みどりの野原

野原の便り

9月12日 チユウキンレン ミズオオバコ ガガブタ タヌキマメ ナンバンギセル など

2020年09月12日 | Weblog

「チユウキンレンが咲いているの見に行かない? ついでに畑にタヌキマメも咲いているので見に来て」とありがたいお誘い。
喜んで参上!

チユウキンレン(地湧金蓮)バショウ科 ムセラ属
熱帯性の植物だけれど、耐寒性があるのか地植にしてあるのを何度も見ている。
「チヨウキンレン」という言い方もあるのか?「湧」はユウともヨウとも読むという。
ネットを見ているとチユウキンレイと書いたものもあるが・・??。

 
駐車場と個人の畑の境界に植えられたのか?大きい葉が並んでいるのが見えてゴクラクチョウカ?と思ってしまったのがチユウキンレンだった。外から花は全く見えない。
いつも見ているのは、花がよく見えるように葉を刈り込んであったりするせいか葉が繁ったものは見慣れなかった。
                     右)葉をかけ分けると大きい花(花序)が見えた。

  
黄色い花びら状のものは苞葉 「地湧金蓮」の名がぴったりだ。
苞葉の基部に小さい花があり、次々咲き進んでいくのはバショウと同じだ。
バショウと違って苞は落ちずに枯れ残るようだ。

  
苞葉の基部の花 花被片らしいものが見える。       右)1個の花
果実はできるのだろうか?気になった。


     つぼみもあった。
じっくりとチユウキンレンを見ることができた。

矢田民俗公園へ。
タヌキマメの開花の時間調整もあるらしいが、ここでも色々見れた。

 
     ミズオオバコ たくさんの花が立ち上がっていた。

 
      ガガブタも見ごろ。      花冠裂片には白い毛が密生。 
一時期、ガガブタやアサザなど水草をベランダで育てていたことがある。

午後、いよいよ友人の畑へ。
友人が言うには、タヌキマメの花はお昼過ぎにならないと咲かないのだそうだ。

畑は山際の元は棚田だったかと思われるところ。
野菜・・というよりは花や果樹がいろいろ植えられている。

 
以前、私があげたカラスノゴマもこの通り。増えすぎて困るほどだという。
黄色い小さい花が咲いているが、葉の下で目立たない。
        右)タコノアシも小群生。 秋には茹でだこになるだろう。

 
    オオセンナリ 大きい株       カリガネソウまで咲いている。

 
    タヌキマメ 葉は笹の葉のよう。  花を包むガクは毛むくじゃら 面白い。
                  右)青紫色の花 きっぱりと咲く。


花弁は上下2枚に見えるが、蝶形花で、右の花には竜骨弁が見える。
久しぶりで見たタヌキマメだった。

 
メハジキ 花にブルーの昆虫が飛び回っていた。 
 右)はじめセイボウの仲間かと思ったが、ブルーと黒の縞模様。ルリモンハナバチかなあ?
飛び回る昆虫は写真が撮りにくい。これが一番ましな写真だ。

 
ミカンの木にアゲハの幼虫 つつくと黄色い臭角をだす。 白黒の若齢幼虫もいた。
矢印が頭、普段は大きい胸部の下になって見えにくい。  
               右)眼状紋をつなぐ部分の模様に注目。デザインチック。


  ススキの根元のナンバンギセル

畑・土手・水辺も作ってあり、ミツガシワなども。他にもいろいろ。
自然度の高い場所で、自然の草花も周辺にたくさんある。
栽培種と自然が入り混じったようなところだった。

毎日畑に手入れに来ているとは聞いていたが「畑 植物園」は毎日来ても飽きないだろうな。
いいなあ・・とはいえ、私は畑の管理はとてもできない。
今日のようにたまに来させてもらうのがありがたい。ありがとう。

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9月10日 キトラ古墳周辺 ホソバツルノゲイトウ ハイビスカス ローゼル ネズミサシ 毛虫の写真アリ

2020年09月10日 | Weblog

再開初日の明日香の会が降水確率で中止

出かける準備ができていたので、短時間の自主散歩に出かけた。

 
ウド 両性花序は雄期 小さく見えるものが雄の花序のようだ。
                   右)ホソバツルノゲイトウ 帰化植物

 
アズキなのか? 原種のヤブツルアズキなのか? 果実や種子を見れば区別がつくかな?
                     右)マコモと思う。

 
畑の栽培されていたローゼル ハイビスカスの仲間 
     右)苞とガクが肥厚した果実 ハイビスカスティはこれから作る。

 
コクチナシの花をムシャムシャ・・ツユムシの仲間のよう。雌の幼虫か?
                        右)ネズミサシ 若い球果

 
クヌギに若いどんぐりが成長中 ふと横を見たら・・毛虫の群れ ツマキシャチホコらしい。
どぎつい色、いかにも毒虫っぽいが、毒はないらしい。・・が触る気は起らない。

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9月8日 信貴山 朝護孫子寺 空鉢護法堂 信貴山城址 松永久秀屋敷跡

2020年09月08日 | Weblog

信貴山朝護孫子寺から 空鉢護法堂 信貴山城跡 松永久秀の屋敷跡を巡る史跡巡り。
山で下界よりは涼しかったが、登りは汗がでた。

信貴山朝護孫子寺
聖徳太子が物部守屋を討伐する途中に信貴山で戦勝祈願をすると、毘沙門天が現れ必勝の秘法を授かり、その御加護で勝利し、自ら毘沙門天像を刻み祀り、信ずべき山・尊ぶべき山「信貴山」と名付けた。
中興の祖、命蓮上人が後醍醐天皇の病気平癒を祈願したちまち癒えたので、後醍醐天皇から朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺の」勅号を贈られた。

  
朝護孫子寺本堂へ。本尊 毘沙門天王像は秘仏。毘沙門天王の扁額 両側にムカデ

毘沙門天は七福神の1神で 商売繁盛 金運如意 開運招福 新願成就を授けてくださる神。
扁額の左右には御遣いのムカデが描かれている。
おあしが多いことから金運にもつながり、商売繁盛すると信仰を集めた。
又、百本の足の動きがそれぞれ違うと前に進めない。皆が心を一つにしてことに当たるようにという教えもあるのだとか。 

戒壇巡りはコロナで中止中。


この後、自由時間になって頂上で集合することになり、霊宝館に入る。
信貴山の宝物がいろいろ展示されている。
中でも「国宝 信貴山縁起絵巻 写」が面白い。 (詳細は略)
「飛倉の巻」教えを忘れ、お布施を惜しがった長者の米蔵が托鉢用の鉢に乗って空を飛んで信貴山に雄運ばれていく。びっくりした長者たちが後を追う。
改心した長者が中の米俵を返してもらう。米俵が空を飛んで長者の家へ。
まるでアニメをみているような動きがある絵だ。 

 
  山頂に向けて出発。参道は石段道   ミンミンゼミとツクツクボウシの大合唱だ。

 
      途中にある多宝塔        空鉢護法の幟が並ぶ参道

 
信貴山 雄岳山頂(標高437m)に建つ「空鉢護法堂」に到着。  
  右)二上・葛城・金剛山が縦に重なる山塊が真正面に。いつも横並びで見ている景色とはだいぶ違う。山塊の左側は奈良の・右側は大阪の街が見える。


空鉢護法堂から少し下った平らなところに「信貴山城址」の石柱があった。
信貴山城は、信貴山雄岳山頂を中心に広がっていた県下最大の中世城郭で、4層の天守櫓を持っていたそうだ。

戦国時代に木沢直正が築城し、・・落城の跡、松永久秀が修理改修して本格的な山城とした。
・・・後、織田信長の配下に入ったり、裏切ったり・・ついには松永久秀は織田信長に敗れ、自ら天守を焼いて自害することになる。
「大仏殿を焼いた」「裏切りを繰り返した」・・など極悪人扱いされる松永久秀の終焉の地。遺体は筒井順啓が達磨寺へ葬ったという。

悪人面の浮世絵が知られている松永久秀。
しかし、今年、高槻市で、命日や戒名の書かれた、江戸時代に描かれた肖像画が見つかったそうで、イメージはだいぶ違うらしい。
悪人イメージは誇張や後世の創作部分が多いらしい。
名誉挽回なるか?

 
        山の中を下り ・・・・・   松永久秀の屋敷跡へ
今は説明版があるだけの平らな植林地になって静まり返っている。

ここから山を降りて・・


        赤門

 
      小寅の張り子              世界一福寅
聖徳太子が毘沙門天王を感得したのが「寅年 寅日 寅刻」であったことから信仰を集める。

門前で解散となった。 
信貴大橋発のバスが出た後で、信貴山門バス停まで歩くことにした。


開運橋 昭和6年竣工 全長106m
カンチレバー橋という形式で現存する日本最古の橋として、有形文化財に指定されている。
橋の中央部でバンジージャンプができる。若者が大勢集まっていた。

信貴山門バス停よりバスで王寺駅に向かう。

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9月7日 ポポー キワノ 栗ご飯

2020年09月07日 | Weblog

もう一度ポポーが食べたい。
そう思って昨日、帰りに市場に寄ってみたのだけど売ってなくて・・
朝いちばんならあると聞き、頑張って行ってきた。

 
  売ってました。1個買う。  
 右)店先の大カボチャ2000円 持ち上げることもできない。これは飾り?まさか食用?


ポポーの木も確認 果実ができていたがまだ未熟

帰りに、気になるところ何か所か回って帰宅。

今夜は栗ご飯の予定。


昨日買ってきたクリを茹でて皮を少し柔らかくしてから剥いた。
は~・・1袋剥くのに1時間かかった。手がこわばった~。
今年初めての栗ご飯 クリがごろごろ入った栗ご飯、おいしかった~。

食後の果物に、昨日買ってきた「キワノ」を食べる。


  キワノ 初めて見る。
ネットで調べると、正式名はツノニガウリ ウリ科 アフリカ原産らしい。
外側には尖ったツノがあり持つと痛い。熱帯っぽいなあ。


初めてで、食べ方もわからなかったが、半分に切ってみた。
わお!インパクト!なんじゃこれは! 
ウリ科 そういえばキュウリの種のある部分 中子に似ている。

スプーンですくって食べようか・・でもすくいにくい。

結局、角のついた皮を剥いて・・かぶりついて種ごと食べる。
へ~~。初めての食感。初めての味。
甘味は全くない。ちょっと酸味がある。苦くはない。香りはほとんどなし。
おいしいとは言えないがプチプチした食感は面白い。予想がつかなかった。
はちみつをかけたりヨーグルトに入れたりしてもいいようなので、明日朝、ヨーグルトに入れてみよう。
息子には不評だった。万人向きはしないが、私は面白かったなあ。

コメント (2)
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9月6日 飛鳥 万葉講座 月 みつながしわ 仁徳天皇と磐姫 明日香法

2020年09月06日 | Weblog

中央公民館あたりから歩く。


バショウ 果実がたくさん。今先の方に咲いているのは雄花。

 
橘寺 南側の万葉歌碑 「世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」
 右)飛鳥川沿いの小道沿いの万葉歌碑 「明日香川瀬瀬の珠藻のうち靡き情(こころ)は妹に寄りにけるかも」

 
  クズが満開 いい香り。
         右)このあたりの飛鳥川 変わっていないように見えるが・・

 
川沿いには中国原産のシナサワグルミが繁り、葉には外来昆虫のキマダラカメムシ。
          右)ヒメマツバボタンがいっぱい。 外来の草や虫が目立つ。

万葉講座

今年は10月1日が「中秋の名月」だとか。
旧暦 24節季で季節を春夏秋冬の4等区分し、それぞれの季節を3つに区分。

7月・8月・9月が秋。
秋の中でも、7月は初秋(又は孟秋)・8月は中秋(仲秋)・9月は晩秋(季秋)となる。 
8月の真ん中15日が満月に近い月が見えるとして15夜の月=「中秋(仲秋)の名月」となるらしい。
調べると、十五夜が必ずしも満月とは限らないという。ずれる時もあるらしい。
そして、旧暦の8月15日中秋の名月は、新暦の9月15日でないというのが又紛らわしい。
よくわからない。誰か易しく教えて~。
とにかく今年の中秋の名月は10月1日とのこと。

月に関する万葉歌10首を取り上げられた。なじみのない歌ばかりだったが、みんなで朗誦した。

次に、9月のカレンダーから「みつながしわ」
オオタニワタリ(チャセンシダ科)の暖地性シダ 他にも説はある。
「神に供える食物をのせる皿」としても使われた。

オオタニワタリに関連して、大鷦鷯天皇(おおさざきのすめらみこと 仁徳天皇)と皇后 磐姫(いわのひめ)の歌。

磐姫が新嘗祭に使用する「みつながしわ」を熊野へ採りに行っている留守の間に、大鷦鷯天皇は八田皇女を宮に迎え入れ、それを知った皇后が激怒したという話は古事記・日本書紀にも出てくる。天皇が歌を送ったり、呼びに行っても帰ってこず、ついに帰らずじまいで亡くなってしまう。磐姫皇后は嫉妬深いイメージだ。

万葉集に記載されている磐姫の4首の歌を見ると、「山を越えて迎えに行こうか。待っていようか」「恋し過ぎていっそ死んでしまったほうがましかな」とか「私の黒髪が白髪になるまで待っていよう」・・など、天皇を恋しがっているのに、天皇が来ても会いもしなかったとか。

これらの歌が本当に磐の姫の歌ならば、万葉集で最古の歌になるのだとか。(疑問があるらしい)
似た歌が古歌集にあったり、古事記にあったり・・ これがまたこんがらがるところ。

それにしても、日本書紀にある、天皇が八田皇女を宮に入れようとして作った歌のなんと身勝手なこと。「磐姫も怒るわ」と思ってしまうし、正直者の?天皇にも笑ってしまう。

今年は「明日香法」ができて40周年らしい。
周辺部地域の開発が飛鳥まで押し寄せそうになり、文化財を守るために村民や学者などいろいろは人たちの努力があって、明日香法ができた。
甘樫丘にも土地買いが頻繁に訪れたり、ホテル建設の話もあったらしい。
そんな時に犬養先生の甘樫丘に建てられた万葉歌碑は開発防止の防波堤となった。
その後、土地買い上げ、国営公園化が進む。

犬養先生の文によると、今は気軽に登れる甘樫丘は「戦前戦後にかけて登り道もない植林の山」で「昭和30年の初め、豊浦の方々によって現在ある登り道をつけられた」とのこと。へえ~~。

あやふやなこともたくさんあるが、知らないこともいっぱい聞けた。

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9月3日 うちの庭 オキナワスズメウリ ボタンクサギ スクミリンゴガイ少し大きくなってきた

2020年09月03日 | Weblog

変わり映えしないうちの庭ですが・・


先日もアップしたボタンクサギ 今満開 
一番きれいなのは咲きかけの時。 (なんでもそうやね)
若木の時は地下茎がぐんぐん伸びて、遠いところまで広がり「始末の悪い木」と思ったが、年とともに落ち着いて、今はひとところに落ち着いて「やりやすい木」になった。植物もこんなことがあるんだなあ。(わが身は?)


オキナワスズメウリ 今年植えたわけではないのに勝手に生えたもの。
4個ぐらいしかついていないが、果実が赤く色づいて可愛い。

そして・・以前(7月25日)に卵塊を持ち帰ったスクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)
(訂正 リンゴスクミガイは間違いです。スクミリンゴガイが正しいです。訂正しました)
7月30日ふ化して2ミリほどの稚貝になったが、そのままにしていた。
小さくて、いるかいないかわからないが、庭土を少し入れて、ツユクサの葉などその辺の葉をたまにほり込んでいた。

ひまだったので、容器をのぞいてみると・・見えた!

 
7月30日ふ化したばかりの時は2ミリ程度だったのが・・右)4~5ミリになった。

数は減ったが、暑いベランダのしかも猛暑にも耐えて、この狭い容器の中で成長していたのだ。ちょっと感動・・

 
葉に穴が開いている。葉を食べているようだ。この葉はスイゼンジナ
・・今気づいたが・・殻を持つ貝の仲間だからカルシュウムも必要ね。
卵の殻でも入れてやろ。        右)こんなところに住んでます。

育てる気はないけれど・・もう少しそのままにしておく。

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9月2日 日本書紀の講座 天武紀 (正確には書けていません)

2020年09月02日 | Weblog

苦手な歴史を少しでも・・と、都合のつく日だけでもと講座に参加

紀年法・称制制度・壬申紀・・言葉もむつかしい。
家で復習しては見るが正確には書けません。悪しからず。

日本最古の歴史書である日本書紀には序文がないので、編纂開始や完成の記述というものがないらしい。続日本紀など他の書物の記述などから720年(養老4年)に完成したとされる。
漢文・編年体で記述され、神武天皇~持統天皇までの全30巻。天皇毎に書かれている。
日本書紀の年の記録のし方(紀年法)も天皇によって違ったりするらしい。
天皇の死後、即位がまだのまま政務についている期間から数えるのか(これが称制制度かな?)。即位した年から数えるのか。

今日の講座は、天武天皇紀
天武天皇紀は1代の天皇を上下2巻に分けてあり、これは日本書紀唯一の例だそうだ。
天武天皇紀は即位の前年(壬申年)を元年とする紀年法によるようだ。

天武紀で、宮も、嶋宮~岡本宮~飛鳥浄御原宮へ。そして藤原宮への移行を考え、藤原宮・難波・信濃?の3都構想を持っていたとは・・
又、官制寺院として4大寺(高市大寺・川原寺・薬師寺・飛鳥寺)を決め、その他の寺院と区別したり。
官位を増やし48階に。
銅銭(富本銭)を発行してそれまで流通していた無文銀銭をやめて差益を稼ごうとしたり。
東アジアの百済・高句麗・唐・新羅なども滅亡あり、敵対ありで動きも多く。
大陸と日本との関係も深いのに驚く。

正確さに欠ける記事だと思いますが、こんなものかなあ、ぐらいです。

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9月1日 聖徳太子ゆかりの地 斑鳩周辺 法隆寺 藤ノ木古墳 

2020年09月01日 | Weblog

法隆寺iセンターで集合


駐車場の横の植え込みのようなところが古墳とは知らなかった。
舟塚古墳 直径5mの円墳だそうだ。

法隆寺
聖徳太子が飛鳥からこの地に移ることを決意し、斑鳩宮を造営され、
607年、亡き父、用明天皇の菩提を弔うために造立された法隆寺。
焼失したが、間もなく再建が進められ、飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興された。法起寺とともに「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録されている。

 
   松並木を通って南大門へ。         南大門前の「鯛石」
「大和川が氾濫しても水はここまでしか来ない」という。法隆寺7不思議の1つ。

 
南大門を入って参道 右側の築地塀の中は、創建当時の法隆寺の跡といわれる「若草伽藍」     右)正面「中門」五重塔や金堂・講堂などがある「西院伽藍」に入る。
五重塔・金堂・講堂などの建物がある。
      
 
金堂 4方の拝所から中を見る。釈迦三尊像などを拝す。
 右)五重塔も半周回る。よくわからないが釈迦の説話などを表しているらしい。

 
九輪の基部に見える4本の鎌も7不思議の1つ。聖徳太子の怨霊封じなどの説もあるが、実際は雷除けらしい。 他の5つの不思議の言い伝えがある。
  右)大宝蔵院(百済観音堂) 観音菩薩像や百済観音像 玉虫厨子 百万塔などの宝物が並ぶ。仕方がないが・・暗い。

昼食をはさんで「東院伽藍」へ。

 
東大門から出て・・四脚門を入り東院伽藍へ。 八角形がきれいな夢殿
本尊の秘仏「救世観音」は明治の初めまでは厨子の中に厳重に封印され、布でぐるぐる巻きにされていたそうだ。
宝物調査で長い交渉の後、封印を解かれ姿を現されたという。

法隆寺を出て、藤ノ木古墳へ。

 
     見えてきた。 直径50m 高さ9メートルの円墳 中を覗ける。
明治のころまでここには墓守がいたそうだ。

その後「斑鳩文化センター」で、未盗掘で発見された豪華な出土品のレプリカなどを見る。


センター前に展示してある、藤ノ木古墳の朱塗りの石棺のレプリカ

法隆寺駅へ戻る予定だったが、ここからバスで戻ってもいいというので、王寺駅行きのバスに乗る。9月に入ったとはいえ、平地の昼間 暑さに参った。 
法隆寺、大きすぎて、見どころも多すぎて、下調べをしていかないと。
そして自分ペースで回らないとわからないなあというのが感じたこと。それもなかなかむつかしい。 情けない・・

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