12月、簱尾池へ行った時、説明板に『日本書紀の推古15年(607)の条に、倭国に、高市池・藤原池・肩岡池・菅原池を作る』とあり、『肩岡池が聖徳太子築造との伝承のある簱尾池ではないかとする説がある』と書かれていた。
高市池・藤原池・菅原池は今もあるのだろうかと気になっていた。
友達から、明日香村小原近くのマキド池が藤原池か?との説があることを聞く。(他にもいくつか説があるらしい)
何回も通ったことのある「あの池」か?と気になって、今日行ってきた。
小原にある大原神社 裏手の川近くに「藤原鎌足産湯の井戸」なるものあり、ここ小原は藤原鎌足誕生地といわれている。
説明板によると「すぐ右の田圃には、明治初年まで「藤原寺(とうげんじ)藤原鎌足誕生堂」が建っていた・・」との記述がある。
ここから東へ登る道は、鎌足を祀る談山神社への参道であることも記されている。
息子によると、参道の上部あたりに、ひらがなで「とうげんじ」を示す 道標があるそうだ。
見に行く池がマキド池なら、これが昔の藤原池の可能性もあるなと、ど素人の考え。
東山集落を抜け、いつもの道を下るとその池が下に見えてくる。
池の名前は知らない。
ちょうど、そのあたりの小屋で集まっていた農業関係の人?たちがおられた。
「あの下にある溜池はマキト池ですか?」と尋ねたら、お一人が「そうですよ」と答えてくださった。
やっぱり!(マキト池 マキド池 これがはっきりしないが・・)
池は道よりかなり下にあり、ここから降りる道はない(草の斜面の下には川もあるらしい)
行ったことはないが、別に堤防に出る道があるらしい。後で行ってみることにする。
下っていくと、八釣・東山古墳群の古墳を移設復元した「八釣マキト古墳」がある。
さらに下って川の近くのお堂の中に千手観音石仏がおわす。「これも道標やで」。
デジカメを差し入れて背面を撮ると「右はせ道 すぐ岡寺」へ~~。
マキト池に行く前に少し違う方へ。
飛鳥資料館の近くに出られるはずという言葉につられて草道・獣の足跡がある道を進むと吉野川分水の隧道に出て、確かに資料館が見えるあたりに出た。
もう一度農免道路に出て・・
無事、マキト池の堤防に出た。古そうな溜池。こんな近くへ来るのは初めてだ。
冬場だからか水は少ないように思う。
山裾にマガモやコガモが見えた。
そして、見慣れない鳥がいた。ちょっと遠いが双眼鏡では歩き回っているのがよく見えた。
光学ズームで少しピンボケだが、鳥の特徴はよくわかる。
黄色い嘴と脚 長い脚 横腹に白い筋模様 尾羽の下に白い羽が目立つ。
・・何だろう?
帰って調べたら「バン」だと分かった。
バンは遠目だったが見たことはある。でもこれは嘴が赤くないし、歩いているのは見たことがなかった。
嘴が赤くないのは冬羽(非繁殖期)だからか?若鳥だからか?
鳥に詳しい人に尋ねたら、若鳥かも?とのことだった。
よく見れてうれしかった。
ウメがあちこち満開で、ウメのお花見もできた。