昨年の8月末に、母子医療の現場や高齢者の介護施設を見るために、オーストラリアに行ってきました。
そこで得たものは、当初の目的以外に多くの事があります。
特にメルボルンとシドニーの街の景観は、歴史的な建物と現代的な建物が共に引き立て合い、その新旧が調和するデザイン感覚に、市民から国レベルまで“哲学”の存在を、感じられずにはおられませんでした。
建築屋を目指す人は別にして、建築家を志す方にはこの街を見るのを、お薦めしたいと思います・・・
今日のyahooのニュースで知ったことです。
ご存知の方が、たくさんいらっしゃると思いますが、全国の学校で二宮尊徳像の撤去が、相次いでいるそうです。
原因は老朽化ですが、補修をして残さない関係者・保護者の理由の声として、次のような声が挙がっておりました。
「児童の教育方針にそぐわない」
「努力を尊ぶ姿勢は受け継ぎたいが、子どもが働く姿を勧めることはできない」
「戦時教育の名残という指摘や『歩いて本を読むのは危険』という保護者の声もあり、補修に公費を充てるのは難しい」
それに対して、尊徳の教えが名称の由来になり、銅像を残しているある学園は、今でも教えを生徒の教育指針として伝え、同学園の教育部長は「理屈より実践を尊ぶ姿勢はいつの時代にも通じる理念だ」と語っておりました。
尊徳記念館の解説員も、「金次郎は賢人の名言集から学び、自分にできることに全力を尽くした。少子高齢化で厳しい社会を背負うことになる今の子どもたちこそ、彼の姿勢に学ぶべきだ」と語っております。
日本人の特質として“うわべ”だけで判断し、物事の“本質”を見れない人が多いように思います。
“子どもが働く姿を勧めることはできない”- 向こうの国のエリートは、こどもの時からバイトをして、お金の有り難さや経済感覚を学ぶと聞きます・・・
“戦時教育の名残”- 全てが悪くて、今でも活きる教えは無いのか?
保護者の声の“歩いて本を読むのは危険”- クルマ社会の現代だったら、尊徳だって違う勉強法をすると思います。“賢者”ですから・・・
“保護者の声”、これがいつも曲者に思います。
何でもかんでも保護すればいいのか?
リスク対応出来ない子供が増えて、本当の痛みや競争能力の欠如を招くばかりだと思うのですが。
“愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ”と云う言葉がありますが、日本人は“歴史に全て蓋(ふた)をする”のが、好きなのかもしれません。
因みに“二宮尊徳の像の撤去、どう思う?”の今現在のアンケート結果、
○理解できる・・・ 2436票
○残念に思う・・・25838票
○わからない・・・ 986票
と、出ておりますが、ネットでの投票ですから、投票層がある程度固まっていて、全体の声としては見れないと思います。
今日はブログを書く時に珍しく?お酒が抜けております。
いつものブログと少し違うようです。
歴史的名曲を聴いて休むことにします・・・
The Beatles - 『Yesterday』