Facebook上で読んだひとつの捉え方なのですが、この夏の収穫の言葉でもあった気がします。
未来は、自分の目の前のその先にあると、誰しもが思うのではないでしょうか。
でも、古代ギリシアでは“過去”と“現在”が、記録とリアルタイムで、我々の目の前で見えるものであり、従って想像しか出来ない“未来”は、自分の後ろにあると考えられてたそうなんです。
見方を変えれば、自分の努力で未来が変わり、それは自分の踏み跡として、自分の後ろに続くとも云えると思います。
今まで時間の経過と共に、未来はやってくると、やや受け身で捉えて私には、刺激的な捉え方でした。
未来は自分で作るものでした。
そして、更にその先は誰かに託すものでもあります。
どうせなら百年かかる夢を、これから描いてみようかと思います。
それを託す人も求めながら・・・
『In The Year 2525 (西暦2525年)』- Zager & Evans
未来は、自分の目の前のその先にあると、誰しもが思うのではないでしょうか。
でも、古代ギリシアでは“過去”と“現在”が、記録とリアルタイムで、我々の目の前で見えるものであり、従って想像しか出来ない“未来”は、自分の後ろにあると考えられてたそうなんです。
見方を変えれば、自分の努力で未来が変わり、それは自分の踏み跡として、自分の後ろに続くとも云えると思います。
今まで時間の経過と共に、未来はやってくると、やや受け身で捉えて私には、刺激的な捉え方でした。
未来は自分で作るものでした。
そして、更にその先は誰かに託すものでもあります。
どうせなら百年かかる夢を、これから描いてみようかと思います。
それを託す人も求めながら・・・
『In The Year 2525 (西暦2525年)』- Zager & Evans