高島平発・文化的居場所「ミストラル」への夢

地域をファッション・音楽・お酒の“文化”の力で元気に!……地元に文化的な居場所作りを模索しています。

高島平団地、最上階の一室を使った“団地BAR”

2007年01月28日 03時14分01秒 | ●高島平・地域の将来の“夢”
以前に浦和のホテル最上階にあるラウンジバーを、利用したことがあるのですが、12~13階?の高さしかないのに、周りには高い建物がないため、夜景がとっても綺麗でした。

早速、高島平に帰って松坂屋の入っている棟の14階に昇ってみると?

案の定、高島平がこんなに綺麗なのかと、驚く程の夜景の美しさ ! !

団地の高層階に入ったいる人は、毎日こんな楽しみがあるのかと、羨ましく思いました。

団地を管理するUR都市機構や、同じフロアーの居住の方との問題もあるでしょうが、例えば角の一室を使って“団地BAR”なんてあったら楽しいでしょうね。

勿論、マスターは団地に住む定年を迎えた物静かな紳士。

お客は団地近辺の人が中心になるでしょうが、いろいろな所からの出身の人が住んでる団地だから、偶然に同郷の人と知り合いになったり、身近にこんな人がいるのかと、何歳になっても新たな発見があるのは楽しい筈です。

BARの名前は“HOTARU(蛍)”なんてどうでしょう?

高島平の名所にもあやかっているのですが、最上階に小さくHOTARUのネオサインを出して、実際の蛍の発光と同じような間隔で点滅させると、会社帰りの人もそれを見て、「お帰りなさい」と言われているようで、ホッとするのでは?

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高島平再生に挑む自称、大東文化大のドン・キホーテ、山本孝則教授。

2007年01月27日 13時06分56秒 | ●“夢”の原動力・仲間
高島平の地元大学、大東文化大で主催している、地域との共生をめざした「高島平再生プロジェクト」の中心人物。

昨年の夏に一般の人にも公開している同大学の「板橋環境創造講座」に参加して、このプロジェクトを知りました。

以来、毎月このプロジェクトに参加するにつれ、先生の熱意にドンドン引き込まれ、高島平在住のひとりとして、自分も積極的に参加しなければと影響を受けた、とっても“引力”がある教授です。

大東文化大の中でも新しい学部、環境創造学部の教授ですが、そのキャラクターが作る幅広いネットワークのお陰で、私も地元で思いもよらぬ人脈が広がりました。

人間、歳を取ると何事も守りの発想になりますが、山本教授のような“知的刺激人”に接する機会が増えるとが、自分もまだまだ何かに挑戦する気持ちになります。

地元にこんな先生がいれば、高島平も活性すると思います。

*「高島平再生プロジェクト」の詳しい内容は
  http://www.daito.ac.jp/takap/を御覧下さい。
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2009年1月15日を「ミストラル」開店目標に!

2007年01月26日 01時30分53秒 | ●「ミストラル」進行状況(過去)
退職を機に残り人生で自分に何が出来るかではなく、何をしたいかの“夢”に賭けた、資金も何もなく無謀なスタートですので、勉強と下準備、資金集めに2年は必要と思っています。

今の時点で、1人の女性が2年後の約束でスタッフとして、協力を申し出てくれてるのと、既に地元の有志とデザイナー仲間2人が資金協力に声を上げてくれてるのが、スタートとしては何より心強いです。

当面は女性スタッフと最低月1回の打合せと、不動産の下調べを行うつもりです。

もう直ぐ設立準備用の名刺が出来るので、来週から昨年までお世話になった方々に
挨拶に回る予定です。
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やっぱり日本は文化後進国?・・・イラク戦争に見るもう一つのファッション

2007年01月25日 14時26分45秒 | ●美意識・ファッション・デザイン私的考察
4年に一度あるオリンピックの楽しみに、開会式の入場行進における各国のユニフォームのデザイン比較があると思います。

いつも関心するのが主要国の“その国らしさ”を維持しながらも、毎回、新鮮さを感じるデザインです。

日本は暫く“日の丸”基調の後、色々な切り口で“日本らしさ”に取り組んで、その都度、賛否がありますが、オリンピックはまだ“スポーツ”だからいいのですが、これが命が関わる“戦場”だったらどうなのでしょう?

イラク戦争の自衛隊派遣を見て、ず~っと“ファッション”の面から疑問を思っていたのですが、あの陸上自衛隊の戦闘服を見て現地の人はどう感じるのかと?

イラク派遣はイラクの国家再建支援のためにと特措法により、非戦闘を前提とした非戦闘地区での“人道復興支援活動”と“安全確保支援活動”の“平和”のための派遣だった筈です。

だとしたら何故、あんなに“怖さ”を感じる色彩感覚で臨むのでしょうね~?

それこそシドニーオリムピックでヒンシュクをかったレインボーカラーの方が、まだ現地には自衛隊が来た意味が伝わり、ひょっとしたら迫撃砲も打ち込まれずに済んだかもしれないと思うのですが。

1回のイラク派遣で行った陸上自衛隊は約600人。たった600着の戦闘服を見直せば、
デザインの力で日本のスタンスが国際的にも明快に伝わり、日本の努力や血税が報われると思うのですが。

これからの国際的な動きの中で日本の立場を保つには、IT産業やデジタル技術のスペック競争ばかりに明け暮れるのではなく、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などの感性から、物事を見る目を持たないと、世界から単なる技術バカの国と思われる気がするのですが…。

元々、日本人は季節の移ろいを歌で詠んだり、色彩を愛でたりデリケートな感性が
評価される文化国だった筈。

お洒落な女性の感性をもっと政治にも活かさないと、国に“艶(つや)”や“深さ”がなくなり、国際的にも柔軟な対応力を欠く結果になると思います。

「ミストラル」ができたら、高島平の女性達と色々な面から“ファッション”を語り合い、文化面で何か小さな力にでもなれたらと思います。
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4.ガラスドアを開けると、大きなテーブルが…(ミストラルのイメージ)

2007年01月25日 12時24分17秒 | ●「ミストラル」起業(過去)
ガラスのドアを開くと、まず大きなテーブルが目に入ってきます。

全体の構成として、2人用と4人用のテーブルがそれぞれ四つぐらい。そして、中心に10人以上が座れるテーブルを一つの構成で考えています。

一人でくつろぎたい時、友人と語り合いたい時と、お好きな席をお選びください。

大きなテーブルは月に何度か色々な業界からゲストを呼び、お客さんを交えて2時間ぐらい自由に語り合って、何かのヒントになればと思っています。

例えば1回目は広告業界の“スタイリスト”か“ヘアメイク”の方を呼んで、マンネリを打破するファッションやメイクについて、お客さんそれぞれ個別にアドバイスしてもらえるようなことを考えています。

そして2回目以降はお客さんの要望をお聞きするスタイルや、「笑っていいとも」じゃありませんが、ゲストからゲストを紹介する方法など、検討しています。

個人的には銀座の著名なママをお呼びして、スマートな飲み方や酒の席での良い人の見分け方などを聞かせてもらい、普通とは違う角度から色々な事を学び、自分のレベルアップにつながる機会を作れたらと思っています。

デザイン業界に20年以上いましたので、人脈もそれなりにあります。
“刺激”や“何かのヒント”になる出会いを「ミストラル」でご期待下さい。
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3.爽やかで、くつろぎの空間・・・(ミストラルのイメージ)

2007年01月23日 02時26分25秒 | ●「ミストラル」起業(過去)
ミストラル(Mistral)とはフランスの特定の地域に吹く、地方風の名前です。

高島平は地理的には板橋区の外れで、山の手イメージと対比すると東京の田舎その物ですが、程よい道幅と間隔の街並み、変に成金的ではない住宅街、それなりの文化知識を持つ住民、豊かな自然環境が組合わさった、極めて伸びやかな街だと思います。

そんな恵まれた街にいるので、ここで新たな文化を創造し、ぎすぎすとした都心に板橋から地方風を吹きこめれたらの思いで、名前を考えました。

カフェの場所は窓辺から団地が綺麗に見える、あるいは眺めが高島平の魅力の再発見になる場所で探しています。

店内の雰囲気は絵のアトリエの様な、白が基調ですが冷たくはなく、風が吹き込んでも、心地よいとでも言いますか、そんな感覚です。

当然、スペースもゆったりとして30坪前後は必要かと思ってます。
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強烈だったハワイでの思い出・・・(ファッションに目覚めた原体験)

2007年01月20日 15時44分10秒 | ●美意識・ファッション・デザイン私的考察
妻、友人5人で20数年前、初めてハワイに遊びに行った時のことです。

泊まったホテルにアメリカ本土から旅行で来ている、20人程の老人達と同宿になりました。多分、70歳位だったと思うのですが、何より驚いたのが色鮮やかなファッションです。

どの老人も白、イエロー、ピンクなどのライトな色合いのシャツ、スカート、スラックスで活き活きとした表情に満ち溢れ、こちらまでハワイに来ている開放感が満たされ、気持ちが良くなりました。

でも、直ぐに巣鴨地蔵通りで見かける日本の同年代の老人達の姿が頭を過ぎりました。

夏でも地味な色の組合せ。男性はときたら勤めていた頃のスーツのズボンに運動靴姿。上着もブレザー感覚のつもりなのか、ズボンと全く合わない形の上着。
今まで本当に、お仕事だけにご苦労さんと言いたくなるようなファッションセンスのオンパレードを思い出しました。

ファッションは周りに対してのひとつのサインでもあると思います。
地蔵通りで見た大部分の人のファッションは、誰にも迷惑をかけずに、これからドンドン地味に、そして静かに余生を送りますよ、と言っているように見えるのですが…。

やはり行動には全て“目的”があるのだから、ファッションも目的に合わせて、自分の気持ちが高まるファッションをしたいものです。
何故なら同じ目的で来ている“他の人たち”も、そのファッションを見て、同質の気持ちがさらに高まるから!
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酒と音楽と出逢い…。 高島平のオアシス“パブ・ノンノ”

2007年01月20日 11時55分14秒 | ●“夢”の原動力・仲間
私がいつも地元で元気をもらうパブ。

二代目マスターの“真ちゃん”と“久美ママ”の気配りと元気印の最強コンビで、若い人から年配の人まで、行く人をいつも明るくしてくれる、地元のオアシス的なパブです。

良心的な値段とスタッフの明るさで、毎晩、地元のいろいろな人が顔を出します。仕事が終わって、家帰る前に軽く飲む1杯は、その日の嫌な事も忘れさせてくれ、明日の活力源に。

一人カウンターで飲んでいて隣同士なった人と、歌やお酒を通じて何人も友達が出来ました。
こんな人が身近にいたのか!と、思うような出会いが何回かあり、それが地元高島平を自然環境と併せ好きになった一番の要因でもあります。

マスターと語る“夢”は、こんな溜まり場を高島平にいくつか作ること。
ファッションカフェ「ミストラル」も、そんな想いを込めた自分の“夢”でもあります。

早い時間はお客も少なく、ジャズをBGMに一人カウンターで静かに飲むのがお奨め。

最も洋楽から演歌までジャンルを問わず、歌の上手いカラオケファンが多くいて、時々、早い時間からカラオケタイムのこともありますが…。

そんな時は10時まで待って2Fにあるショットバー「ピアチェーレ」に。
9席だけのカウンターですが、美人だけど、どこかそそっかしいママに、何故だか癒されると思います。

お酒を飲めない人でも、何か嫌な事があった時は一人で抱え込まず、こんな自分の“オアシス”を持ち、誰かに喋ってみるといいですね。

最終的に“人”を本当に救えるのは、お金や権力じゃなく、“人の温かみ”のような気がします。
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「全てをいま失っても、まだ未来が残っている」

2007年01月20日 10時39分49秒 | ●“私を支える”一言・本・音楽.etc・・・
以前、ラジオで聞いた一言。

山形?のあるお寺に掲げられている言葉らしいのですが、失敗して落ち込んだ時に自分を奮い立たたせてくれる、とても好きな言葉です。

いま進めようとしている“ファッションカフェ”も、これから大変な道のりだと思います。
なにせ資金も無く、プラン、夢、想いだけが先行していますから。
この言葉で何度も自分を励まし、想いを実現させたいと思います。

夢が実現できた時、このお寺を訪ねて実際に見てみたいものです。
それまで何方か、この寺を御存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。
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2.なぜ高島平で?

2007年01月19日 01時59分39秒 | ●「ミストラル」起業(過去)
高島平に住んでもう26年になりますが、その中心とも言える高島平団地の人口も、最盛期の3万人から2万人に減り、過疎化と住民の高齢化が急激に進んでいます。
都内でも有数の生活環境と自然環境が整っていながら、非常に寂しい現実を最近、知りました。

退職するまではデザイン業界の常で、毎日深夜に近い帰宅で地元との接点も限られた範囲でした。しかし馴染みのパブを中心にして、世代に関係なく友達が増えるにつれ、無機質な街がとても“愛しい街”に変わってきました。

元々、約1万戸の団地が出来た当時は、東洋一ともてはやされ高根の華でもありました。高度成長にも併せ優秀な人が移り住んだ街でもあります。

そんな現状を考え合わせ、何か地元に“恩返し”と“活性化”をする材料はないか?と考えた時に思ったのが“人”です。

限られた範囲ですが、馴染みのパブで“友達の輪”が広がり、地元で飲むお酒が格段に美味しくなりました。

“地元の人”がもっと交流ができる場があれば、地元に対して愛着が増し、“街が活き活き”するのでは? 

そんな思いで“ファッションカフェ”に挑戦することにしました。


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