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2025.03.20 春分の日、お寺へ法要にゆく。

法話をお聞きする。

お寺の庭の馬酔木の花。これは、白ではなく、ピンク色の花。

馬酔木の花を見ると、奈良公園を思い出す。

 

<お彼岸の服装>

トップスも、ズボンも、ミヤケイッセイ。

 

そして、このジャケットもミヤケイッセイ。

買った時期は違うが、いずれも、「プリーツプリーズ」や、

「ME」が出現するずっと以前のミヤケイッセイ。

おそらく、どれも30年程前のものと思われる。

私は、あまり自慢にもならないことを、自慢する癖があります。

ごめんなさい。

 

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2025.03.19 久しぶりの甲山、そして、一日千円の旅。

今朝一番の甲山。

最近忙しくて、山に気づかなかった。

久しぶりの対面。やっぱり素敵。

 

まだ、腰に違和感あり。

毎日、出かけるぞ!そして治してやるぞと思っている。

 

この頃は、出かけるのは、JR芦屋が多い。

以前は、もっぱら、梅田に出かけていて、その後は、神戸が多かった。

思えば、交通費だけでも大変だった。

でも、この頃は、芦屋なので、良い選択だなと思う。

交通費が安いし、お店も気に入りがあるし。

 

まず、交通費は、片道@170×2=340円

それに、コーヒー代700円

合計1040円也。

百貨店で、食材を買ったり、無印で買い物をしたり、

椅子でゆっくり寛いだり、本を読んだり、なんとまあ、のんきなこと。

私は、1日たった千円の快適な旅を、毎日毎日続けている。

安価で、くつろぐ、この旅を、これからも続けたいと思う。

 

 

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2025.03.18 しのだうどん開始。

大原千鶴のたった2分で絶品おだしの鶏きつねうどん

 

YouTubeで、素敵な料理に出会いました。

京女の大原千鶴さんのサイトです。

 

きつねうどんと言えば、一般には、甘く煮た油揚げを使いますが、私は、甘く煮たもの

ではなく、千切りしただけのものが、子供の頃から好きでした。

これを使ったうどんは、「しのだうどん」とよばれていました。

その為、この大原さんの、油揚を細切りしただけのものに、興味が沸きました。

(今は、甘煮も大好きです。)

しかも、味付けが、「薄口醤油だけ」というところに、賛同しました。

 

お出しは、真昆布と、先日ミエちゃんから頂いた花かつおを、

前日から、水出ししました。

今後は、干し椎茸も加えたいと思います。

 

ということで、これが気に入った私は、今後、昼食は、うどんが

多くなるかもと思っています。

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2025.03.17 やはり、歳を考えないといけなかった。

昨日は、特に何も用事がなかったので、外出しなかった。

それは、良くないことと知りながら、そのまま夜中まで、パソコンの

前に座り続けた。

用事がなくても、少しでも動くべき(外出する)だった。

結局、今朝、腰に違和感があった。

激痛ではないが、痛みがあるので、室内をよろよろと歩いた。

こんなことになるとは?

 

5年前、イキイキ体操を始めた時、私の身体があまりにも柔らかいので、

後ろの人が、「あの人は、なぜあんなに曲がるのですか?」と、年嵩の

人に聞いているのが、何度か聞こえた。

聞かれた人は、「多分、腰が柔らかいのでしょう。」と答えているのも、

聞こえていた。

5年前のことだったが、その後、私はイキイキ体操はやめた。

 

イキイキ体操はやめても、仕事で20時間パソコンの前にいることは続き、

膝では、世界一の重症患者と言われ、前代未聞と言われる210ccの水を

抜き続けていた私でも、腰が痛くなることは、1度も無かった。

 

ところが、最近腰に違和感が出始めたので、気を付けていた。

でも、いつもの癖は、治らなかった。

昨日も、完全に20時間以上座っていた。

 

すると、何ということ、今朝から、腰痛で、うまく歩けない。

激痛ではないが、ヨロヨロする。

次回から、1日中家にいることは止めよう。必ず外出しよう。

外出することが、私の場合、最適な運動になる。

なのに、毎日毎日、外出し過ぎる自分を責める様な心理が全く

無いとも言えなかった。

 

というのは、昔(50年以上前)、主婦が、「あの人は出好き」と

言われるのは、とても恥ずかしい時代があったのを、知っている。

白い目で見られていた。それは、陰口だった。

しかし、今は、誰も責めていない。いい時代になった。

引きこもりは、止めよう。外出して(動いて)腰を守ろう!と、

自分に言い聞かせた。

 

 

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2025.03.16 母の形見の童雛。

   

まだまだ、ひつこくお雛様の話ばかりでですみません。

我が家は、戦前は、上海に住んでいた。

日本人も西洋人も、上海では大変裕福に暮らしていた。

敗戦になって、着の身着のままで日本に引き上げて来る迄は。

 

当時家にあった雛人形も、もし今あったら、相当の値がする様な、

豪華で手の込んだ極上品であった。

小さな精巧な酒器の口からは、本当に酒を注ぐことができたし、

絢爛たる御所車は、本当に動いた。

兄が、五人囃子の刀は自分の小刀よりも、良く切れると言って、

母の目を盗んでは、鉛筆を削ろうとするので、母は、追っかけ廻す

のに、苦労していた。

 

それらは、もちろん、日本に引き上げる時、すべて置いてきたので、

帰国後の私と妹には、雛人形は無かった。

 

それを、憐れんでか、その後、もうすでに40代になっていた私に、

母は友人に頼んで、押し絵の童人形をあつらえてくれた。

気持ちが嬉しかった。

 

母は、3月3日が過ぎると、慌てて、このお雛様を片付け様とした。

お嫁に行き遅れない様にという、親心である。

40代というと、充分行き遅れているのに、構わず焦っている母であった。

この童雛を飾るたびに、そんなこんなを思い出して、笑いが込み上げ、

母への感謝で一杯になる私です。

 

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2025.03.15 明石の友人宅のお雛様

我が家が、九州から神戸に転居したのは、私が小学校5年の時。

その時以来の親友がいる。

次に古くて、中学校になってから、同じクラスになった友人とは

今は入院中なので、電話や、ハガキで、連絡を取り合っている。

共通の思い出が沢山ある。

小学校時代の友人達とは、最近迄、麻雀をしていてよく会っている。

 

今日、入院先から電話があり、お雛様の話になった。

大分前に、彼女のお宅での麻雀の時、七段飾りの豪華な雛壇を

飾ってくれた。大変なので長い間飾ってないのよと言っていた。

私達のために、特に飾ってくれた。

 

今日の電話で、その写真をハガキで送ろうかというと、喜んだ。

なにしろ、私のブログは6000話ほど入っているので、探すのが

一苦労だけど、こんな時は、探して上げたい。

それで、ようやく探して、絵葉書にして送って上げた。投函済み。

 

 

パソコンがある世界は、本当に便利ですね。

こうして、旧友同士が、すぐ、昔にタイムスイップできます。

これが、癒しになって、彼女が、早く回復してくれます様に。

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2025.03.14 ミエちゃんを私のお気に入りの喫茶店へ案内する。

 

芦屋に素晴らしい喫茶店がある。

コーヒーが抜群に美味しい上に、サービスで付いてくるトーストが、また抜群。

お店の調度や雰囲気の素晴らしいこと。

この私のお気に入りの喫茶店へミエちゃんを案内したいと、ずっと思っていた。

4月から、少しだけ料金が上がるので、(上がっても、ずいぶん少額)

その前に(それを口実に)、ミエちゃんをこの店に連れてゆきたいと思った。

 

今朝、待ち合わせをして、やってきた。

トマトカリカリトースト(モーニングサービス)

ハニーオレンジトースト(モーニングサービス)。

これ以外にも、まだ種類があり、どれもお勧め。

 

こんなに美味しいものが、モーニングサービスで、無料だなんて!

(4月から、ほんの少し値上がりするが、)

教えて上げたい!教えて上げたい!と思って、案内した。

知ってもらったので、今日は嬉しかった。

 

その後、芦屋大丸のベンチでおしゃべり。

話し足りないので、館内の喫茶店へ移動して、又々続けておしゃべり。

のばらさんと、一日中しゃべっていた頃に戻った様な気持ちになり、懐かしくて

キュンとした。

ミエちゃんも、後で、メッセージで、「今日はゆっくりできたので最高でした。

たまにはこの様な時間も必要と感じました。」ですって。

よかった。そう思ってもらえて。

私は、いつもこんな時間を求めている。おしゃべりだからかしら?

お陰様で、とても良い1日となりました。

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2025.03.13 素敵なとゆ(雨樋)。

私が、Iさんのお宅に、1ヶ月に1度づつ、御招待をいただく様になってから、

10年ほどたったと思います。

 

その間、高級住宅地の豪華な建物が並ぶ歴史を感じるお宅の数々は、少しずつ

消えてゆき、瀟洒な洋風の建物に変わって行くのを、目撃しました。

毎回、少し、ドキドキしながら、この通りを通っていました。

今回、コロナ明けの訪問で、数年ぶりだったので、なおさらでした。

 

その中でも、私が一番気がかりだったのは、このお宅のことでした。

古い立派なお屋敷です。

 

その何が心配だったかと言いますと。

素晴らしい細工の雨樋です。

つまり、これです。

それが、健在だったのです。そこにそのまま、あったのです。

この建物は、そのまま、手がつけられずに、ありました。

 

そのまま、ここにありました。

あ、まだある。助かった!

古風な素晴らしい雨樋は、以前の姿のままで、凛として、ここにありました。

ホッとした私は、それを、目に焼き付けて、帰ってきたのでした。

これが、私の中での、その日のハイライトでした。

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2025.03.12 お茶でもどうぞ!

       

皆様、ごゆっくりとお茶でも、いかがですか?

私も、毎日忙しくて、少し疲れました。

 

この辺で、コーヒータイム。

少しゆっくりしたいです。

この絵は、25年ほど前、描いたGIF動画です。

私は過去には、もっともっと複雑なストーリー動画を精魂込めて作っていました。

音楽も入れていました。

自慢のそれらの画像は、フラッシュで作っていたので、残念ながら、それらの

フラッシュ画像は、10年ほど前に、フラッシュ終了と共に、パソコンに表示され

なくなりました。

努力は水の泡! ショック! ショック!

 

でも、少し嬉しいことには、GIF画像の方は、今も動きます。

皆様も、この1杯のコーヒーで、お疲れを癒してくださいね。

 

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2025.03.11 新しい急須

昨日、歯医者に行った帰りに、骨董店に廻った。

帰路もバスに乗るのをやめて、歩くことにした。

臨港線から、北上して、高速道路を越えて、西宮市場の筋へゆき、恵比寿神社横の骨董店へ到着。

足の悪かった頃には、思いもしなかった距離をスイスイ気持ちよく歩いた。

私は、西明石の美容院にパーマに行っているが、そのすぐ近くに、大規模な骨董店があって、

パーマのたびに、そこへ寄るのを楽しみにしていた。

ところが、店主夫妻が高齢となったので(90代後半と思う)、先日閉店した。

 

そこで買った、気に入りの急須が壊れたが、もう買えない。

この西宮の骨董店にはないか、探しにきた。

 

あった! あった!

「有田焼」というラベルが付いたままの、全く未使用の、上品な急須があった。

骨董店でも、よく未使用のものに遭遇するので、嬉しい。

本当は、茶碗とセットだったが、急須だけを売ってくれた。

 

大変、品がある。形も色も良い。

以前使っていたのは、萬古焼などが多く、地味で無地のものが多かった。

久しぶりの模様入りで、華やぐ。

今までは、一人用を使っていたが、これは、二人用ぐらいの大きさである。

 

たまたま、冷蔵庫に羊羹があった。

ラッキー!ということで、さっそく、羊羹を頂くことにした。

う〜〜ん。美味し〜い!

素晴らしい味と、景色である。

新しい急須に大満足の巻であった。

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2025.03.10 歯医者に行く。

先日、前歯の差し歯が、ポロリと取れた。

それを、付け直す為に、歯医者へ行く。

ありがたいことに、付け直しができる模様。

その為に、外れた箇所を、修理開始。

今日が1日目で、合計3日間の治療を要するらしい。

 

急須が壊れたので、帰りに骨董店へゆく。1つ買った。

 

歯医者までの道のりは、バスで行くと、コノ字型に大廻りとなる。

そう思ったので、今日は、直線で歩くことにした。

その結果、多分今日は、全部で1万歩ぐらい歩いたかもしれない。

でも、膝はなんとも無く、むしろ気持ち良いぐらい軽々として、爽快である。

私の足の症状の酷さを、世界一の重症患者だと言って、長年呆れておられた先生が、

私の足が治った時、「あなたの足が治ったのは、近代医学では証明できない。

神の領域です。」と言われたことを、今日は強く納得した。

 

 

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2025.03.09 ガラスのお雛様の思い出。

これは、我が家の3組のお雛様の中の一番右側のガラス製のお雛様です。

現在はむき出しですが、最初の頃は、この様に、お雛様1組ずつを、百均で買った

プラスティックのボックスの中に入れて飾っていました。

 

あるとき(まだこれらを収集中の頃)、ガラス好きの私は、ふと思いました。

ガラス製のお雛様はないものかしら。それが欲しいんだけどと。

そう思いながら、生協の売り場にゆくと、丁度3月だったので、目の前に、ガラス製のお雛様

がいくつか飾られていました。

その中の一つ、値段は2600円でしたが、気に入って買ってきました。

お雛様の前に、私の蒐集品のスワロスキーのミニミニお茶セットを飾ると、なんと、まあ、

まるで本物のお雛様セットの様な雰囲気でした。

 

この場合、「右近の橘、左近の桜」には、苦労しました。

普通のものでは,合いません。ガラス製のものなど、そんなものがあるはずもありません。

ところが、たまたま、ある百均の店で、ウエイトペーパーとして売られていたものを見て、

びっくり!

桜の模様のウエイトペーパーがあったのです。

もちろん、橘は無く、クローバとてんとう虫の模様があったので、それを右近の橘として採用

しました。

ナンチャッテですが、この時の気付きには、思わず飛び上がって、狂喜しました。

そんなことから、このガラスのお雛様には、特別の思い入れがある私なのです。

以上、これで3組、これが私の大切なお雛様です。

これら全てを集めるのに、20年近くかかった様に思います。

しかし、その金額は合計しても、おそらく、2万円にはならなかったのではないかしら?

屏風や台座を含めても、と私は思っています。

確かに、お金は掛からなかったけど、手間だけは膨大でした。

粗末なものですが、それを心から愛するのが、私の特徴かもしれませんね。今、そう思いました。

 

これは以前、最初の頃の、1組づつ、プラスチックの箱に入れて飾っていた頃の写真です。

 

一方、これが最近の、箱には入れていない飾り方です。

今後、どちらの方にした方が良いでしょうか?考えてみます。

ご意見あれば、おしらせ下さい。

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2025.03.08 我が家のミニお雛様3組の歴史。

 

これが、阪神大震災後、私がひとつづつ集めた、我が家のミニお雛様3組です。

 

その中の一番小さなお雛様が、向かって一番左のこの立ち雛です。

以前、私が住んでいた深江は、阪神大震災の時の激震地のまさに中心で、我が家の真っ直ぐの南が、

高速道路が倒れた、かの有名な場所で、街は壊滅状態で、家という家、店という店は全壊でした。

ところが、隣の町に1軒だけ、倒壊していない瀬戸物屋があった。

何故1軒だけ倒れていなかったかというと、そこ1軒だけ、鉄筋コンクリート造りだったから。

 

そのお店の中で、この立ち雛をみつけた時は感動した。

これは、元々、写真の左の貝の中に、小さなお雛様が1対立っていると言う組み合わせであった。

でも、それでは安定が悪いので、私は、この貝は、外してしまって、使っていない。

 

このお雛様の小さいこと!

私の小指よりも、少し小さいものでした。私は、ミニ好きで、極々小さなものが大好きです。

これは、1番小さい割には、値段は割合高かった記憶があります。

4500円ぐらいしたと思います。

これを見つけた時の感動を、思い出します。

 

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2025.03.07 岡本の梅園に梅見にゆく。

Iさんとは、20代の頃、職場の同僚だった。

彼女が結婚する時、新婚のお宅に招かれて以来、会っていなかった。

30年ほどして、OB会で再開した時、彼女は、女流画家となっていた。

 

再会後、彼女の豪邸に招かれる様になり、お料理上手な彼女の手料理を

度々ご馳走になっていた。

ところが、コロナとなり、会うことが途絶えた。

コロナ後の最近、又お招きいただくことになった。

 

今日は、玄関に入ったら、お雛様が飾られていた。

お母さまの遺作。これは、和紙で作られているらしい。

 

リビングに入ると、こちらは豪華な、木目込み人形。

本当は、7段飾りらしいが、最近は、お内裏様だけ飾っているとか。

この見事さ。彼女が、芸術家だけあって、お母様も只者ではないと思った。

 

素晴らしいランチを頂くj。

 

食事が済んでから、連れ立って、梅園にゆく。

昔、資産家が、この梅畑とお屋敷を、神戸市に寄贈されたとのこと。

おかげで、私たち市民は、癒しをいただいている。

ここに綺麗な鳥が止まっていたので、動画で撮りたいと思ったが、間に合わず、

飛び立ってしまった。残念!

 

「思いのまま」という梅らしい。

 

この梅林は有名。

この梅園には、7~8年ほど前、彼女の案内で初めてやってきて以来

今日で、2回目だった。

今日は、まだ、少し寒かったが、癒しの一日であった。

 

 

 

 

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2025.03.06 腰が強いと自慢だった私の大失敗。

私は・身体が大変柔らかい。

子供の頃から、前屈では、両方手の平が、悠々と床に着く状態だった。

寝ている時も、腰が痛い人がいるらしいが、私はなんともないのは、

私は、身体全体が、ペタリと敷き布団に着くからでは無いかと思っている。

 

私は、あることから、銀行退職後、コンピューターグラフィックの道に

進む決心をしたので、毎日徹夜徹夜の連続で、朝日が射してきたので

おどろいて、もう、今から寝ることはできない、もう一日起きていようと

考えた結果、1日を48時間としていたことも何回かあった。

 

そんな私が、足の筋肉を落として、歩けなくなったが、そのころの医療界では

原因は医者でさえ、分からないと言う時代であった。

その後、私の症状は極限までゆき、先生は、私の症状を「世界一の重症患者」だと

言われていた。「オリンピックじゃあるまいし」とまで呆れられていた。

 

そんな時でも、私は、腰が痛かったことは、一度も無かった。

昔から、私がパソコンンの前に、15〜20時間座り続けて座っていることをいうと、

皆さん驚いて、腰が痛くなりませんか? →  [い〜え、全然!」

目が痛くなりませんかとも言われますが、全くなんともなく → [い〜え、全然!」

と答えていました。

 

でも、さすがに、ここ数年、掃除の後で、腰に少しだけ違和感を

感じる様になりました。それはそうでしょう。86歳ですものね。

それで、毎日していた掃除を(クイックルワイパーですが)

一日おきにすることにしました。

そんな私でしたが、一昨日は、足が少しだるくて外出を控えました。

外出しないと言うことは、又、悪い癖がでて、一日中パソコンの前に

居ることになります。腰に違和感が出ます。

 

そんな状態での、翌日の昨日は、元町の額縁屋さんへ行きました。

三宮にも用事があり、大きな荷物を引っ張って、三宮から、大廻り

をして元町へいきましたら、腰が痛くなり、どうしようと思いました。

喫茶店で休んで、チャイを飲もうと楽しみにしていたのに、水曜日で

定休(シマッタ!)

重い荷物を引きながら、ようやく辿り着いた目的の、額縁屋さんも、

水曜日で休み。事前調査が足りなかった。(私には、アルアルである。)

疲れ果てて、元町の喫茶店へ行く。

そこで初めて休んで、痛む腰をいたわりながら、ようやく帰宅した。

私らしい失敗だと、思わざるをえない。

妹が、心配して、身体を労わる様にと言ってきた。

本当に、皆さんに心配を掛けています。ごめんなさい。

気を付けます。

 

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