最近またハイボールと言う飲み方が流行っているらしい、CMのせいだろうがウィスキーの復権と言うらしい、メーカーの意図だが。自分が飲み始めた頃はバーと言うジャンルとコンパと言うジャンルで少し飲んだ、自分は余り飲まなかったな、大抵ロックか水割りだったがバーでは水割りは出なかった気がする、映画か、小説か、或いは漫画かも知れないが一緒に飲む水をチェイサーと言うのを覚えた。地ウィスキーと言う物がある、恐らく全国で探せば結構あるんだろうが余り手に入らない、行きつけの酒屋で売っていた京都のウィスキーが安いのに旨かった、最近又見るようになってメーカーを見たら「宝酒造」だった。地方に行った時に覗いてみるがウィスキーは見た事が無い、日本酒は最近道の駅や駅の売店でも売っているようになった、昭和40年代は地方の旅館も出る酒は全国ブランドが多かった、その方が受けが良いらしい、しかしこの頃のブランド酒は大抵加糖・酸味・酷いのになると化学調味料まで入って更に醸造用アルコールで度数を上げている、いわゆる3倍醸造酒と言う奴だが、未だにそんな物を売っている、此れが結局日本酒離れを加速しているのだろう、しかし地酒は逆に多すぎて中々買い切れない、取り合えず泊まった旅館で飲んで確認をした物を買うことにしている、観光地の食堂に入ると最近は地酒と流行りだした地ビールが出ているのだが大抵車なので試す事が出来ないのが非常に残念だ。地ビールはラガーからスタウトなぞ色々有って本当に飲んでみたいのだが、しかし此れが結構高い、小瓶で大体600円~800円位する、此れもちょっと残念だな。多分昭和の50年代の初め頃だと思うが仲間で奥多摩の小菅村にある一軒宿に行った事がある、春先で未だ雪が残っていた、木造2階建てで窓から見えるのは山だけだった、10畳位の部屋に炬燵が有って此処で飲み始めた、夕飯のおかずは鱒の塩焼きと千切りのキャベツに乗ったハム、漬物と言う質素な物だが飲んだ酒が美味い、燗を付けて貰って10本づつ頼んでいたら最後に徳利が足らなくなったと下げて行った程飲んだ、数えてみたら50本を越えている、男5人なんだがその内1人は下戸に近い、一人頭一升以上飲んだ勘定になる、この時の酒が地酒の「澤の井」2級だった、今では2級酒と言うわけ方が無いのでなんだったか分からないが今買って来て飲んでみるとやはり美味い、しかし女房は「余り美味しくない」と言う、宮城の「浦霞」も自分は好きなんだがやはり女房は「美味しくない」と言うので酒は好みだなと思う、最近は都内で色んな酒が手に入るので結構楽しめる、広島の酒も好みに合うが此れはどういう訳か夫婦で意見が一致した、樽酒で「加茂翠」と言ったと思うがこの間「酒のソムリエ」と言う女性に聞いたら広島の加茂と言う何は何か理由が有るときいたのだがすっかり忘れてしまった