CubとSRと

ただの日記

国民自らの意志で

2019年05月20日 | 重箱の隅
 これは「建国記念の日」に関しての文章ではありますが、
 【「国の在り方」についての、国民の心の持ち様(素朴な在り方)について】
 、の、簡便な説明でもあると思います。
 国の在り方を変えるという事はそれまでの国を滅する、否定する、ということです。
 これまでの国の在り方を、国民自らの意志で変えるということの重大さ。
 国民によって新しく決められた国の在り方で国を運営するという事は、国を作り直すことと同じです。
 そうなるとそこに住む日本人も「新日本人」ということになる。
 その「新しく作られた日本」は「新日本」なのですから。
 中身は同じ?
 「国の在り方を変えるという事はそれまでの国を滅する、否定する」、ということです。
 先人の命をかけての思いを否定する。
 ・・・・・・・・・・・・・・
 ~「二月十一日」は、戦前、「紀元節」と呼ばれて盛大な祝日でしたが、大東亜戦争敗北の結果、占領軍によって廃絶されたことは有名な話ですので、いま改めて述べません。未曾有の大戦に敗れ、遂に外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても、その後、もしも祖国「日本」の「建国」を記念する日を、国民みずからの手で、新たに敗戦の日や、戦後の或る日に決められたとすれば、それは堪えがたい恥辱であり、亡国の残民として、首陽山に隠遁とまでは申しませんが、少なくとも私自身は大学における歴史の教壇を去る覚悟でありました。
 「建国記念の日」をめぐる論争
 (一部のみ、転載)
                (田中卓評論集4  第二十章より)
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 「外敵に膝を屈したのは致し方ないとしても」
 日本の「建国」を敗戦の日や戦後の「或る日」に決められたとしたら、恥辱であるのは言うまでもないが、更に(それまでの日本はなくなったということなのだから)亡国の民となるのだ。
 (国を失った者が、一体、何の歴史を教えるのか。だから)教壇を去るしか選択肢は、ない。
 これが歴史学者の在り方、でしょう。
 正しい歴史認識を持ち、伝統を次代につなぐ。「統」を伝える。「建国記念の日」を敗戦後の日、とすると、統は途絶える。
 「日本の国を護る」ということの主は「日本の国を(国民に)正しく伝える」ということです。
 そのために、確かに、武力、経済力等の攻撃から、「国を守る」ための手段も必要になってくる。
 けれど、繰り返しますが、「本」は伝統を正しく伝えるということです。
 隣国のように、本末が転倒してしまって、「国民の胃袋を守るために」武力、経済力で国を守る、となったのでは、他国は傍迷惑なだけです。
 伝統を正しく伝え、継いでいくために、何ができるか。
・・・・・・
 日本は皇国であるということ。日本には皇室がある、ということ。
 これが日本の、これまでの「国の在り方」です。
 女性天皇はあっても、女系天皇はその皇室を崩壊させることにつながる(皇室が複数出現する可能性)から、国の在り方を変えることになるおそれがあるため、これまで否定されてきました。




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