NHKで近年介護施設で人生の終焉を迎える人が増えて来たと言う放送をやっていた、99歳の女性でつい最近なくなったと言う、家族は既に70歳を超えて居た、やはりこうなると家で看取るのは難しいだろう、よく「最後は住み慣れた我が家で」と言う話しを聞くが地方で連綿と続く家の場合はそう言う意識もあるだろうが都会だと借家を移動しながらが多いのであまりそう言う感覚も無いのかとも思う、まして看取る側も大変な負担となってしまう、病気になっても治療法が無くなって後は終焉を待つのみとなるとそう長期は居られない、此れは病気を治療する病院としては仕方ない事だ、施設の入居者の大半は痴呆が始まっている、とても一般家庭では見ている事は出来ないだろう、若しかしたら人間は永く行き過ぎているのではないだろうかと思う、生物は生まれて成長したら子供を生んで育て終えたら死んでゆく、此れを連綿と続ける事が種の保存と言う事だろう、しかし人間は育て終えて次に譲った後生き続ける時間が伸びすぎたのではないか、生物の出生率は生存率に反比例している、海生生物は大抵何万個もの卵を産み、猛獣のライオンや虎は1~2子、象は殆ど1子であるが最終生存率は略同じだ、開発途上国や貧困国の出生率は高く、先進国は減少しているがやはり最終生存率は先進国の平均年齢に合わせれば同じか貧困国の方が低い、日本の出生率低下はこの種の保存の法則にしたがって下がっているのかも知れない、今は調整の為の過渡期で此れを過ぎれば日本だけでなく先進国は社会的には安定するのかも知れない、しかし現実に生きている人間を何処かで消去する訳にも行かない、出来れば苦しみ続けて生きるなら元気の内に幕を引きたいのだが中々その勇気は出ない、金が無くなれば治療も侭ならず、痴呆になれば子供達、社会に負担を掛けてしまう、本人もそんな状態でいき続ける事は望まないだろう、そうなる前に幕を引くとしてもどの時点が幕引きのタイミングか解らない、正直我が家は今かなり厳しい状況にある、結婚してからと言うものかなり波乱の多い人生を送ってきたが年齢もあって気力が衰えて来たのかも知れないが兎に角先が見えなさ過ぎる、先日「終わり良ければ全て良しと言うからもう一息頑張るか」と言ったら「終わりが何時か解らないとずっと頑張るしかない、やっと良くなったら棺桶では仕方ないよね」と言われた、確かにそうだな、人生は結果より過程だと若い時は自分に言い聞かせていたのだが、過程がよければ結果の悪さは更に圧し掛かる、もう一度浮き上がれるか、時間は無くなって来た