CubとSRと

ただの日記

文民政治家の在り方

2020年06月18日 | 重箱の隅
2014.10/23 (Thu)

 「乱世の英雄」は平時の邪魔者、みたいな扱いです。西郷隆盛然り。

 まあ、そりゃそうですね。平時に軍服、軍装の政治家、となると誰だってちょっと身構える。
 でも、随分身勝手だと思いますよ、それって。だっていざという時に守ってもらうんでしょう?
 軍服着ていてこそ軍人。なのに平時に見ると「こわ~い」だなんて。

 強面(こわもて)は頼りがいはあるけど、普段はうっとおしい。だから、こわもてだけれど意外に笑うと優しそうな顔になる、なんてので評判が変わる。そういった人が人気がある。故浜田幸一氏とか。
 ビートたけしも言ってました。「ホントにおかしいのはやくざの人のギャグだ」、って。いきなり、「静かにしろ!」とどすを聞かせるんじゃなくて、「静かにしろぉ~い!ズボン」って自分のはいてる白いズボンを指さすと、こわいけどおかしい。いや、こわいからこそおかしい。・・・あれ?何書いてんだ?

 その辺、分かってる人は分かってるんですね。演習の時ニコニコしている自衛官なんていない。近寄り難いのが普通です。けど、その自衛官が演習でない時に優しい表情を浮かべ、丁寧に話すところを見た人は一遍にファンになる。

 そのギャップともう一つ大事なことは(いやこれこそ、一番大事なことです)、軍人は敵の命を奪うことが仕事と見られますが、軍人は「
国を護るのが仕事」であり、そのために、「命を奪うのは最後の手段」であり、「敵軍も同じことを考えて戦っているのだと実感」していること、です。
 言い換えれば、味方の兵の命を大事にすると同時に、敵兵の命も、決して虫けらのようには思っていない、ということです。
 自他ともに命を大事にするのは、文民政治家より、却って軍人の方なんです。
 だけど、「~君のお父さんは自衛隊です。自衛隊は人を殺すのが仕事です」、なんて学校で教えられたりする。「国を護る」が見事に無視されている。

 政治家にも「ヒゲの隊長」みたいな人もいれば、人の命なんて何とも思ってない人もいる。国民だって何かにつけて「税金ガー」とばかり言って政治家の揚げ足取りに終始するのも、いる。
 確かに自衛隊の上級幹部だって「目的のためには手段は選ばない。敵は虫けらだ」、と思っている社会主義思想そのものの持ち主もいます。
 けれど、大志のない文民政治家の、人を人とも思わないような扱い振りに比べたら数十倍マシかも知れません。
 文民政治家は理で動く。だから腹黒くなるのは当然。そして、だから大志があれば、だから無私無欲ならば、最高です。
 軍人は人の命を第一に考える。しかし、情に流されて大局を失念しやすい。腹はきれいです。その分危うい。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
      「加藤紘一における人間の研究」

 一見きれいに見えるけど、実態は異なる政治家となると、三木武夫氏と並んで加藤紘一氏を挙げざるを得ない。
 外交官出身でハト派で政策通然とした物言いはいかにもスマート、政治改革の旗手、清廉潔白なニューリーダーで「二十一世紀の総理・総裁候補」と期待されていた。盟友関係にあった山崎拓氏、小泉純一郎氏と加藤氏でYKKと呼ばれて、将来を嘱望される政治家だった。

 彼は1960年(昭和35年)の第一次安保のとき、国会に突入してきた全学連の指導者である。私はその頃、国会を警備する側で、国会議事堂の南通用門にいて、投石を浴びていた。
 デモ隊は国会に突入をしたものの、はて、何にもすることがないというので、加藤氏はお父さん(衆議院議員・加藤精三氏)の控室に行ったという。
                    (略)
 派閥ごとに大臣の椅子の数が割り振られたにしても、加藤氏は安保反対で反米・国会に突入したような人物だ。「他のポストならお受けしますが」と辞退すればいいはずだ。環境庁長官あたりなら不思議も不信もない。ところが、こともあろうに防衛庁長官、かつて自分が反対していた日米安保条約の責任者である。よく引き受けたものだと、私には理解できなかった。
 安保反対で、しかも親中派なのに、防衛庁長官を引き受けるという非常識。大臣という肩書のためには思想信条など忘れておこうという打算が働いたのだと見られても仕方があるまい。
                    (略)
 第一空挺団は陸上自衛隊の最精鋭部隊で、毎年一月上旬に行われる「降下初め」では、大型ヘリコプターCH-47やC-1輸送機から空挺隊員が次々と落下傘降下したり、陸空での模擬戦が行われたりする。さらには上半身裸になった隊員が、防衛庁長官を担いで練り歩くのが恒例になっている。
 加藤氏、庁舎に帰ってきてどんな感想を漏らすかと思っていたら、
 「カルチャーショックだよ。日本にもあんな野蛮なのがいたんですか」
と開口一番、宣うたのである。有事にあっては、命をかけて敵地に果敢に降下する精鋭たちである。厳しい訓練に明け暮れ、いざというときには死ぬ覚悟の隊員たちに囲まれたときの感想が「野蛮人」だの「カルチャーショック」だのと、防衛庁長官たるものが口にする言葉ではない。
                    (略)

 「私用を諫めると怒り出した加藤紘一」
 防衛庁長官当時の加藤氏は、あらゆる派閥の会合、とくに夜の宴会に実にこまめに顔を出していた。当時政界再編のような動きもあったから、赤坂だの新橋だのと一晩に七つも八つもかけ持ちするのだ。問題はその際に大臣公用車を使うことだった。
 大臣公用車となると、運転手、秘書官、副官、護衛官(SP)とみんな付き合わされることになる。夜遅くまでの宴会行脚のために、運転手やSPは帰宅できなくて、甚だしいときは一週間も車庫に泊まり込みになって、奥さんが着替えを持って届けに来るほどだった。
 また私用のゴルフにもSPを連れていった。SPはゴルフシューズではなく、普通の靴で歩くのだから「芝を傷める」とゴルフ場から苦情が寄せられたりもした。さらに「若造の大臣に武装護衛が二名もついてくるというのは、やりすぎではないか」とゴルフクラブのメンバーが不愉快に思っているという声も届いていた。
 そのうちに、疲れ果てた運転手が防衛庁正門で衝突事故を起こしそうになるわ、側近一同が揃って転属願いを申し出て来るわで、加藤氏への忠告・諫言役が私のところへ回ってきた。そのころ私は防衛施設庁長官で、かつての香港領事館では加藤氏が部下だったこともある。そんな関係もあって、私がその役をすることになったのだ。
 私は昼間にアポを取った上で、真正面からこう諫言した。
 「公務であれば秘書官もSPも、九州だろうが北海道だろうがお伴します。しかし、党務、閥務、ナイトクラブやゴルフ場のような私用には公用車は使わないでください。宮澤派の車や事務所の車をお持ちでしょう。それにゴルフ場でSPを連れてコースを歩いている人は、総理をはじめ誰もいません。芝を傷めたり、ほかのメンバーからの批判がありますから、ゴルフコースへSPを連れていくのはやめてください。SPや秘書官は週に三、四回も車庫に泊まっている有様です。彼らにも家族がいるんだから、思いやりを持っていただきたい」
 それを聞くや加藤氏、血相を変えて怒りだした。
 「あなたはSPを使って私の私的な行動を探っているんですか!それともSPが言いつけたんですか?」
 と、見当違いのことを難詰するのである。
 「いいえ、違います。これは指導者論として申し上げているんです。大臣が私的に使っていることはみんなが知っていて、みんなが困っています。SPは決して私なんかに言いつけたりはしません。彼らはいざというとき、体を張って大臣を守ってくれる役目なのですから、大事にしてやってください」
 そう諫めると加藤氏は、
 「彼らはそれで給料をもらっているのでしょう」と大声で言った。思い上がりも甚だしい。運転手、秘書官、副官、SPといった人々を、加藤氏はあたかも身分の低い役人、「地下人」と見ているのだ。
 しかもそれで収まるかと思ったら、警護課長から電話がかかってきた。
 「うちのSPは何をしたのでしょうか?長官が更迭しろと言ってきてるんですが」
 「いやいや、S警部補は立派な護衛官で、彼には何の落ち度もありません。大臣が悪いんですから代えなくていいですよ」と答えたのだが、ほどなくしてS警部補は、なんと警察を辞めてしまったのである。
 大臣の秘書官、護衛官は特別に選抜されて任務に就いている精鋭たちだ。その立派な警部補が辞めてしまったとなると「上に立つ者としては反省しなくてはいけません」と改めて諫言したところ、「私は辞めろと言った覚えはない」と、まさにしゃあしゃあと答えたのである。
 
                      
    「私を通りすぎた政治家たち」より
                         佐々淳行 著 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 文民政治家なんだから警備の道理、なんて知りません。当然です。
 これはあらゆる専門分野に関して言えることです。専門家のやっていることに素人が口出しなんかするものではない。大事なことはその専門家を信頼し、その方面のことを全て託すことです。そして「責任はオレが取る」、と。
 そこで専門家は「意気に感じて」命懸けで事に当たります。
 その結果、責任のみならず、専門家の能力を最大限に引き出したことによって、その政治家は専門家の能力への讃辞を政治家自身も同じく受けることになる。
 「政治主導だ」などと声高に叫び、政治家が先頭に立って何かにつけ号令をかけ、指示をするとどうなるか、三年前の人災が雄弁に物語っています。 
 人気取りではなく、この加藤氏のように、踏ん反り返って、他人を手足のように使うことを自身の能力の故、と思う人物に至っては何をか言わんや、です。
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十を聞いて一を知る

2020年06月18日 | 心の持ち様
2014.10/27 (Mon)

 「一を聞いて十を知る」、なんて言いますけど、そんな人、一体どれだけいるんでしょう。
 残念ながら私は、私も含めて(当たり前?はいはい)そんな人にあったことがない。
 まあ、居たにしたって私のような凡人には、そう簡単には分からないんでしょうけどね。

 大体、「知る=分かる」程度の認識じゃ大まか過ぎて何にもならない。それに分かったって、できなけりゃしょうがないでしょう。
 また、「居た」、にしたって大勢に影響を与えることなんか、ないでしょう。そんな俊敏な者に大衆は「ついていけない」。
 彼のところまでの道程が見えない、道が途切れて見える、「道がない!どうやって行ったらいいんだ」、的な感覚しか持てないでしょうから。
 イエスについて行った人の大半が、女の人や子供だった、というのも分かるような気がします。大人の男は小心(と言って悪ければ『思慮深い』と言いましょうか)だから、「見えない道に踏み出す勇気は蛮勇だ、リスクが大き過ぎる」、と観念している。だから、ついて行けない。ついて行くようになったのはイエスの死後です。
 あ、脱線しました。

 「一を聞いて十を知る」という場合の「知る」というのは、「知識を得る」ということではなく、「分かる」「理解する」という意味だということは、御承知の通りです。

 「一を聞いて十を知る」。概要の説明を聞いただけで、その仕組みから目的までも把握してしまう。
 これを
 「知っていることは知っている、と。又、知らないことは知らないと判別できることが『知る』ということだ」
 、と分かり易く言い直したら、この微妙な『知る』という感覚が一遍に
 「分かることは分かる。分からないことは分からないとはっきり言う、正直さが第一」
 みたいな生活訓になって、「知る」の本意はどこかに吹っ飛んでしまいます。

 「人は普通、十を聞いて一を知るものだが、私は拳法に関しては一を聞いたら一を知る。時には、『二』まで分かったり、できたりするものだから、師匠が驚いていた」
 、といったようなことを、少林寺拳法の初代、宗道臣氏が書いていたのを読んだ覚えがあります。そのせいもあってか、「少林寺拳法は習えばすぐ使えるようになる」というのが、初期の宣伝文句だったようです。

 「一を聞いて十を知る」
 これ、生活訓にしてしまったら、それこそ「十を聞いて一を知る」、くらいな軽さになってしまう。
 「習えばすぐ使えるようになる」
 これも「こつこつと働いて金を貯める」、じゃないけれど、習ってすぐ使えるようになるのは一部の人だけで、「こつこつと習練し、修練を続けていく」ことでつくられる性格、人格のことを考えたら、一体どんなものなんでしょう。
 学業だって他の習い事だって「習ってすぐ、分かり、使えるようになる」ことって、本当にあるんでしょうか。

 インターネットで「欲しい情報は即座に手に入る」ようには、なりました。スマホ、持ってれば、大概のことは片が付きます。
 けど、そうやって、楽勝で、少しも苦労することなく手に入れた知識ってどうなんでしょう。
 本読んで、十あることの一だけ留めた記憶と、十ある知識の肝腎な一、だけを取り出して提示してくれるインターネットの情報と。
 信用できるのは間違いなくネットの情報です。それにうまくまとめられているし、内容も深い。
 対してまともに動きもしない頭(己の能力の範囲)、で捉えたピント外れの(かもしれない)知識と、信用できるのはどちらか。
 そりゃもう、言うまでもない。ネットの知識の方が圧倒的に信頼できます。

 けど、一番肝腎なこと。
 それは、そこで本人がどれだけ能動的に関わったか、ということです。
 該博な、或いは精緻な知識を得たって、自分自身の頭の中で、こつこつと何度も何度も衝きあわせ、考え直し、整理し、自分の考え方に折り合いをつけていくのに、どれだけ時間がかかるのでしょう。
 考えを繰り返すことで、考え直すことで、折り合いをつける。折り合いをつけてからも何度も考える。
 そのうちに「折り合い」という打算みたいなものから、新しい何かが生まれる。

 早い話、正拳突きの形を習って、「まともな」、「威力ある」突きが出来上がるのに、どれだけ時間がかかるのか。「習ったらすぐに使える(正拳突きが見事にできる)」、なんてあり得るんでしょうか。考え方だって同じです。
 「知識のまとめ」が出来上がるのにどれだけ時間がかかるのか。繰り返し繰り返しの、飽くなき思考の積み重ねがなければ、(たった一度か二度、「ちょっと考えた」くらいでは)、いつまでたっても「己の能力の範囲」は拡張できないし、高次に発展することもない。

 私が読まれもしない日記を、こうやって書き続けるのも、きっとそういうことを自分自身に言い聞かせていかなければ、と思っているからなんじゃないかと思います。
 

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教育勅語、読んだことあります?

2020年06月18日 | 心の持ち様
2014.10/25 (Sat)

 「道徳」と「修身」。

 何だか何年か前に流行りましたね。「賞味期限が切れた」という言い方。
 食べ物だけではない、何でもかんでも理屈じゃなく「賞味期限」の一言で切り捨ててしまうやり方。
 一昔前には、いやいや二昔、三昔?「「そんなの時代遅れだよ」って言ってましたが。
 「賞味期限が切れた」。食品の産地、製造技術等の偽装、が問題になってからでしょうか。「タレントとしては賞味期限過ぎてるんじゃないの?」なんて。

 考えてみれば随分失礼な言い方です。見下してるでしょう?
 思いますよ、「そう言うあなたは、どなた様?」、じゃなかった、「あんたなに様?」
 いや、言ったって良いとは思いますよ、場合によっては心を鬼にして言わねばならない時もあるでしょう。
 その人のことを真剣に思い遣るのなら、「嫌われても良い、敢えて言わねばならない時もある」。
 それはとても大事だと思います。敢えて見下すようにして、相手に対して苦言を呈するんです。
 「賞味期限、過ぎてるんじゃないの?」と言っといて、「それでほんとうにいいのか。お前の力ってこんなもんだったのか」と奮起を促す。
 でもまあ現実には、人間てのは、程度の差はあれ、それなりに人生懸けて何かに取り組んでいるんでしょう?その必死さが人をつくるんですから、「賞味期限」、だなんて素材が全てを決めるような言い方、安易に人に対して使うべきじゃあない、とは思いますけどね。
 「自民党は賞味期限が切れた政党だ」、なんてのも聞きました。そんなこと、今、聞くことはないんですけど、一度切れた賞味期限が回復、なんて、あるわけがない。やはり、こんな表現の仕方は変です。

 「道徳」に対する「修身」も、そういう扱いを受けてきました。
 私は経験者ではないので実感はないのですが、
「修身だって?!カビの生えた様なことを。そんなの戦前の軍国主義の遺物だろう?」
 みたいに言われるのが嫌で、段々に「修身を習った」、なんて年寄りは言わなくなった。
 雰囲気の問題なんですよ、戦後は
「修身って、『身を修める』ってことだろ?自分のことしか考えてないじゃないか。そんな小っちゃいこと言ってないで、社会へ参加するんだから『道徳』というひとまわり大きな見方をしなきゃ、世界人になれないだろ?」
 と、字面だけで何となく軽重をつけて、「修身=後ろ向き」「道徳=前向き」のイメージづくりが為されてきた。
 「身を修め、社会の役に立つ人間になろう」という謙虚な考え方と、「道徳→社会に参加する際の心構え」という義務に近い意識、とでも言いましょうか。
 「道徳」という言葉はいかにも昔からの日本語ですが、その概念は西欧の「エチケット」や「ヒューマニズム」に近いんじゃないでしょうか。

 何だかどんどんあらぬ方向へ話がずれていってしまいました。「何となく」、ちゃんと見つめもしないで決めつけてしまう事が多いんじゃあないか、この教育勅語だって、大方の人はただの一度も読みもしないで、「時代の遺物」「軍国主義」「反民主主義」と決めつけているんじゃないか、いやいや、教育勅語は意味があると言ってる人だって、実際のところ、向き合って小一時間、この文章と対話をしてみたことはあるんだろうか、なんて思ったんです。

 で、まずは一度読んでみようじゃないか、読みもしないで、読めもしないでとやかくは言えないだろう、朗読もしないで文意を体感なんてできないだろう、ということで、一度は原文を日記に載せてみたい、と思ってました。
 ということで、原文です。一度声に出してどうぞ。 

 朕惟フニ、我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ。
 我カ臣民、克ク忠ニ、克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育の淵源亦實ニ此ニ存ス。

 爾臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ、朋友相信シ、恭儉己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ、世務ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ、國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。是ノ如キハ、獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。

 斯ノ道ハ、實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス。朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、咸)其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ。

  明治二十三年十月三十日

    御名 御璽



 どうです?読めましたか?
 「やっぱり、皇室讃美の軍国主義だ」と思われた人があれば、それは違う、と言っておきましょう。
 何故なら最後にこんな言葉があるからです。
 「朕(ちん)爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ、咸(みな)其(その)徳ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。」
 これは天皇が国民と共に真摯にこれを行なうことを明言した文章です。
 「ああしろ」「こうしろ」というのは世界中の指導者一般の言い方だけれど、「自分も一緒にするから」、というのは他に聞いたことがありません。

 そして、何回か文章を読めば、これが軍国主義でも皇室讃美でもないことが分かります。
「ウソつけ。『天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。』って書いてるじゃないか。軍国主義で、皇室讃美じゃないか」
 なんてこと、言いそうな人、いますよ。「天壌無窮」とか「皇運」って言葉に反応する。
 でも「天壌無窮」って「天地と窮まることなく(栄えること)」(天地と同じくどこまでも、の意)で、決して「覇権」を意味する言葉ではありません。自国が栄えることを望まない、適当でいいとか、滅びゆくことを希求する国がどこにあるでしょうか。
 また「皇運」の「皇」は「皇室」の意味ではなく「皇国」、つまり「(我が)国」を指す言葉で、これまた決して社会主義者が言うところの「天皇家」の繁栄を意味する言葉でもありません。

 では、改めて、以下の「教育に関する勅語」を御覧ください。


 朕(ちん)惟(おも)フニ、我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ徳(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
 我カ臣民、克(よ)ク忠ニ、克(よ)ク孝ニ、億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ、教育の淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存(そん)ス。

 爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟(けいてい)ニ友ニ夫婦相(あい)和(わ)シ、朋友(ほうゆう)相(あい)信シ、恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持シ、博愛衆(しゅう)ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發(けいはつ)シ、徳器(とっき)ヲ成就シ、進(すすん)テ公益ヲ廣(ひろ)メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)シ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ、以(もっ)テ天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是(かく)ノ如キハ、獨(ひと)リ朕カ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラス、又(また)以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足ラン。

 斯(こ)ノ道ハ、實(じつ)ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守スヘキ所、之(これ)ヲ古今ニ通(つう)シテ謬(あやま)ラス、之ヲ中外(ちゅうがい)ニ施シテ悖(もと)ラス。朕(ちん)爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ、咸(みな)其(その)徳ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

  明治二十三年十月三十日

   御名 御璽
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安全弁

2020年06月18日 | 日々の暮らし
2014.10/30 (Thu)

 どうでもいい話ですよ。
 もう二週間も前に書いていた、ただの日記です。
 「暇つぶしに読むか、な」
 という方だけどうぞ。


 先日、免許証の更新をするようにという葉書が来たんです。
 田舎に帰ってから二回目の更新になる。
 「何とかうまく都合をつけて行かなきゃならんな」
 と思いながら、葉書を剥がしてみると、「区分」というところが「5年」になっている。

 十数年前に「5年」と書かれた金色ラインの免許証になったんです。
 ところが、なって数週間で一時停止違反をしてしまった。
 だからと言って5年が3年に書き換えられるわけじゃない。
 ・・・・・だったんですが。

 半年後だったか、バイクの大型免許を取ったんですよ。
 前の違反は三ヶ月で消えるわけだから、別に気にもしてなかったんですが、違反は消えても、それまでの無違反の結果の金色ラインまで消えてしまうとは思いもしなかった。
 「大自二」のところが「0」から「1」になったのと引き換えに。金色は青色に逆戻り。

 それ以来、金色の免許は持ったことがありません。まあ、見事に三年毎の更新になった。
 世話になってるバイク店の話では、5年になっても、これからはそう簡単に金色にはならないんだ、とか。

 で、もう生きてる間にはお目に掛かれないのかな、と思ってました。
 実際そうなんでしょうけど。でも、5年の免許も、もうお目に掛かれないんだろうと、何となく思ってました。いつも不思議なくらい捕まるんですよね~。

 直近の違反。
 「例によって」、というか「鈍い」、というか「野生の勘がない都会人(!)」というか、張ってるのを全く気付かず、40キロ制限のところを20数キロオーバーしてしまった。
 車を買って、必要に迫られているからとはいえ、車ばかり乗っていて、その車での用事は午前中に済ませ、偶然に訪れた、「天気も良し、用もなし」という「魔の午後」。バイクに乗らないわけにはいかないでしょう??
 

 久し振りで気持ちがいい。
 R1100RSで「調子に乗るなよ」と思いながら、車のほとんどいない田舎道を走っていた。
 郊外の集落に入る辺りで40キロ制限になっていたんですよね。それは知ってた。でも、気持ちよく流してた。速度計なんか見てない。

 「飛んで火に入る夏の虫」、です。晩秋だったけど。
 イルカの餌のイワシ状態、でしょうか。二十数キロ違反だって大量に検挙すれば業績を上げた、ということになるんでしょうね。ま、それは良しとしましょう。(田舎に帰って来て捕まったのは4回目。速度違反が三回、見通しの良い丁字路での一時停止違反一回)
 地元のナンバーじゃないし、9万5千キロ余りの中古車だって外車だし。
 で、しばらく世間話をしてその場を離れたけれど、そりゃ癪だった。
 何が癪だった、と言って張ってる姿を全く見なかったんですから。

 当然引き返しましたよ。用事はない、ただ走るだけ、行先は決めてない、だったから。
 「ぐるっと回って30~50キロ走ったらいいや」と思っていた。
 だから、せめて現場は見て置きたい。

 折り返して、どこにいたんだろうと思って、きょろきょろ辺りを見回しながら走ってたら、居ました!民家の軒下に、忍者みたいに壁際に衝立立てて。
 あれじゃ、保護色のカメレオン、野戦時の兵士です。
 もうっ!腹の立つ!!!

 勿論、反省しましたよ。あの程度のカモフラージュに僅か60数キロで走っていて全く気が付かなかった。
 通り過ぎてから「あっ!」とでも思ったのならともかく、停められるまで全く気が付かなかった。それじゃ十分、事故、起こすでしょう。完全に注意力不足。

 「くっそ~っ!ダマされた」「きたない隠れ方しやがって!」と心の中では悪態をつくし、捕まった瞬間は血の気が引いていくのが分かるし。

 理不尽だとかなんだとかいう思いが渦巻いて、そうこうするうちに自分を納得させようとし始める。
 何よりの思いは「捕まらないでここを抜けた時に、事故に遭って来たんじゃないか」、と思い始めること。

 反則金は高いけど、修理代はもっと高い。
 身体の修復に至っては、金ではどうにもならない場合もある。
 そう思ってみると
 「安全弁、ってこれしかないよなぁ」
 という考えに行き着く。
 ABSがついてたって、エアバッグベストを着てたって、安全弁その物にはならない。

 「そんなこと、いっぱいあるなぁ・・・・・・・」
 で、「安全弁」、って本人の能力・気力を殺ぐわけだから、当人はちっとも嬉しくない。
 だから当然「安全弁」は感謝なんかされないし、それどころかみんなに嫌がられるし。でも必要だし・・・・・。う~ん・・・・・。

 そうか!安全弁ってのは、リスクそのものなんだ。
 「これさえあれば、いざという時に安心!」なんて言うけど、安全であればあるほど、反作用としての不快感は大きいんだ。
 早い話、危険だからこそ、ツーリングは楽しいし、疲れるからこそ楽しい。
 捕まった時の不快感も、事故を起こした時の不快感も同じ不快感だ。そんな不快感の上に快感は成り立ってる。
 そうだ。赤ん坊は初めに「驚該」、次は「不快」、それから「快」の感情が形成される。

 要は「同じく不快なら、ツーリングに行かなきゃいいじゃないか。そうすれば不快感は経験しなくて済むだろう?」と言われて頷くか?だな。

 福島原発のベント。原発なんかなくしてしまえばいい・・・のかな?
 それって逆立ちしてないか?
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ハマコーさん・・・・。

2020年06月18日 | 重箱の隅
2014.10/03 (Fri)

 先日届いた本を、早速開いてパラパラとめくってみたらこんな話が載ってました。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
                    (略)

 ~「日本未来の党」の代表にもなった阿部知子氏が社民党の新人議員だったころ、こんなことがあった。
 『TVタックル』に社民党党首の土井たか子氏が出るというのである。
 折しも、北朝鮮の拉致被害者からの手紙を受け取った日本の家族(有本恵子さんの親)が地元選出で北朝鮮とのコネクションがある社会党の土井たか子事務所に「何とか取り返してください」と相談に行ったところ、なしのつぶてで相手にされなかった。
 その手紙はポーランドの消印になっており、北朝鮮を訪問していたポーランド人に頼むなりして、帰国後投函されたものと推察され、「拉致なんかしていない」と主張する北朝鮮にとって、不都合なものであることは誰の目にも明らかだった。
 その貴重な情報を国会議員として有効に活用することもせず握りつぶした。いや、そういう手紙のことを土井さんが、朝鮮総連に伝えた可能性もある。それがために、小泉さんが訪朝して、ようやく北朝鮮は有本さんらの拉致を認めたものの、有本さんは「(同じく拉致被害者の)日本人と結婚、長女も生まれていたが、ガス中毒で一家全員死亡した」ということになってしまったのかもしれない。しかも遺体は洪水で流失したということになったのではないか。
 「拉致などない」といっていた北朝鮮が、そういう手紙の存在を知れば、ヤバイということで、当局によって“消された”可能性も否定できなくなる。

 そういう時に、当の土井たか子氏が番組に来る、相手にとって不足はないと、浜田氏も私も張り切っていたら、「急用でダメになりました」とドタキャンされてしまった。代りに出てきたのが、社民党から衆議院議員に当選したばかりの小児科医・阿部知子氏だった。
 これにはハマコー氏が怒った。
 「何で土井は来ない?こんな女知らないよ。俺は相手にしないよ」などと打ち合わせの場で、ひどく意地悪を言うのである。
 「ハマコーさん、この人仲良くしておいた方がいいと思うよ。何の罪もないんだし、この間、当選したばっかりの小児科の先生ですよ」と私がなだめると、
 「何でだよ?何でオレがこの女大事にするんだよ?」
 「小児科だよ、この先生。もうじき、あなたもだんだんボケてくるからお世話になるんだよ。小児科の先生、大事にしなきゃ」と言うと、
 「あっ、そうだ」と立ち上がり、つかつかっと彼女のところに行った。
 「失礼しました。浜田幸一と申します」

 深々とお辞儀をして挨拶したのだった。笑いや救いのある人で、どこか憎めない素直さがあった。

                    (以下略)

                         佐々淳行
            ~ 「私を通り過ぎた政治家たち」より ~

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 前回の土井たか子氏の話と重なりますが、これもまた、「その時、彼(彼女)はどんな言動を採ったか」ということを見詰めることで、当人の本質把握に近付くことができるという実例になるのではないか。
 土井氏はそれだけの(マスメディアに持て囃されるほどの)人物だったのか。どれほどの高い志を持っていたのか。

 対して、このハマコー氏の下品なほどの人心収攬術、それと義理・人情を大事にする人間性ってのは凄いなあと思います。
 佐々氏、
 「いずれあんたも子供に帰る。子供の面倒を見てくれるのは小児科の先生だろ?」
 という。
 勿論これは冗談です。ホントに子供に帰るわけじゃない。
 第一、こんなハマコー氏みたいな強面(こわもて)の子供、いるわけないし。
 小児科の先生は子供が相手なんであって、子供に帰った大人の診察なんかしない。
 それを百も承知で佐々氏、漫才みたいにピントのずれたツッコミを入れる。
 それに対してハマコー氏も、ちゃんとボケて返す。

 新前でドキドキしながら打ち合わせに参加している阿部議員は、トンだ貧乏くじを引かされたわけなんだ、と佐々氏のツッコミで気付いたハマコー氏の「思い遣り」、ですね、この挨拶は。

 まだ、何も知らないわけですよ。
 思い切り叩きのめしてやろうと手ぐすね引いて待っている強面二人の前に、そんな一年生議員を党首の代わりに行かせようというのは、一体どんな料簡なんでしょう。
 「何だ、この態度は!」と怒るのが当たり前じゃないですか?ドタキャンですよ、ドタキャン。

 「ドタキャン」、ってのは、「やったって怒らないだろう」、と舐めてかかってるからやる。
 どこの国とは言いませんけどね。すぐ近くにあります、二つも。

 じゃ、ハマコー氏も佐々氏も舐められたのか?
 ナメラレたんだと思います?思いませんよ、普通。
 こんなの、いやいや、こんな人相手にドタキャン、ってのは、やっぱり、「敵前逃亡」でしょう。
 「こんなのと一緒に出演するなんていややわ!」でしょう。
 それはそれでいい。
 問題は
 「じゃ、何で一年生議員を出すんだ?」
 ってことですよね。代わりになるのか?
 少なくとも、番組の目論見はこれで潰れました。そうなることは、土井氏、十分承知していた筈です。
 
 これは卑怯です。阿部ちゃんがかわいそうです。だから二人の男は、失望したけど、それ以上は言わず、番組の構成に協力した。
 土井氏、
 「阿部議員が手荒い洗礼を受けるだろうけど、これも政治家としての勉強。結局は二人が上手くまとめてくれるだろう」
 、と読み切っていたんでしょうか。
 もしそうだったとしたら、政治家としてどうなんだろうな、と思います。
 とても自民党の議員を「政治屋」と嘲笑なんかできない。

コメント
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