CubとSRと

ただの日記

ファッション都市宣言

2020年06月24日 | 重箱の隅
2015.10/27 (Tue)

 神戸が「ファッション都市宣言」、なるものをして、もう何年になるだろうか。
 「ファッション都市」という言葉を目にして「何とも軽薄なことを」と、思ったものだが今調べてみて驚いた。
 何と、宣言の出されたのは1973年(昭和48年)なんだそうだ。もう四十年以上昔のことだ。私が神戸に就職する三年も前のことだ。高校卒業してすぐ、みたいなもんじゃないか!

 軽佻浮薄の代表みたいなものが「ファッション」だ。
 つい最近(・・・は言い過ぎだけれど)、四十代前半まではそんな風に思っていた。

 何しろファッション雑誌というやつが何ともいかがわしい。
 男のファッション誌だって出ているモデルはチャラチャラしてるし、掲載されている時計や、靴、洋服、時には車なんかも、とてもじゃないけど普通の独身男に買えるような金額ではない。
 そんなものを得意気に身に着け、着飾って東京の街中を用もなく歩き回っている若い同年代の男どものスナップ写真が、そんな雑誌には必ず出ていたが、いつも正視できないくらい醜い、と思っていた。
 姿かたちに関しては百歩譲るとしても、一様ににやけた彼らの表情には全く我慢がならなかった。

 女性誌だって似たようなもんだ。訳の分からないカタカナ語が氾濫していて、意味が分からないから、と思って辞書を引いたって分かりゃしない。当然だろう、新造語で、それも英語とフランス語のちゃんぽんだったりするんだから。分かるかい、そんなもん。

 以前書いた「~はマストである」みたいな、みょうちきりんな言い回しや、スウェットシャツを「トレーナー」だとか、ジャケットとパンツを「ジャケパン」、「スリップオン」を「スリッポン」、みたいな、「トレーナー」はともかく、あんまり浅はかな略し方にはどうも生理的に嫌悪感を持ってしまう。
 一番腹が立つのは以前は「シロガネーゼ」だったけど、今は「きれいめ」だ。「きたなめ」の商品はあるのか!・・・あ、「きたなめ」、ってのは古着のことか?

 ちょっと取り乱しました。失礼しました。
 とにかく「カッコいい」、とか「おしゃれ」とかいう言葉は害悪そのもの、「男は黙って○○ビールだ!」
 ん?古過ぎました?何しろ三、四十年前の話ですから。

 そんな風だったから、「ファッション」、というと何となし、「外面だけを取り繕うこと」、或いは「流行に流される」みたいな印象を持っていた。そんなだから、第二の故郷となるはずの「神戸」が「ファッション都市宣言」とは何ちゅうこっちゃ!

 「ファッション」に比べたら「スタイル」の方がよっぽどカッコいい。実際、「生活スタイル」とか「あれがあの人のスタイルだ」、なんていう言葉には、何となく「一目置いてます」みたいな響きがあった。

 しかし、今になってみると、この考え方は大いに間違っている、いや、根本的に間違っていたんじゃないか、と思う。
 「スタイル」の方がよっぽど浅はかな考え方なんじゃないか。
 というのは、「スタイル」というのは、既に確立された考え方による「方策」であって、そこには既に個々の創意工夫や、他者との交流から何かを学び取る、又、互いに高め合う、といった「向上心」が感じられないからだ。「スタイル」とは、つまり、「彼の」、「彼女」のマニュアル、でしかない。

 対して「ファッション」は、「彼の」、「彼女の」追求姿勢であって、そこには間違いなく留まることを潔しとしない、向上の心がある。
 そして、それは今を否定すること(革命)ではなく、今を足場として上へ、という進化を目指している。本当の保守と言い換えてもいい。
 個々の「追求姿勢」には他者から何かを取り入れようという姿勢もある。自分なりに自分を高めていこうという姿勢もある。また、気づかず、他者に何か(刺激等)を与え、他者を変えていくこともある。
 何かに引っ掛かり、悩むことも、また、それについて真剣に考えることも。

 神戸市は「衣・食・住、そして遊」をファッション、とした。
 外面ではなく、その内面を見れば「ファッション都市宣言」とは「果てしない向上を目指す都市宣言」となる。
 何のことはない、「立派な日本人になることを(個々人が)目指す」のと同じではないか。

 神戸は決してちゃら男ではない、ということだ。
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独り言解禁 (後)

2020年06月24日 | 心の持ち様
2015.10/15 (Thu)

 独り言はボケの道。かと言って黙ってりゃ言葉が出なくなる。それもまたボケの道。
 じゃあ一体どうするんだ!
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 ここまでで、置きましたが。今回はその続きです。
 (と言っても私の日記ですから。例によって大したことにはなりませんよ。)

 とにかくそういうわけで「言葉が出なくなったんじゃ話にならん」。
 思いついたことは口にすれば良い。何も黙っていることがボケ封じの特効薬でもあるまい。それどころか喋らないことでますます言葉が出にくくなるんじゃないか。
 そうなると失語症気味になって、考えることもできなくなる。何しろ考える(論理的思考)のは言葉でしかできないんだから。それでは本末転倒ではないか。

 そう思って、四月頃からだったか、独り言を解禁することにした。
 喋り出すとこれが心地よいもので、まあ、次から次へといくらでも言葉が口をついて出てくる。古館某のように、意識的に自己の行動を中心とした実況中継をしているわけではない。無意識に言葉が出てくるだけだ。だからそこにはストレスも何にもない。
 ただ一つ困ったことは、無意識にいつも喋っているわけだから、つい他人の居るところでも喋ってしまうということ。小声で喋っていても、それが耳に届いた他人は薄気味悪いだろう。

 だから「人前では喋らないようにする。一人の時しか喋らない。『独り言』なんだから」、と定めることにした。

 で、半年近く経って、これに対して疑問を持ち出した。
 いや、既に疑問ではなく、答えが出ている。
 「状況によるけれど、独り言はやめよう」。
 今、それでまた「一人でいるときは喋らない」ことにした。

 無意識の裡(うち)に口を衝いて出てくる言葉というものは、単語、或いは短文でしかない。発露は発露でしかないから口にした端から消えていく。
 「意図的に頭を使えない」のが「ボケた」ということで、言葉は意図的に頭を使うための便法なのだから、それを無意識に使うなんてのは刃物を弄ぶのと同じこと。
 だから古来より日本人は「言葉に魂がある(言霊)」、として思いを込めて口にしてきた。「我が国は言挙げせぬ国」、と普通は吉事(よごと)も凶事(まがごと)も神前で告(の)る時以外は軽々しく言葉を発するべきではないとしてきた。
 祝詞(のりと)とはそういうことだ。呪詞も含め、本来は咒詞(のりと)で、吉凶全てを指す。

 つまり、言葉は無意識に使うべきではない。
 独り暮らしがボケ防止のためにすることは「独り言をやめること」でもないし「敢えて独り言(ご)つ」ことでもない。意図的に「何かをする」ことだ。無意識の行動に我が身を任せてしまうのが一番よくない。
 感情だって、原初はともかく、結局は個々人が意図的に作っていくものだ。夕陽を見て、或いは御来光を見て感動するのは、そのための下準備が十二分になされているからだ。
 子供の頃、「それ」を美しいものとして聞かされ、大人が「それ」を見て涙する姿を見せられて、心に刻み込まない子供がいるだろうか。

 「独り暮らしの独り言」を無意識にしてしまう時間があれば、意識して書き留め、考え続ける方がよっぽどいい。古典と呼ばれるものを音読する方がよっぽどいい。
 (将に『声に出して読みたい日本語』であって、間違ってもどこかの大新聞の社説なんか音読しちゃいけない)
 無意識にやったって何も上達しない。けど、意識してやれば向上はあり、それは必ず上達につながる。「ボケ防止のため」、なんて小っちゃいこと言ってちゃ何もならない。


 ここまで書いて一息。
 時計を見て、つい「二時か・・・」、と独り言が口を衝いて出た。

 道は遠い・・・・・。
 
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独り言解禁 (前)

2020年06月24日 | 心の持ち様
2015.10/14 (Wed)

 「独り言を言うようになったら危ない」と言われて、22歳からの独り暮らしでは、独り言を言わぬように用心していた。
 言わずと知れたこと、「独り言はボケの初め」という常識みたいなものがあったからだ。
 四十年前だから、まだ痴呆症という言葉は一般的でなく、認知症(認知能力低下症)という言葉は存在しなかった。

 三十近くなったころ、姉から同様の事をからかい半分に言われた。気づかず独り言を言っていたらしい。
 でも大体がお喋りだ。まだ家にテレビがなかった子供の頃、近所の家にテレビを見せてもらいに行ってたのだけれど、あんまり賑やかなものだから、何人もの子供がテレビを見に来ている、と思ったその家の主人が、
 「子供らに菓子を持っていってやれ」
 と言ったそうだ。
 「○○ちゃん、一人しかいないよ」
 と奥さんが言うと、俄かには信じなかったとか。一人でしゃべり続けていたらしい。
 別にテレビと喋っていたわけではないし、勿論、本人にそんな記憶は全くない。ざしきわらしもいなかった(筈だ)。

 しかし、六十を過ぎてからも、「思い出話」としてではなく「お喋りのルーツ」としてこれを持ち出されることがある。
 「お前のお喋りは生まれつきだ」と断罪され続けているわけだ。
 だが、そんなバカなことはない。生まれた瞬間からべらべら喋っている赤ん坊などはおらん。育っていくうちにそうなるのだ。

 そんな自分でも「多感な少年期」があって、中学生の頃はあまり喋らなかった。全く言葉の違う土地に転校して、喋ると方言をまねされ、笑われるからだ。(こちらとしては、みんな、教科書までも関西弁のイントネーションで読むものだからひっくり返りそうになったけど。「どこにそんな発音(の抑揚)が書いてあるんだろう?って、真剣に悩んだ記憶がある。勿論そんなものはない。自然にそうなるらしい。)

 それが高校生のころまで続いた。自然、口が重くなる。そうなると、家で一人でいる時などは全く口を開かなくなる。
 「口は食べるためにある」。そう思っていた。

 そして、先述の「独居の独り言用心」。
 それが昨年父が他界し、今年から遂に朝から晩まで正真正銘の独り暮らしとなった。
 家に居るのは一人なわけで、何もしゃべる用がないのだから、気が付くと朝起きてから夜寝るまで一言も発しないという生活を展開するようになった。

 喋らなければ言葉を忘れる。不意の時に言葉が出てこなくなる。これまた「ボケの道」の一つではないか!
 実際、言葉が出にくくなった。これはいかん。却ってボケ街道一直線だ!


   (久しぶりに後半へ続く)
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思いついたこと一つ

2020年06月24日 | 心の持ち様
2014.12/23 (Tue)

 本当ならば、これからは田中卓博士の評論集からの転載を主にして、感想は少しだけ、とするつもりでした。
 しかしこうやってPCがない状態になってみると、やはりそれだけに限定するのはそこで立ち止まって各種の適用をしてみることをしないということですから、結局、自身の「沈思黙考」はないままで、ということ、結果、自身の生長はあまり期待できない、ということになるのではないか、そう思うに至りました。

 評論集は逃げません。一時間半の講義じゃないんですから、いくらか読んだ後、そこから低徊しようが彷徨しようが待っていてくれます。
 ならば、これまで通り、でも、脱線じゃなく、支線に入る、或いは途中下車する、くらいのつもりでも良かろうじゃないか、とますます勝手なことを考えています。

 田中博士の評論集を感得することは無理としても、初めっからそのための努力までも諦めては意味がない。せめて理解だけはしたい。ならばまずは「一途」に取り組むところから始めるべきではないか。
 そう書くと、今度は
 「『支線』やら『途中下車』はどうなんだ?『木を見て森を見ず』になるんじゃないのか?」
 とからかわれそうだけれど、これだっていつも書いている通り「木を見て森を忘れず」ということを意識していれば良いだけのことです。
 一途に評論集に取り組んでいると、必ず支線や途中下車したいところが現れるだろうと思っています。けど、「森を忘れ」ぬように意識していれば、滅多なことにはならないでしょう。

 さて、そういうわけで、「気になること、思いついたこともその都度書く」という、これまでとあまり変わり映えのない日記になりそうです。いきなり「修正主義者さん」に自ら認定、です。けど、森を忘れなければ良い。三省すれば良い。

 それで早速なんですが。
 十二月から習字の練習を、と思って筆を持ってみたのです。
 だからまだ僅か5回ほど(この日記を書いたのは12月5日です)のことなんですが、筆の持ち方について思ったことがあります。
 それは
 「筆を三本の指でしっかりと支え、薬指は縁の下の力持ち(これが最大ポイント!)とすること。そして(初めは)指を動かしたり、手首を動かしたりしない。つくりつけのようにしっかりと形を固めて、筆は垂直にする。」
 書道に詳しい人から見れば噴飯ものでしょうけど、三日目あたりからそんなことを思うようになりました。
 (大きな字を書く時は、五本全部なんでしょうけど、ここでは十センチ角程度の話です)

 剣術を習っていたとき、どうしても柄握りが能く分からなくって何度も何度も先生や師範代に聞いたのです。
 勿論子供じゃないんだから「ねえねえ、どうして?分かんないよ」、みたいな、鬱陶しがられるようにしつこく、じゃありませんよ。「また聞くか?面倒くさい奴だな」なんて思われるんじゃないかな、なんて体裁も気にしながら、一年に一回聞くか聞かないか、程度です。二十数年間ずっと。
 聞き続けたのですが、そうこうするうちに齢だけは取り、先生は亡くなり、師範代も亡くなり・・・・。
 結局、まだ本当に分かったのかどうか分かりません。

 それでも何とか了解できたのは、「握る」のではなく、柄が手のひらが触れた状態で、全ての指が均等に「掛かる」ようにすること。
 そして言われたのは「柄握りの工夫をすれば木刀に指の跡がつく(窪みができる)」ようになる、と。均等に握っている証拠です。
 「掛かる」ようになるためには、しっかりと「握る」ところから始めねばならず、「しっかりと握る」ということは、柄に指の形の窪みができるほど「渾身の力を込めて握り込む」ところから始めねばならない、ということでしょう。
 刀は手先で使うものではないのだから当然のことと考えたら、筆だって手先ではなく体全体でつかうと考えた方が良いのかも、と思います。そう思ったら、遠い昔、習字の練習をしていた子供が、身体を前後左右に揺れるようにして筆を使っていたことを思い出しました。(勿論私ではありません)

 「掛ける」、「持つ」、「握り込む」、はみんな違うけれど、同時に行わなければならない。「掛ける」といっても離れてはならず、「持つ」といっても自在でなければならず、「握り込む」といっても(固まって)動けなくなってしまってはならない。
 それが「手の内(手の裡)」という剣術の極意の一つなのでしょう。いくら聞いたって分かるものじゃないし、だからと言って聞かないで工夫だけしたって、そう簡単につかめるものではない。聞いて、見詰めて、工夫して、を併行し続けた結果、理解、感得(体得・会得)するんでしょう。
 鮨職人が寿司を握るときの、手のみならず、身体が同調するかのように動く様子。喫茶店の主人がポットの湯を濾過紙に注ぐ、その際の体全体の微妙な揺れ方。
 「握って握らず」、ですか。そこ(その一点)に神経だけが集中し、力が集中しないように(?)、全身に力を入れている。

 筆を持つ、ということも、やっぱり同じなのかな???

 ・・・・・・・なんてことを思っています。
 たかが三日ほどで。大層な話です。

 (「ちゃんとした字が書けるようになってから言えよな」、という声が聞こえてきそうですが。)
 

  
 
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