CubとSRと

ただの日記

「こんなことも知らないで」

2020年06月07日 | 重箱の隅
2012.10/17 (Wed)

 知っている人からすれば、「何を今さら」、なことなんですが、テレビの街頭インタビューは当然ながら、朝のワイドショーは酷いもので。
 MCが、まあ、何ともはや・・・・です。

 4月から9月末まで「モーニングバード」、10月の当初からは、みの氏のを録画して見てるんですが、もう見るのやめようかなと思うくらい。

 何でって、こんなに国政がぐじゃぐじゃになってるのに、何かと言えば「税金税金」、って。二言目には「大事な国民のお金を無駄遣いしてる」、だ。それしか言わない。だから、我々国民の考えはちっとも進まない。

 そりゃそうでしょうよ。無駄遣いはずっとして来てる。今に始まったことじゃない。でも、それ、聞き飽きた。
 無駄遣いを減らせば国政が良くなるのかい?反対でしょう?
 国政がまともになれば無駄遣いのことも心するようになるんじゃないのか?
 細密画を描こうとして全体のフォルムがぐちゃぐちゃになってないか?

 日本は卑しい心根の人間が集まってできた、金に汚い小狡い国でしたか?
 本当に他国の領土を「盗む」ような国ですか?デモに名を借りて破壊、略奪を当たり前のようにする国ですか?
 反対に、世界中が今度の大災害への日本人の対応を、驚嘆の目で見てたじゃないですか。
 そんな国民の支える政治が駄目ならば、それは政治家が駄目だからではない。本当は国民が駄目だからです。でも、そんな駄目な国民なら、世界が驚嘆なんてする筈がない。
 じゃ、国民はしゃんとしていて政治家だけが駄目、ということはあるのか。
 それは、ある。現に今の政治がそうです。

 ではなぜ、そんなことが起こってるのか。
 それこそがメディアの責任でしょう。「国民のお金が~」、なんて正義の味方ぶって叫んでいるけれど、政治を支える国民も、政治を行う政治家も、同じ国民なんだから、そしてメディアだって同じ国民(の筈)だから、政治家に「ビジョンを示せ」と言い、国民には「国政に責任を持て」と言い、己には「社会の木鐸たらん」と言い聞かせなきゃならないんじゃないか。
 なのに「小言幸兵衛」の役も果たさないで、「ゼイキンガー」になってる。
 中には政治家の葬式を出すのが社是になっているところもあるそうな。

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  民主党とマスコミは「日本人」にあらず
                  (夕刻の備忘録より)部分転載



 民主欠席で復興予算検証の衆院小委流会 

 野党の追及警戒?「怒り覚える」

 衆院決算行政監視委員会の小委員会は11日午前、東日本大震災の復興予算が不適切な使われ方をされている問題を審議するため、新藤義孝小委員長(自民党)が開催を呼びかけたが、委員14人中8人の民主党委員が欠席し、開催に必要な半数(7人)以上の出席に達せず流会した。
 民主党は内閣改造で空席となった同委員会の筆頭理事の後任が決まっていないことなどを欠席の理由にしているが、野党の追及への警戒感も消極姿勢の背景にあるようだ。
 新藤氏は流会後、国会内で記者会見し、「委員会を開かない、いわば言論を封じる結果になったのは誠に残念で、怒りを覚える」と述べた。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121011/plc12101111...

 野党時代には予算や重要法案を人質に、大臣の首を獲り、内閣を辞職に追い込んできた。予算を政局に利用するということは、国民の生命財産に直接関わる問題を、己の立場のために使うということである。

 これまでの自民党がだらしなかったとか、不甲斐なかったとか、何も出来なかったと主張する人は、こうした民主党を筆頭にする野党の「国民を蔑ろにした姿勢」を、一向に批判しない。「確信犯」は別にして、その多くはマスコミの奴隷であり、詳細を知りもしないのであろう。大臣が職を捨て、自民党が内閣を潰してまでこれに応じて、「応急手当的な対応」に甘んじてきたのは、最終的には国家国民を護るためである。

 どちらが本当の母親か、それを確かめるために大岡越前は、共に実母であると申し出た二人の女に子供の手を引っ張らせた。すると「本物の母親」は、泣きじゃくる子供の姿を見て手を離したという。これが所謂大岡裁き、「子争い」の一節である。

 国民生活を人質にした政局に対して、自民党は常に「日本の現状」を考えて、耐え難きを耐えて「手を離してきた」のである。勿論、自民党にも駆け引きはある。腐った連中も居る。しかし、全体として自民党は、身を捨てて法案を通してきたと言えよう。それを弱腰だ何だと、助けた国民側から指弾されたのでは、その人生を賭けて闘った議員達も浮かばれまい。

 民主党は同じ案件に対して、以下のように答えている。これを信じる人が居るのだろうか。この虚偽発言を信じる人が今なお居るのだろうか。


 復興予算検証の小委流会「一方的に開こうとしたのは残念」
                       民主・山井国対委員長

 民主党の山井和則国対委員長は11日、国会内で記者団に対し、東日本大震災の復興予算を検証する衆院決算行政監視委員会の小委員会が民主党委員の欠席で流会したことについて「民主党の委員が決まらない中で一方的に強行で開かれたのは非常に残念」と述べた。 小委が出席を求めていた関係省庁の担当者が、民主党国対の指示で出席できなかったことに関しては「民主党が野党時代にも(政府の担当者は)出てこなかった」と述べ、問題はないとの見解を示した。
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121011/plc12101112...

 野党でも審議拒否、与党になっても審議拒否。そして、その拒否もまた他人の責任、「野党自民党」の責任だと強弁する。一ヶ月も前から予定されていた委員会を「一方的だ」「こちらの準備が出来ていない」などと、嘘八百を並べて誤魔化している。
               

 http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-823.html

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 この後にも、こんな言葉があります。読売新聞の見出しだそうです。

 :『自民公募に「世襲」ゾロゾロ、議員子息が続々と』

 これを見て、
 「何だ?これは。妙な文章だなぁ。ちっとも筋が通ってないじゃないか」
 と新聞社の印象操作を感じ取るか。
 それとも、
 「ん?そう言えば自民党、世襲はやめると言ってたくせに」
 と自民党に嫌悪感を持つか。 
 (公募なら「世襲」云々は関係ない。「議員子息が~」、だけでなければ文意が通らない。そうでなければ「公募の筈が「世襲」ゾロゾロ」と書かねば。)
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かまをかける?

2020年06月07日 | 重箱の隅
2012.10/16 (Tue)

 隠していることを聞き出そうと、誘いをかけることを「かまをかける」と言いますが、何で「かまをかける」なのか、ちゃんと考えたこと、なかった。

 「かま?釜、じゃないよな。窯は掛けるんじゃなくて『入れる』、だろうし。やっぱり鎌、だろうな。でも『鎌を掛ける』って・・・草刈りか?何で、草を刈ったら『誘いをかける』になるんだ?」
 「草を刈ったらそこに金色のどんぐりがわらわらと集まって『大きいものが一番偉いんだよ』「『ちがうよ頭のとがってるものがえらいんだ』『いいやちがうね。太ってるものがえらいんだ』『そうでないよ。背が高いものがえらいんだよ』『ちがう違う。つやつやしてるのがえらい』なんて、どんぐりと山猫・・・・関係ないか。」
 「かま、かま。おカマ?おカマを掛ける。なんじゃそりゃ」
 そんなわけで、何回か思ったことはあったにせよ、調べもしないで放っておいた。
 
 それが今日、「弓弦」さんという人の日記に引用文として説明が挙げられていたんです。何でも、この「カマ」というのは「火打ち鎌」のことらしい。

 「火打ち鎌を掛ける」
 すると火花が飛ぶ。油をしみこませたものを火打石と一緒に持っていると飛んだ火花が火をつける。
 だから、「(火打ち)鎌を掛けると火が付く」
 つまり、鎌をかけると
 「隠していたこと(火)が表面に出てしまう」
 これで意味は通じますね、確かに。

 火打石で火を切る。火花が飛ぶ。それは知っていた。時代劇なんかでやっている。今でも、縁起を担いで、大事な用事で出掛ける時なんか、「お前さん、行っといで!」と恋女房が火を切ったりする。
 火を切って、調理(又は活動)が実行されるのと同じです。

 「火を切る」時、どんなものを持っているのかちゃんと見たことがありませんでした。石と石を打ち合わせているんだとばっかり思っていた。
 「随分と都合のいい大きさの石を、みんな持ってるんだな・・・・」
 と、見逃してました。

 思い立ったが吉日。調べてみると小さな鉄片に持ちやすいように木でつくられたらしい小さな台が付いている。これが「火打ち鎌」らしい。
 これを「火打石」に打ち付ける。ただ打ち付けたって駄目だから、掠るように打ち当てる。
 つまり、「火打ち」は石を「切る」ようにしてするから、「火切り」と言っても良い。
 だから「火打石」と言ったり「火切り石」と言ったりする。
 それで「カマをかける」は分かったものの、今度はその「鎌」が引っ掛かる。
 で、今度は「火打ち鎌って、なんで『鎌』なんだ?」

 「火打ち鎌」というのは関東の言葉で、全国的には「火打ち金」と言うんだそうです。確かに金属でこれは「玉鋼(たまはがね)」らしい。
 だったら火打ち金(ひうちがね)で良かろうに、なんで関東だけ「火打ち鎌」なんだ?「鎌」には似ても似つかないのに。
 使い方だって鎌は手元に引くし、「火切り」ってのは前方に、牛蒡のささがきつくるように打ち出すんだし・・・・・。

 あっと思いました。「鎌」という字は「金」と「兼」、です。
 両方とも「かね」と読みます。そして、「金」は「金の切れ目が縁の切れ目」、なんて言葉もある。
 「火切り金」が「金が切れる」を連想させて、あんまり縁起が良くないような気がする。だから、同じ「かね」の読み方の「鎌」という字を使ったんじゃないか。
 勿論江戸っ子のしゃれっ気です。あの絵看板や判じ文、また、擂り鉢を当たり鉢、とか、するめがあたりめ。
 江戸町火消しは、いろは四十八組。だけれど「へ」組や「ん」組は、ありません。理由は言うまでもない。代わりに「千」組と「万」組。
 「関東は」、じゃなくて、江戸のもの。又は江戸から始まったもの、と考えた方が良いでしょう。

 そうすると、江戸発祥の「火打ち鎌」という言い方があって、それが一般的になってから「カマをかける」という言葉がつくられた、ということになります。
 「火打ち鎌」という言葉は全国的にならなかったけれど、それを用いた「カマを掛ける」は全国的に知られています。それも、随分古い。

 江戸の町でマナーとしてつくられてきた「江戸しぐさ」というのがありますが、それが段々に全国に広がって、いつの間にか「江戸時代から始まった庶民の作法」のようになっています。
 それが日本文化の特徴である「思い遣り」の、目に見える形、として今に伝わっています。
 
 「かまをかける」
 こんな言葉一つからでも、何となくそこにつながりそうです。
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小咄、ではありません。

2020年06月07日 | 心の持ち様
2012.10/11 (Thu)

 宮崎正弘の国際ニュース・早読み より
             2012/10/11 (木) 5:01

 (読者の声1)
 中国の知識人が「中国よ、理性を取り戻そう」とネットで呼びかけると、たちまち500人の署名が寄せられて、中国も捨てたもんじゃないな、と思いましたが、前向きな中国人知識人もいるのですね。
  (HG生、名古屋)


 (宮崎正弘のコメント)
 理性のある知識人が僅か500名しかいないというのが問題でしょう。あとは理性とは何のことかわからない。
 IMF総会が東京で開催されるというだけの理由で周小川・中国人民銀行総裁はドタキャンですから。歴代日銀総裁に、これほどの理性欠如人間はいなかった。
 これで通貨直接取引の凍結・中断を日本は宣言しても二の句もつげないのではないでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「ネットで呼びかけると、たちまち500人の署名が寄せられ~」

 これ自体は既に聞いていたことではありますが、考えてみれば、ネットです。だから「瞬時に」、は当たり前のこと。
 問題は宮崎氏の言通り、
 「理性のある知識人が僅か500名しかいない」
 というのは笑えるとしても、
 「あとは理性とは何のことかわからない」
 という一言です。
 つまり、物事の道理を知らない、また、知ろうともしない人間が、すぐ近所に13億人いるということの怖さです。

 これじゃ小咄どころか、ブラックジョークにもならない。洒落にもならない恐ろしさです。
 そんな隣国に対して、バカにするだけじゃ何も片付かないのは言うまでもないけれど、「冷静に大人の対応を」と言うだけで、ひたすら興奮が冷めるのを待ってる、なんてのも五十歩百歩でしょう。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 (読者の声3)
 貴誌前号でしたが「夕陽さん」と宮崎さんの問答ですが、当該の朝日新聞には一面に大きな村上春樹の顔写真が出ていました。一瞬「大江健三郎か!」 と思いました(笑)。
 村上の寄稿文も読みましたが、ただの反戦主義者、読むべきところはありませんでした。
 彼はノモンハンの戦場を見に行ったことがあるといい、「あんな不毛の大地、何にもないところを取り合いしたなんて信じられない」
とかいうようなことを書いてました。
 私もノモンハンは行ったことがありますが、この村上ノーベル賞候補作家の発言を聞けば、モンゴル人は烈火のごとく怒ると思いました。
  (HZ生)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 今夕にもノーベル賞の受賞者が発表されるようですが、
 「あんな不毛の大地、何にもないところを取り合いしたなんて信じられない」
 というのが氏の言葉ならば、「えっ?」と思うだけです。

 この読者が投稿されているように「モンゴル人は烈火のごとく怒る」、でしょう。
 知らずに行うのが差別、蔑視の始まりだけれど、知って尚且つ発言するのは悪意から、です。そうでなければ思慮不足。
 大江健三郎の「沖縄ノート」に通ずるものを感じます。
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【民主政権3年】まとめ

2020年06月07日 | 日々の暮らし
2012.10/10 (Wed)

 今回はホント。転載だけです。私の無駄話はありません。ご安心ください。

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 非自民「壮大な実験」 破壊と背信…失望だけ残った
                         2012.9.16 00:22

 民主党政権は16日、発足から丸3年を迎えた。この間、国民との契約だった衆院選マニフェスト(政権公約)はほごにされ、政治主導は官僚依存に落ち着き、クリーンな政党どころか「政治とカネ」の不祥事が続発した。失敗と失態が繰り返された3年間。国民には失望だけが残った。(阿比留瑠比、加納宏幸)

 「いろんな試行錯誤の中で、失敗することもあるだろう。ぜひ国民に、ご寛容を願いたい」

 平成21年9月16日の就任記者会見で、首相の鳩山由紀夫が発した「予言」は不幸にも的中してしまった。

 旧社会党、旧新進党、旧日本新党…と議員の政治信条も行動様式もバラバラな民主党は、もともと政策を詰めるのを避けてきた。唯一の共通項は「非自民」。

 鳩山が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「最低でも県外」に固執したのも、自民党政権の取り組みを否定したいがためだった。

 鳩山は10月29日の参院本会議で「普天間の移設問題は13年間動かなかった。これを今動かそうと努力している。ご心配無用だ」と述べ、過去の政府の努力と成果を切り捨てた。実際は、移設実現まであと少しのところまで来ていたにもかかわらずだ。

 「テロとの戦い」の一環で、国際的評価が高かった自衛艦によるインド洋での補給活動を中止した大きな理由も、前政権と違うことをしたかったためだろう。

 幹事長の小沢一郎が唱えた「日米中正三角形論」も手伝い、米国との関係は冷却化し、このことが中国、韓国、ロシアなど周辺国による対日攻勢を招いた。

 民主党が金看板としていた「天下り禁止」方針も自ら捨てた。鳩山は10月、日本郵政の社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎を起用。斎藤は小沢に近く、自民党政権時代には冷遇されていた。12月にはマニフェストの柱だったガソリン税の暫定税率の廃止について、小沢に「(現状維持が)国民の声だ」と迫られると廃止をあっさり取りやめた。

 22年6月に鳩山の後任首相に就いた菅直人は、「情報公開」という政権交代時のキーワードを軽視した。

 「最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ」。こう自ら訴え言いながら、菅は国民が判断する材料を隠し続けた。

 同年9月の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では、中国人船長を超法規的措置で釈放した責任を那覇地検に押しつけた上、衝突映像の公開を拒んだのが、その実例だ。

 そして23年3月11日、東日本大震災が発生し、東京電力福島第1原子力発電所で事故が起きると、現場に過剰介入した半面、被災者への情報開示は怠った。揚げ句、首相の座のバトンを野田佳彦に渡す際にはこう述べた。

 「歴史がどう評価するかは後世に委ねる」

 だが、後世を待つまでもなく、民主党政権という“壮大な実験”に対する歴史的評価はほぼ「失敗」と定まりつつある。=敬称略

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120916/plc12091600...

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ね?無駄話、なし、です。

 ・・・・と言いながら、どうしてもこれだけは言いたい。
 「歴史がどう評価するかは後世に委ねる」
 って・・・・・・?
 これ、
 「私が正しかったと、後世が判断してくれると思う」
 みたいな言い方だったでしょう?
 どこをどう評価したらそんな能天気な解釈になるのか理解に苦しみました。
 今も分かりません。

 「板垣死すとも自由は死せず!」
 ってのは
 「ばかめ!俺一人殺してどうなるのだ!」
 みたいなことだったと、どこかで聞いたような気がするけれど。
 それに、そんな言い方ならおかしくはないなぁと思うんだけれど。

 ・・・あっ、しゃべり過ぎ。
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夕刻の備忘録 谷垣禎一・戦の流儀

2020年06月07日 | 日々の暮らし
2012.10/10 (Wed)


 「夕刻の備忘録」 ー谷垣禎一・戦の流儀ー より、部分転載です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 谷垣は辞退することで石原を追い詰めた。そして、石原が敗れたことで、その行動は大きな意味を持つに至った。
 党内力学の意味では「勝利した」とも言えるだろう。対外的にも、負け戦を「勝負無し」の状況にまで持ち込むことに成功した。
 それは、総裁選辞退と共に、「谷垣再評価の声」が一気に高まったことからも証明されている。これによって、冒頭にも書いたように、「舞台に上がらずして評価を上げた」わけである。

              (略)

 今後、谷垣グループが、為公会との距離を適切に保つならば、安倍・麻生の主導する自民党の主流派が、さらに分厚くなる可能性がある。

              (略) 

 このようにして谷垣は負け戦をひっくり返し、党内影響力を残すことに成功した。「再登板云々」よりも、自民党が重要なカードを失わず、「現役」の形で温存出来たことを喜びたい。
 何度も繰り返しているように、「民主党の尻ぬぐい」には、多くの犠牲が必要なのである。ベテラン議員の「死に場所」は、政権奪還後に始まる「日本の大掃除」、その中心でなければならない。

              (略) 

 相手はまともな人間ではないのである。日本奪還の戦いは、まさに魑魅魍魎、妖怪変化との戦いである。「生きて帰ろう」とする者は、無駄死にをするだけだ。 安倍はそのことを覚悟した上で、戦いの先頭に立った。

              (略)

 足並みの乱れに付け込むのが妖怪どもの手口である。「良い点は評価し、悪い点は批判する」などという小賢しい連中は、味方の足を引っ張るだけである。  「良いことがあれば黙って前に突き進み、悪いことがあれば黙ってそれに耐えるのだ」、耐えて前へ進むのだ。

              (以下略)

  http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-820.html

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 この三年間に日本が負った傷は大きく、深い。
 前にも書いたように、日本は今、瀕死の重傷を負っています。うまい具合に政権を奪還できたとしても、それは「ゼロからの出発」ではなく、周回遅れどころか二周も三周も遅れたところからの出発です。

 それだけじゃない。忘れてならないのは、リーマンショックのあの時、麻生総理が「日本は全治三年」と言われたことです。そのための手当てをする間もなく、政権は奪取されたのでしたね。

 早い話、自民党が応急措置をしただけで、続けて政権を担った民主党は、自民党が用意した多くの手立てをいとも簡単に廃棄してしまった。
 そして、自身は政権を初めて取ったことに浮かれるばかりで、大した具体策も講ずることなく、徒に日を過ごしてしまっていたと言えましょう。

 口蹄疫での対応が遅れた時、赤松農水大臣はキューバへカストロに会いに行ってたんでしたね。
 帰ってきてからも「だから早く(牛を)殺せと言ったのに」と言ったことは忘れられません。そして豚、牛数十万頭を殺処分という多大な損害を出した。
 普天間問題をこじらせた鳩山総理。
 そして、思いもしなかった大災害は「泣きっ面に蜂」などの言葉ではとても言い表せない大打撃を日本に与えました。
 その上、人災、とも菅災とも言われる原発事故は、古傷となって致命傷になりかねないまでに病状を悪化させています。
 民主党政治をいくら恨んでも恨みきれない。

 でも、それをいくら言ってもしょうがない。
 いや、言わなきゃいけないのだけれど、民主党の悪政糾弾と併行して、「国の立て直し」を図ることを、お互い(仲間同士、党員同士)の足を引っ張らず、結束していくことを、今は覚悟しなければ。
 今こそ「小異を捨て大同に付」かねばならない。

 「良い点は評価し、悪い点は批判する」などという小賢しいやり方は、結局は味方の足を引っ張ることになるだけ、と観念して、とにもかくにも一刻も早く民主党が政権を手放すように、自身にできることをやっていくしかない。


 「良いことがあれば黙って前に突き進み、悪いことがあれば黙ってそれに耐える。耐えて前へ進む」

 今が正念場ではないですか?麻生元総理の韓国行は足を引っ張るためだ、と本当に思いますか? 


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