CubとSRと

ただの日記

「韓国が反日である理由」

2020年06月19日 | 心の持ち様
2014.10/19 (Sun)

 これは案外、「知っている人は知っている」、程度でしかないんじゃないでしょうか。
 それどころか
 「え~っ?韓国が反日ぃ~?それ一部の人だけでしょ?」
 「そんなこともあるかもしれないけど、本心は大体の人、日本が好きだって言ってたよ、韓国の友達が。」
 なんてこと言う人、結構いるんじゃないでしょうか。

 ところが、元々は反日思想に凝り固まっていたけど、日本を研究するうちにそれは間違いだった、と「考えが変わった(改めた、ではなく)」呉善花氏が、とても分かり易く説明されています。
 まずはその部分転載を。

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 「韓国は反日を国是として建国を果たした」

                     (略)

 黄
  ~戦前、日本と韓国が一緒になっていた時代の韓国では、そんなに反日が強くなかった。私は関連の本を多数読んでいますから、戦前の韓国には反日の人もいたけれど、親日の人が多数いたことはまぎれもない事実だと知っています。ですから、親日派韓国人の主張を聞くと、「なるほど」とよく納得できるんです。それが戦後、なぜ一気に、誰も彼もが反日だというように変わってしまったんですか?その理由をぜひとも聞きたいんです。

 呉
  一九四五年八月一五日、韓国は反日主義を大義名分として独立国家を形成しました。ここが肝心なところです。国家としての大義名分とはもちろん、すべての国民が守るべき根本的な道理、節義、筋道のことです。反日主義という大義名分が建国の精神を支えたということですね。
 日本敗戦から韓国建国(四八年八月)までの三年間には激しい権力闘争がありましたが、結果的に強固な反日主義者が政治的な実権を掌握していくなかで韓国が建国されました。
 韓国では、大韓民国(韓国)は戦前に中国の重慶にあった「大韓民国臨時政府」を継承する国家だとしています。そのことは憲法の前文で「悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は三・一運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」を継承すると、はっきり明記しています。
 「大韓民国臨時政府」は、一九一九年に起きた三・一独立運動を契機として、李承晩、金九など、当時中国にいた反日独立運動家たちによって設立された政治団体です。この一政治団体に過ぎない「大韓民国臨時政府」を、正統政府として認めて継承した国家が今の韓国です。彼らは国内で活動していたわけではなく、長らく外国に住んでいた一握りの知識人たちですから、いうまでもなく韓国内で影響力をもっていたわけではありません。それなのに、彼らの勢力を中心に建国がなされたのは、何よりも軍事政権下で米ソ対立が深まっていったことによります。
 軍政を敷いたアメリカは、国内の親日派勢力が力をもてないようにし、同時に「大韓民国臨時政府」の正統性を認めませんでしたが、彼らのなかでももっとも強固な親米・反共論者である李承晩を全面的にバックアップしていきました。このアメリカの強力な後押しを受けて李承晩は、有力な政敵を次々に排除して政治的主導権をにぎることができたのです。
 南朝鮮単独の総選挙で成立した議会は、李承晩を大統領に選び、憲法を制定し、同時に「反民族行為処罰法」という法律を制定しました。李承晩はこの法律を使って、新政府の要職にあった親日政治家たちを検挙するという形で、事実上政権から追放していきました。ですから建国直後には、親日派政治勢力はほとんど力を失っていたわけです。
 これで韓国は「韓国の独立は、大韓民国臨時政府が主導した反日独立運動の戦いで勝ち取ったもの」という反日主義を大義名分として手に入れました。しかし実際には日本の敗戦によって自動的に独立したのですから、国論を統一するにはこの大義名分を歴史的な真実としていかなくてはなりません。そのため新政府は、「日本帝国主義の侵略に対して、我々は果敢に反日独立運動をもって戦い、独立を自ら勝ち取ってきた」という、史実をねじ曲げた歴史をつくり上げ、これを国民に対して徹底して教育・宣伝していったわけです。

 以後の政権も同じことでしたから、これによって国民の間に広く根付いていったのが反日民族主義です。韓国の民族主義は反日と不可分の民族主義だということ、韓国の反日主義は建国の精神を支える大義名分であるということ、そこが中国の反日主義とは決定的に異なるところです。
 ただ、、反日を大義名分としても、今のように親日派一掃といった政策はありませんでした。現実には、日本の統治に協力して政治・経済を担ってきた親日派の人たちを重用し、新国家の建設を推進していったんです。かつてはそういう二重性があったんですが、文民政権以後はそうした二重性を批判して、反日主義をより徹底化させていったんです。

               呉善花 黄文雄 石平 鼎談
            「日本人の恩を忘れた中国人・韓国人の心の闇」より
                                       -徳間書店ー

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 日本の敗戦時、併合されていた朝鮮はアメリカの軍政下で保護国となりました。当然近々に独立させるつもり。
 ちなみに日本の独立は七年後の昭和27年。韓国建国は昭和23年。韓国の方が先に「独立国」になってる!
 けれど、すぐに朝鮮戦争が起きます。
 北朝鮮は、だから「独立戦争を経て独立した」。内輪の話ですけどね。
 前後しますが、昭和23年の独立時のことを文中で呉善花氏が説明されたところによると、それまでシナにいた反日独立運動家達を「大韓民国の初め」の人々というしかなかった。それもまさかアメリカから独立したとは言えないし、その時点では北朝鮮から独立というのもおかしい。何しろ独立のための戦いなんてしてないんだから。そんな風に説かれてます。
 確かに。独立のための戦いなしで、いきなり二度目の「棚ぼた独立」。
 反日運動家が始めた行動精神が、建国の精神なわけだから、当然、「反日」は建国の精神でもある。
 「特定の国を嫌うことを建国の精神にする」なんて変な国です。異常だと思う。

 その異常な国に「大人の対応を」、って・・・・。変ですよ。
 「生まれた時から嫌いだ」と言ってるのに、「あなたを嫌いなのは家訓なの」と言ってるのに、「まあ、そんなこと言わずに」、って接近しようとしてるんでしょう?日本は。それも変です。
 「いいじゃあ、ないの~」、「だめよ~、だめだめ!」日本は変態オヤジか。

 というわけで、「じゃ、日本から独立した、ということにしよう」。
 で、戦った証拠として、「竹島を武力で奪還したのが独立戦争の証拠だ!」って。
 そして、それを国民に「輝かしい勝利の証しだ、こうやって我らはにっくき日本から独立を勝ち取ったのだ!」と学校で教える。
 ホントは以前に書いたように、李承晩がアメリカに、「対馬と竹島を自国領に」、と嘆願したけど許可されず、竹島だけドサクサまぎれに地図上に線を引いただけのことだった。
 ・・・・・セコイなぁ、と改めて思う。同時に、だから竹島は決して手放せないんだな、とも思う。手放したら、独立したという「証拠」がなくなっちゃう。

 アメリカ子飼いの李承晩を、アメリカが精一杯後押しして何とか国論をまとめさせることに成功し、独立させた。
 けど、その内実、国の運営は「親日派にお願い!」、だった。朝鮮総督府で上級官僚として日本人の部下を指揮していた朝鮮人が、全てを切りまわして独立後の韓国を経営していた。
 アメリカの威を借る李承晩が、元朝鮮総督府官僚を手足として扱き使う(揉み手してお願いする、かな?)構図。
 それを金大中以降の文民政権は、いとも簡単に「用済み」として切り捨てていった。・・・・・といったところでしょうか。酷い話です。

 少なくとも日本の行政を学んだ優秀な役人が、国の運営を確実なものにしていったんでしょう?
 日本に、とは言わないけど(ホントは言ってもおかしくないんですよ)、せめて彼等、併合時の役人(朝鮮人上級官僚)達に感謝すべきではないのか。それなのに「親日罪」だなんて。儒教には「恩義」なんて概念はないのか。

 ・・・・ないんでしょうね。やっぱり小中華。彼らにしてみれば日本はただの「蛮族」。
 勿論、「彼等」というのは金大中以降の文民政治家ですよ。
 「国家とは何か」
 「国民のために何を行なうのが政治なのか」

 文民政治家になくてはならないもの。それはやっぱり「大志」と「公平無私」の信念でしょう。
 でも、文民政治家、って彼の国も我が国も、「目先の利権」「公私混同」、の「何だかなぁ~」の人が相当いるような。
 
 ということで、次回はまた佐々氏の「私を通り過ぎた政治家たち」から、文民政治家K氏のことを。

コメント
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