みどりの野原

野原の便り

2月11日 写真展 午後は明日香再度キトラ古墳のあたりへ。水路橋 「養蚕の空気抜き」は「ミカン蔵」が正解か?

2018年02月11日 | Weblog
朝から写真展を見に行った。

同じように見た榛原の墨坂祭りの写真を出しておられた。躍動感あふれた写真を撮っておられた。

やっぱりセンスが違うのか、私も同じ時にバチバチたくさんの枚数を撮ったが、これは。というものは全然なかった。

午後、ちょっと気になるところがあったので、先日歩いたコースをもう一度歩いた。
飛鳥公園館のあたりから山道に入り・・ところどころ迷いかけながら、ちょっと横道も入ったりして・・発見もあった。

 
先日もくぐった時、上は道かと思っていた。  右)横からよじ登ってみると、水路橋だった。
コンクリートのU字管が続いていた。水はなかった。
パイプも見えたので今はU字管に水が通るのかどうかわからない。田植えの時期に確かめてみたいところだが・・

水路の先に下りたので、ちょっとコースは違ったが、同じところに出た。

 
  ハクサンボク 実が残る。    つぼみもできていた。 そばのマンサクも満開だった。

地蔵道標のところを通り、檜隈寺跡を通り・・下に見えるため池のところに降りてみたり、少し集落の中を登って見たり・・

 
栗原集落の最上部?に近いところに、大屋根の上に煙り出しの小屋根が3つ付いた民家があった。
煙出しが3つも並んでいるのはみたことがない。何やろうな?  
  右)帰って調べてみたら、信州上田の同じような写真が出てきた。
『養蚕の盛んな地方に見られる構造で、カイコを飼育するためには保温を必要とし、火を焚いて室内を温める。
その煙出し用の空気抜きの小屋根を大屋根の上に取り付けた。ヒモを引っ張って開閉できるようにした例もある』
・・と書いたが今日、ネット記事を見ていて「ミカン貯蔵庫」の建物を発見。
カイコ小屋ではなくてこれかも!ミカンの産地でもあるしこの方が現実的かな。
12月頃収穫したミカンを5月頃まで貯蔵しておくとの記述もあった。
屋根の上の煙り出しのようなものは換気・風通しのためらしい。
「不思議な屋根」いろいろ想像して楽しませてもらった 3月1日記



これに間違いない。と思ったが、近くに人がいたら確かめたいところだった。
昔は飛鳥でも養蚕が行われていたと聞く。きっとそれが残っているのだろうな。

道の繋がりのわかった所もあったが、まだどこへ出るのかわからない道もある。
呉津彦神社の前は結局通らなかったが、キトラ古墳の上に出た。
今日は展望台へも登った。帰りは旧道を通る。

 
ここにも地蔵道標がある。つぼさか道の字が見えた。
   右)「アントクの丘」という所にも立ち寄ってみた。上まで登らなかった。
「藤原京の中軸線上に 菖蒲池古墳・天武持統天皇陵・中尾山古墳・文武天皇陵・キトラ古墳がある」というようなことを書いた看板が上にあるらしい。登って確かめておくべきだった。


    檜前川 サクラの遊歩道を戻った。

寄り道、道草。うろうろ歩いて不思議なものを見つけるのは面白い。
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2月10日 奈良~桜井へ ちりめん細工 浄教寺のソテツ巨樹 コンサート

2018年02月10日 | Weblog
朝から奈良で開催中のちりめん細工の展覧会を見に行く。
写真はないが、あでやかな、また可愛い作品の数々、センスと根気が要りそう。

浄教寺
右左きょろきょろとしながらのんびり三条通を歩いていた時、門の中にある立派なソテツが目に入った。
ずいぶん大きく立派なソテツだ。写真を撮りに入らせてもらった。


後で、外の説明板に「浄教寺のソテツ」として奈良市指定の文化財になっていることを知る。
「根株の周囲は6.5mあり、1本の株から25本もの幹が出ている」と書いてあった。


浄教寺は浄土真宗大谷派の寺院で、説明版によると「浄教寺は最初河内の国にあったが、16世紀に大和国に移った。現在の境内地は慶弔8年ン位徳川幕府から寺地として認められたもの」
現本堂は昭和19年上棟 第2次世界大戦の影響で工事が長期化し昭和43年に完成したのだとか。24年もかかったって!

そして「山門」と「掲示板舎」は登録有形文化財に登録されているとのこと。

 
扉にも上部にも彫刻が施された山門

掲示板舎? どのことかわからなかった。次に通った時、探してみよう。

夕方からは桜井市民会館で「岩崎宏美コンサート」
美しい歌声にうっとり。

  
最後に写真OKに。突然言わないで~。 慌てて撮ったがうまく撮れなかった。
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2月9日 京都府立植物園 シモバシラ名残り フキノトウ 冬芽

2018年02月09日 | Weblog
ちょっと寒さもましな朝、「今日は霜柱無理でしょうね。時間も遅いし(10時)」と言うと、「7時には見られました。日陰なので見られると思いますよ」ほんとですか~。

お願いしているガイドさんにシモバシラを見たいと伝えて、ちょっとコース変更にして先に直行してくださった。


あった! ほんの可愛いシモバシラだったけど。実物初めて見た。
うまく撮れていないが、茎を割って氷がニューっと出てきているのがわかる。(カマキリの幼虫が卵のうから出る時みたいに)

霜柱が見られるぐらいの冷え込んだ今日だが、よく見るとあちこちに春を感じさせるものがあった。
 
もうフキノトウがでていた。今年初めて見た。 野外でフキノトウを見かけることも少なくなった。

 
セツブンソウ か弱そうに見えて今の寒さにも耐えて咲く。 
           右)フクジュソウ もう咲いてるんだ~。光をいっぱい受け止めている。

本格的な春に向けて準備中の冬芽
 
オオカメノキ 伸びをしているみたいに見える。 
               右)カナクギノキ えいえいオー!コブシを突き上げる。


シナマンサク 先ず咲くのいわれの通り、春一番に咲いていた。

午前中でガイドさんの案内が終わり、午後は自由散策になった。

今、早春の草花展が開催中。

 
ビニールハウスの中は春。暖かい。ちょっと無理して咲いた春の花。        
                      右)ユキワリイチゲ

 
目を引いたのが「アイリッシュモス」苔か?と思ったら、ナデシコ科 花も咲くらしい。
                 右)オレンジ色ののディモルホセカ  新顔の園芸植物

カワセミを2度、ヤマガラ・コゲラ・シジュウカラなど野鳥も楽しんだ。
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2月8日 渡来人の里を歩く 栗原寺跡 呉津彦神社 於美阿志神社 キトラ古墳 檜隈寺

2018年02月08日 | Weblog
中尾山古墳や高松塚古墳を違う角度から遠めに眺め・キトラ古墳の上に出るというコースを案内していただいた。
途中、ここへ出るのか。ここは前に来たことがある。通ったことがある。という所もあったが面白いコースだった。

 
いつも近くを通る中尾山古墳は遠くの尾根に小さい見える。  高松塚古墳もこんな方から見たことがない。

南北に3つの尾根があり、中の尾根に築かれたのが「中尾山」の由来を聞いて、へえ~~。
中尾山古墳は「真の文武天皇陵」という説が有力で、その理由も説明してくださった。
天皇や大王級の墓に多い八角墳であること。石室が小さく火葬墓と考えられること。そのころの天皇を考えると文武天皇になるらしい。

 
明日香村に縁のある「タチバナ」の木を植えるプロジェクトがあるらしい。作業に来ている人の姿が見えた。最近は山の辺の道でも同じようにタチバナが植えられているのを見かける。
タチバナは垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして探させたという不老不死の霊力を持った木、非時香実(ときじくのかぐのこのみ)がそれと言われる。
  右)果樹園に吊るされた赤い液体入りペットボトル。虫対策にしては蓋が閉まっているし、なんだろう?

調べてみたら、種なしブドウを作る時、着粒の安定化や、粒を大きくするために、花序・果序を数回ジベレリン液に浸す。
そして、その作業で、ブドウの房を浸けていく液入り容器に液が足りなくなった時、首から下げたペットボトル入りの液を補充するらしい。
私は納得したが、「違うよ」という方は正解を教えてください。


今、文武天皇・檜隈安古陵と宮内庁が比定しているこの場所は、栗原塚穴古墳と言われていたそうだ。明治時代にここへ文武天皇陵が遷されたらしい。


今日のコースにはミカン畑(ハッサク?)がたくさんあった。
木にも実は残っていたが、摘果されたのか木の下にはたくさんのミカンが捨てられて、私たち主婦にしてみれば「もったいない~」
勝手に拾うわけにもいかないので、横目に見て通り過ぎた。


吉野川分水 しっかり蓋がされて暗渠化している。
御所市の日野分水工から東西に分かれた、ここは東部幹線水路が通っている。
ここから桜井・三輪などに配水されていく。

道端にちょこんとお地蔵様 見れば道しるべ。
 
地元では「栗原野仏」と言われているというお地蔵様 右)おかでら と書かれた地蔵道標だった。

息子は道標を調べていて約1000基ぐらいは調査済み。たくさんの道標を地図に落としこんでいる。
でも、ここは観光ルートともいえない人通りもないちょっと辺鄙なところにあるので「これは知らないだろう。教えてやろう」と思ったら・・
「知ってるよ。ハスの花を持った可愛い地蔵さまで好きだよ」と。
まあこんなところまでよく知ってるねと感心。右)私の写真ではうまく写っていない「右おかでら」の字や「蓮の花」もばっちり写った写真を送ってくれた。

栗原寺(呉原寺)という古代寺院があったというあたり、金堂・講堂・西大門・中門 などの位置がわかっているらしい。
今は説明版が建つだけだ。金堂跡と言われたところは確かに平らで、言われればそう見える。

栗原という地名は雄略期に檜隈あたりに呉人が入植したところから呉原と呼ばれ、それがなまって栗原という地名になったとのこと。
その渡来系氏族が栗原寺(呉原寺)を建てたらしい。竹林寺ともよばれたそうだが、後で行く竹林寺と関係があるのかどうか。
また、僧・道昭が「日本で初めて」火葬にふされたのもこのあたりらしい。

 
屋根の鬼瓦に竹林寺の掘り込みが見える。 古そうな灯篭や礎石が残る竹林寺。


分厚いガラスのような氷が出来ていた。

 
隣は「呉津彦神社」呉人の祖神を祀ったらしいが、今は此花咲耶姫命と天児屋命が祀られている。 
                右)ムクロジの巨木

 
      小尾根を抜けると・・       キトラ古墳の上に出た。

 
墳丘の横の石仏 これは何かな?         四神の館でお弁当を食べる。

その後、今公開中の「キトラ古墳北壁の壁画・玄武」を見る。

実物の壁画は写真撮影禁止。 これは四神の館で映像を撮ったもの。
展示も見たが、まだまだ見切れていない。

 
冬の時期で、植物観察するほどでもなく、歴史散歩のようだったが、昼食後、今日の担当の方から「大根の話」があった。
根はどれか?茎はどれか?・・前にも聞いたことはあるがじっくりと聞かせていただいた。 

ひげ根のある部分が根で、その上の緑色がかった所は胚軸、茎は葉が付いている短い部分。
大根のひげ根は2列になっているのは知らなかった。  右)帰り道の畑の大根。この時期、地上に長く伸びている。


於美阿志神社は古代の寺院・檜隈寺の後に建つ。(明治時代に少し西から移転)
檜隈寺の講堂跡や塔跡などがある。塔跡に建つ13重(上部を欠き実際には11重)の石塔は重文指定されている。
また、宣化天皇(28代)檜隈廬入野宮跡(ひのくまいおりののみやあと)の石碑が建つ。

飛鳥駅近くで解散となる。
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2月6日 大和文華館

2018年02月06日 | Weblog
私の参加している会の総会と昼食会が学園前であり、終了後大和文華館へ行くというのでついていく。

前に大和文華館へ来たのはいつだったか・・・梅を見に来たのを覚えている。
帰って調べたら2006年(H18)10年以上も前だ。
3月10日満開の梅の前での私。当たり前ながら若い!

大和文華館では2月18日まで特別企画展として「宋と遼・金・西夏のやきもの」が開催されていた。

ゆったりとした管内で中国の古い時代のやきものを見る。
中国の歴史にも疎いから北宋・南宋・西夏ぐらいは聞いたことがあるが遼や金とは聞いたことがない。

ざっくりと観覧した。
青磁といってもかなり色目も違うものがある。デザインも独創的なものが私は面白い。
もし、くれるとしたらどれがいいかな?・・あまりわからないものを見るときはいつも好きなものを探す。
これは好きだなあと思ったのは「緑釉皮嚢壷」デザインがおもしろい。愛知陶芸美術館からの特別出展のものだった。

時代背景などが分かっていれば楽しみ方も違ったことだろう。
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2月2日 アオバト  カワウの巣

2018年02月02日 | Weblog
見たかったアオバトを見ることができた。
遠かったが、見やすいところに群れで止まっていた。

遠くでも見れて満足なのに、だんだん欲が出て、もっと近くでもみたいなと思ったりして・・

深田池の西側はカワウの糞で真っ白。
コロニーの中には巣もいくつも見えた。

近寄ってひとつの巣を双眼鏡で覗くと、巣の中に2羽のひな(といってもかなり大きい)
2羽とも餌を待っているのか首を上に向けてゆらゆら揺らしている。
近くには親鳥?成鳥も何羽か止まっていた。

コロニーの下にはアオサギが2羽。 これはカワウが落とした餌を待っているらしい。
楽して餌を得ようとする知恵 

アオバトもカワウの巣もとコンパクトデジカメでそれなりに写せた。
さて、家へ帰ってパソコンに移し・・確認しないでカード画像を消した所、パソコンにちゃんと入ってなくて・・・

珍しく一昨日の皆既月食の写真・昨日の二上山ふるさと公園周辺の写真も・・カメラに残っていた写真はすべて「空」になっていたのだった。
慌てても後の祭り。 溜息・・

でも頭にはしっかり残ってますよ。
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1月31日 小林一三記念館 雅俗山荘・旧加島銀行池田支店(現・インテリアの会社)・落語ミュージアム 

2018年02月02日 | Weblog
池田市 小林一三記念館 他何か所か見学 3班に分かれての見学となった。

>小林一三記念館(雅俗山荘)
阪急電鉄・阪急百貨店・宝塚歌劇団他、東宝の創業者で・政治家など多方面で活躍した小林一三の旧邸。昭和12年(1937)の建築
多芸多才、茶人でもある一三は、芸術と生活を一体に楽しむ思いを込めて「風雅山荘」と名付けた。
収集の美術品などを展示する「逸翁美術館」が建設され、雅俗山荘は2010年小林一三記念館としてオープンした。


 
 
長屋門(国の登録有形文化財)   風雅山荘(国の登録有形文化財)鉄筋コンクリート造りだが和洋折衷の美しいデザインの建物。

 

 

 
高低のある庭に茶室が配置されている  土間に椅子席が並ぶ茶室即庵・費隠・人我亭といった伝統的な茶室など。
茶室即庵・費隠や塀も登録有形文化財に指定されている。

そして、白梅館で生い立ちや業績の数々の展示物を見る。白梅館で改めてすごい人物だと思う。
朝ドラ「わろてんか」の伊能栞のモデルは小林一三らしい。

近くに、「井戸の辻」と案内板の立つ場所があった。
ここは江戸時代、能勢街道や、西国巡礼道(勝尾寺
・中山寺を結ぶ)と尼崎・伊丹道の交差するところに井戸があった場所で、高札が建てられ、周りは商家が軒を連ねる中心街だったらしい。本町通の工事中に井戸跡が発見されたとか。


ビリケンさん 『ビリケンさんは、池田市出身の繊維会社「田村駒」の創業者で初代田村駒次郎さんが商標登録を行ったもの』
ビリケンさんは足の裏に手が届かないので、足の裏をさわるとそのお礼に願いをかなえてくれる』 説明版より。
特にご利益があるという縁談と受験には縁がないが、なでておく。

「池田 呉服座」
 
大衆演劇場 呉服座って?元呉服屋さんだったのか? 上のガラス部分も良い。
調べてみたら、名の由来は呉服橋の近くにあったから。元は明治20年頃にあった「西之口戎(えびす)座」が呉服座の前身ではないかとのこと。 
その後、くれは座 ごふく座と呼ばれるようになったが・・昭和44年(1969年)幕を閉じた。
その建物は閉館後に解体され昭和46年愛知県の明治村で復元公開され、昭和59年には江戸時代の芝居小屋の建築様式を残す数少ない建築物として国の重要文化財に指定されている。
ここにある「池田呉服座」は江戸時代に建てられた呉服座の優れた建築様式を一部再現して、以前あった池田中央シネマの場所に建てられたもの。
・・などこの建物の背景がわかった。

旧加島銀行池田支店(現在はトータルインテリア カワムラ)
 レンガ造り 装飾性のある外観
設計者は辰野金吾(東京駅・日本銀行などを設計) 
1918年朝ドラの「あさが来た」の広岡家によって明治時代に設立された。
後、旧三和銀行の支店として使用されたが、現在はインテリアの店になっている。

  
中に入ると「銀行のカウンター」がそのまま使用され、商品がならんでいるが、銀行の雰囲気が残っていた。
 
       タイル張りの床        銀行行時代の金庫。今は倉庫のようになっていた。

落語ミュージアム
 
1階では落語会を開催されるという舞台があった。今はアマチュア落語も盛んなのだそうだ。
2階には上方落語の資料などを常設展示してあり、DVDやCDを聴ける。

お昼は栄町商店街のお寿司屋へ。
午後はカップヌードルミュージアム見学の予定だが、都合でここで早退。

五月山には行ったことがあるが、その近くに、今日行ったところ以外にもいろいろ見どころがあることが分かった。
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