CubとSRと

ただの日記

振り返る(安保法案、9月19日可決からもうすぐ二ヶ月)

2020年06月27日 | 心の持ち様
2015.11/13 (Fri)

 また「WILL 9月号」からの部分転載です。
 標題の通り、9月半ば過ぎの法案可決です。8月初めに9月号が発行されるので、記事内容は更にひと月前のもの。
 そのことにも留意して見ていただけたらと思います。

 例によって「観点を変えれば、見えなかった理屈が分かる」こともある。
 また、「分からなかったのは、頭が悪いから、とは限らない」。

 たとえば説明する側の論理が破綻している場合。
 筋道を立てて聞こうとしているのに筋道(論理)が見えなくなる(つながりが分からなくなる)。→展開が見えない(理解できない)。 

 たとえば自らが「分かろう」と、努力していなかった場合。
 これは早い話が聞こうとしてない、ということです。反論するために切っ掛けをさがすことに集中しているものだから、相手の論理展開を把握しようなんて思ってる暇はない。

 今回の法制については、説明する側の政府の「論理が破綻していた」のか。
 それとも、大半の野党、国民が聞こうとしなかったのか。
 それは、
 「戦争法案絶対反対!」、「自民党、感じ悪いよね」、「あの日からパパは帰ってこなかった」
 などの、全く論理批判になっていないコピーを思い出せば済むことでしょう。

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 「WILL 9月号」の「集団的自衛権」より

  「集団安全保障」     (冨澤 暉 元陸上幕僚長)

 今般の安保法制の議論は、大方の一般国民には非常に分かりにくいものになっており、私たち自衛隊のOBでさえ、にわかには理解し難い議論が展開されています。
 さらには、マスコミが反対ありきの、ためにする報道を大々的に行っている。「戦争に行くための法案だ」などというのはその最たるものでしょう。ホッブズがいう「自然状態」のように、法律を決めずに無法状態にしておいてこそ戦争は起こるのであって、そうならないために法律を決めている、というのが近代国家の基本です。
                   (略)
 (軍隊は)「常態的に存在しつつ訓練をする」ことで戦争を抑止するのがメインになり、それには部隊交代や訓練の練度維持から考えても志願制の方が遥かに適しています。だから先進各国は、徴兵制から志願制にシフトしているのです。
                   (略)
 たとえば公海上で並行して航行するアメリカの艦船が攻撃された場合、日本が「集団的自衛権」を行使して助けるという話を政府は折に触れてしていますが、現状では、米艦どころか日本の僚艦が攻撃された時でさえ、防衛出動命令が出なければ反撃できない状態です。
 つまり個別的自衛権が認められていても、「防衛出動命令」が出なければできないことを集団的自衛権で解決しようというのは無理があります。
                   (略)
集団安全保障はみんなでグループを形成し、その秩序や平穏を乱す者は制裁を受ける。いわば国連軍や多国籍軍、有志連合の考え方で、これらを「集団的自衛権の集まり」と解釈する人もいますが、「集団安全保障」と考えるほうが自然でしょう。
                   (略)
 緒方さんの人道支援はクローズアップされますが、常に軍隊の力によって治安が維持されていたという前提はほとんど注目されず、特に「緒方さんこそ理想だ」と述べる日本人の人道支援団体やボランティアの人たちはこの事実を全く知らない。

                   (以下略)

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 >「今般の安保法制の議論は、大方の一般国民には非常に分かりにくいものになっており、私たち自衛隊のOBでさえ、にわかには理解し難い議論が展開されています。」

 さらっと眺めると
「一般国民には非常に分かりにくい」「自衛隊のOBでさえ、にわかには理解し難い」。
 だから
「この安保法制は複雑で、誤魔化しているところがいっぱいあり、戦争法案と言わざるを得ない」
 と読んでしまう人がいるかもしれない。
 勿論、元陸上幕僚長は全く反対のことを書いています。
 「議論の焦点を、根幹の説明要求ではなく特殊な部分に置き、『初めに否定在りき』の『主張』に終始したため、立案の本旨が明らかにされなかった」
 もっと言えば
 「一体、なに質問してんだ!」、です。


>(軍隊は)「常態的に存在しつつ訓練をする」ことで戦争を抑止するのがメイン
 「泥縄」、という言葉があります。「泥棒を捕えてから縄を綯(な)う」。そりゃ遅いだろ。でも、捕えただけでもマシ、と言えるのかも。
何しろ、被害はないわけです。
 でも戦争はそうはいかない。
 どこかが攻めてきてから、軍隊を仕立て、兵器の開発・製造をして、
 「個別的自衛権を行使するから、それまで待ってね」
 って?
 「我々は戦争をしない。九条に明記してある!貴国の公正と信義に(?)信頼する!」
 で、何が何でも押し通す?? 通る????
 通るのなら、レーダー照射をしたり、他国の領海を潜航して通ったり、戦闘機で異常接近したり、なんてことは決して、ないでしょう。言うまでもなく人工島作って、「領海だ!」と強弁するなんてこともある筈がない。
 個別的自衛権は、早い話、攻撃されて被害が出なければ発動できない。甚大な被害が出たならば、発動しようにもその体力がなくなってしまう。となると、降伏するしかないわけですね。

>緒方さんの人道支援はクローズアップされますが、常に軍隊の力によって治安が維持されていたという前提はほとんど注目されず、特に「緒方さんこそ理想だ」と述べる日本人の人道支援団体やボランティアの人たちはこの事実を全く知らない。

 国連難民高等弁務官の緒方貞子氏の活躍は背景に軍隊の力があってこそ。軍隊はこのように「平時」にこそ必要なのだ、と。
 「平時を維持する(=戦争を抑止する)」ために軍隊があり、それがメインだ、と。

 そういうことを、そういう力を持たず、単身、交渉に踏み込んでいって成立させて来る、なんてのは「蛮勇」なんてものじゃない。
 「蛮勇」「向こう見ず」「命知らず」でさえ開いた口がふさがらない、というほどの信じられない行い。
 そんなことをやったのは中山恭子議員くらいなものです。
 それを全国民に望むのか。

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 調子に乗って中山議員の名前まで挙げましたが。
 蛇足ながら、以前にも転載しましたが、この件、西村眞悟氏のブログに出ていたものです。
 改めて部分転載します。

・・・・
 一九九九年(平成十一年)八月、キルギスで四人の日本人鉱山技師を含む七名が、イスラム過激派に誘拐された。当時、この地域の担当大使は、カザフスタン特命全権大使の中山恭子氏だった。
 この誘拐された日本人を如何にして救出するか、この緊急事態に対する東京からの中山大使に対する外務省の訓電は「犯行現場はキルギスだから、キルギス政府に総て任せよ」であった。
 つまり、この地域の担当大使は何もするな、というのが外務省の指示であった。
 そこで以下、如何にして、中山恭子大使が四人の日本人を救出したかを述べる。

 まず、中山大使は、外務省の訓電どおりキルギス政府に任せておれば日本人は殺されると判断した。
 そこで、外務省の訓電を無視して中山大使自ら、誘拐犯の過激派の頭目に会いに行くことを決断した。
 そして、女性通訳と二人だけで過激派の頭目に会いに行った。
 道案内人達は、途中で恐くなって逃げたという。
 そして、自動小銃を持った子分どもが取り囲むなかで頭目に会う。
 頭目は驚く。女一人が女の通訳を連れて武器も持たずに会いに来たと。
 話の末に頭目は、中山大使の願い通り人質を解放することを承諾し、
 「護衛」を付けて人質と共に市街地に送り届けてくれた。

 先年私は、次の二つのことを中山恭子先生に質問した。
「もし先生が、外務省の訓電通り、キルギス政府に人質総て任せていたら人質はどうなりましたか」
 答え、「全員殺されてました」

「もし先生が、過激派の頭目に会って、要求が聞き入れられずに会見が物別れになったら、どうなってました。」
 答え、「私、殺されてました」

 世界中の国々で、自国民を救うために単身、殺されるのを覚悟して、過激派の頭目に会いに行って、
 頭目を説得して人質を連れ帰ってきた大使など、
 中山恭子先生以外にいない。
 日本が誇りとすべき勇気を示した日本外交の世界的快挙だ。
 しかし、外務省は、
 自らの訓電通りしなかったという訳かどうか知らないが、この快挙を無視している。

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1060

コメント
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