CubとSRと

ただの日記

野外日記

2019年03月05日 | 日々の暮らし
 今年初めて日記用のノートを持って出た。
 やっぱり家の中は動きがない(当たり前)から、なかなか日記の材料が見つからない。
 出てみればそれなりに何か目につき、思うことがあったりする。
 少なくとも風が吹き、日が当たる。今日なんかはスギ花粉も飛んでいる。
 と、ここまで書いて、「じゃあ、今回は何を」、となるのだが、本当に書くことに事欠かない。
 まずは上に書いたように、日射しが背中に温かい。
 「時候の挨拶」、ってのは、もしかして話の呼び水として取り敢えず口にするものなのかもしれないな。
 一日晴れて、二日降って。
 二日間降り込められている。その時は雨の降るのを見ているだけだ。
 そりゃあそんな中、傘をさして街に出るという手もある。
 けれど、そこらへんに坐って日記帳を引っ張り出して、というわけにはいかない。何しろ雨の中だ、日記帳だって濡れるかもしれない。
 
 それより、この二日間のモヤモヤを、晴れを楽しむ力に換えてしまう。
 三日目の晴れへの憧れへ目を向けることで、モヤモヤをなくしてしまう。
 「雨も楽しい」とは言うし、楽しめる方法を色々考えるのもいいけれど、基本、バイクに乗ると、ね。
 どこまで頑張ったって、雨の日は晴れの日の楽しさにはかなわない。
 ということで、こういう考え方って、見た目、
 「二日間の雨の日を無駄にしている」
 、という向きもあるだろう。
 けど、この抑圧(大袈裟?)された二日間、ずっと晴れの日のことを思っているわけで、結構な力になる。
 「角を矯めて牛を殺す」の逆、気持ちを抑え込むことで、「晴れ」という発火を与えたら、もうこの三日目が楽しくてたまらない。
 変態みたいなこと書いてるけど、エンジンが回るのだって同じ仕組みなんだから。圧縮かけて、火花を飛ばして、爆発させて。
 何かを成し遂げようという目的がはっきりしていたら、それに至るための手段はポジティブでなきゃダメだろう。
 たとえ「成し遂げる」中身が破壊工作であっても、ネガティブな手段(印象操作とか)でそれを目指すと、目的達成どころか、自身の壊滅にしかつながらない。
 昨今の半島国の日本非難や、野党の国会での質疑を見るたび、そう思う。
 えらく脱線した。
 「鼻炎止めの薬のせいで頭がぼーっとしているから、何となく脱線した」
 、ということにしておこう。



コメント
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