里山クラブの新年会の前に希望者で八木町歩き。
見どころがたくさんあるが、限られた時間で歩く。
いつも歴史を感じるなあと気になっていた「半九旅館」
『江戸末期創業の旅籠宿で、下ツ道沿いにあったが、八木―桜井間の電車開通頃に現地に移転』(ネット)
看板が消えかけの銭湯「玉湯」かなり前に廃業されているようだ。
地元のメンバーが教えてくれた。銭湯は気にかけているのに知らなかった。
八木の銭湯もだんだんなくなって・・まだ残っているのだろうか?
恵比須神社は好きなところ。
宝形造の正福寺薬師堂(本堂)(廃寺) (露盤に正福寺が見える)がある。
寺門があったり、境内社の白髭稲荷があったり、神仏習合の姿が見られる。
境内は河瀬直美監督の映画「朱花(はねづ)の月」のロケ地になったと教えてもらった。
松尾芭蕉が笈の小文の旅で八木町に1泊した時に詠んだ句碑を見て、春日神社へ。
春日神社 クスノキの大木
古道「下ツ道」と「横大路」が交差する。
高札が建っていたところからこの交差点は「札の辻」と言われた。
江戸時代、伊勢参りや大峰山参詣でずいぶん賑わったようだ。
「西国三十三所名所絵図」には往時の様子が描かれ、高札や井戸や旅人も描かれている。
伊勢詣でに必携なのは「柄杓」。
先に行ったセンタイバ(接待場)で湯茶の接待を受けたり、時には食べ物を入れてもらう時にも使った。
柄杓1本あれば(伊勢参りの人とわかり)途中で宿や食事などの施行を受け、無銭で伊勢までたどりつくこともできたのだとか。
「札の辻交流館」
「札の辻」の東北角に建つ「札の辻交流館」
江戸時代「八木 木原屋 嘉右衛門」の屋号を持つ旧旅籠の建物。
「東の平田屋」とも言われた。
道路を挟んだ西側には「西の平田屋」がある。同じく旅籠だった。今も居住されている。
「東の平田屋」は改修後、2012年~「札の辻交流館」として一般公開されている。
今日はガイドさんの説明付きでよくわかった。
1階は「帳場」、奥には主人の部屋がある。
各地の「講」の看板 予約が入った日には「講」の看板を表に掲げる。
伊勢参りが流行し、街道や宿も整ってきたが、ぼったくりやいかがわしい旅籠・道中の不安も多かったらしい。
旅人に安全な旅を提供しようと考え出されたのが「講」の仕組み。
大阪の松屋甚四郎・源助が発起人となって「浪花講」が始まった。
旅籠での賭博・遊女を買う・酒を飲んで騒ぐ‥などを禁止。
講指定の優良旅籠を斡旋。
旅籠には講の看板を掲げ、旅人の目印とし、旅人は講の札を持って旅をする。
「浪花講」以外にも各地に伊勢詣での「講」ができた。
「講」とは、毎月伊勢参詣を目的とする積み立てをし、みんなで積み立てたお金で、くじで選ばれた代表者が参詣する、という制度。
安心して伊勢参詣ができる仕組みができて、伊勢参り(お蔭参り)はますます盛んになった。
「講」の仕組みを考え作った人はすごいな。
伊勢参りを済ませた後は、衣装替えしてお遍路さんとなり、大津~伏見~三十石船で大阪へと戻る。
浪花講では、そんな帰りの観光コースも紹介していたようだ。
旅籠の屋内井戸 水面が見えた。
階段の上の「蓋」 転落防止や防犯のために夜には鍵がかけられた。
大店で「丁稚さんなどが逃げ出さないように、夜は梯子を外す」・・というのを聞いたことがあるが、火事などあれば大変だ。
2階は全室客間。6室の和室がある。相部屋の雑魚寝だったらしい。
上客用らしい床の間や棚の付いた奥の部屋。
欄間には各地の景色が彫られている。
手前は「淀城と水車」
他にも「住吉大社の屋根と反り橋」「大阪から伏見へ淀川を遡る船を土手から人が綱で引いているところ」など。
天井裏には大屋根を支えるしくみ「桔木(はねぎ)」
梃の原理で大屋根を持ち上げる。この建物には11カ所もあるとか。
後の予定があるので、交流館を出発する。
何回も来ているが、またゆっくり来たくなった。
サークル新年会場に到着。
お食事の後、新年度計画もスムーズに決まる。