本を読むのが好きだった。
中学校の図書室には大して本がなかったけれど、取り敢えずは置いてあった小説には目を通した。
高校生になると図書館があって、何でも蔵書が二万冊あるとか。毎日、昼休みには新聞を読みに行く。放課後は帰りの列車の時刻まで本を読み、ついでに借りて帰る。
勿論二万冊のうちの小説だけでも読み切れなかった。速読はできない。
芥川龍之介と宮沢賢治の全集はそれぞれ十巻以上あったと思うけど、何とか読んだ。
本を買って読む、という気は全くなかった。一回しか読まないのに勿体ない、という気が先にあった。それでも買っておきたい本はあって、でも、それはできることなら単行本。文庫本を買う気は全くなかった。
折角の本なのに、
「文庫本が、値段を抑えるために採っている一工夫」
、というのが我慢ならなかった。
新書版と違って文庫版は縦横の比率のおさまりが良いから見映えも良い。
新書が荷台を延ばした三輪トラックだとしたら、文庫本はてんとう虫と呼ばれたスバル360みたいにまとまりが良い。
なのにしょうもないところで一工夫をする。それで単価を抑えようとした(らしい)。そして、それを人々は受け入れたらしい。
でも、思う。
「そんなことしなくたって。元々廉価なんだから、そんなひと工夫しなくたって買うよ」
そう思っている人って、結構いたんじゃないか。
一工夫の中身は「表紙をただの厚手の紙にする」ペーパーバック?それは英語の表記にある通り、昔からあった。
製本する時、普通は背表紙になる部分以外の三方を揃えるために裁断するが、これを上辺は切り揃えないで置く。一回分、裁断機を使わないで済む。
「ページをめくる時、下辺と側面はそろってないと不便だけど、上辺は揃っていなくとも不便じゃないし、揃っていても別に意味はない、見映えだけなんだから、やめとこう」
確かにその通りだけど、さっきのスバル360で言うなら、
「錆びなきゃいいんだから。てっぺんは錆止めの赤を塗っておしまい。その分安くできる」
と言ってるようなものだ。
それで文庫本を買う気には全くならなかった。
でも、単行本や堅牢本(ハードカバーの本)は何倍もの値段になる。仕方がないから文庫本が出てるならそちらを買うしかない。
そして文庫本を買うことにした。
「嫌なのに?」「嫌いなんだろ?」
どうやって克服したか。
簡単な方法。「見ない」ことにした。上辺を見ない。
見てしまっても見なかったことにする。
俗に言う「目をつぶる」というやつ。
そうやって胡麻化してきた。
或る時、角川だったか、一社だけが上辺も切り揃えた文庫本を出した。
そして、少し、値を上げた。
気が付いたら、みんな上辺を切り揃えるようになっていた。
今度は「高くなったけど、こういうのしかないんだから。買うしかない」
隣の大陸や東南アジアではホンダのバイクが急激に売れなくなった。
たくさん走っているのに、と思ってよく見ると、HONDAではなくKONDAだった、とか。見た目が同じなら安い方を買う。
それが今はまた逆転して、「少し高くても故障しない方が結局は得だ」、と。
バイクと違って、本は実利ではなく、見映えだけの問題なんだけど。
これからの日本、こんな「見映えだけ」の問題が出てきた時、どちらを取るんだろう。
戦後、これまでは「名を捨て、実を取る」に徹してきたけど。
本来、日本は「虎は死して皮を残す」ではなく、「人は死して名を遺す」の方を選んできたんだが。
中学校の図書室には大して本がなかったけれど、取り敢えずは置いてあった小説には目を通した。
高校生になると図書館があって、何でも蔵書が二万冊あるとか。毎日、昼休みには新聞を読みに行く。放課後は帰りの列車の時刻まで本を読み、ついでに借りて帰る。
勿論二万冊のうちの小説だけでも読み切れなかった。速読はできない。
芥川龍之介と宮沢賢治の全集はそれぞれ十巻以上あったと思うけど、何とか読んだ。
本を買って読む、という気は全くなかった。一回しか読まないのに勿体ない、という気が先にあった。それでも買っておきたい本はあって、でも、それはできることなら単行本。文庫本を買う気は全くなかった。
折角の本なのに、
「文庫本が、値段を抑えるために採っている一工夫」
、というのが我慢ならなかった。
新書版と違って文庫版は縦横の比率のおさまりが良いから見映えも良い。
新書が荷台を延ばした三輪トラックだとしたら、文庫本はてんとう虫と呼ばれたスバル360みたいにまとまりが良い。
なのにしょうもないところで一工夫をする。それで単価を抑えようとした(らしい)。そして、それを人々は受け入れたらしい。
でも、思う。
「そんなことしなくたって。元々廉価なんだから、そんなひと工夫しなくたって買うよ」
そう思っている人って、結構いたんじゃないか。
一工夫の中身は「表紙をただの厚手の紙にする」ペーパーバック?それは英語の表記にある通り、昔からあった。
製本する時、普通は背表紙になる部分以外の三方を揃えるために裁断するが、これを上辺は切り揃えないで置く。一回分、裁断機を使わないで済む。
「ページをめくる時、下辺と側面はそろってないと不便だけど、上辺は揃っていなくとも不便じゃないし、揃っていても別に意味はない、見映えだけなんだから、やめとこう」
確かにその通りだけど、さっきのスバル360で言うなら、
「錆びなきゃいいんだから。てっぺんは錆止めの赤を塗っておしまい。その分安くできる」
と言ってるようなものだ。
それで文庫本を買う気には全くならなかった。
でも、単行本や堅牢本(ハードカバーの本)は何倍もの値段になる。仕方がないから文庫本が出てるならそちらを買うしかない。
そして文庫本を買うことにした。
「嫌なのに?」「嫌いなんだろ?」
どうやって克服したか。
簡単な方法。「見ない」ことにした。上辺を見ない。
見てしまっても見なかったことにする。
俗に言う「目をつぶる」というやつ。
そうやって胡麻化してきた。
或る時、角川だったか、一社だけが上辺も切り揃えた文庫本を出した。
そして、少し、値を上げた。
気が付いたら、みんな上辺を切り揃えるようになっていた。
今度は「高くなったけど、こういうのしかないんだから。買うしかない」
隣の大陸や東南アジアではホンダのバイクが急激に売れなくなった。
たくさん走っているのに、と思ってよく見ると、HONDAではなくKONDAだった、とか。見た目が同じなら安い方を買う。
それが今はまた逆転して、「少し高くても故障しない方が結局は得だ」、と。
バイクと違って、本は実利ではなく、見映えだけの問題なんだけど。
これからの日本、こんな「見映えだけ」の問題が出てきた時、どちらを取るんだろう。
戦後、これまでは「名を捨て、実を取る」に徹してきたけど。
本来、日本は「虎は死して皮を残す」ではなく、「人は死して名を遺す」の方を選んできたんだが。