私は酒飲みである、かなり飲むほうだったと云える、両親とも飲んだ、と言ってもお袋が死んだのは未だ中学でその前から寝込んでいたので実際に飲むところの記憶は余り無い、親父は良く飲んだ、お袋が「お父さんは酔うのが好きで飲むけど私は味が好きで飲むけどあまり酔うのは好きじゃない」と云っていた記憶が有るが自分もどちらかと言えばそちらの方だと思う、飲んでも何処か醒めていたいと言う様な気がする。今までで完全に記憶が飛んだという事が一度だけ有った、20代の頃借りていたアパートに親しい友人が飲みに来た時の事だ、近くのスナックで飲んでからスナックの女の子も一緒に部屋で飲み始めた、自分はその頃好きだったウィスキーのビール割りを飲んでいた、この飲み方が「ボイラーメーカー」と言う名前だと言うのは後で「ポセイドンアドベンチャー」で老名女優が飲んでいるのを見て知ったが飲みやすくて楽しく飲むには丁度良かった、今は無くなったがサッポロジャイアントと言う奴が有った、此れを数本買って来て飲んでいたのだが気がついたら朝になっていたのだが友人と女の子が1人居ない、「あいつ何処に行った?」と聞いたら夜中に帰っていったという、その子の話では私が酔っているような風には見えなかったという、その頃はオーディオが好きで赤井のオープンデッキを持っていて7号リールを使っていたがそいつを最長時間にして録音をしていた事を彼女が教えてくれた、捲き戻して聞いてみたら自分の話しっぷりは全く酔っていないのだ、ところが自分は全く覚えが無い、どうやら若い女の子と一晩過ごしたのだが録音を聞くと全く潔く(?)寝てしまっているのだが、あの時は随分悔やんだ物だった、それから更に正体を無くさない様に気をつけたのは当然である、まあそれは冗談としても一緒に飲む奴からは「飲ませ概の無い野郎だ」と言われている。最初の頃はウィスキーでニッカブラックかサントリーレッド、此れが500円、サントリーエクストラが一番辛いが安くて380円だった、その内サントリーホワイトになったがオールドと角は高くて手が出ない。カクテルバーを少しカジュアルにしたコンパと言う店が増えてきて女の子と行くようになるとその頃流行のジンライムになる、女の子達はカクテルが殆どでで水割りを飲む子は居なかった、有名なのはピンクレディ(歌手ではない)ブルーハワイ、良からぬ目的にスクリュードライバーと言うのもあった、(正式な名前ではない、上手いバーテンダーが作ると殆どオレンジジュースなのだがかなり強いウオッカが入っていて突然良いが廻る、私は使った事は無いけど、)その頃駅前には必ずコンパがあって個性を競っていたがいつの間にかは全く無くなってしまった、大体今の女の子は焼酎サワーだし水割りも居て下手をすると潰れるのは男の方だったりする。何時頃からか女の子の居る店を卒業すると焼き鳥屋か居酒屋になって少し懐が暖かくなると小料理屋に変わった、飲む酒も何時か日本酒が主がなったが家で1人で飲むのは目に付いた変わった物を好んで飲んだ、大森に色んな酒を安く置いている店があったがなんていったか、世界各国の洋酒が有って此処で憶えた物も多い、