソウゲ・・両側にはいろんな木が見られる。

 
           イヌビワ              オオバイヌビワ イヌビワとはずいぶん感じが違う。

 
オキナワスズメウリも可愛い実を付けていた。             ショウジョウソウ

 
車道へ出る手前 メハジキが咲いていた。   
           右)庭に植えたいような可愛いタチアワユキセンダングサの花・・でもくっつき虫だからねえ。
どこまでも歩いていたかったが、車を取に行ってくださって西港へ。               4日目の3に続く。
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5月16日 南大東島 4日目-1 地底湖探検 思い出の地底湖 真の闇

2016年05月16日 | Weblog
遅れていた南大東島の続きです。 1か月後に、本来の日のところに戻します。

朝9時、予約しておいた地底湖ツアーのガイド東さんのお迎えの車が来た。

ツアーは安全上から定員4人まで。
今回のメンバーは6人だ。私は12年前にも地底湖へ行っている。なので今回他に行きたい人があれば私は遠慮しないと・・と思っていたが、3人は他へ回るとパスされたので行けることになった。
私含めて女性3人とひとり旅の若い男性1人の4人のツアーとなった。

 
            まず事務所の中のテントで着替え。

「持ち物は何もいらない」といわれた通り、ほんとに何もいらなかった。  
つなぎ(中は下着のみ)「洞窟の中は暑いので汗をかきます」・長靴・ヘルメット・ヘッドライト・首から下げるライト・手持ちライト、これが全装備 
(12年前は「つなぎ」はなく、長靴・ヘルメット・ライト3つを借りた。カメラは持って入れた)
カメラもメモ帳も持って入れないのが残念だが、ガイドさんが随時撮ってくれるという。

*今日の写真 上の2枚を除いて、東さんにいただいたCDからの借用です(了解済み)
暗い中での写真は撮りにくいので助かりました。

南大東島はサンゴ礁由来の島なので、穴ぼこだらけ。鍾乳洞や雨で浸食されてできたドリーネといわれる「陥没した窪地」がいたるところにある。(100ヶ所以上)(埋め立てや農業改良工事で急激に減少しているらしい)

星野洞は観光用に整備されているが、今日行くところはまったく人の手つかずの自然の洞窟だ。

 
それはサトウキビ畑の繁みの中に突然ぽっかりと口を開けている。
サトウキビはまだ成長途中で肩あたりぐらいの高さ。           右)探検隊 いざ出発!


入口から後ろ向きに岩を掴んで足がかりを探しながら穴の中へ降りていく。
「しっかり岩をつかんで。足は信用してはいけません。よく確かめて」と東さん。


足元は岩がゴロゴロしている。「足は信用しないように。2度踏みして。手は必ず壁を持って・・」

 
だんだん奥へと入っていく。「壁のない所は鍾乳石を持ってください」(普通の鍾乳洞では鍾乳石には触れもしないが)
「上から下がっているつららは捕まると折れたりするので、必ず下から出ている石筍か上から下までつながっている石柱に掴まってください」

 
         変な形の鍾乳石        落ちたしずくの跳ね返りが固まったもの。

この穴は外気が入ってくるので乾燥するためほとんどが死んだ(成長を止めた)ものだという。
(星野洞は観光用に整備されているが2重扉で外気が入らないようにしているので湿度100%)

先の折れた鍾乳石は昔子供が遊びに入って折ってしまったものだとか。ワイルドな遊び場だ。

  
折れた鍾乳石にライトを当てると石が透明に光って美しい。
              右)天井にキラキラと砂金のように光るものが・・残念ながら水滴です・・ほんとに?

 
         滝のような鍾乳石            白いものはまだ成長しているらしい。

狭い隙間・滑りやすい斜面・足場のない所は鍾乳石に掴まってぐるっと回って・・なんてところもあった。
どこをどう通っているのか言われるままに歩いているが、1本道ではない。慣れたガイドさんならでは。

 
   岩の間からのぞくと水面が見えた。           波紋

 
もう少し行ったところにも地底湖。滑りそう・・ 砲弾型の変わった鍾乳石 でもこれも前に見た地底湖ではない。


       狭い隙間

そして、ついに見覚えのある地底湖へ。

  
水は澄みきって、上から垂れる水滴の波紋がないと水面とはわからないぐらい。 波紋が美しい。
                   右)地底湖の上から下がっている鍾乳石はまるで酒トックリのよう。

地底湖はどこかで海につながっており、潮の満ち引きで水面も上下する。
不思議な形は鍾乳石が水に浸かったり出たりしているうちにこんな形になったようだ。
底は塩水、上は真水と2重構造になっているらしい。雨が多ければ真水の部分が増える。

水の中の鍾乳石は昔は水の上にあったものということ。(水の中では鍾乳石はできないので)

「私、12年前、この地底湖の中にハマったんです」覚えてますかというと、あああの辺でしたねと・・覚えておられた。
岩を飛び損ねてジャブンと水の中にはまったのだった。
そこは深くはなかったが、胸にぶら下げていたデジカメが1台パーになった。
メディアはすぐに取り出したので写真は無事だったが。この地底湖に入った最初の人になった。
今も笑いの種になっている。

 
今回も渡ってもいいと言われたが、やめておいた。 若い男性だけが向こうまで渡った。

「その辺にしゃがんでください」とガイドさん。 そして懐中電灯3つとも消すように言われた。
「真の闇」とはこのことだ。
じっとしていると、時折しずくが水面に落ちる音が聞こえる。それ以外の音は全くなし。
もしこの間にそばの人がいなくなって1人取り残されたら・・ゾ~ッ。
何分ぐらいかわからないがめったに出来ない「闇体験」だった。

それから少しずつ登って、ついに入口の光が見えた。 


岩を登って地上に出た。お~帰ってきた~。  

その間2時間 2度目の地底湖探検だった。                   南大東島4日目ー2に続く。
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