CubとSRと

ただの日記

2019年03月24日 | 重箱の隅
 「分を弁(わきま)えよ」
 なんて言うと
 「同じ人間。それは差別だ!」
 とか
 「男女の違い、とか。封建的!」
 とか言って、柳眉を逆立てる人がいる。
 …なんてことを言うと
 「柳眉という表現自体、ヘイトスピーチ!」
 とか・・・。
 「女が一本眉毛だっていいじゃないか!」
 、って?
 でも、この「分」って一体どういう意味なんだろう。
 「分際」と言えば、「女の分際で!」という言葉がすぐ浮かぶ。
 「学生の分際で」、「弟子の分際で」なんていうのもある。
 けど、「分」も「際」も別々に見たらどうってこともない意味だ。
 「際」というのは境目のこと。日本語では「きわ」。
 じゃ、「分際」は「物を分ける時の境目」という意味しかないんだけど。
 これって、あの、以前に日記に書いた「島国根性」と同じなのかもしれない。


 ・・・・・・
 付け足し)以前の日記から
  ↓
 元々、「島国」にも「根性」にも悪い意味はないのに、くっつけると何だか「偏狭でひねくれた後ろ向きの国民性」みたいに思われる。
 「島国根性」
 周りのことばかり気にして、卑屈になる。自分らだけが取り残されているのではないか、とおろおろしてばかりいる。自身の弱小であることを知るが故に、常に良いものを手に入れようと耳をそばだててばかり、いる。主体性を持たない。
 そういう意味でのみ使われてきた。けど本当はそうじゃない。
 全く逆の意味にもとれる。
 「進取の気風に富み、物怖じしない。国の意識は持ちつつ、外向の気に溢れ、小さいことにはこだわらない」
 順を追って考えてみれば、これこそが「島国根性」の真の姿だ


コメント
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