みどりの野原

野原の便り

4月7日 二上山 日暈(ひがさ)現象 サクラ満開  

2014年04月07日 | Weblog
穏やかな、さわやかな朝、二上山駅から登るのは久しぶり。

二上山駅から専称寺へ。

 
保護樹木となっている「枝垂れ桜」 樹齢200年 散り始めていたが、間にあった。

登山口から最初は植林の中のなだらかな歩きやすい道。
そのうちに階段を交えた山道になった。
 
所々にベンチもある。  鉄の階段を登る。

 
雄岳頂上(517m)に到着 大津の皇子の二上山陵  葛城坐二上神社もある。

  
雄岳と雌岳の間「馬の背」でお弁当。サクラは見ごろ


雌岳(474.2m)へ。 春うらら 気持ちがいい。

知り合いに会って満開のサクラをバックに写真を撮ってもらった。
そして、ふと空を見上げたら・・虹? 逆向き?
写真は無理だろうと思いつつ、まぶしいので大体の方向にカメラを向け写真を撮った。
何とか撮れていた。
 
     帰って調べたら「日暈(ひがさ)」というらしい。
太陽や月に薄い雲がかかった際にその 周囲に光の輪が現れる大気光学現象だそうだ。
この日、他の場所でも観測されている。

帰りは馬の背から祐泉寺へ下りる。

 
ウスタビガのマユ 『秋に羽化して雌がマユから出てくると。すぐ雄が飛んできて交尾し、自分が出てきたマユに卵をうみつける』このマユにも丸い卵が数個ついていた。 右)スズシロソウ
       
 
谷沿いに下る。 セキショウの花穂があった。  ポットホールが出来ていた。   

 
       アリアケスミレ             キランソウ

ずいぶん前同じコースを登った時、しんどかった思いがある。
今日、思ったほどしんどくなかったのは覚悟をしてきたせい? ゆっくり登ったせい? それとも昔より体力がついたのか?? まさか・・
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4月6日 天香具山 霰(アラレ)にびっくり ハランの蕾と種子

2014年04月06日 | Weblog
雨っぽいお天気ながら22人が集合。

耳成駅~畝尾都多本神社~藤原宮跡資料館~国見の歌碑~天香神社~天香具山~みずし観音~磐余池歌碑~大福駅へ。

午前中、小雨が降ったりやんだりだったが、途中でパラパラと霰(アラレ)が降ってきたのにはビックリ。
お弁当は思いついて早目にすませ濡れずに済んだ。

スミレ数種 ホルトノキとヤマモモ オオアカウキクサ ハランの蕾と種子 コブシ ミツバアケビ花などを見ながら菜の花やサクラのお花見。

 
        ハランの蕾と種子       池一面にオオアカウキクサ           

 
         コブシ                カツラ 雌花

 
  モクレン園芸種    コースを変更したおかげで見れたモモ畑       

 
         サクラ                    スミレ     

 
「月の誕生石」 この石の間から月が生まれたという民話がある。  
  右)「蛇つなぎ石」 山頂には雨の神様も祀られ天香具山は太古の昔から雨乞い神事がよく行われていたという。雨乞いと蛇?龍?が関係するのか?


「月の輪石」 と聞いているが説明板はない。「石柝神(いわさくかみ)岩根さえも裂く威力を持った神」とするネット記事もある。

「月の誕生石」と「月の輪石」は大石がパックリ割れた形で、それを合わせると白い筋も石の割れ目もぴったりと合いそう。「石は花崗岩で白い筋は石英」と石博士が教えてくれた。

天香具山は畝傍山・耳成山とは成因が違い、竜門山系の山裾が浸食されてできたと言われるが、この石の周囲に石らしい石は見られない。昔の人が不思議に思い民話になるのもわかる気がした。

白埴聖地 赤埴聖地といった石碑がある。
天香具山では神様に供える器を作る良い粘土が採れていたのだろう。 

人数が多いと時間がかかる。コースを少し短縮して、その代わりおミカンのお買いもの付きののんびり観察会となった。
幸い雨もひどくならなくて予定時間に終了できた。
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4月5日 道場 百丈岩途中まで コバノミツバツツジ ウグイスカグラ

2014年04月05日 | Weblog
道場駅から少し歩くとのどかな里道。気持ちのいい道だ。


田んぼ道でイヌナズナを見つけた。何回かは見ているが橿原あたりでは見かけない。
この辺では珍しくもないのかもしれないが、久しぶりに見たのでうれしかった。

自然派物干し 枝付きの木に土台を付けて「物干し」にしてあった。

山裾の道へ。

ウグイスカグラが多いところだ。花が咲いていればはわかるが、花がないとわかりにくい。
 
葉柄の基部に「つば」が残っているのが特徴と教えてもらう。 しかしどれもがこんなにはっきりしているわけではない。花に毛があった。ヤマウグイスカグラかもしれない。

 
   コバノミツバツツジも多い。    ちょうど花時でいいお花見が出来た。

 
ウリハダカエデ ピンクのきれいな冬芽   花序が延びているものもあり、遠くから見ても赤く美しい。

 
          ヌルデ                  ヤマウルシ    
何回も教えてもらっているのにこれぐらいは覚えたい。

 
ヒメコウゾ(合ってるかな?)少し芽が伸び始めている。 
      右)3大美芽のひとつと聞いている ザイフリボクの冬芽 今まで見る機会がなく初めての出会い。 赤い芽鱗 白毛の縁どり 葉が出かかっているが確かに美しい。

 
タカノツメ 名の由来が「3枚の葉の出始めが鳥の爪の形」と思っていたが「短枝が鳥の足に似ているから」と言われ納得。   右)キブシ 雌雄異株というが、両性花もあるらしい。雄しべも雌しべもしっかりしているものがあった。
林縁には乾燥地に生えるマツや、コナラ・ソヨゴ・アセビなども多い。

お弁当を食べた後、少し戻って、登山口から百丈岩に登り始める。いきなり急な登り。
途中、くさり場も2か所。こわがりの私だがしっかりつかまるくさりがあったので登れた。
見下ろすと、新名神の工事中のところが山の「傷」のように見えた。
周囲の環境も変わっていくのだろうな。

 
登った尾根道はまたまたミツバツツジの花盛り。 ネズミサシの果実
  
        登っていくと百丈岩が目の前に現れた。  

百丈岩の上まで行きたい所だが、時間不足で今日はここまで。
オオウラジロノキがあるとのことだったが行けなかったのは残念。又次の機会に。

山を下り新名神の工事の近くを通り車道に出た。

船坂川?沿いの桜を遠目に愛で道場駅へ。
木の芽もだいぶ延びてきて冬芽の観察もそろそろ終わり。
冬芽の中には何がどういう風に入っているのか。冬芽のがどういうように伸びていくのか。
観察材料はたくさんあるが、木の成長はのんびり屋の私を待ってはくれない。 
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4月4日 登録有形文化財「藤岡家住宅」 大失敗の朝・満足の終わり

2014年04月04日 | Weblog
今日は出発時間も遅いし朝は余裕たっぷり。
・・で家事いろいろ・・そして時計を見たら・・あっ!やばい! 遅れた!
間には合わないけれど、遅れを取り戻そうと急ぎ、電車に乗った。
・・30分は送れるなあ・・とJR高田駅へ。
そしたら次の電車は40分後! 和歌山行きは1時間に1本しかないのだった。しまった!
ホームで・電車の中で走りに走ったが・・1時間も遅れて到着。 みんなに平誤り。

頼んでくれていた案内を途中にして先ずお食事をいただく。
きれいに盛り付けられたお料理はどれもやさしい味がした。

藤岡家住宅は金剛山の下りに前を通りかかったことはあったが初めての訪問だ。

この後、館内を案内していただく。
藤岡家は江戸時代五条市近内村の庄屋で、初代長兵衛は薬種商(屋号 大坂屋)を営んでいた。他に両替商・菜種商他の記録も残っているという。 

藤岡長和氏(明治21年~昭和41年)はここで生まれ、警察署長や和歌山・佐賀・熊本などの知事などを歴任。
一方、俳号を「玉骨」といい、与謝野鉄幹・晶子・森鴎外・石川啄木・阿波野青畝など多くの文人と交流のあるホトトギス派の俳人でもあり、架けてある軸・色紙に著名な人の名があったりする。
藤岡家住宅は江戸時代の建築で、後、空家となって荒れていたのを現当主が費用を出し改修復元工事が行われ、10棟が国の登録有形文化財となり、NPO法人「うちのの館」の管理となっている。今も修理費用は出されているとか。
復元には金剛山麓という気象条件など地元の特性をよく知る地元の大工さんがあたり、表から見えない屋根裏に至るまで「元の姿に戻す」ことにこだわって復元されたとのお話も感動的だった。

お食事をいただいた大広間の廊下にはゆらめきが美しいガラス戸「こんなに大きい1枚ガラスは珍しい」 その内側に板戸があるのも珍しい。隙間の空気がクッションとなるのか30年間割れた事はないとか。


大広間の畳は中央が少し盛り上がっている。
強度を上げるために中継ぎ(イグサを真ん中で継ぐ方法)によるものだそうだ。

  
透かし彫りが投影する計算がされている欄間  なんと風雅な。

 
       1枚の板を彫刻     桐の1枚板をくりぬき、縁を黒漆で縁取った欄間


ふすまの下張りに「宗門人別帳」 反古からも数々の発見がある。    

書斎は少し高い位置にあり、部屋と部屋をつなぐ渡り廊下的な部屋。小さい階段を上る。
 
玉骨さんが使用していた文机
  右)「整理していてこの引き出しに与謝野晶子の手紙が入っているのを見つけました」「ここに座ったら○○に入学できた。なんてパワースポットになっているみたいです」
私も座ってみたからきっと良いことがあるに違いない。


北風を防ぐ2重のガラス戸越しにこの家のシンボルであり、俳号「玉骨」の名の由来(俗説)もある樹齢250年の「長兵衛梅」(紅梅)が見えた。まだ少し花を残していた。(名の由来は「太平記」の一説からと思われている)

蔵の中にあったトランクの中から痛みもなく見つかった大礼服とナポレオンハット、大礼服に身を包んだ威風堂々とした藤岡長和氏の写真もあった。
知事時代、重要な儀式の時に着用したものらしい。トランクには補修用の金糸も入っていたそうだ。
ナポレオンハットなるものを初めて間近で見た。納めておくケースもあった。

学芸員さんが内蔵の2階から降ろした資料を調べておられた。まだ未整理のものがありそうなのでお宝が発見されるかもしれない。しんどいがわくわくするお仕事だろうな。

終わったと聞いていたお雛様が今日まで展示されていてラッキーだった。
 
お雛様の掛け軸 ひな祭りといえば「桃の花」だが後ろには「梅」が描かれている。そばには「誤って桃の祝いを梅とせし」 高浜虚子の色紙がなにげに置かれているのだった。
                           右)藤岡家のお雛様

  
     屋敷内から見た薬医門       東側道路から見た薬医門
金剛山越えは大阪への最短の道で、江戸時代、このあたりは交通の要衝として賑わっていた。
薬医門は1日中開放され、ケガや病気の旅人を治療していた。
また、藤岡家は飢饉の時には米蔵を開放するなど地域のために力を尽くされたと聞き、建物が一層立派に魅力的に見えた。

他にも見どころは数々あって書ききれない。又訪れたいと思う。

 
雨も止んでいたのでこの後、近くの御霊神社へ。途中のサクラも満開。  
                 右)JR北宇智駅 
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4月3日 高天彦神社~山草園~橋本院 花盛り

2014年04月03日 | Weblog
今日は点検が終わったコミュニティバスに乗り高天口から歩く。

 
         山裾・石垣などスズシロソウがあちこちに。 

  
         キランソウ             コスミレ  
カテンソウやオニタビラコ・クサノオウ・ヤマブキ(蕾)・タチツボスミレ・・
その近くに栽培から逃げ出したと思われるペラペラヨメナ(ゲンペイギク・エリゲロン)やヒメツルソバも野生化。

高天彦神社近くではソメイヨシノはまだ5分咲き? まだ蕾が多かった。

山草園


   チェーンソーアートのフクロウ

 
      ショウジョウバカマ           ミヤマカタバミ

 
        ミヤマシキミ             フッキソウ
 
        ウグイスカグラ           サンザシの仲間

ジンチョウゲもいい香りを放っていた。

 
ハナイカダ 出たばかりの葉の上には(左)雄花  (右)雌花がちゃんと準備されていた。雌雄異株


橋本院への途中山裾の小川の向うにあった黄色い花はダンコウバイ?

 
橋本院ではツバキ・サクラの仲間やサンシュユ・ミツマタなど花盛り

ここから降りてコミュニティバスに乗る人と分かれ、国道まで降りた。バスの時間に間に合って、他の人よりだいぶ早く帰れたかと思っている。
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4月2日 娘がマダニに食いつかれた

2014年04月02日 | Weblog
娘がマダニに食いつかれた。
「ころちゃん(犬)の散歩に行っただけやのに~。長いパンツ履いてたのに~」「どうしたらいいの~?」 半泣き。


ふくらはぎを見てやったら確かに食いついている。大事な娘に食いつくとは不届きな奴。
でも私が食いつかれたのよりは可愛い(小さいという意味)
私のは倍ぐらいあったと思う。(h22.09.11)

自分の時と同様に、油を垂らして「油地獄」その後は「オキシドール地獄」いろいろやってみた後ピンセットでゆっくり引っ張っても取れない。
しばらく頑張ってみてからちょっと力を入れて引っ張ったら体だけ取れた。
残った頭部もピンセットで取ったが全部取れたかどうか・・


これで取れていると思うがどうだろう?
その後尋ねたらかゆくもないらしいので成功したかな?
私はずいぶん長い間かゆみに困らされたものだ。

「こわくてお散歩に行けない~」という娘に「お母さんは毎日のように野山に行ってるけどマダニに噛まれたのは1度だけ。だからタマタマや。タマタマ タマタマ」
「ほんま~?」これで納得したか、それ以後もころちゃんの散歩に行っている。
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4月1日 ヨドコウ研修所 お雛様 すばらしい建築

2014年04月01日 | Weblog
3月末 我が家の小さい雛たちを納めたところで、ちょっと時期が遅いが、ヨドコウ迎賓館のお雛様を見に行って来た。
阪神芦屋駅からJRを越え、阪急を越えて芦屋川沿いに歩く。

 
川沿いのマツ並木は途中からサクラ並木に変わり、満開のサクラのお花見をしながら北上。
周辺の立派な住宅を見ながら、河原のキセキレイ・セグロセキレイ・ムクドリなど見ながら・・
ライト坂を少し上がった上の方にヨドコウ迎賓館の建物が見えてきた。

 
              エントランス~車寄せへ  入館料500円   

この建物は『灘の酒造家(桜正宗)8代目山邑太左衛門の別邸としてアメリカの著名な建築家ライトの設計で大正13年竣工
後、(株)淀川製鋼所の所有となり、昭和49年国の重文指定を受け、昭和63年から 淀川製鋼所迎賓館として一般公開されている』(資料抜粋)      

お雛様がすばらしいと聞いて見に来たので、建物のことは知らずにきたが見応えがあった。 
建物は4階建てだが、斜面に少しずつすれて建てられている。
鉄筋コンクリート造りで大谷石を多用してある。

内部を見学。

 
2階給湯室 戸棚や棚も作りつけ          4階厨房

 
   窓のそばの棚 実用と言うよりはデザイン    3階廊下

 
明かりとり兼換気用の小窓が並ぶ。2階応接室


 銅製?の飾りもあちこちに。なぜかここは2重になっていた。

 
4          階食堂 天井から壁 美しいデザイン
木は木目の目立たないマホガニーを使っているとか。
装飾性のある木のデザインは素敵だけど、掃除しにくそう・・・と、つい庶民感覚が・・

 
4階食堂からはバルコニーに出ることが出来る。 バルコニーから建物の外側の装飾を見る。

 
               山手から町へ絶景
 
でこぼこした大谷石にさらに施した彫刻。

雛人形展
3階の和室3部屋を使って飾ってあった。 
8代目の山邑太左衛門が長女 雛子さんの誕生を祝って京都の老舗の人形店に依頼して誂えたもの。
最高の素材と技が使われている。

説明を聞きながら見る。(撮影禁止)


①お雛様(段飾り)②花嫁人形 ③花見人形のグループがあり、これがみんなお雛様のセット
人形に合わせ生地を織り、手刺繍を施した贅沢な着物。桜正宗に因みサクラの刺繍が多い。
やさしく上品なお顔立ち。髪の毛も全部結いあげたもの。

①のお雛様は段飾りだが、内裏様と稚児さんと3人官女だけで、随身も5人囃子も仕丁もいない。
高さ45センチという大柄のお内裏様の下にはお世話係の2人の稚児さんが「あ・うん」の表情で何時でも立てるようにひざを浮かせているのだとか。ひざには当て布が張ってある。
3人官女の中央はお福の方 既婚の女性 外側の2人は新婚さん? 長柄の銚子などを持つ。

②段飾りの前には花嫁人形と婚礼当日の様子を表したお道具の数々。
外居(ほかい)というお菓子屋食べ物を入れて持ち運ぶ容器・碁盤・双六盤・カヤなどなど・・
男の子と女の子の市松人形や足を折って座ることもできたという3つ折れ人形も珍しい。

③花見の宴を17体の人形で表してある。人形の表情など動きがある。

贅をこらした雛人形 目の保養になった。(双眼鏡を持っていけばよかった)

見学した後、近代建築などに興味のある娘に「来たことある?」とメールしたら「あるよ」とのこと。
さすが建築マニア・・
お雛様は見たことがないそうで、見学を勧めておいた。(4月6日まで)


午後から気温も上がり、帰りには河原でお花見をする人が増えていた。
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