どうせ大型免許なんて取れやしないんだし、取る気もない。
それなら、いずれ取らなきゃならない(かもしれない)クルマの免許、取って置こうか。
40過ぎるとなかなか取れないらしいから。
バイクの免許だって周りを見る限り、30半ばなんていなかったんだし。
合宿免許は、色んな意味で予想だにしなかったことだらけだった。
けど、40近くになっていると予想外の出来事に遭遇したって、特別驚く、なんてことはない。
宿舎が「昭和の」、元モーテルであったことだって
「そうか。ここぐらいの田舎になると客が少ないからやっていけないんだな」
、と思ったくらいで、特に驚きはしなかった。
さすがに三面ガラス張りで丸見えになっている風呂に入ることはなく、教習所内に併設された宿舎の方を使ったけど。(一棟を5,6人で使うので、風呂に入っている時は、みんなから見られる)
ただ、この元「モーテル」から教習所までが近過ぎる。数分で行ける。
合宿免許なんだから、短期間、教習所に縛り付けられるわけで、それは良いんだけど、「教習所と『モーテル』の往復」だけの生活は本当に「ストレスのみ」、だった。
大変な思いをして受験し、合格して飛び上がって喜び、それから展開するであろう更に大変な勉学の日々を「やるぞ!」と奮起して門をくぐるのが「学校生活」だろう。
自動車学校は受験勉強をして入るわけじゃないけど、大変な思いをして資金を工面し、時間を作って一大決心して門をたたくのだ。親に金出してもらってくる若者だって、それなりにやるぞと思って来るわけだ。
それが、宿舎は元「モーテル」。昭和の「モーテル」、って「ラブホテル」のこと、だからね。だから三面が透明ガラスの壁の風呂なんかがあるわけで。
そこから教習所までの往復だけを繰り返す毎日って、何なんだ?
それに加えて「いつかは必要になるかもしれないから」、と別に今は乗りたくもないクルマに乗る。
バイクの免許を取る時に受けた授業を、また受けなきゃならない。
設備が古くて、授業もほとんどが口頭で行われ、教習用ビデオなんて数えるほどしか見ることがない。
更にバイク嫌いの教官が教習中、散々に「バイクは危ない」と繰り返す。
何でか聞くと、「自分はバイクでこけたからバイクは嫌いだ。危ない」、だって。
自分はそれ以後、乗らないで言うんだから、始末が悪い。
自慢じゃないがバイクで何度コケたか分からない。
だからって「コケたからきらい」なんて論法は成り立たないだろう。
「歩いてたらコケたから、歩くの嫌い!」幼稚園児か。
クルマのハンドルを握るのが面白くない。段々その気持ちが強くなる。寝に帰るのはモーテルだ。
二週間目の半ばになると、本当に何とかしなければ、と少々焦り始めた。このままでは三週間余りなんて辛抱できない。どうする。
本当のところは何が原因か、どうすればよいのか、分かっていた。
バイクに乗れないからだ。
教習所にはフェリーに乗ってやってきて、教習所は目と鼻の先だから、バイクには乗ってきてない。
バイクがないのだから気晴らしのしようがない。
「空いている時間にどこかへ」、ったって郊外の教習所だ、辺りに何もない。一番近いのが宿舎の「モーテル」だ。
二週目の土曜日、授業終了後、夕方のフェリーで神戸に帰り、早朝、神戸からフェリー、陸路とつないで教習所に戻ることにした。三週目の休みには一日ツーリングをすれば良い。
というわけで、二代目のセローは瀬戸内沿いの道をひた走る。休みの日には石鎚山までツーリング。
あとは、空いた時間、そこら中を走り回ってみる。
おかげで規定時間通りに教習、卒検共終了し、予定通りに三週間少々で神戸に帰ることができた。
セローに助けられたわけだけど、何の不満もなかったけれど、このセロー、一年余りで手放した。
走行距離5千5百キロほど。
これまでのバイクの中でも特に短かったので、バイク店の店長も驚いていた。
そして代わりに欲しいと思っているバイクの名前を言った。
再び驚いたと思う。
「単気筒のバイクが好きなんだと思ってました」
と言ってたから。
口にした名前はCB400SFのS(スペシャルバージョン)。サイドスタンドのみ。
同金額ということで、初めからモリワキの集合管をつけてもらった。
それなら、いずれ取らなきゃならない(かもしれない)クルマの免許、取って置こうか。
40過ぎるとなかなか取れないらしいから。
バイクの免許だって周りを見る限り、30半ばなんていなかったんだし。
合宿免許は、色んな意味で予想だにしなかったことだらけだった。
けど、40近くになっていると予想外の出来事に遭遇したって、特別驚く、なんてことはない。
宿舎が「昭和の」、元モーテルであったことだって
「そうか。ここぐらいの田舎になると客が少ないからやっていけないんだな」
、と思ったくらいで、特に驚きはしなかった。
さすがに三面ガラス張りで丸見えになっている風呂に入ることはなく、教習所内に併設された宿舎の方を使ったけど。(一棟を5,6人で使うので、風呂に入っている時は、みんなから見られる)
ただ、この元「モーテル」から教習所までが近過ぎる。数分で行ける。
合宿免許なんだから、短期間、教習所に縛り付けられるわけで、それは良いんだけど、「教習所と『モーテル』の往復」だけの生活は本当に「ストレスのみ」、だった。
大変な思いをして受験し、合格して飛び上がって喜び、それから展開するであろう更に大変な勉学の日々を「やるぞ!」と奮起して門をくぐるのが「学校生活」だろう。
自動車学校は受験勉強をして入るわけじゃないけど、大変な思いをして資金を工面し、時間を作って一大決心して門をたたくのだ。親に金出してもらってくる若者だって、それなりにやるぞと思って来るわけだ。
それが、宿舎は元「モーテル」。昭和の「モーテル」、って「ラブホテル」のこと、だからね。だから三面が透明ガラスの壁の風呂なんかがあるわけで。
そこから教習所までの往復だけを繰り返す毎日って、何なんだ?
それに加えて「いつかは必要になるかもしれないから」、と別に今は乗りたくもないクルマに乗る。
バイクの免許を取る時に受けた授業を、また受けなきゃならない。
設備が古くて、授業もほとんどが口頭で行われ、教習用ビデオなんて数えるほどしか見ることがない。
更にバイク嫌いの教官が教習中、散々に「バイクは危ない」と繰り返す。
何でか聞くと、「自分はバイクでこけたからバイクは嫌いだ。危ない」、だって。
自分はそれ以後、乗らないで言うんだから、始末が悪い。
自慢じゃないがバイクで何度コケたか分からない。
だからって「コケたからきらい」なんて論法は成り立たないだろう。
「歩いてたらコケたから、歩くの嫌い!」幼稚園児か。
クルマのハンドルを握るのが面白くない。段々その気持ちが強くなる。寝に帰るのはモーテルだ。
二週間目の半ばになると、本当に何とかしなければ、と少々焦り始めた。このままでは三週間余りなんて辛抱できない。どうする。
本当のところは何が原因か、どうすればよいのか、分かっていた。
バイクに乗れないからだ。
教習所にはフェリーに乗ってやってきて、教習所は目と鼻の先だから、バイクには乗ってきてない。
バイクがないのだから気晴らしのしようがない。
「空いている時間にどこかへ」、ったって郊外の教習所だ、辺りに何もない。一番近いのが宿舎の「モーテル」だ。
二週目の土曜日、授業終了後、夕方のフェリーで神戸に帰り、早朝、神戸からフェリー、陸路とつないで教習所に戻ることにした。三週目の休みには一日ツーリングをすれば良い。
というわけで、二代目のセローは瀬戸内沿いの道をひた走る。休みの日には石鎚山までツーリング。
あとは、空いた時間、そこら中を走り回ってみる。
おかげで規定時間通りに教習、卒検共終了し、予定通りに三週間少々で神戸に帰ることができた。
セローに助けられたわけだけど、何の不満もなかったけれど、このセロー、一年余りで手放した。
走行距離5千5百キロほど。
これまでのバイクの中でも特に短かったので、バイク店の店長も驚いていた。
そして代わりに欲しいと思っているバイクの名前を言った。
再び驚いたと思う。
「単気筒のバイクが好きなんだと思ってました」
と言ってたから。
口にした名前はCB400SFのS(スペシャルバージョン)。サイドスタンドのみ。
同金額ということで、初めからモリワキの集合管をつけてもらった。