切り通しの道を下ると西港。
西港
西港は南大東島のメインの港(他に亀池港・北港・南大東漁港)で、週に1~2便(月4~5便) 那覇 泊ふ頭から「貨客船だいとう」が入島する。
港とは言っても防潮堤もないため船は接岸できないので、人や荷物は「ゴンドラ」「鉄格子のかご」に乗り、クレーンで吊り上げられて上陸することになる。海が荒れているときは他の港からの上陸もあるらしい。
一度体験してみたいが、なにしろ那覇から13時間もかかるし、天候によって船は欠航になるなどのリスクもあり、体験はできていない。
せめて上陸の場面を見たいところだが、さっき塩屋から見たとき船が着いていたように見えたが、今回も見逃したようだ。
一仕事終えたクレーンがちょうど一息ついたところ。
右)「船客待合所」と書いたコンテナがトラックで移動。
トラックからフォーク車?に積み替えられ、運ばれていく。
そして、降ろされた。
トラック タンクの中身は水かと思ったが、糖蜜を輸送船に積み込むまでの一時貯蔵タンクらしい。
西港のそばの公園
南大東島は絶海の孤島・無人島だった。沖縄の人たちからは「ウフアガリシマ』 ウフ=大きい アガリ=太陽の意味で(遥か東方の島)と呼ばれヨーロッパの地図には「アムステルダム」と記されたり、ロシアの軍艦ボロジノ号の視察で「ボロジノ」と記されたり。『1800年(明治18年)には木製の国標が建てられ、日本の領土であることが公表された』
無人島だった南大東島に1900年(明治33年)八丈島から23人の開拓者が初めて上陸したのがこのあたりだったらしい。
絶壁が取り囲む中でもなんとか取り付くことができた場所だったのだろう。
公園には南大東島に開拓のためにやってきた人たちの記念碑などがある。
南大東島開拓100周年記念碑 開拓団を率いてきた玉置半右衛門 像
開拓者像や23人の名前を記した記念碑もある。
玉置半右衛門は八丈島出身の実業家 鳥島でアホウドリの羽毛販売で財をなした。
(鳥島のアホウドリは一時絶滅寸前まで追い込まれた。その後鳥島噴火)
無人島開拓の夢を持っていた玉置は希望者を募り(23人)1900年(明治33年)無人島だった南大東島に初上陸した。
八丈島から南大東島までの航路(八丈島~鳥島~宮崎~鹿児島~那覇~南大東島)1000キロを61日かかって到着した銘板も。
上陸の様子を描いたメンバーの1人、小島徹三の日記の碑もある。無人島に初めて降り立った時の様子がわかりすごい。
上陸の日は「幸いにも稀有な平穏」「島はうっそうとして声なし。タコ蔓が密生し手の付けようもない有様」
「島に生息する獣鳥人間を珍しいものの如く カラスは頭上に来てカアカアと鳴き、山羊は親しく人間に付き廻り、実に別天地」無人島に山羊?? 他にも開拓を試みて失敗したとも聞いたので、その時連れてきたもの?
「現世の針の山と言いたき石灰岩石の中に一夜を過ごさざるを得ない」「荷物を揚げ天幕を張り野営ならぬ岩営を決心」「夜中に急雨激浪 寝具も浮かぶばかりの洪水となり」 すさまじい様子が記されている。
八丈島は信仰の厚いところで、上陸後まもなく神社が祀られたという。
ここ金毘羅宮 と 秋葉神社 一番最初にできた大東神社 島には3つの神社がある。
右)少し離れたところに上陸記念碑が建つ。
西港を出て戻る。
A-COOPに立ち寄る。
夕食を食べる店探し。留守。休み。すぐ準備できない。などでウロウロ・・
やっと見つかった飲み屋街の2階「なすび」 おいしい食事にありつけた。ビンタンビールと泡盛で乾杯。
夜は又、大東神社へオオコウモリ探し。
6人の目で探したが見つけられなかった。空を飛んだのは見た人も。
12年前は8月でフクギの果実も食べごろで、すぐ近く低い垣根で見れたのだ。
南大東島5日目-1へ続く。