2014.10/23 (Thu)
「乱世の英雄」は平時の邪魔者、みたいな扱いです。西郷隆盛然り。
まあ、そりゃそうですね。平時に軍服、軍装の政治家、となると誰だってちょっと身構える。
でも、随分身勝手だと思いますよ、それって。だっていざという時に守ってもらうんでしょう?
軍服着ていてこそ軍人。なのに平時に見ると「こわ~い」だなんて。
強面(こわもて)は頼りがいはあるけど、普段はうっとおしい。だから、こわもてだけれど意外に笑うと優しそうな顔になる、なんてので評判が変わる。そういった人が人気がある。故浜田幸一氏とか。
ビートたけしも言ってました。「ホントにおかしいのはやくざの人のギャグだ」、って。いきなり、「静かにしろ!」とどすを聞かせるんじゃなくて、「静かにしろぉ~い!ズボン」って自分のはいてる白いズボンを指さすと、こわいけどおかしい。いや、こわいからこそおかしい。・・・あれ?何書いてんだ?
その辺、分かってる人は分かってるんですね。演習の時ニコニコしている自衛官なんていない。近寄り難いのが普通です。けど、その自衛官が演習でない時に優しい表情を浮かべ、丁寧に話すところを見た人は一遍にファンになる。
そのギャップともう一つ大事なことは(いやこれこそ、一番大事なことです)、軍人は敵の命を奪うことが仕事と見られますが、軍人は「国を護るのが仕事」であり、そのために、「命を奪うのは最後の手段」であり、「敵軍も同じことを考えて戦っているのだと実感」していること、です。
言い換えれば、味方の兵の命を大事にすると同時に、敵兵の命も、決して虫けらのようには思っていない、ということです。
自他ともに命を大事にするのは、文民政治家より、却って軍人の方なんです。
だけど、「~君のお父さんは自衛隊です。自衛隊は人を殺すのが仕事です」、なんて学校で教えられたりする。「国を護る」が見事に無視されている。
政治家にも「ヒゲの隊長」みたいな人もいれば、人の命なんて何とも思ってない人もいる。国民だって何かにつけて「税金ガー」とばかり言って政治家の揚げ足取りに終始するのも、いる。
確かに自衛隊の上級幹部だって「目的のためには手段は選ばない。敵は虫けらだ」、と思っている社会主義思想そのものの持ち主もいます。
けれど、大志のない文民政治家の、人を人とも思わないような扱い振りに比べたら数十倍マシかも知れません。
文民政治家は理で動く。だから腹黒くなるのは当然。そして、だから大志があれば、だから無私無欲ならば、最高です。
軍人は人の命を第一に考える。しかし、情に流されて大局を失念しやすい。腹はきれいです。その分危うい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「加藤紘一における人間の研究」
一見きれいに見えるけど、実態は異なる政治家となると、三木武夫氏と並んで加藤紘一氏を挙げざるを得ない。
外交官出身でハト派で政策通然とした物言いはいかにもスマート、政治改革の旗手、清廉潔白なニューリーダーで「二十一世紀の総理・総裁候補」と期待されていた。盟友関係にあった山崎拓氏、小泉純一郎氏と加藤氏でYKKと呼ばれて、将来を嘱望される政治家だった。
彼は1960年(昭和35年)の第一次安保のとき、国会に突入してきた全学連の指導者である。私はその頃、国会を警備する側で、国会議事堂の南通用門にいて、投石を浴びていた。
デモ隊は国会に突入をしたものの、はて、何にもすることがないというので、加藤氏はお父さん(衆議院議員・加藤精三氏)の控室に行ったという。
(略)
派閥ごとに大臣の椅子の数が割り振られたにしても、加藤氏は安保反対で反米・国会に突入したような人物だ。「他のポストならお受けしますが」と辞退すればいいはずだ。環境庁長官あたりなら不思議も不信もない。ところが、こともあろうに防衛庁長官、かつて自分が反対していた日米安保条約の責任者である。よく引き受けたものだと、私には理解できなかった。
安保反対で、しかも親中派なのに、防衛庁長官を引き受けるという非常識。大臣という肩書のためには思想信条など忘れておこうという打算が働いたのだと見られても仕方があるまい。
(略)
第一空挺団は陸上自衛隊の最精鋭部隊で、毎年一月上旬に行われる「降下初め」では、大型ヘリコプターCH-47やC-1輸送機から空挺隊員が次々と落下傘降下したり、陸空での模擬戦が行われたりする。さらには上半身裸になった隊員が、防衛庁長官を担いで練り歩くのが恒例になっている。
加藤氏、庁舎に帰ってきてどんな感想を漏らすかと思っていたら、
「カルチャーショックだよ。日本にもあんな野蛮なのがいたんですか」
と開口一番、宣うたのである。有事にあっては、命をかけて敵地に果敢に降下する精鋭たちである。厳しい訓練に明け暮れ、いざというときには死ぬ覚悟の隊員たちに囲まれたときの感想が「野蛮人」だの「カルチャーショック」だのと、防衛庁長官たるものが口にする言葉ではない。
(略)
「私用を諫めると怒り出した加藤紘一」
防衛庁長官当時の加藤氏は、あらゆる派閥の会合、とくに夜の宴会に実にこまめに顔を出していた。当時政界再編のような動きもあったから、赤坂だの新橋だのと一晩に七つも八つもかけ持ちするのだ。問題はその際に大臣公用車を使うことだった。
大臣公用車となると、運転手、秘書官、副官、護衛官(SP)とみんな付き合わされることになる。夜遅くまでの宴会行脚のために、運転手やSPは帰宅できなくて、甚だしいときは一週間も車庫に泊まり込みになって、奥さんが着替えを持って届けに来るほどだった。
また私用のゴルフにもSPを連れていった。SPはゴルフシューズではなく、普通の靴で歩くのだから「芝を傷める」とゴルフ場から苦情が寄せられたりもした。さらに「若造の大臣に武装護衛が二名もついてくるというのは、やりすぎではないか」とゴルフクラブのメンバーが不愉快に思っているという声も届いていた。
そのうちに、疲れ果てた運転手が防衛庁正門で衝突事故を起こしそうになるわ、側近一同が揃って転属願いを申し出て来るわで、加藤氏への忠告・諫言役が私のところへ回ってきた。そのころ私は防衛施設庁長官で、かつての香港領事館では加藤氏が部下だったこともある。そんな関係もあって、私がその役をすることになったのだ。
私は昼間にアポを取った上で、真正面からこう諫言した。
「公務であれば秘書官もSPも、九州だろうが北海道だろうがお伴します。しかし、党務、閥務、ナイトクラブやゴルフ場のような私用には公用車は使わないでください。宮澤派の車や事務所の車をお持ちでしょう。それにゴルフ場でSPを連れてコースを歩いている人は、総理をはじめ誰もいません。芝を傷めたり、ほかのメンバーからの批判がありますから、ゴルフコースへSPを連れていくのはやめてください。SPや秘書官は週に三、四回も車庫に泊まっている有様です。彼らにも家族がいるんだから、思いやりを持っていただきたい」
それを聞くや加藤氏、血相を変えて怒りだした。
「あなたはSPを使って私の私的な行動を探っているんですか!それともSPが言いつけたんですか?」
と、見当違いのことを難詰するのである。
「いいえ、違います。これは指導者論として申し上げているんです。大臣が私的に使っていることはみんなが知っていて、みんなが困っています。SPは決して私なんかに言いつけたりはしません。彼らはいざというとき、体を張って大臣を守ってくれる役目なのですから、大事にしてやってください」
そう諫めると加藤氏は、
「彼らはそれで給料をもらっているのでしょう」と大声で言った。思い上がりも甚だしい。運転手、秘書官、副官、SPといった人々を、加藤氏はあたかも身分の低い役人、「地下人」と見ているのだ。
しかもそれで収まるかと思ったら、警護課長から電話がかかってきた。
「うちのSPは何をしたのでしょうか?長官が更迭しろと言ってきてるんですが」
「いやいや、S警部補は立派な護衛官で、彼には何の落ち度もありません。大臣が悪いんですから代えなくていいですよ」と答えたのだが、ほどなくしてS警部補は、なんと警察を辞めてしまったのである。
大臣の秘書官、護衛官は特別に選抜されて任務に就いている精鋭たちだ。その立派な警部補が辞めてしまったとなると「上に立つ者としては反省しなくてはいけません」と改めて諫言したところ、「私は辞めろと言った覚えはない」と、まさにしゃあしゃあと答えたのである。
「私を通りすぎた政治家たち」より
佐々淳行 著
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
文民政治家なんだから警備の道理、なんて知りません。当然です。
これはあらゆる専門分野に関して言えることです。専門家のやっていることに素人が口出しなんかするものではない。大事なことはその専門家を信頼し、その方面のことを全て託すことです。そして「責任はオレが取る」、と。
そこで専門家は「意気に感じて」命懸けで事に当たります。
その結果、責任のみならず、専門家の能力を最大限に引き出したことによって、その政治家は専門家の能力への讃辞を政治家自身も同じく受けることになる。
「政治主導だ」などと声高に叫び、政治家が先頭に立って何かにつけ号令をかけ、指示をするとどうなるか、三年前の人災が雄弁に物語っています。
人気取りではなく、この加藤氏のように、踏ん反り返って、他人を手足のように使うことを自身の能力の故、と思う人物に至っては何をか言わんや、です。
「乱世の英雄」は平時の邪魔者、みたいな扱いです。西郷隆盛然り。
まあ、そりゃそうですね。平時に軍服、軍装の政治家、となると誰だってちょっと身構える。
でも、随分身勝手だと思いますよ、それって。だっていざという時に守ってもらうんでしょう?
軍服着ていてこそ軍人。なのに平時に見ると「こわ~い」だなんて。
強面(こわもて)は頼りがいはあるけど、普段はうっとおしい。だから、こわもてだけれど意外に笑うと優しそうな顔になる、なんてので評判が変わる。そういった人が人気がある。故浜田幸一氏とか。
ビートたけしも言ってました。「ホントにおかしいのはやくざの人のギャグだ」、って。いきなり、「静かにしろ!」とどすを聞かせるんじゃなくて、「静かにしろぉ~い!ズボン」って自分のはいてる白いズボンを指さすと、こわいけどおかしい。いや、こわいからこそおかしい。・・・あれ?何書いてんだ?
その辺、分かってる人は分かってるんですね。演習の時ニコニコしている自衛官なんていない。近寄り難いのが普通です。けど、その自衛官が演習でない時に優しい表情を浮かべ、丁寧に話すところを見た人は一遍にファンになる。
そのギャップともう一つ大事なことは(いやこれこそ、一番大事なことです)、軍人は敵の命を奪うことが仕事と見られますが、軍人は「国を護るのが仕事」であり、そのために、「命を奪うのは最後の手段」であり、「敵軍も同じことを考えて戦っているのだと実感」していること、です。
言い換えれば、味方の兵の命を大事にすると同時に、敵兵の命も、決して虫けらのようには思っていない、ということです。
自他ともに命を大事にするのは、文民政治家より、却って軍人の方なんです。
だけど、「~君のお父さんは自衛隊です。自衛隊は人を殺すのが仕事です」、なんて学校で教えられたりする。「国を護る」が見事に無視されている。
政治家にも「ヒゲの隊長」みたいな人もいれば、人の命なんて何とも思ってない人もいる。国民だって何かにつけて「税金ガー」とばかり言って政治家の揚げ足取りに終始するのも、いる。
確かに自衛隊の上級幹部だって「目的のためには手段は選ばない。敵は虫けらだ」、と思っている社会主義思想そのものの持ち主もいます。
けれど、大志のない文民政治家の、人を人とも思わないような扱い振りに比べたら数十倍マシかも知れません。
文民政治家は理で動く。だから腹黒くなるのは当然。そして、だから大志があれば、だから無私無欲ならば、最高です。
軍人は人の命を第一に考える。しかし、情に流されて大局を失念しやすい。腹はきれいです。その分危うい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「加藤紘一における人間の研究」
一見きれいに見えるけど、実態は異なる政治家となると、三木武夫氏と並んで加藤紘一氏を挙げざるを得ない。
外交官出身でハト派で政策通然とした物言いはいかにもスマート、政治改革の旗手、清廉潔白なニューリーダーで「二十一世紀の総理・総裁候補」と期待されていた。盟友関係にあった山崎拓氏、小泉純一郎氏と加藤氏でYKKと呼ばれて、将来を嘱望される政治家だった。
彼は1960年(昭和35年)の第一次安保のとき、国会に突入してきた全学連の指導者である。私はその頃、国会を警備する側で、国会議事堂の南通用門にいて、投石を浴びていた。
デモ隊は国会に突入をしたものの、はて、何にもすることがないというので、加藤氏はお父さん(衆議院議員・加藤精三氏)の控室に行ったという。
(略)
派閥ごとに大臣の椅子の数が割り振られたにしても、加藤氏は安保反対で反米・国会に突入したような人物だ。「他のポストならお受けしますが」と辞退すればいいはずだ。環境庁長官あたりなら不思議も不信もない。ところが、こともあろうに防衛庁長官、かつて自分が反対していた日米安保条約の責任者である。よく引き受けたものだと、私には理解できなかった。
安保反対で、しかも親中派なのに、防衛庁長官を引き受けるという非常識。大臣という肩書のためには思想信条など忘れておこうという打算が働いたのだと見られても仕方があるまい。
(略)
第一空挺団は陸上自衛隊の最精鋭部隊で、毎年一月上旬に行われる「降下初め」では、大型ヘリコプターCH-47やC-1輸送機から空挺隊員が次々と落下傘降下したり、陸空での模擬戦が行われたりする。さらには上半身裸になった隊員が、防衛庁長官を担いで練り歩くのが恒例になっている。
加藤氏、庁舎に帰ってきてどんな感想を漏らすかと思っていたら、
「カルチャーショックだよ。日本にもあんな野蛮なのがいたんですか」
と開口一番、宣うたのである。有事にあっては、命をかけて敵地に果敢に降下する精鋭たちである。厳しい訓練に明け暮れ、いざというときには死ぬ覚悟の隊員たちに囲まれたときの感想が「野蛮人」だの「カルチャーショック」だのと、防衛庁長官たるものが口にする言葉ではない。
(略)
「私用を諫めると怒り出した加藤紘一」
防衛庁長官当時の加藤氏は、あらゆる派閥の会合、とくに夜の宴会に実にこまめに顔を出していた。当時政界再編のような動きもあったから、赤坂だの新橋だのと一晩に七つも八つもかけ持ちするのだ。問題はその際に大臣公用車を使うことだった。
大臣公用車となると、運転手、秘書官、副官、護衛官(SP)とみんな付き合わされることになる。夜遅くまでの宴会行脚のために、運転手やSPは帰宅できなくて、甚だしいときは一週間も車庫に泊まり込みになって、奥さんが着替えを持って届けに来るほどだった。
また私用のゴルフにもSPを連れていった。SPはゴルフシューズではなく、普通の靴で歩くのだから「芝を傷める」とゴルフ場から苦情が寄せられたりもした。さらに「若造の大臣に武装護衛が二名もついてくるというのは、やりすぎではないか」とゴルフクラブのメンバーが不愉快に思っているという声も届いていた。
そのうちに、疲れ果てた運転手が防衛庁正門で衝突事故を起こしそうになるわ、側近一同が揃って転属願いを申し出て来るわで、加藤氏への忠告・諫言役が私のところへ回ってきた。そのころ私は防衛施設庁長官で、かつての香港領事館では加藤氏が部下だったこともある。そんな関係もあって、私がその役をすることになったのだ。
私は昼間にアポを取った上で、真正面からこう諫言した。
「公務であれば秘書官もSPも、九州だろうが北海道だろうがお伴します。しかし、党務、閥務、ナイトクラブやゴルフ場のような私用には公用車は使わないでください。宮澤派の車や事務所の車をお持ちでしょう。それにゴルフ場でSPを連れてコースを歩いている人は、総理をはじめ誰もいません。芝を傷めたり、ほかのメンバーからの批判がありますから、ゴルフコースへSPを連れていくのはやめてください。SPや秘書官は週に三、四回も車庫に泊まっている有様です。彼らにも家族がいるんだから、思いやりを持っていただきたい」
それを聞くや加藤氏、血相を変えて怒りだした。
「あなたはSPを使って私の私的な行動を探っているんですか!それともSPが言いつけたんですか?」
と、見当違いのことを難詰するのである。
「いいえ、違います。これは指導者論として申し上げているんです。大臣が私的に使っていることはみんなが知っていて、みんなが困っています。SPは決して私なんかに言いつけたりはしません。彼らはいざというとき、体を張って大臣を守ってくれる役目なのですから、大事にしてやってください」
そう諫めると加藤氏は、
「彼らはそれで給料をもらっているのでしょう」と大声で言った。思い上がりも甚だしい。運転手、秘書官、副官、SPといった人々を、加藤氏はあたかも身分の低い役人、「地下人」と見ているのだ。
しかもそれで収まるかと思ったら、警護課長から電話がかかってきた。
「うちのSPは何をしたのでしょうか?長官が更迭しろと言ってきてるんですが」
「いやいや、S警部補は立派な護衛官で、彼には何の落ち度もありません。大臣が悪いんですから代えなくていいですよ」と答えたのだが、ほどなくしてS警部補は、なんと警察を辞めてしまったのである。
大臣の秘書官、護衛官は特別に選抜されて任務に就いている精鋭たちだ。その立派な警部補が辞めてしまったとなると「上に立つ者としては反省しなくてはいけません」と改めて諫言したところ、「私は辞めろと言った覚えはない」と、まさにしゃあしゃあと答えたのである。
「私を通りすぎた政治家たち」より
佐々淳行 著
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
文民政治家なんだから警備の道理、なんて知りません。当然です。
これはあらゆる専門分野に関して言えることです。専門家のやっていることに素人が口出しなんかするものではない。大事なことはその専門家を信頼し、その方面のことを全て託すことです。そして「責任はオレが取る」、と。
そこで専門家は「意気に感じて」命懸けで事に当たります。
その結果、責任のみならず、専門家の能力を最大限に引き出したことによって、その政治家は専門家の能力への讃辞を政治家自身も同じく受けることになる。
「政治主導だ」などと声高に叫び、政治家が先頭に立って何かにつけ号令をかけ、指示をするとどうなるか、三年前の人災が雄弁に物語っています。
人気取りではなく、この加藤氏のように、踏ん反り返って、他人を手足のように使うことを自身の能力の故、と思う人物に至っては何をか言わんや、です。