巻向駅から三輪駅まで、ウメやツバキやアセビを見ながら説明付きの万葉歌碑めぐり。
朝臣柿本人麿公 屋敷跡の碑 JAならけん纏向支店前
ここに屋敷があったかどうかはわからないが、この辺りに住んでいたのは確からしい。
15・6?の歌碑を巡ったが、やはり柿本人麿の歌が多い。
柿本「人麻呂」と書かれる時と、柿本人「麿」と書かれることがある。
この辺では「麿」が多いですねと言われ、そうなんか~。あまり考えていなかった。
巻向川沿いのこのあたりを車谷というらしい。
ウメはちょうど見ごろだった。
歌碑「痛足河(あなしかわ)河波立ちぬ巻目(まきもく)の由槻が嶽に雲居たてるらし」柿本人麿
途中、東に巻向山や弓月が嶽を見た。
「痛足」で「あなし」と読むのも不思議だが、そばを流れているのは巻向川と説明があったような・・
帰ってから見返してみたら新たな??が。
調べると、巻向川は穴師川とも呼ばれたとわかり、そうだったのか~。
横道に入った果樹の下に伸びて花盛りのフキノトウ。え~っ。もうこんなに?
ネコヤナギもすっかり花穂が開いていた。(古名 かわやなぎ)
井寺池 上池 カルガモとコガモがいた。
井寺池のそばの歌碑「香久山は畝火ををしと耳成とあいあらそひき・・」天智天皇 東山魁夷 揮毫
歌碑で、「高山は」と書いてあるのを「香久山は」と読ませる。
香久山が女性 畝傍山が女性 2通りの説があるらしいのは知っていたが・・。
「畝火ををしと・・」はいろんな解釈が出ている。惜しい。愛しい。雄々しい。男らしい。・・など。
詳しい説明はなかったが、一番身近な歌なのに、わからないことがいっぱい。
同じく井寺池のそばの歌碑「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山重れる大和しうるはし」 倭建命 川端康成 揮毫
ウメは紅梅や白梅 あちこちで満開
新元号「令和」の出典として有名になった、大伴旅人が赴任先 太宰府の館で開いた「梅花の宴」の序文
その続きを初めて聞いた。
そして、梅花の歌32首(招いた31人の客の歌と旅人の歌)の内のいくつかの紹介もあった。
その内、聞き知っているのは、主人(大伴旅人)の歌「我が園に梅の花散る ひさかたの天より雪の流れ来るかも」
同じく太宰府にいた筑前守 山上大夫(山上憶良)の歌。「春されば まづ咲く宿の梅の花 一人見つつや春日暮さむ」
白いアシビ ピンクのアシビは花が少し大きい。
サンシュユ 満開
下に落ちていたツバキの花 これで一つの花 いくつかの花を寄せ集めたような。
音符付きの歌碑「大和はくにのまほろば・・」揮毫者は黛敏郎さん。
大神神社
巳の神杉 樹齢は400年を超えるらしい。卵やお酒が備えてある。
ここで解散となり、三輪駅へ。