goo

2020,02,28 年配者が体重を減らすのは、要注意らしい。

私は、月に一回、内科に行っている。

目的は、緩下剤を貰うためで、その時、血圧測定と体重と身長測定をして貰う。

先日は、血圧(高)132,(低)78 、体重150、体重56,8

何と、体重は55キロでも太り過ぎなのに、更に増えて56,8になっていた。

ショックを受けた私は、薬局の先生に状況を話して、お聞きした。

私の適正体重は、どのくらいでしょうか?と。

先生は,BMIの値28、5〜25が適正だと言われ、計算の仕方も教えて下さった。

計算方法は、BMI=体重Kg/(身長m)² 

だとのことなので、計算していると、助手の人が数字を入れたら計算してくれるサイト

がありますよと教えてくれた。

なるほど、それで計算すると便利だった。

私の場合は、適正体重は49.5Kgで、今現在7キロ半もオーバーしている。ヒエ〜!。

 

「ただし!」と、その時、先生が大切なことを言われた。

「但し、年配の人が、体重を減らすのは、注意しないと危険ですよ。」と。

「食事を減らして体重を落とすと、筋肉が落ちてしまって、歩けなくなったり、転倒に繋がったり

しかねないのです。運動をして、筋肉を付けながら体重を落とさないといけませんよ。」と言われた。

良いことをお聞きしたと思った。

「歳を取ったら、小太りの方が良い。」とよく聞くのは,そういうことかと思った。

痩せなければと、そのことをあまり思うのは危ない! 気を付けたいと思った。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.28 ご要望により「ティアラボール」の縁に4つの穴を付けました。

お客様のご要望により、「ティアラボール」の縁に、4つの穴を開けました。

アウトドアにもご活用下さいませ。

 

ティアラボール

2016年に、<3層チタンなべ「ティアラ」>が,今迄のチタンゴールドパンに代わり発売されました。その後、お客様のご要望により、左右4つの穴明...

チタンオンラインショップ

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.28 3倍速でしゃべる?

最近、税務申告事務を進めている。

よく捗って、もう終盤に来ているので、結構楽しくなっている。

この日は,足の水を抜いてもらいに行く。思った通り、丁度60ccだった。

 

(写真は借り物。L判らしい、私はいつもMを注文する。)

足の水を抜いてもらった後,バスで帰るが、その時、自宅を通りすごして終点の

阪神西宮まで乗る。

そこのフードコートで、ピザパイのマルゲリータを食べるのを楽しみにしている。

 

そこのエレベーターで、大型でしかもシースルーなショッピングカートを

持っておられる方が居たので,こんなカートがあるのですか?と聞いた。

すると、ちょっと描いてみましたと言われたので、よく見ると、美しい花が

トールペイントで描かれていた。とても上手で驚く。

私は、感心して「トールペイントをしている友達に見せたいので、

この写真を撮らせて頂けませんか?』と聞くと、どうぞとのことなので、

撮らせてもらった。

それを、さっそくBちゃんに送信した。

すると、「トールにも色々書き方があって、一筆書きっていうのかな〜早く

描けるトールだね。シースルーじゃん。」

へ〜そうなの?

凄いねと驚くかと思ったら、謙遜家の彼女にしては珍しく、上から目線だった

のが面白かった。^^

 

それから、彼女といろいろしゃべっていると、

「待って待って!大島さん! 倍速の録音の様に早くしゃべるので、全然

聞き取られへんわ。」と言った。

私は、バス停でしゃべっていたし、廻りに人もおられるので、小さめの声で

せわしなく、話していたと思う。それで,聞き取り難かったかも知れない。

けれど、Bちゃんの方も、トロ過ぎる傾向があると思う。

なにしろ、以前何かの話から「塞翁が馬」の話になった時、「何それ知らんわ。」

というので、「むかし中国の北の塞の所に住んでいたおじいさんの息子が落馬して

怪我したので、悲しんでいたら、戦争が起こり、健康な青年は戦争に行って亡く

なってしまった。息子は怪我をした為に命が助かった。逆に幸せだったという話よ」

と言うと、「へ〜?大島さんは、なんでそのおじいさんを知ってたん?」と聞いた。

「アホか?ちがうよ。今の人ではないよ。何千年前の中国の人よ。」とずっこけた。

こんな、トロッとした可愛い人なので、私の話が早口に聞こえたのではないかしら?

 

「倍速って言うけど、何倍速やったん?」と聞いたら、「そうやね。韓ドラの3倍速

ぐらいかな」だって。

まだ、3倍速でしゃべれるのだったら、私ってボケては居ないと言うことかなと思った。

さくらさんに聞いて見た。私はそんなに早口かしらと。彼女は、「それはすばらしいこと

やないの?頭がいいと言う証拠よ。」と言った。

「何故?」と聞くと、「頭が良くなかったら、そんなに言葉が次から次へとが出て来ないよ。」

と言っていた。

そうか、「ま、良いことだと言うことにしよう!」と思った。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.26 さくらさんの探していたもの、我が家でメッケ!

(2月22日)

朝、電話で起こされる。と言っても 9:58だったので、相当な寝坊助だ。

昨日の麻雀会で疲れた訳でもないので、「春眠暁を覚えず」かも知れない。

しかし、私はこの春眠…がよくある。ぐっすり眠り過ぎの感がある。

電話の主はさくらさんだった。「雑貨で買いたいものがあるので大阪へ行くけど、

大阪で会わへん?」というものだった。

実は、数日前にテレビでルクアの麻婆豆腐専門店のことを放映していた。

私は麻婆豆腐好きなので、前からこの店は注目していたが、まだ行ったことは無かった。

それで、この土日に行ってみようと思っていた。

さくらさんのお勤めは土日が休みなので、もし会いたいと言って来たら、一緒に行ける

のだけれどと思っていたら、まさに以心伝心の電話だった。

 

この朝はこんなに遅く起きたのに、アホな私は12時に約束してしまって、毎朝のルー

ティンの途中で時間が来てしまい、没頭していた私は、彼女からのメールで驚く。

実はまだ家に居た。バカ!バカ!情けない。

「お願い。私は顔を洗ってお化粧を含めて10分で家を出ることが出来る人だから

待ってね。」と言うことで,待ってもらい、電車の時間を含めて、きっちり40分で

梅田に到着した。

すぐ麻婆豆腐の店へ行く。彼女は,とても美味しいと喜んでいた。

彼女の買いたいものを売っている店は、この辺に無かったので、彼女は諦めた。

二人で、お茶をして,おしゃべりをして、野菜など買って帰った。

 

その時の話し、<彼女も白菜の漬け物を始めたこと。>

先日、彼女から電話があったとき、白菜の漬け物の話になり、やり方を教えて上げたら、

丁度白菜を買って来ているので、早速作ると言っていたが、もう出来てツナのオイル漬けを

掛けて食べたら、驚く程美味しくて感激したと言った。嬉しかった。

いつも、私はすぐ試してみる。良かったらすぐ伝える。

さくらさんは、そぐそれを実行する。これがいつものパターンである。

のばらさんには、私に全面的な信頼を寄せてくれたが、さくらさんも、そうかもしれない。

以前、さくらさんと少し喧嘩した時、「大島さんが、それだけ怒るんやったら、多分私が

悪いんやと思うわ。」と言った。「可愛いことを,言うやっちゃ!」

私も、いつかこの言葉を言ってみたいと思っている。

 

(2月23日)

さくらさんがお風呂の脱衣場で使いたいと言っている雑貨とは、どんなものだろうか?

私は家の近くにニトリなどあるし、三宮にロフトやハンズもあるので,探して上げられる

かも知れないと思ったので、電話してみる。

すると答えは、白い篭状の箱で、30センチほどのものが数個欲しいのだと言う。

ナニ?

ソレナラ、私が年末に整理した時、不要になって、誰かこれが居る人は居ないかなと思って

除けておいた篭類と色といい大きさといい、そっくりではないか?寸法も彼女の言う通り。

 

私は、すぐ写メを撮って送って上げた。「よく似たものが、家にあるんやけど。」

すぐ、「これこれ、こんなものが欲しかった。」と連絡が来た。

私は、こんなこともあるんやね〜と、びっくりした。

 

(2月24日、振替休日)

また、さくらさんから,八時過ぎに電話があった。

私は、ハハン!と思った。

今日は休みなので、我が家へあの篭を受け取りにくると言うんだなと思った。

その通りだった。

お昼前に到着。

 

ドアを開ける前から、「大島さんはえらいねえ。大島さんはえらいねえ。」とドアの外で

さくらさんが、感極まって言うのが聞こえたので、何かなと思ったら、

私がドアに国旗を掲揚していることだった。振替休日にまだ掲揚していた。(汗;;)

なお、彼女は、引越の時「万年青の木を荷物よりも先に、家に運び入れる様に」

と教えてくれた人で、万年青の実が成ったことを、誰よりも喜んでくれているのも、

彼女だった。

 

あの白い箱を持ち運ぶ為の、大きな袋を私は見付けておいたので、とても

コンパクトな大変持ち易い荷物に纏まった。彼女は大喜び。

それから二人で近所にランチに行き、家に帰って彼女のお持たせのケーキで

コーヒーを飲みながら、おしゃべりする。

こうしてゆっくり話をすると、仲良し3人組だったのばらさんの話に、どう

してもなる。切なくなる。

 

今日、彼女を待っている間に、「そうだ、この時間を利用して、お雛様を飾ってしまおう。」

と思った。

その為には、ぐずぐずと今もまだ飾っている、お正月用品、お屠蘇セット等を先に片付けない

とならない。めんどくさいな。

でも今日は良いチャンスなので、今やるしかないと思った。

お雛様の写真は、膝が痛くてしゃがめないので、撮り難かった為、上部からとなった。

さくらさんが到着して,お雛様を見てとても喜んでくれた。

さくらさん達皆さんが総出で手伝ってくれた、あの15年前の引越の時は、このお雛様の内、

向かって一番左の小さな立雛(小指程の大きさの)1対しか持っていなかった。台もぼんぼりも

その後少しづつ探して10年程掛って全部を買い揃えた。

さくらさんは、それに感動していた。「大島さんは、目的達成するまで諦めないもんね〜と。」

ま、それが、確かに私の唯一の長所なんだけどサ。^^

 

しかし、今回は、彼女が求めているものが何かを聞いて、探して上げたく思い(脚の激痛で外出

禁止の身だけれど、用事のあるときは外出している)、聞いて見るとそれが我が家にあることが

分かり、写真を送り、コンパクトに荷造りして持って帰って貰った。

私は,親切とよく言われる。親友達は、私のことを人のことばかり考えていると言うが、今回、

本当にそんなところもあると感じた。

あの口の重いさくらさんも、そう言って、きっと良いことがあるよと言ってくれたことがある。

ありがとう。^^

自分の日記ですので、自慢ばかりして、ごめんなさい。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.21 「あじさい荘」で麻雀会

2月21日は、明石の友人宅「あじさい荘」で麻雀会だった。

ここへ来たら、いつも、居間の窓から、まずここを見る。

私の大好きな場所。ホッとする。

 

居間は、「いらっしゃいませ!」と言う歓迎の気持ちが溢れていた。

 

テーブルの真ん中に素晴しいフラワーアレンジが飾ってあった。

花好きな彼女は、アレンジがとても上手でいつも見とれる。

 

Nさんが、「バレンタインなので大人のチョコレートを買って来た」と

上等のチョコレートを持って来てくれた。洋酒の香りが素晴しかった。

 

さあ、始まり始まり!始める時、いつも楽しい。

 

ランチタイム。

私は、前日は西明石までパーマだったし、忙しかったので、お弁当は

駅でお寿司を買った。

 

私は、この日も、聴牌が驚く程早く、早いリーチに驚かれていたので、もし

運が良ければ、リーチ、即、ツモなどなどが続き、連荘状態になる筈だが、

何としたことか、この日は、私は早いリーチ止まりで、全く上がれなかった。

麻雀は運がついていなかったら、どうにもならない。

その上、前夜濃い煎茶を飲んだからか寝不足で、瞼が下がって来てしまい、

「あなたの番よ。」とツツかれて、目を覚まして続ける始末。

最悪の状態だった。

成績は二回も罰金を払ったNさんが最低で、私は3位。

後の二人は、ウハウハ状態だった。残念。しかしこれが実力通りだと思う。

 

明石はたこ焼きで有名。

帰りに、たこ焼き行く?と言うことになり、3人で行った。

Nさんの喜ぶこと,喜ぶこと!

たこ焼きとお好み焼きも美味しかったが、となりの客がおでんと

日本酒を取っているのを見て、Nさんは次はおでんを食べたいと

大はしゃぎ。Nさんの喜び様に、こちらまで楽しくなった。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.23 天皇誕生日、パーマの日

2月23日

今日は、天皇誕生日。国旗を掲揚しました。

 

2月20日

20日は、西明石までパーマに行った。

私は、この日、先生に相談があった。最近、自分の顔が長く下へ下がった様に思う。

つまり、顔が長く大きくなった。

先生は、「貴女の様に、一日中パソコンの前に座っている人は、頬の肉が

垂れて来るのは当たり前です。」と言われた。

姿勢が前屈みになっている場合は、尚更だと。

なるほどその通りだ。私はいつも猫背で前屈みの姿勢で、毎日10時間以上

パソコンをしている。

それと、わたしの体重のことを言われた。

先生は,163センチなのに,54キロだそうだ。

ところが私は、ナンと! 150センチしか無いのに、最近55キロになった。

原因はこれだと。

確かに、以前50キロを維持していた頃は、自分でもましだったと思う。

最近の肥満の原因には自覚がある。

チョコレートの食べ過ぎと砂糖とミルクたっぷりのコーヒーの飲み過ぎが原因だと思う。

それと、首を前に突き出してのパソコン三昧は、頬の肉が下がるのが当たり前だと。

深く反省した。

 

ああ、それなのに、それなのに、私ときたら、パーマが終わって帰る時、「帰りに喫茶店で

ケーキセットを食べたらいけませんよね。」おかしなことを言っている。自覚が足りない。

先生は、当然ながら一言、「駄目です。」と言われた。

それなのに、私と来たら、ケーキセットを食べて帰ったのであった。イヤハヤ!

でも、明日からは、チョコレートは控えるつもり。

コーヒーも、砂糖とミルクを入れなくても美味しいと思える様、努力しようと思う。

 

さて、明日21日は、明石の友人宅「あじさい荘」での麻雀会。楽しみだ。

忙しいので、今回は弁当作りはせず、駅弁でも買って行こうと思っている。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.12 注射針を刺してる時に,笑わせないで下さい。

(2/12)整形外科に膝の水を抜いてもらいに行く。

今までに抜いてもらった水の量の経緯は、

第1回目1/28  140cc ➡️ 第2回目2/4  110cc ➡️ 第3回目2/12  82cc

3回目の時、先生に、80cc溜まりましたと言ったら、82ccだったので,また、先生に

凄いと褒められた。

実は、以前同じ様に,140cc⇨110cc⇨80ccだったことがあり、最後に80cc抜かれた後、

「先生、もうこれで終わりです。あとは、自分で治せますので。」と言ったら、

看護婦長の女性が、「そんな馬鹿なことはありません、まだこんなに酷いのに。」

と頭の天辺から声を出して叱ってくれた。ありがたい方だけれど、私は言った通り、

その後、自力で治したことがあった。

今回も、その時の水の減り方と全く同じ数値なので、甘く見てしまって、もう直ったか

と思っていたが、痛みが治まらないので、もう一度、2/12に4回目を抜きに行った。

60cc溜まりましたと言ったら、抜かれた水はまさにぴったり60ccだった。 

実は、右足も最初から40cc程たまっていたが、先生は多分「これは置いておきましょう」

と言われると思ったので、伝えていなかった。

しかし、左を庇うからか今回は右も痛くなったので、伝えた。

すると先生は、私が思った通り、「これは置いておきましょう」と言われた。

その後で、ふと気付いた様に「それは、左の水が、右に行った訳ではないんですよ。」と

言われた。

「それは分かっています」と言うと、先生は、「いや、本当に、そう思っている人が

居るんですよ。だから。」としごく真面目に弁解された。

「まさか〜、それは分かっていますよ。いくらなんでも。左の膝の水が右へ行くなんて、

そんな〜!」と私は大笑い。

先生は、水を抜く為に太い針を刺している時に、急にこんなことを言われるので、私は

笑ってしまう。ただでさえ痛い注射針が,揺れてしまって痛い痛い。

注射針を刺している時に、笑わせるのは止めて下さい。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.18 あかんたれでも、褒められたら頑張れる?の巻

ブログをアップした時、以前はのばらさんに見て貰っていた。

彼女は、お金持ちの家柄なのに、自ら望んで車椅子の人を病院などに車で連れて行く

大変な仕事をしていたので、出先での待ち時間が長い仕事で、その時間に私を全面的に

バックアップしてくれていた。もちろん、仕事の無い日も、毎日パソコンで見てくれた。

出先では、ガラケイで、私のブログやショップの更新状況、20年前は私が自力で作った

ホームページも全部チェックしてくれた。当時の掲示板も、その後のフォト掲示板もすべて。

「何行目の文章の繋がり具合、ちょっと変やったよ、見といてね。」とか「です。です。

と二つ重なってたよ。」などなど、細かいことまで全面的なサポートをしてくれていた。

彼女に「良いやん。」と言って貰うと、もじもじとしていた私の憑き物がストンと落ちて

スッキリした。

「自分のブログやから、自分の思うことを言っても良いんよ。」と励ましてくれた。

私はアカンタレなので、ほっとしていた。心から癒されて,甘えていた。

その度に、いつも母が私のことを「みずえちゃんは、甘えん坊だから。」と言っていたの

を思い出していた。

彼女は、たった一度も嫌な顔をしたことが無かった。

それどころか、それがまるで自分の勤めかの様に,積極的で自発的なサポートだった。

いつも徹夜して明け方寝る私を心配して、朝は遅めに「おはよう!オーちゃん、起きてる?」

から始まって、暇な時は車で来てくれてランチや,お茶をすることがしょっちゅう。

一日の最後には、いつも20分ぐらい電話でおしゃべりした。

 

彼女は、褒め上手だった。いつも「オーちゃんは偉い。オーちゃんは偉い」と言ってくれた。

その度に私は、ある光景が目に浮かんだ。それは、幼子が始めて歩いた時のヨチヨチと一歩

ずつ進んでいる子供に向かって手を打って「あんよは上手、あんよは上手!」と一足ずつ歩ま

せて上げる時の輝く様な光景だった。何度そうイメージしたことか?

さすがに、子供3人、孫8人も居る人は違う。私も含めると孫9人だと思った。

しかも、私は大変手の掛かる孫だった。

 

彼女が亡くなった時、このブログは丁度1500話を数えていた。

私は、もう、このブログを書くことはないだろうと思った。

その後、気を取り直して書き出した時、私は真実驚いた。

このブログの1500話の期間だけで、多分彼女と5000回は電話往復があったはずだと思った。

その前の「自力でのネットショップ構築した期間」、更にもっと前の、法人がホームページを

作る時代の、しかしそんなこととはつゆ知らない私の個人でのホームページ作りの悪戦苦闘の

期間、そして定年退職と同時に、新しい道を見付けるんだと、始めてのマウスを握っての無謀な

パソコンへの未知の世界への邁進の日々、苛酷さに身体を壊しながらコンピューターグラフィック

の自力習得、それらの期間、常に彼女は私と共にあった。彼女のご主人の協力も忘れられない。

ブログで5000回なら,この20年間で、合計数万回以上電話し合っている。

彼女には、電話代だけでも大変な散財をかけたなと気付いた。彼女は、吝嗇の正反対の人だった。

当時彼女の仕事は多忙で、毎日夜9時30分に帰宅していた。それで、そこからの電話になる。

でも彼女には、嫌な声も、嫌な顔も、たった一度でさえもされたことがない、それどころか、むしろ

向こうから架けてくれた。

 

実は、昨日ブログにバレンタインデーの日の投稿をする時、漬け物談義になったので、私の独断かなと

思ってBちゃんに見て貰った。独断と偏見の強い傾向のある私のことなので、いつも気になってしまう。

そんな訳で、心配性な私は、自分の意見をブログで言う時、いつもモジモジしている。

事前に見て貰いたい気持ちがいつもある。以前はのばらさんが、喜んで見てくれていたが、

Bちゃんも優しい人なので、この頃困ったときは時々頼ってしまう。いつも嫌がらずに見てくれる。

この日もそうだった。

「2020.02.14 バレンタインデーは、豚カツを食べに行った。」

を見て貰った。

でも、20才も年下の彼女を、まるで親友扱いして気の毒ではないかなと気になっていた。

彼女を,私に世界へ引きずり込むのは、辛い。

しかし、全く嫌がらずに,メールで返事が来た。

「今も昔も、大島さんが漬け物に、興味津々なのが、よ〜くわかる、面白い内容でした。!😊

と言ってくれた。

それで、私は喜んでほっとしてUPを済ませた。

私は厚かましい性格なのに、大変気が小さい。

いつも母が私のことを甘えん坊だと言っていたのは、本当だと思う。

私はBちゃんにメールでお礼を言って「そろそろ税務申告初めなあかんけど、なかなか

スタート出来ない怠けもんです。」と送った。

すると彼女は「大島さんは、そんなことないよ!頑張って!」と、すぐレスが来た。
 
 
 
 
 
何と! このたった、これだけのことで不思議なことが起こった。たった一行のメールで!
 
次に私が気が付いた時には、税務申告事務を始めていたのだ。あっと思った。
 
「大島さんは、怠け者ではないよ。頑張って」と言って貰った、たったこれだけのことで、
 
あれほど嫌に思って後回しにしていた仕事を、さっと始めていたことに驚く。
 
それを伝えると、「いいね。褒めて褒められて嬉しい!私も春巻き作ったよ。」だって!
 
彼女も、春巻きを作って美味しく食べたと言って来た。
 
しかも「褒めて褒められて嬉しい!」とは? 私は、何を褒めたのだったかな?
 
実際、いつも彼女のことを褒めているので(そう思っているので)、何で褒めたか忘れた。
 
 
私は、あの観音様ののばらさんを失って、今も失意の底にある。
 
やさしいBちゃんに縋ろうとしているのではないかと、申し訳ない気持ちがしていたのに、
 
彼女は、嫌がらずに優しく受け止めてくれている。「褒めてもらったから、春巻きを作れたよ」
 
と喜んでくれている。誰に感謝したら良いのかと思う。
 
もちろんこんな時は、いつも両親に感謝するのだけれど。
 
 
 
<ついでに、白菜の本漬けも頑張れた。>
 
急に元気が出てやる気が起きた私は、それだけでなく、白菜の二度漬け迄してしまった。
 

先日、素晴しいタッパーウエアを見付けた。

私は、若い頃タッパーに凝っていたので、ありとあらゆるタッパーが家にある。

この大きさは、白菜一株分に、まさにぴったりではないか?ラッキー!

 

先日、2回目の自己流白菜漬け物を始めていた。

チタンのボールで、一日日光に干して,次に塩をして、お皿などを

重ねて、その上にこのタッパーに水を入れて重しにしていた。

白菜を裏返しにして、もう一日重しをすると、水が出て来たので

本漬けをしなければと思いながら、めんどくさくて、横目で見ていた。

(やる気無し!無視、無視!!)

 

ところが、エクセルでの申告事務をサッサと始めると、急にルンルンして来て、

愚図な私としては珍しく、ついで仕事で、こちらもサッサと本漬けをしてしまった。

ジップロックに入れて、鷹の爪、昆布小口切り、柚子の皮を入れて空気を抜いた。

それを、チタンボールに入れて冷蔵庫に納めた。

私って、いつの間に、真面目な働きもんになったのかな?と自画自賛した。

豚もおだてりゃ木に登る

というやつらしい。

気になっていた2つのこと、(1税務申告事務開始、2、白菜漬けの本漬け)を、

二つとも早々とやったよ。Bちゃんありがとう。お互いに、褒め合おうね。^^

 

 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.14 バレンタインデーは、豚カツを食べに行った。

今日は、世間はバレンタインデー。

名前が洋風だからか、フランス料理を食べに行きたくなった。

この頃、しゃれた洋食屋さんが無くなった。

仕方ない。それなら久しぶりにトンカツが食べたいな。

 

昔、三宮センター街の入り口に有名なトンカツ屋さんがあった。

何回か行ったことがある。

震災以降、その本店が、元町に移転している様だった。

ずっと気になっていた。今日行って確かめると、やはりそうだった。

店の雰囲気も似ている様でなつかしい。肉も上等で美味しい。

 

ところが、私が何よりも懐かしく思ったのは、この白菜の漬け物の切り方。

細か目に切ってある。自己主張していない。ご年配の方に優しい。

思えば、昔は食堂などでは、白菜の漬け物は、こうして細か目に刻んで出て

来た様に思う。見た瞬間、あっと思った。とても懐かしかった。

私もこれから、白菜の漬け物は、この様に細やかに切ろうと思った。

 

ところで、私は、飲食店で、漬け物を大切にしている店は流行ると思っている。

漬け物を、自店で当たり前に作る店を、私は良い店だと思う。

以前、漬け物を自前で作るのを止めて、外注した店が、急に傾いたのを知っている。

 

又、この頃、カレーにピクルスを付けない店があるが、私には、どうしても考えられない。

カレーに薬味が全く付いて来ないなんて、最初は、え?本当か?と思ってしまった。

私にとっては、カレーは薬味込みの味だ。

私が薬味を欲しがると、笑われたことがあった。私はそのことを、いまだに恨んでいる。

私がカレーを煮る時は、先にピクルスかマリネーなどの薬味を準備しておく。

ピクルスやマリネは、先に作っておいた方が,味が馴染んで美味しくなるから。

その後で、カレーを煮始める。

昔のカレー屋さんで、小皿山盛りのピクルスが美味しくて、お変わりも無料の店があった。

更に、もう一杯お替わりするときは60円だった。持ち帰りも出来た。

先日、その店に久しぶりに行ったら、持ち帰り110円になっていた。とても懐かしかった。

こんな店は今は珍しい。私は、こんな店が良いと思う。

 

以上、バレンタインとは全然関係ないけれど、漬け物とピクルスのお話でした。

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.13 白菜漬け物作り、初体験の巻

ずっと長い間、白菜の漬け物上手になりたいものだと思っていた。

ある時、ツナ缶を作っている会社の小冊子に、「我が家でいちばん好まれて

いる料理を紹介するページ」に、ツナ缶の工場長が「白菜の漬け物に、ツナ缶を

オイル毎懸けたものが、家族に絶賛で、毎日食べていると書いてあった。

試してみると、余りにも美味しくて私も感動し、友人達にも教えて喜ばれたたこと

があった。ご飯にもちろん合うが、お酒の好きな友人は、酒の肴に最高と言っていた。

この時、やはり漬け物は発酵食品なので、こんなに美味なのかなと思った。

白菜の漬け物は、百貨店の特選食料品売り場のものは,防腐剤などが入っていなくて

抜群に美味しいがとても高価。

しかし普通の漬け物売り場のものは、薬品臭くて食べられないものがある。

 

大の親友だったのばらさんの白菜の漬け物がおいしくて、私は感動したものだった。

それ以来、私も漬け物上手になりたいと思っていた。

先日思い付いて、白菜を少量買って来た、少しだけ作ってみようと思った。

 

チタンボールに入れて、ベランダで干す。

翌日、塩をまぶした。(本当は、一枚ずつ根元に摺り込むものらしいが、

知らなかった。)

重しが無いので、チタンボールに水を入れて乗せた。

この下のチタン鍋に、塩をした白菜が入っている。

翌日、水を絞って、塩と鷹の爪と昆布と共にジッパーに入れて、冷蔵庫に2〜3日寝かせた。

これで良いのかどうかは,分からない。

(第一日目夕食)

美味し〜い!おっかなびっくりで自己流で作ってみた白菜漬けだけれど、

とても美味しくて,満足した。

(第2日目夕食)

昨日の残り。ますます美味しくなっている。ご飯のお代わりをしたかったけど、ごはんが

なかったのでよかった。あったら大変だった。それほど美味しかった。

難点があるとすれば、ご飯が進み過ぎることかもしれない。

 

適当に作ったナンチャッテ白菜漬けで、これだけ美味しいのだから、本格的なものを

知りたいと思い動画を見てみた。とても良いものがあったので、下に載せます。

つぎから、この方法で漬けてみたいと思います。

ご参考までに。

 

【極上の保存食】白菜漬けを作ろう!【二度漬け】|How to make Hakusai No Tsukemono(Japanese Pickled Napa Cabbage)

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.11 今日は建国記念日

今日は、友人とランチの約束をしていたが、体調の急変があったと連絡があり、

延期となった。

そしたら、火曜日なので整形外科へ脚の水を抜いて貰いに行こうかなとのんびり

考えていて、あ、11日は祝日だった、建国記念日だったと気付く。

日本の休日中の最高の日、建国記念日をこんな認識で良いのか?

愛国者を自認する私としては、反省する。

 

朝、一番に国旗を掲揚する。

マンションの玄関部分は凹んでいる為、風が当たり難いので、国旗が丸まって

しまい、美しくなびいてくれない。これが難点。

そうだ、その分、我が家の自慢の万年青の赤い実を一緒に写真に撮ったら、

美しさで、その点をカバーしてくれるのではないか。と勝手に解釈。

 

 

ついでにベランダの、自慢の万両の赤い実。

万年青といい、万両といい、これらの実を見たいと言って、訪ねてくる客人が

この頃増えた。

今日、会う筈だった彼女も、そう言っていた。彼女のお宅では、花は毎年咲く

けれど、実は一度も生ったことがないとのこと。そういうお宅はよく聞く。

こうして、我が家の赤い実君達は、一生懸命、我が家の親善大使の役目を務めて

くれている。感謝!

 

素敵な動画がありましたので、ご紹介します。⇩

 

【日本人必見】知られざる建国記念日の秘話と日本の文化

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.08 八日は「歯ブラシ交換デー」

以前、どなたかが、忘れない様に毎月八の日に、歯ブラシを

取り替える目安にしていると、何かで読んでから、私も真似

して,毎月8日を歯ブラシ交換デーにしている。

この時,同時に歯間ブラシも取り替える。

歯と八が同音なので、それ以来、一度も忘れたことがない。

良いアイデア!とても、助かっている。

 

歯ブラシは、一ヶ月ぐらいでブラシの先端が開いて来て役目を

果たさなくなるし、衛生上からも、そのぐらいで取り替える方が

望ましいらしい。

私の場合は、朝の歯ブラシと、夜の歯ブラシを別にして、色分け

している。朝用は白、夜用はブルーなど。

その方が少しでも乾くし、清潔かなと思って。

たった、これだけのことで、歯磨きが楽しくなるのが不思議です。

ご参考までに。!

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.05 外出禁止の日々開始。

<先日誂えた靴のサイズが合わず、膝が痛くなり恐ろしく脹れた件のその後>

 

(1/28日)

    この日、整形外科で140cc抜いてもらった。

    帰路は痛くなくて、晩は、ぐっすり眠れたのでもう治ったと思っていた。

(1/29)

    ところが、翌日は痛かった。しかし気にせず、梅田へ出掛けた。

    庇っていたのか、右ひざの方まで少し痛む。

(1/30)

    夜中、膝が痛んだ。水を抜いてもらっただけで、治ったものと思っていた

    のは、甘かったと思った。

    この日は、Mさん来訪の日、よく動いた。

(1/31)

            ウインドウズのマウスがおかしくなったので、大阪のヨドバシカメラへ

            買いに行く。その他も廻りたかったけど、脚が辛いので諦めて帰る。

 

(2/2)

    この日は、5人来客の日、昼食の日本料理屋さんまでの道が、膝が痛くて

    おかしな歩き方になった。

    その後、我が家でたのしく寛いで頂いた。

           

    その夜、膝が痛くて、夜中に何度も起きる。多分水は80ccは溜まっている

          と思う。私は、経験上溜まっている水の量が分かる。右何cc、左何ccなどと

   ピタリと当てていたので(昔膝が悪かった時)、いつも先生に驚かれていた。

    来週水を抜きに行こうと思う。

 

 

(2/3)(節分の日)この日は、生田神社でお炊き上げをすると聞いたので、午前中に行く。

   1月15日のどんと焼きの日に、熨斗飾りを焼いてもらいに行けなかったので、この日を

   待っていた。脚が痛むのでつらかったが、ようやく歩けた。

   電話で確認してから行ったのに、お炊き上げは無いとのこと、脚が痛むしどうしようと

   困っていると、熨斗飾りのお納めだけでよければ、預かって上げましょうとのことで、

   お願いしてホッとする。

   お昼はどうしても別館牡丹園の焼きそばを食べたくて、痛い脚をひきずって元町迄歩く。

   脚が痛くても、食い意地の方が勝つ。

   やきそばが、美味しくて嬉しかった。ワンタンも欲しかったが、どんぶり一杯は食べられ

   ないので、泣く泣く諦める。別の日に行こう。

   喫茶店でコーヒーを飲んで、又歩いて三宮へ戻る。

   途中で、古本屋で本3冊購入。買っていて読んでいない山積みの本の読破を進めないと

   いけないのに又、買うなんてアホか?と思う。

   更に、三宮地下街のジュンク堂で、立ち読みしてから、予約していた本一冊受け取る。

   そごうで牛乳や野菜購入。

   この日は、よく歩いた。見かねた女性が、大丈夫ですかと、手助けしようとしてくれた。

   脚をひきずり相当痛そうだったらしい。人迷惑な私だったと反省した。

(2/4)

         この晩は、膝の痛みで眠れなかった。

   以前膝が重篤だった10数年間でも,この痛みは全く経験がない痛さだった。

   膝の裏側からと内側から、何本もの錐の様なもので次から次に突かれる痛さ。悲鳴が出た。

   まったく、こんなことは始めてだった。

   水を抜きに行こうときめていたので、予定通り午前中にタクシーで行く。

   タクシーの乗り降りが痛くて辛かった。110CC抜かれた。

   顔なじみの看護婦さんが、「又、溜まり出しましたね。」と言った。何年も通い続けた

   あの頃に戻るのだろうと思っている感じだ。

   「いえ、まさか、戻りませんよ。一過性ですよ。」と心で思った。私は楽天的かしら?

   先生に、昨夜の錐で刺された様な痛みのことを言い、以前酷かったときでも、この痛みは

   無かった、これは始めてだが、どういうことかお聞きすると、いよいよ軟骨がすっかり無く

   なったのですと言われた。

   私は、「それは無いでしょう?」と思った。

   私は、自分で言うのもなんだが、とても素直な性格だが、納得出来ないことには素直ではない。

   たとえ、お医者さんの言葉でも! 

   だって、一週間前、新しい靴を履くまでは、百貨店を3つも4つも、はしごしていた私の脚が、

   一夜にして軟骨の全てを一挙に失うなんてある筈が無い。

   

   「とにかく、歩かない様にして下さい。」と先生に言われて、

   「分かりました。歩くのは悪いのですね。」

   「そうです。絶対に駄目です。」

   「良いかと思っていました。以前、歩いて脚を治したもんですから。」

   「それが、珍しい。」‥…、先生にこう言われて、私は、ハッとした。

そのおとりだ。私は、歩いて治したかの様に思っていたが、そうではなかったのではないか?

思い出せば、少し歩いて痛みが出たら、椅子に座って10分、そして又歩いて、痛くなったら

椅子で10分すわり、痛みが治まってから断続的に歩いていた。その為に、百貨店を選んでいた。

痛いのに歩き続けることはしなかったし、そうすることがいけないことも、当時は知っていた。

しかし、今では、すっかり治った私は、まるで、痛くても歩くことが良かったかの様な錯覚を

起こしていた。いつの間にか。

近所の奥さん方も、痛くても歩くことが良いのですね。いけないかと思っていました等と言って、

無理をされている。私の責任だ。早く取り消さなければ。

 

   今回は、帰りのバスも辛かった。終点の阪神西宮まで出て、フードコートで、

   大好きなピザのマルゲリータを食べて、喫茶店でゆっくり本を読んで帰る。

   明日からは、膝が治るまで外出は控えることにしたい。

   やはり、脚が痛いときは遠出は厳禁。昨日のことがはっきり証明している。

   生田神社に行った日は、三宮から元町へ、又三宮へと広範囲に歩き過ぎた。

   それで、その夜、錐が刺す様な痛みに襲われたのだ。

(2/5)

   昨日水を抜いてもらったので、夜は脚は全く痛まず、ぐっすりと眠れた。

   快眠とはこれのこと。そして、日中も痛まず、全く快適だった。

   やっぱり、あの痛みは、痛い脚をひきずって歩き過ぎた結果だった。

   脚が治るまで、外出は控えることに決めた。

 

当分外出禁止のため、食材を仕入れて来たので、大好物のかぼちゃの鶏そぼろ

あん掛けを作る。でも、お出汁が多すぎて、そぼろあん掛け汁になってしまった。

 

(2/6)

   外出禁止。私は家に居ることも好きなので、外出しない日も嬉しい。

   1日中、パソコンの前に張り付いている。これが好き。

   昔、脚を悪くしたきっかけは、仕事で明け方までパソコンと格闘し、外出しなかったので、

   脚の筋肉を全部落としてしまい膝に来た。それでも、仕事への没頭は止められず、脚は

   益々悪くなり、脚が重篤だった期間は、都合10数年間に及んだ。

   治ったことは、奇跡だと今でも言われている。

   その後、動かなかったことを反省して、今度は動き過ぎている。中庸が一番と肝に命じよう。

   今回、早く脚を治して,又、元気に動き廻ろうと思っている。

    

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.02 春財布は縁起が良い?

先日、結婚祝いを贈った先から、おかえしが商品カタログで送られて来て、

財布が欲しかったので、申し込んでいた所、2月1日の来客の日に到着した。

素敵な財布。皆に褒めて貰った。

 

重量が軽いし、使い易い形で嬉しかった。

春の財布は縁起が良いのよと皆さん言ってくれて、摩耶さんが、新しい財布を使うときは、

人に五円貰うと良いと言った。

 

さっそく、摩耶さんが五円硬貨をくれた。見ると、たまたま「令和元年発行」だったので、

私は大喜び。

すると、Bちゃんが、自分の財布から硬貨を出してきて、「平成元年」の分あるけど

欲しい?と聞くので,「欲しい!欲しい!」と言うと、その分をくれた。

 

念の為、自分の財布を見ると、昭和39年発行の五円硬貨があった。

「昭和39年って、何があった年やったかしら?」と私が言うと、

物識りのやーちゃんが、「オリンピックのあった年よ」と言った。

後でネットで調べると。確かにそうだった。

「令和元年発行」「平成元年発行」と来たので、「昭和元年発行」が

欲しい所だが、それは無理。五円硬貨の発行開始は、戦後で昭和34年である。

発行開始 1959年(昭和34年)

でも考えてみたら、国中が焦土となった我が国が戦後、短い期間で不死鳥の様

に蘇えり、世界に向けて復興を宣言したあのオリンピック開催の年は、これは

まさに復興元年である。

だから、この硬貨も値打ちがある。むしろ,一番値打ちがあるかも知れない。

 

という訳でで、この3枚を上の様に重ねて結わえて財布に入れることにした。

このホルダーも、摩耶さんから貰ったもの。

この日は、多くの来客といい、春の財布といい、これ等の硬貨といい、本当に

沢山の幸せを頂いた素晴しい感謝の一日だった。

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback (  )

2020.02.01 5名のお客様来訪の日。

来客の日。

(上が本物の漆塗りの干支の絵、下がそのレプリカ)

 

この日の来客のきっかけは、ちょっと複雑だった。

まず、昨年、私の大切な漆の干支の絵を見て、Bちゃんがトールペイントでレプリカをこしらえたが、

その写真(上)を摩耶さん送ったことがあった。

長年絵を描いている摩耶さんは大感激で、一度見せてねと言っていた。

そして、最近、さくらさんから電話があって、あのレプリカを、自分も作って貰えないか

トールペイントの作者(Bちゃん)に聞いて欲しいとのことだった。

「それなら、摩耶さんが、一度見せて欲しいと言っているので、日にちを合わせて、

一緒に我が家へ来て、現物を見てからにしたら?」と言ってあげた。

と言うことなら、その時は作者のBちゃんにも来て貰らわなければ!

そしてら、ヤーちゃんも呼んで上げよう。

それなら、いつも電話でおしゃべりしている元女板前のKさんも呼んで上げよう。

…ということで、計5名の人に連絡し、食事会をすることになった。

 

近所の割烹「立峰」で食事することにした。

念のため、ピンク色の葉書用紙で、集合時間などを連絡して上げた。

これが大好評で、喜んで貰った。

 

最初の料理は、節分を現していて、サーモンで鬼の顔、ごぼうで金棒、イワシ、

豆などが配置してあった。

日本料理は、季節に大変密着しているなと思った。

これを頂いたのでもう豆まきしなくて良いので助かるわと言っている人がいた。

なるほど、私も、今年は、豆まきを省略しようかなと思った。

ご飯は、梅の花らしい。餅米の入った美味しいご飯だった。

美味しいデザートで、締め括り。

その後、場所を移して、我が家でお茶をする。

コーヒーの人。紅茶の人。お好きなものを。

ケーキは、先日Mさんから頂いたチョコレートケーキを頂く。

笑い転げながら、お話しは続く。

全員、私が元々別々の所で知り合った私の友人達だけれど、何十年も

前から、お互いに知り合いになっていて、全員旧知の間柄なので、

和気あいあいとした楽しい1日だった。

干支の絵のレプリカは、さくらさんが直接Bちゃんに注文して、サイズなど

希望を打ち合わせていた。

さくらさんは抜群にセンスが良いので,彼女の希望を取り入れることにより、

Bちゃんの作品が、ますます素晴しく発展するのでないか?と楽しみにしている。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« 前ページ