CubとSRと

ただの日記

虎の巻

2019年05月07日 | 重箱の隅
 昨年五月下旬。
 マンガ「スーパーカブ」を手に入れ、次が出るのを待ちきれず、とにかく先を読みたいと既刊の小説「スーパーカブ」三巻を手に入れる。
 それから一年近くがたったわけだが、続けて今年初めに出たものと合わせた全四巻、いったい何度読み直したろうか。
 何度も読み直す、なんてことは二十歳まで一度もなかった。
 ちょうど二十歳になった時、「一生涯かけて読み直す(読み続ける)べき本」に出逢ったけれど、以降、六十歳半ばになるまでそんな本には、それも小説なんかでは全く出逢ったことはなかった。
 小説で何度も読み直しているのは、この「スーパーカブ」が初めてだ。
 だからと言って、
 「これが自分にとっての虎の巻だ」
 、などと言っているのではない。
 ただ、「何度読み直しても飽きないもの」というのは、そこからその時々に応じて何かを読み取れる、ということ。
 そういうものとは違って、世間には「虎の巻」という物に対する了解事項がある。
 「そこには肝腎かなめのことが書いてある。だからこれを手に入れれば、目的は達成したも同じ」
 、という捉え方。忍者が巻物を加えて印を結んでいる姿。
 
 あの巻物が虎の巻で、それを手に入れた忍者が煙幕を張って姿を消す。   人々は、もうこの忍者には誰も太刀打ちできないと、諦める。
 けど、あの虎の巻を手に入れたって実力のない者には使えない、というのも世間の了解事項としてある。

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 故障やトラブルは素人にも整備上級者にも等しく襲ってくる。整備解説書にはプロが経験則ゆえ省略している部分はあっても、初心者が無視していいことは書いてない。
   トネ・コーケン 「スーパーカブ3」より
                  角川スニーカー文庫

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 整備解説書、虎の巻、或いは秘伝書。
 手に入れることはできる。それを盗み出して我が物とし、使うこともできる。
 忍者が巻物を口にくわえて印を結んでいる姿。実はあれ、巻物を盗み出して遁走する時、両手を自由に使えるようにするため、急場しのぎに口に咥えているだけで、ああすることが術の一部、というわけではない。「ナルト」なんかを見てると巻物を使って術を展開してるけど。
 「当然、分かってるだろ?」というようなことは「整備解説書、虎の巻、秘伝書」には書かれてない。
 秘伝書を手に入れてみたら白紙だった、というのは、そういうことだ。
 いくらスパイしたり嘘ついて企業秘密や国家機密を手に入れたって、それを十分に遣い、更には深める「能力」を作っていこうとしなければ、いつまでたっても模倣の域を抜け出すことはできない。
 似ても似つかない「復元」とか。
 「盗まれていた物が返ってきただけ」と言って、泥棒から没収した仏像を手入れもできず、錆びだらけにしたり、とか・・・・。




コメント
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