娘や息子と墓参りの後、明日香を歩く。
娘は知らなかったところが多かったみたい。私も知らない道があった。
役場の駐車場に停めさせてもらって歩く。
川原寺前の道標や庚申塔にも松飾り。
橘寺の東北の辻にある道標石仏の1つにも輪飾り。
高市橋から飛鳥川
父が勤めていた昔の高市村役場 右端に「高市村道路元標」がある。
市場通り 8月10日にはお盆の市「十日市」がたったところ。
今でも市はあるのかな?
電線埋設ですっきりと美しい通り。
治田神社の鳥居から岡寺に向かう参道「湯屋谷」と言った。
実家があった所。
お墓は少し高い場所にあり、ここからの景色はよくて好きだ。
お墓参り。ご先祖様にお礼とご挨拶。
治田神社にお参りに行く。参道を登ってもいいんだけれど「あそこから行けるはず」という息子について行く。
わあ。えらい山道。落ち葉と枯枝を踏んで登る。
確かに道らしくはある。
しばらく登ると、治田神社の拝殿の前に出た。
治田神社 父はお正月には毎年鏡餅をお供えしていた。
しっかりお参り。
船形の手水鉢 昔と変わらないが、蛇口が付いていた。
広い参道は子供の頃のあそび場だった。
運動会の走る練習にはちょうどよかった。
お正月には羽根付きをした。今は誰もいない。
『境内には8世紀初頭の岡寺(龍蓋寺)の創設伽藍があったと推測されている(凝灰石の基壇や礎石瓦が出土)。寺の鎮守社として境内地に祀られていた可能性がある』(説明板)
抜けると岡寺の前に出る。門前は初詣客でにぎわっている。
大勢の参拝客は手前を左へ下ったところにある駐車場へ。
又は、右下の参道を少し下って新設されているいくつかの駐車場へと戻っていき、すぐそばにある風情のある治田神社へお参りする人はほとんどない。
岡寺の人混みを避けて参道を下る。
周遊路から昔のお墓の方へ行ってみる。
周遊路から入った所にある地蔵石仏
その奥にたくさんの石仏
そこからは落ち葉の積もる山道を登る。
今日は山歩きするつもりはなかったのだが・・
古いお墓に出た。昔は埋み墓だった所。
(お墓は左上に広がっている)
昭和48年に亡くなった祖父も土葬だった。
その後、寺に近い所に石塔墓(先ほど墓参りした場所)が出来て、そこへ移している。
そして、実家で飼っていた犬「ジュンちゃん」もここへ埋葬した。
「ジュンちゃんの墓」の木札を立てたのを覚えている。
娘たちはお墓を見に行ったがわかるはずもない。
祖父の墓さえどのへんだったかわからない。
「埋葬墓地と石塔墓地を別の場所に分けて設けるのを両墓制というんだって」娘が本で読んだという知識を教えてくれた。へえ~知らなかった。
山道と急な階段を下って農免道路に降りた。
道を横切った所に、今まで気づかなかった細い下り山道が見えた。
ここを降りたらお寺の横に出るはず。
・・と下ろうとしたちょうどその時・・16:10
「ボアンボアン」どんな音だったか・・「大地震発生 大地震発生・・」と大音量の村のアナウンス。
え~っ。何何?どうしたん?
それが、能登の大地震だった。
正月の穏やかな空気も凍り付くような出来事。・・怖い・・
歩いていたせいか全く揺れは感じなかった。
(帰ってニュースを見たらすごいことになっていた。)
常谷寺の横を下って参道に出る。
産の宮さん(八坂神社)お祭りがあったのを思い出す。
石舞台へ。
駐車場の端に移設されている地蔵堂(元は北西の隅にあったもの)
赤い前垂れのお地蔵さま。道標になっているそうだ。
お堂の床下にお地蔵さまの足元が見えた。
上半身だけがお堂の中に納まっているのか。
こんなになっているのは知らなかった。
旧明日香村役場
吉野川分水が通っている。
新役場に戻り、近くの田んぼに積んである籾殻をいただいて帰る。
「ネコの○○の匂いがする」というので、開ける時に注意しよう。