何を書いているのか「読めない」のでなく、「理解できない」箇所が数か所。
いくら考えても、その時何を書こうとしていたのか分からない。
主部と述部が全く別の内容らしい。書いているうちに次のことを書こうと気が急いてしまったんだろう。手の方は逆に普段より反応が鈍い。
もしかして、これは飲酒運転なんかも同じことになっているのかも。
書いたかどうか確かめる(読み直す)こともせず、次のことを書き始めている。
頭の中ではちゃんと展開しているようでも、言ってみれば4~8倍速のコマ送りをしているようなもの。記録が追い付かない。
認知機能の低下。ボケの始まり。
ただ、これを「悲観する」、とか、「悲嘆に暮れてしまう」、というのは間違いだと思う。自分の頭だ、買い替えは効かない。だましだまし使わねば。
でなければ、これから生きている間中、ずっと減点という意識ばかりが重なるようになり、行動範囲を自ら狭めるばかりになる。
結果、生きることに後ろ向きになるしかない。
それじゃ死ぬとき、寂しすぎるじゃないか。
「危ないから、免許は返納せよ」、「いずれ転ぶようになるから、今のうちに家中に手すりを付けよ」等の「転ばぬ先の杖」の発想は、前向きであってこそ効力を発揮する。
最悪のことばかりを考え、準備を完璧にして安心する(=停滞する、澱む)と、人も物も、いや、考え方だって、腐る。
「時よとまれ!お前はあまりにも美しい!」と思った瞬間、ファウスト博士はメフィストに魂を奪われる。
戦闘の後、瀕死の重傷を負った馬賊が、「オレの背中を見てくれ。鉄砲傷があるか!」と、敵に背を向けることなく戦ったことを誇って絶命した、という。
ボケて来たからといって次々に行動範囲を狭めて行くより、前向きに生きたい。
もう一つついでに。
片岡義男の小説に、心臓麻痺を起こして死んだらしい老ライダーが、停められているバイクの十数メートル先に倒れていた、というような描写があった。
クルマでは大事故につながるけれど、バイクの場合は、デスノートみたいに突然その場で倒れて、ということは、あまりないらしい。
激突して、じゃなくて、急にバイクを停め、エンジンを切って、サイドスタンド蹴り出して十数メートル進んで、ってのはなかなかロマンチックで良い。
とは言え、まだ三途の川を渡る気は微塵もない。
いくら考えても、その時何を書こうとしていたのか分からない。
主部と述部が全く別の内容らしい。書いているうちに次のことを書こうと気が急いてしまったんだろう。手の方は逆に普段より反応が鈍い。
もしかして、これは飲酒運転なんかも同じことになっているのかも。
書いたかどうか確かめる(読み直す)こともせず、次のことを書き始めている。
頭の中ではちゃんと展開しているようでも、言ってみれば4~8倍速のコマ送りをしているようなもの。記録が追い付かない。
認知機能の低下。ボケの始まり。
ただ、これを「悲観する」、とか、「悲嘆に暮れてしまう」、というのは間違いだと思う。自分の頭だ、買い替えは効かない。だましだまし使わねば。
でなければ、これから生きている間中、ずっと減点という意識ばかりが重なるようになり、行動範囲を自ら狭めるばかりになる。
結果、生きることに後ろ向きになるしかない。
それじゃ死ぬとき、寂しすぎるじゃないか。
「危ないから、免許は返納せよ」、「いずれ転ぶようになるから、今のうちに家中に手すりを付けよ」等の「転ばぬ先の杖」の発想は、前向きであってこそ効力を発揮する。
最悪のことばかりを考え、準備を完璧にして安心する(=停滞する、澱む)と、人も物も、いや、考え方だって、腐る。
「時よとまれ!お前はあまりにも美しい!」と思った瞬間、ファウスト博士はメフィストに魂を奪われる。
戦闘の後、瀕死の重傷を負った馬賊が、「オレの背中を見てくれ。鉄砲傷があるか!」と、敵に背を向けることなく戦ったことを誇って絶命した、という。
ボケて来たからといって次々に行動範囲を狭めて行くより、前向きに生きたい。
もう一つついでに。
片岡義男の小説に、心臓麻痺を起こして死んだらしい老ライダーが、停められているバイクの十数メートル先に倒れていた、というような描写があった。
クルマでは大事故につながるけれど、バイクの場合は、デスノートみたいに突然その場で倒れて、ということは、あまりないらしい。
激突して、じゃなくて、急にバイクを停め、エンジンを切って、サイドスタンド蹴り出して十数メートル進んで、ってのはなかなかロマンチックで良い。
とは言え、まだ三途の川を渡る気は微塵もない。