「自分は運が悪い」「頭が悪いから」と言う友人は多かった、しかし自分はそれは努力しない事の言い訳にしか聞こえなかった、何よりそれを認めたら自分が惨めに成ってしまう。最低学歴で今まで何とかやって来たが結果はこの歳になってこのざまだ、仕事が廻っている頃は息子より若い年齢の外注担当に見下げられても(この頭を下げて金になるなら)(サラリーマンでは無い、俺は自分で此処まで来たのだ)と思う事が出来た、しかし今年になってやはり同じ様に馬鹿にされた様な扱いを受けるとかなり堪える、(本当は自分には何の能力も無いのではないか)と言う気持ちが頭から離れない、少し前なら(見てろ!)と思えたのが今では(唯の自信過剰で今まで来たのは運が良かっただけなのか)と思うようになってしまう、実際そうなのかもしれない、姉の言った様に「飲む打つ買うもしないで一生懸命やっても駄目なら最低の経営者だ」と解りやすい評価をされて特にそう思うようになった。誰のせいでもない、しかしそれを認めた所で好転する訳ではない、更に転落するだけだろう、もう一度、「俺は未だ出来る」と思い込みたいがタイムリミットは近い、今のマーケットで生き抜けるかは微妙だ、新しいマーケットに出るのは更に厳しい、景気が上向かないとどうにも成らない、高齢者の行方不明が増えて居る、と言うより表に出てきたと言うべきか、若しかしたら私もその予備軍に入っているのかも知れない、自分だけだったら若しかしたら投げ出していたかもしれない、女房が居るので頑張れるのかもしれないな、子供達は各々独立して家庭を築いているが所帯を持っているので迷惑は掛けられない。自分の事だけなら終わらせても良いのだがせめて女房には幸せな老後を送って貰いたい、せめて女房が一人になっても金が有ればと言うタイプならもっと気楽に決断できたのかもしれないが、1人にする訳には行かない様な気がする、思い込みかもしれないが