CubとSRと

ただの日記

足止め?いや足踏みだ!・・・ということにする。

2019年05月28日 | 日々の暮らし
 日付が変わる十五分前、午後11時45分、田舎に向けて出発。朝、帰り着く。
 で、
 今度は日付が変わって午前3時40分、田舎を出発し、こちらに午前10時半、帰り着く。
 何しろ60半ばを過ぎると、色々な意味でこれまでの経験が役立たなくなる。計算もできなくなる。ボケて来たからじゃなくて(まあ、それもあるけど)、予定が立てられなくなると言った方が良いか。
 早い話が、頭も体もポンコツになってきているから、無理が効かなくなる。膝ほどの高さのものも飛び越せなくなる。
 それも「或る日突然」、ならまだいい。同じ日なのに「或る時突然」、なんてことが起こってくる。
 「痛くて動かせなくなる」より、「激痛で(力が入れられなくなって)硬直してしまう」。
 若い時は一瞬痛みが走って転倒しても、次の瞬間には他の筋肉に力を配分して怪我を最小限にとどめようとするが、歳を取ると痛みが走った後、力の配分以前に他の筋肉は力を発揮できないから鉄筋を入れないブロック塀のような倒れ方をする。
 だから「ちょっと転んだだけ」でも大怪我が避けられない、といったことになる。
 恥ずかしいことに、この歳になるまでそういう仕組みになっているんだということが分からなかった。
 さあ、こうなると周囲の人間はどうするだろう。
 とにかく一番近しい人は、
 「怪我だけはしてほしくない」と思う。
 「寝付くようなことにはなって欲しくない」と思う。
 だからと言って
 「早くお迎えが来てほしい」
 なんてことも思ってない(だろう、と思う)。
 結果、できるだけ「転ばぬ先の杖」というのを用意する。
 手摺りを設置したり、家の前にはスロープを作ったり。
 一番大きいのはクルマの免許返納。そして散歩は近所だけ、と限定し、一度でも躓いて膝をついたりすると外出禁止。
 足止めされると人間、一気に弱くなる。他の生き物だってそうなんだから。
 「む~か~し~ あひるゥは からだ~がぁ 大きくて~ う~みぃ~も 渡れぇば さかなぁ~も~た~べたよ~」って歌、大きかったアヒルは流れの激しい河を渡ることができず、ついに脚は弱り、身体は衰えてしまって今のアヒルになった・・・・。歌、だけどね。
 でも、人間だって同じで、足止めされているうちに身体も頭も弱る。
 受け身のままでいたら、進展は言うまでもなく、それどころか、現状の維持だって覚束なくなる。
 足止めされている現実があったって、自身がその場で意志を以て足踏みをする。それが何かを変える。
 形意拳の郭雲深は、手枷をされて投獄されている間中、工夫を重ね、崩拳の一技を生み出し、それを以て天下無敵と称された、そうだ。
 留まっているヒマも後ろ向きになっているヒマも、もうない。
 せめて足踏みのつもりでこの日記を書く。
 ん?なんでこんな日記を書いてるか、っていうと、今日の雨でやらねばならないことができなかったから。
 やらねばならないこと。それは明日に書こう。


コメント
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