CubとSRと

ただの日記

特例公債法案は必ず通る

2020年06月08日 | 心の持ち様
2012.10/28 (Sun)

 「自民は悪役を恐れるな」
          浜田国対委員長 父・ハマコー氏に鍛えられた人生訓とは
                         2012.10.28 18:00

 例によって部分転載です。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 「心配しなくとも特例公債法案は成立します」

 ん? 参院は野党が多数を握っており、先の通常国会では参院段階で廃案となったはずですが。

 「自公が法案の採決に欠席すれば、参院でも与党の賛成多数で可決・成立する。各党の議席数を数えてごらん。民主党は『自民党の人質戦術は許せない』と宣伝するが、強行採決すりゃ難ないんだよ。チキンレースにはなりません」
~~~~~~~~~~~~~~~~


 「でも、首相は男を下げたね。あの党首会談は、選挙後も自らが生き残る最後のチャンスだったのにさ」

 浜田さんが餃子をパクつきながら笑う。

 「『近いうち』をほごにしたことで、野田さんに対する信頼はなくなった。今では、衆院選が終わっても『死んでもこの男と組まない』と思われているよ。『約束を守って解散する』と一言いえば、民主党の閣僚が恐れる予算委員会はやらずに、特例公債法案や衆院「一票の格差」是正法案も難なく通る道があったと思うけど」

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 確かに首相の不義理は許せない。世論調査でも首相への批判が強く、反比例するように自民党の政党支持率が高まっている。だが、露骨な審議拒否はせっかくの高支持率に水を差しませんか。

 「審議拒否するのでない。その表現は民主党に踊らされているだけだよ。ただ・・・」

 浜田さんがジンジャエールに泳ぐ氷を転がす。

 「政権を奪われた自民党は『評判の悪い政党』だったという面を忘れてはならない。悪いのがいい子ぶったって、世論は評価してくれないよ。『話し合った方がいい』ともいわれるが、この3年間、民主党とまともな話なんかできなかったじゃないですか。『トラスト・ミー(信用して)』といわれ、最近は『リアリー(本当)?』と返すのが口癖になっちゃったよ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 浜田さんはなぜ自民党が弱体化したか、とうとうと語り出した。

 「うちの党は自ら持っていたプラスの部分を改革しちゃった。政治資金も政治改革も世襲も。誤解を恐れずに言えば、政治って『正しい』だけじゃ動かない。世襲なんて・・・僕をみてみなさい。おやじのおかげで、普通の議員の3倍は人生経験を積んだぞ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121028/stt12102818...

 ①
 自公が欠席すれば、参院も与党が多数となる。いつもの通り、「審議は尽くした」とかなんとか言って強行採決をすれば、あっけなく成立するんでした。
 何故、すっかり得意技になってしまったそれをしようとしないのか。
 そりゃあ簡単なことですよね。そんなことしたら、民主党が一番の悪者だった、と言うことを天下に知らしめることになる。
 「国民に迷惑をかけているのに政党助成金の申請なんかできない」
 とかなんとかカッコのいいこと言って、申請をしなかった。
 でも、実は12月に申請すれば、ちゃんと支払われるということを知っての上で、流石のメディアも、ここは民主党アゲは全くしなかった。
 今は、とにかく「自公が悪い。協力的でない」、ばかり。
 
 ②
 結局、「信義」の問題です。「信義なんて政界にあるものか」とメディアは言います。
 実際、政界の事象を見ると、新聞やテレビだけでもそう思うのが普通でしょう。 更には騙し合い、駆け引き、腹の探り合いをしなければ生きていけないらしい。
 でも、だからこそ、「信義」、なんじゃないでしょうか。
 何も信じられないからこそ、一度でも騙しちゃいけない。一回騙したら、永久に信じてもらえない。
 騙し合いの世界だからこそ、「信義」は「重い」。「重たい」、んじゃないですよ、「重い」んです。
 「心しなければならない」。それが、「重い」。
 「しんどいなあ、これ」。それが、「重たい」。
 本気でやろうとしていない。逃げの態勢になっている時、人は「重い」と言わず、つい「重たい」と言ってしまう。

 ③
 「悪いのがいい子ぶったって、世論は評価してくれないよ」
 今、評判の悪かった自民党がいい子ぶって話し合おうとしたって、世間は評価してくれない。第一、(谷垣総裁が)それをどれだけ頑張ってやろうとしたか。
 で、どうだったか。民主党とはただの一度もまともな話はできなかった。
 最後の最後になって、三党合意を取り付けた。でも、それは「近いうちに~」「遠くない将来に~」「そういうことは今言うべきではない」となって、結局反故にされてしまった。

 ④
 「うちの党は自ら持っていたプラスの部分を改革しちゃった。政治資金も政治改革も世襲も。」

 これは大きいでしょう。今朝、御厨何とかいう人が、「保守」の定義をしてたけど、「今、を護るのが保守だ」、なんて言ってました。何ボケたこと言ってんだ、と思いました。
 保守は『今』なんか護らない。守るのは今、じゃない。
 作り上げて来た、伝え続けてきた伝統を磨き続ける(磨き上げる・改善・進化・深化させる)のが保守であり、逆に全てを御破算にして行こう、これまでを全て捨てて新しく全然別の方法でやり直そうというのが革新・改革じゃないですか。
 それは「今」に立って行うのだけれど、今を肯定することではない。
 「政治資金も政治改革も世襲も」、磨き続けることでより良いものにすべきところを、つまり「プラスの部分」を改革して(捨てて)しまった。

 「僕をみてみなさい。おやじのおかげで、普通の議員の3倍は人生経験を積んだぞ」
 これこそが世襲の本意じゃないでしょうか?

 新聞、テレビ等の上っ面だけを見て、考えもしないで分かったつもりになって、見下すようにして喋り、投書をする。

 喋ればいい。喋るべきだ。
 投書だってすればいい。どんどんするべきだ。

 でも、まずは考えるべきでしょう。
 少なくとも、本気で、命懸けで政治に携わる人は必ずいる筈なんだから、そんな人を新聞、テレビの記事のままに、まるで復唱するように見下して裁断する、というのはどんなもんでしょう。
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二つに分けます(報道しない自由批判)

2020年06月08日 | 重箱の隅
2012.10/21 (Sun)

 「夕刻の備忘録」ブログの
 「マスコミの世論誘導手法」

 というエントリーからの転載ですが、内容上、二回に分けます。
 一回目は「報道しない自由」、についての実例。
 二回目は「ステルス反日への対処法」です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 三党の党首会談について、産経は以下(抜粋)のように書いている。


 特例公債法案の未成立で平成24年度予算の約4割の財源にめどが立たない現状を打開するには、野党の協力が不可欠だ。
 そのためには解散時期を明確にする必要があるのは火を見るよりも明らかだが首相は自公両党に共同責任を負わせようという姿勢に終始した。

 「予算と一体で特例公債法案を処理するルールを作りましょう。来年の通常国会でそういう法案を提出するという付則を(特例公債法案に)入れてはどうか」
 首相が「来年」に言及すると、公明党の山口那津男代表がすかさず「谷垣禎一前自民党前総裁はあなたが社会保障・税一体改革関連法を成就したことでここにいられなくなった。谷垣氏との約束があるのでしょう」と詰め寄った。

 不意を突かれた首相に、自民党の安倍晋三総裁がたたみかけた。
 「あなたは谷垣さんに『来年の予算編成をしない』と言った。私は引き継ぎを受けている」
 突然の指摘に、首相は「言った、言わないの話になるから、言わない」「そういう認識はない」と、しどろもどろで答えた。

 安倍、山口両氏は会談に先立ちこの「密約の暴露」作戦を周到に打ち合わせていた。「近いうち解散」をほごにしようという首相の思惑を打ち砕く狙いがあった。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121020/plc12102001...

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まさに谷垣前総裁の置き土産とも言える「あなたは谷垣さんに『来年の予算編成をしない』と言った」という部分を強調しているのは、ザッと見たところ、この産経の記事だけであった。産経曰く『密約の暴露』、これだけであった。

 これが所謂「報道しない自由」である。 
 今回行われた「党首会談」でもっとも重要なことは、この時限爆弾を、安倍総裁が前総裁許可の上で「白日の下に晒した」ことであろう。
 谷垣・野田会談の直後から、自民党支持者の間ですら谷垣批判が起こった。その中でもっとも強い根拠となったものは、「解散時期への明確な言質が取れなかったではないか」というものであった。

 解散は総理の専権事項であり、誰がどのように工夫したところで、解散時期など明言するはずもないことは、我が国のシステム上、誰にも明らかなはずである。
 にも関わらず、これを明確に出来なかったという「無理筋の批判」が横行した。 当ブログでは、会談直後の記者会見の内容から判断し、加えて前総裁は実に巧みであり、何があっても「手ぶらで帰る人物ではない」ことは理解していたので、「何かしらの言質」は取ったものと見ていた。その具体的内容が「予算編成はしない」というものであったわけである。
 確かに、時期に関してこれほど明確な言質はない。

 谷垣批判をなお続けたい者は、「ならばその時に暴露すれば、解散を誘導できたはずだ」と、無い物ねだりを続けるのであろうが、ここまで来ると、相手側の信義の問題であり、今日の今日まで秘匿したことは、むしろ「自発的解散を促すと同時に、相手の無恥無能を国民に向けより明らかにする意味で適切であった」と考える。
 しかし、このもっとも重要な部分を、多くのマスコミは報じない。従って、大半の国民はこのことを知らない。

  http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-826.html

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 まさかね、と思ってたんですよ、私は。正直なところ。
 でも、確かに、アサヒはこのやり取りを書いてなかった。みの氏のワイドショーでも、全く言ってなかった。
 例によって双方に対し「国民は置き去りじゃないか!」
 他のテレビ局も
 「言った、言わないの話になるから、言わない」
 「そういう認識はない」
 等と総理が言ったことなど一度も言及せず、今日、日曜の前原氏の弁明などは
 「新しい案があるから党首会談を、と言ったわけで、解散期日など言えるわけがない」
 と、まるで全て自民・公明両党の思い込み、早合点だと言わんばかり。

 谷垣前総裁は「来年度の予算編成はしない」、つまり、今年度中に必ず解散する、と言う意味の言質を取っていた。
 それを今回の党首会談で明らかにしたのだから、これは大々的に書きたてるべきことです。

 勿論書きたてれば、「総理はウソをついた」ということになる。いや、ウソをついたことが明らかになる。
 安倍・山口両氏の憤りは当然だ、酷い総理だな、案外だったな、やっぱり民主党だ、と非難轟轟、となるかもしれない。

 でも、(だから、か?)産経以外は書かなかった。

 ということは、メディアはみんな、総理をかばっている?民主党をかばっている?
 
 「報道しない自由」、というのはそういうことになります。
 つまり、「報道に公平性を求めるのはナンセンス」なんだ、と。

 でも、その報道を大方の国民は信じてるんです。
 ということは、大方の国民は『ばか』、とマスメディアによって嘲笑されている、ということですか・・・・?

 ・・・・・何だか口惜しくないですか?

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国旗に礼!③ (ただの布きれだけれど)

2020年06月08日 | 重箱の隅
2012.10/26 (Fri)

 国旗を切り貼りして、党旗に見立てて演壇の後ろに掲げた。

 「悪ふざけが過ぎるだろう!HPにも載せたのか!?」
 と思っていたら、
 「我々の神聖なマークであるからきちんと作らねば」
 と、こともあろうに党代表が言った。
 その時点で、もうこれは救いようのない話だ、と思った。

 その後。
 演台脇に立て掛けられていた国旗に一礼もしない閣僚が半分以上で、顰蹙を買った、と思ったら、今度は一目で分かる恰好だけで心のない礼を、全員がするようになった。

 色々な出来事に、思いもよらない対応が次々に為される民主党政権。
 その対応は回を重ねるにつれてどんどん下卑てくる。
 「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ」、どころではない。泥濘はますます深くなり、底なし沼の様相を呈してくる。
 そして遂に総理は泥濘に棲む「泥鰌」になった。

 国旗を切り貼りする。国旗に一礼だにしない。そして国旗より党旗の方が神聖だ、みたいな発言にとどめをさされてしまった。

 まあ、しかし「国旗より党旗の方が大事」みたいな発言は、例によってH代表の言い間違いだろう。
 何しろ後に「国民の皆さんが私の話に聞く耳を持たなくなってしまった(つまり、国民はあきっぽい、と断定してしまったわけだ)」、なんてことを言って、
 「何だその言い方は!」と顰蹙を買ってしまったりしている。
 勿論、これは「聞く耳を持たなくなってしまった」ではなく、
 「耳を傾けてくれなくなった」
 、である。

 で、これらのことをここに書こうと思って、うろ覚えのところを調べるため、ネットを見た。
 すると、「国旗に礼をしたのが何人だったとか、よくもまあ馬鹿げたことを調べる人がいるもんである」、みたいな記事が結構あった。
 そんなことで、愛国心がどうのこうのというものじゃない。そして、実際、そんな「頭を下げるかどうか」で愛国心云々を言われるとしたら、愛国心と言うのは随分と薄っぺらなもの、みたいなことが書かれていた。

 大概は同感だ。
 「その通り!」である。
 頭下げていたら愛国心があって、下げなければ愛国心がない。
 礼の角度が三十度なら普通で、六十度なら愛国心があって、九十度の最敬礼なら、もう愛国心のかたまり!  
 ・・・・・・なんてやった日にゃあ、それこそ「あほ」、である。
 愛国心なんか欠片もなくたって一礼くらいできる。
 それは現閣僚が証明している。

 いわゆる国旗なんてものは、ただの図像。現実には紙切れであったり布きれであったりするだけのもの。
 そぉ~~んなこと、百も承知だ。
 それに頭を下げるなんて、ナンセンスそのものだ。
 でもそれ、肝腎なことを忘れている。と言うより、ワザと肝腎なことから目を逸らしている。

 子供の書いた悪戯書きと、天下の名画を「同じ絵じゃないか。値打ち云々なんてナンセンス」と言うか?言わない。
 日の丸を染め抜いた手拭いで汗を拭くか?
 「この国旗、古くなったから、もう雑巾にしようか」と言うか?言わない。
 天皇皇后両陛下の正装して写された写真、「同じ写真だろう?」ってキャンプの焚き付けにするか?しない。

 実は本当はみんな分かっているのだ。
 何故、朝鮮人やシナ人が日章旗を踏みつけたり、引き裂いたり、燃やしたりするのか。
 それは日章旗を「ただの布きれ」とは思っていないことを示している。
 日章旗を踏みつけたり、大きな「×」をつけたり、燃やしたりするのは、そうすることによって「日本そのもの」を侮辱するためだ。

 言うまでもないこと、国旗はその国の象徴だからだ。みんなその「国旗」の向こうに『日本』を見ているからだ。

 裏返して言えば、彼らは日章旗を日本の象徴として認めているのだ。
 認めているからこそ「日章旗を毀損することは日本を辱めること」と思い込んでいる。確信している。だから盛大にやる。

 脱線するが、そこを分かって逆襲に出たケースを思い出される人もあるだろう。「日の本鬼子」の逆襲に、彼らは呆気にとられ、お手上げ状態になってしまった。
 あれ以降、「日本鬼子!」という罵語はあまり見かけなくなってしまった。

 彼ら「でさえ」分かっている。
 なのに「日の丸は日本を象徴するもの」と分からない日本人がいる。
 分からないからこそ「たかが布きれじゃないか」と一顧だにせず通り過ぎる。
 それが現政権与党から選ばれた閣僚だったというわけだ。

 「一番辛いのは、嫌われることより、無視されること」と言ったタレントがいた。
 その伝で言えば、燃やされたり、踏みつけられたりする方が、国旗として認められないことより数倍マシだ、ということになる。

 国旗の向こうに「日本の素晴らしい国の形」を見出そうとせず、心のない形式だけの礼をする。これで「口をあけて歌っているかどうかチェックする」という大阪のやり方を批判できるだろうか。

 「国旗に礼!」
 それは国旗の向こうに常に「あってほしい国の姿」が見える者なら、言われずとも当然のごとくにすることである。

 言われなければ国旗の存在を気にも留めなかった。
 言われてから、心のない形式だけの礼をする。
 「あらまほしき国の形」を見ようともしない、そんな議員を集めて作った内閣。
 それをつくらせたのは、同じく国旗の向こうを見ようともしなかった我々日本国民ではなかったのか。

 「国旗のたたみ方」が大事なのではない。
 国旗を引きずらないように、丁寧に扱おう、大事にしよう、それは日本の象徴、日本そのものだから、という「国旗の先を見る心」こそが大事なのだ。
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国旗に礼!② (何人頭を下げたか)

2020年06月08日 | 重箱の隅
2012.10/23 (Tue)

 民主党鳩山総理の内閣が組まれた時のことだったと思います。
 各大臣閣僚が一人ずつ所信を表明する場がありました。演壇には演台と後方に国旗が立て掛けてあったと思います。

 テレビでも一部ニュースで流れたと思いますが、閣僚の大半は国旗に対して立ちどまり、目礼をすることをしなかった。
 大半は歩きながら一瞥した風であったため、一、二名の立ちどまって頭を下げた閣僚だけが目立っていました。

 「不肖宮嶋・・・」のフレーズで有名な宮嶋カメラマンだったか、が
 「国旗に会釈もせん、とはどう言うこっちゃ!」
 とエラク怒って書かれた文章を読んだ記憶があります。

 これまでは野党だった。別にそんなこと、考えもしなかった。
 それよりも周囲には元社会党議員だったのが一杯いる。
 「民主党」という名の「駆け込み寺」に逃げ込んで来ている。
 社民党ならずとも
 「日の丸の下で多くの人の血が流れ~」
 と今でも「戦争反対!自衛隊は違憲!」の思いを胸に議員生活を続けている。

 そんな議員が、予想だにしなかった閣僚となった。
 日の丸が演壇の後ろに掲げてあるなら、いやでも目に入り、それなりの社会的常識に沿った行動を採ったろう。
 けれど、演台の傍らに立て掛けてあるだけだ。頭なんか下げない。頭を下げる、なんて発想自体が、「ない」。


 ここで、老獪な(?)自民党ならどうしたか。
 自民党は元々保守思想?とんでもない。自由党と民主党が一緒になったのが自由民主党だった。
 後に民主党と自由党が出来てややこしいので自民党と言ってるだけだ。

 自由党は元々反体制の党だし、民主党は名前の通り民主主義を標榜する戦後思想で立てた党だから、それぞれ別の理由で戦前の政治・政党に対して反対意見を持っている。
 だから、極右もいれば極左もいる(今はそれほどでもない)。
 それが本来の自民党、ということになる。決して保守思想のみの保守政党ではない。

 思想的には非常に幅が広い。普通なら、とても一緒にやっていける筈がない。
 しかし、みんな「数は力」ということを知っている。だから法案を立てる時、ごく小さな妥協点を党内で探しだし、法案成立の可否を問われる時は党議拘束をかける。それで世情におもねりながら、戦後数十年政権与党で在り続けた。

 そんな自民党がもし野党で、国旗切り貼り事件のようなことが自党絡みで起こったならば。
 そしてそれがHPに載せられ、その後に政権与党に初めてなった、なんてことになれば。
 何よりもまず、この閣僚の所信表明のような時には「国旗に一礼せよ」と党議拘束以上の強さで通達をするだろう。世情におもねってきた「実力」で。

 民主党にはそれがない。反体制ではなく、体制の中で生まれてきた。
 そこへ違う意見の者が合流を申し出た。
 代表は言った。
 「民主党は民主党だけのものではない」

 いや、それは冗談ですけど。でも、あとで
 「日本は日本人だけのものではない」
 と言ってますからね。
 でも、流入した者は潰れそうになった社会党から逃げ出した者であり、自民党から飛び出した者であり、後は新生党、新進党、自由党と名を変え続けた大グループだった。
 成立の仕方は全く違うけれども、自民党と民主党、「外見の思想」は瓜二つだった。非常に幅が広い。

 しかし、成立の過程(歴史)が全く違うが故に、何か事に処する時、全く違った対応をする。
 一方は妥協点を探そうとし、もう一方は蜂の巣をつついた騒ぎになる。よく言えば「百家争鳴」だが。

 国旗に一礼をしない閣僚が半分以上いた。
 元社会党系の人々なんだから当然だ。
 又は戦後教育を受けて「国旗は揚げない。国歌は歌わない」で来たから当然だ。

 それが菅内閣の頃から全員が一礼をするようになった。
 「国歌は歌わない。辛気臭いから嫌いだ」という首相の下で。
 首相への当てつけか?そうではない。逆に首相から「一礼するように」と通達があったとしか考えられない。
 人に謝るとき、腰に手を当てたまま頭を下げる恰好だけするような人物だ。一事が万事、だ。国旗への一礼は形式以外の何物でもない。
 それが国民からの人気取りになると思えば、靖國神社の参拝だって喜んでするだろう。
 それが証拠に、「総理主導だ」と言ってわざわざ命懸けで作業をしている福島第一原発にヘリコで行ったではないか。自分が先頭に立ってヘリコから降り立つところを映せ、と拘泥していたではないか。

 「後日談」というのはこのことです。「国旗の切り貼り事件」を全く反省せず、だから国旗に対しての一礼を、「敬意」ではなく、ただの形式、としか見ない(見ることができない)、この党のお粗末さ、です。

 勿論、国旗はただの布きれです。
 しかし・・・                    (続く)
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国旗に礼!①(日の丸切り貼り)

2020年06月08日 | 重箱の隅
2012.10/20 (Sat)

 3年前、衆院選で民主党が大勝し、政権与党となった。
 自民党以外で、単独で政権与党になれるほどの議席を獲得したのは、民主党が戦後初めてだった。

 選挙前、各地で演説会が行われた。
 中に、国旗を中途で二枚切り貼りし、ほとんど正方形のような、実にセンスの悪いみょうちきりんな旗をつくって、民主党旗として演壇の後ろに掲げていた会場があった。
 何でも、民主党の、夕日か朝日かが、「水面に映っているイメージ」、という旗を日の丸でつくったら面白かろうといういたずら心で、或る組合員が会場に持ち込んだのだそうだ。

 あ、どうしても言いたいので、ちょっと脱線します。
 さっきネットでこの写真を探していたら、この民主党の旗について、カン氏が
 「下の円は完全な丸ではない。それは雪だるまでも転がって大きくなっていくようにエネルギーのあるところを表しているんです」
 みたいなことを言ったことがあるそうです。
 何だかあっているような大外れのような、焦点が合ってるんだか合ってないんだか能く分からんのですが。
 このマークのデザイナーの弁では、やはり、この形の整ってない円は、真円を目指すエネルギーを象徴させたんだとか。
 だから菅氏、当たらずと雖も遠からず。流石に「原発には強い(?)」だけあって、説明の仕方も・・・・?
 とは言え、この旗、ちょっと手作りで、とはいかないわけですよね。これだけ歪んだ円だと。日の丸二枚じゃ上手くいかないわけです。
 脱線終わり。復旧します。

 さて、わざわざ日章旗二枚を切り貼りして会場に持ち込んだ。
 それにしても高かったでしょうね。あの大きさの旗なら一枚でも数万円するんじゃないでしょうか。
 それをわざわざ二枚買ってきて下三分の一と上三分の一を重ねて縫い合わせる。面倒なことをしたものです。

 今考えると、一人のちょっとしたいたずら心で始まったのだろうけれど、それを面白がって資金カンパなり縫い合わせるなりの手伝いをした奴が数人いたんでしょうね。
 各自の小遣いか、それとも組合の金を流用したか、それは分からない。まあ、普通に考えればそんなことに個人の金は遣わないでしょうけどね。いずれにしても大きなお世話でしょうけど。
 
 最初に思いついた人間は、「あほか!」と笑われたり、馬鹿にされたり、のそれなりの反応を得て満足して終わり、でしょう。大方はそんな仲間内のことだから、叱責されることはない。
 「国旗をなんだと思ってるんだ!」、なんて怒る者は、彼らの仲間内にはまずいないでしょうから。

 けど、それが政党の演説会となると、様相は当然変わる。
 民主党を支持する各種組合の、おそらくは動員を掛けられた者が集まっているわけだから
 「喜んで参加する」「勇んでやって来た」
 という者ばかりではない。
 それよりも動員が掛かった時点で、それに反対する者がいて、
 「こんな悪戯を企てている奴がおる」
 と情報を外部に流した可能性がある。

 そういったやらしいことでなくって、もっと単純に、滅多に見られない有名政治家の顔を、と持ち込んだカメラに、このみょうちきりんな党旗が映っていた。
 こりゃ面白い、と、早速仲間内で見て笑っていたら、他の者に見つかりネットに流されてしまった、と。

 言いたいのはこの「あほな旗づくり発起人」批判ではない。簡単に流出させてしまった「脇の甘さ」でもない。

 あほなことをした。それを持ち込んだ。そこまでは「あほか!」、で終わる。
 問題はそれを面白がって舞台に張り出したことだ。
 その時点で、「国旗を切り貼りして党旗紛いの物をつくった」ということを叱らなかった演説会主催者の姿勢が糾弾されねばならない。

 ところが御存じのとおり、いや、彼らの得意な言葉で言うと、「ご案内の通り」、この場面は民主党のHPに載せられた。
 これで民主党は国旗を切り貼りして党旗紛いのものを作った(つくることを肯定した)政党であると全国に宣言したことになる。
 国旗の扱いがぞんざいであり、そんなことをして党旗の代用とする、党旗の扱いもいい加減な党だ、と宣言したことになる。

 情報はすぐに自民党に入った。麻生総理は「日本の国旗を切り刻むという行為がどういうことなのか~」と党首討論で詰問した。

 民主党の説明は唖然とするしかないようなものだった。
 曰く、「たまたま党旗がなかったところに持ち込まれたので」
 「全く気が付かなかった」
 そして、慌てて写真をHPから削除する。

 麻生総理に対する鳩山代表の答弁が「??・・・・!!」だった。
 代表はこう言った。
 「それは国旗ではなくて、われわれとしての、ある意味でのわれわれの神聖なマークでありますので、マークをきちんと作られなければいけない話だったと思っております」
 確か、党旗はあったのではなかっただろうか。それを面白いからと掛け直した。

 「神聖なマークだと!国旗より党旗の方が重要なのか!」
 こう言って、怒り狂う人も出てきた。

 「労働組合が推す党だから、社会主義思想の色が濃いだろう、旧社会党の大半が入ってるし」
 、と思っていた人も、そんなことをして面白がっているような党であるということを不安に思うことはなかった。

 そして、この後、「風を吹」かせたマスメディアの目論み通り、政権与党となった民主党にも、このことに対する反省と言ったものは全く見られなかった。


 だから、この話には後日談がある。

                        (続く)
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