2012.10/03 (Wed)
我々日本人は、あの下品な横車押し(彼の国の正心誠意)に、どのように対すれば良いのか。
少なくともアサヒの言う様な「挑発せず、挑発に乗らず。あおらず、そして決然と」「平和国家の矜持を以て事を運ぶ」、つまり「緊張感を以て注意深く見守るばかりで何もしない」、なんてすっとこどっこいな対応をすべきではない。
などと書いて、終わっていました。
あのあと、例のみの氏の朝のワイドショーで、氏はこんなことを言ってました。
「何だかねぇ、中国は中国語で堂々と演説してましたけど、日本は英語で自信がなさそうなしゃべり方で。あれはどうなんですかねえ」
みの氏、どうも「相手は中国語で、堂々とやっているのに、日本は何で英語なんだ!負けずに日本語で堂々とやれよ。そんなで毅然とした態度なんて言えるのか!」、みたいなことを言いたかったんでしょうね。
あの瞬間、同じことを思った人、いるんじゃないでしょうか。
私は、物知らずだから、あの瞬間「通訳入れてでも、日本語で気合入れて喋れよ」と思いましたよ。勿論間が悪くなるから、「意見を戦わせる」という場としたら、不利になりますけど。
ところが思ったと同時に、コメンテーターの誰かが、「中国語は国連の公用語なんですよ。英語と中国語とフランス語と~。日本語は公用語じゃないから、通訳をつけなきゃならない。その分、時間がかかるから、議論では不利なんです」と説明した。
みの氏、続けて「日本!しっかりしろ!」と言いたかったんだろうけど、言えない。知らなかったんでしょうね、やっぱり。私と一緒で。相撲の「裾払い」掛けられた気分だったでしょう。
それでもめげずに「あの英語はどうなんですかね」と、「あんまり上手じゃないから、どうだかね」みたいなコメントを引き出そうとしたんですが、「いや、あの英語はなかなかのものですよ」と言われて、遂に撃沈。
私はと言えば、「そうか。公用語か。でも、英語が公用語と言うのは分かるけど、何で中国語が公用語なんだ!常任理事国だからか!後から割り込んで居座ってエラそうに!」と思い、次の瞬間「あ、でも、仕方がないか。人口の5人に1人はシナ人なんだからなあ」と気が付きました。
そして、またまた次の瞬間、「フランス語は?」・・・・我ながら諦めが悪い。
調べてみたら、国連の公用語は、これ以外にアラビア語やスペイン語もあるんだそうですね。北アフリカから西アジアにかけてはアラビア語が多く、アメリカ大陸の南半分はほぼスペイン語だし、アフリカの多くはフランス語。
結局、力づく(占領、植民地化)の後は、それが共通語となり、今は何の問題もなくそれぞれの地で使われている。何だか割り切れないものを感じます。やっぱり国連って力づくなんですね。
さて、「外交の極意」の続きです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
政治家の秘訣は、何もない。ただただ「正心誠意」の四字ばかりだ。この四字にてやりさえすれば、たとえいかなる人民でも、これに心服しないものはないはずだ。また、たとえいかなる無法の国でも、故なく乱暴するものはないはずだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
確かに。隣国の此の度の乱暴にも、ちゃんとした理由があった。あの乱暴は政治家自身が我が身と共産党を守るために行わせたんでした。
そして国際問題として見た場合、「正心誠意」は彼の国にも、我が国にも、あったとは言えない。逆に策を弄したことばかりが目立つ。
今朝の「特ダネ!」で言ってましたが、あの時破壊されたホテルは緊急に修復が続けられているそうです。
しかしホテルに問い合わせると、今、やってるのはただの改築で、破壊されたからではない。デモ隊だって、ホテルには来なかった、とか。
ネットにあれだけ破壊行為の動画が流出しているのに、なかったことにしようとしている。
天安門事件の時、学生が戦車に轢き殺されて破裂し、シャツとズボンだけが路面に張り付いている写真があっても、そんなことはなかった、誰一人として死んでいない、とNHKは数年前に「北京放送局日本支社」の面目躍如の番組をつくってましたね(クローズアップ現代)。
勝海舟はこう言っています。
○外交の極意は、「正心誠意」にあるのだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだよ。
維新前に岩瀬(忠震ただなり)、川路(聖謨としあきら)の諸氏が、米国と条約を結ぶときなどは、五州(世界)の形勢が、諸氏の胸中によくわかっていたというわけではなく、ただ知ったことを知ったとして、知らぬことを知らぬとし、正心誠意でもって、国家のために譲られないことは一歩も譲らず、折れ合うべきことは、なるべく円滑に折れ合うたものだから、米国公使(ハリス)もつまり、その誠意に感じて、のちには向こうから気の毒になり、相欺くに忍びないようになったのさ。
「外交の極意は正心誠意」 (勝海舟 氷川清話より)
「誤魔化しなどをやりかけると、却って、こちらの弱点を見抜かれる」
確かにその通り。だけど、奇手奇策とまではいかずとも、少しでも有利な条件を、と種々の策を弄するのは、昔も今も同じこと。
海舟だって、自分で「おれだってことに処して多少の権謀を用いないこともない」と白状している。
それでも尚且つ「誤魔化しなどはやらぬ方が良い」と言っている。
「おれだって、ことに処して多少の権謀を用いないこともない」
という文は、江戸城明け渡しに関する西郷との談判のことで出て来ます。
同じ「氷川清話」の「古今の人物について」という項目中、「西郷隆盛の人物」という文中にあります。
「西郷の至誠は、おれをして相欺くことができなかった。」
(有利に運ぶために)権謀を用いようとは思ったけれど、させてくれなかった(できなかった)。それをやれば、この人に腹を見透かされてしまう。
「欺いてやろうとすると、却って墓穴を掘ることになる。これは至誠を以って応ずるしかない」
我を捨ててかかるしかなかった。「有利に運ぼう」なんて小刀細工をやれば、あちこち綻びが出てしまう。「絶対に譲れないものは何か。」
海舟にとって絶対に譲れないもの。それは、幕臣として、慶喜公の命を守ること。そして、江戸を守ること。江戸を守れば国を守ることになる。
外国に対して、「外交の極意は正心誠意にあるのだ」と言っているんですが、そういうわけで、実はこの言葉、額面通りに受け取っちゃならない、と思うんです。
これだけ見たら「正心誠意でやれば通ずる。うそ、偽りなんかあっちゃなんねえ」と言っているみたいでしょう?
でも、よく見ると
「外交の極意は正心誠意にあるのだ」
とは書いてあるけれど、
「正心誠意でやれば通ずる」
なんて書いてないでしょう?
「通ずる」なんて思ってない。価値観が違うのですから。
そこをうまくやるためには、どうしたら良いか。
長々と書きましたが「正心誠意」を以ってすれば、
「その誠意に感じて、後には向こうから気の毒になり、相欺くに忍びない(と向こうが思う)ようになる」
、のだ、と最後にちゃんと書いてある。
肝腎要のところは、うそ偽りなく接していれば、
「欺いてやろう、騙して自国(おれ)の有利になるように」と、やっている相手(国)が、
「何だか気の毒だ。それに、こんな人の好い奴(国)をだまくらかす、なんて、おれ(我が国)は自分が卑しい、泥棒見たいな気がしてきた」と思うようになる、と言っている。
本当に人が好いと言うか何と言うか。「人の悪い」海舟で、これです。
実際、日本は悪の限りを尽くした、とか周辺の国々に無理難題をふっかけた、というわけではない。でも、「いや、日本は悪い国だ。そういうことをいっぱいしてきたんだ」と、国内外には声高に主張する人もいる。
けれど、百万歩譲って、そうであったとしても、必死になって
「正心誠意、ことに処していれば、必ず分かってくれる(後には向こうから気の毒になり相欺くに忍びないようになってくる)。」
それでも頑固に「いや、何が何でも日本が悪いんだ!」と言い張る国内外の人は、遂には世界中から逆に非難され始める・・・・・・・、と。
「そんな甘いこと言ってるから」?
「正心誠意」を旨とする外交と、百年は遅れているという、日本の今の外交と。
どっちが「甘い」んでしょう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一見、アサヒ新聞の言通り、
「挑発せず、挑発に乗らず。あおらず、そして決然と」「平和国家の矜持を以て事を運ぶ」、つまり「緊張感を以て注意深く見守るばかり」
が、良い、と言ってるように見えるかもしれません。
でも、これ、心根が、いや、覚悟が全く違っているでしょう?
「挑発」だとか「決然と」だとか「「平和国家の矜持」だとか、ここにあるの、ただの社会のマナーじゃないですか。エチケットかもしれない。
海舟の言っているのは、「正心誠意」、です。つまり「一所懸命」。「命懸け」。「必死」。
相手も「彼らなりの」正心誠意で日本の領海に侵入してくる。
対して、日本の正心誠意は?
今、海上保安庁だけが、日本の「正心誠意」を実践しています。
我々日本人は、あの下品な横車押し(彼の国の正心誠意)に、どのように対すれば良いのか。
少なくともアサヒの言う様な「挑発せず、挑発に乗らず。あおらず、そして決然と」「平和国家の矜持を以て事を運ぶ」、つまり「緊張感を以て注意深く見守るばかりで何もしない」、なんてすっとこどっこいな対応をすべきではない。
などと書いて、終わっていました。
あのあと、例のみの氏の朝のワイドショーで、氏はこんなことを言ってました。
「何だかねぇ、中国は中国語で堂々と演説してましたけど、日本は英語で自信がなさそうなしゃべり方で。あれはどうなんですかねえ」
みの氏、どうも「相手は中国語で、堂々とやっているのに、日本は何で英語なんだ!負けずに日本語で堂々とやれよ。そんなで毅然とした態度なんて言えるのか!」、みたいなことを言いたかったんでしょうね。
あの瞬間、同じことを思った人、いるんじゃないでしょうか。
私は、物知らずだから、あの瞬間「通訳入れてでも、日本語で気合入れて喋れよ」と思いましたよ。勿論間が悪くなるから、「意見を戦わせる」という場としたら、不利になりますけど。
ところが思ったと同時に、コメンテーターの誰かが、「中国語は国連の公用語なんですよ。英語と中国語とフランス語と~。日本語は公用語じゃないから、通訳をつけなきゃならない。その分、時間がかかるから、議論では不利なんです」と説明した。
みの氏、続けて「日本!しっかりしろ!」と言いたかったんだろうけど、言えない。知らなかったんでしょうね、やっぱり。私と一緒で。相撲の「裾払い」掛けられた気分だったでしょう。
それでもめげずに「あの英語はどうなんですかね」と、「あんまり上手じゃないから、どうだかね」みたいなコメントを引き出そうとしたんですが、「いや、あの英語はなかなかのものですよ」と言われて、遂に撃沈。
私はと言えば、「そうか。公用語か。でも、英語が公用語と言うのは分かるけど、何で中国語が公用語なんだ!常任理事国だからか!後から割り込んで居座ってエラそうに!」と思い、次の瞬間「あ、でも、仕方がないか。人口の5人に1人はシナ人なんだからなあ」と気が付きました。
そして、またまた次の瞬間、「フランス語は?」・・・・我ながら諦めが悪い。
調べてみたら、国連の公用語は、これ以外にアラビア語やスペイン語もあるんだそうですね。北アフリカから西アジアにかけてはアラビア語が多く、アメリカ大陸の南半分はほぼスペイン語だし、アフリカの多くはフランス語。
結局、力づく(占領、植民地化)の後は、それが共通語となり、今は何の問題もなくそれぞれの地で使われている。何だか割り切れないものを感じます。やっぱり国連って力づくなんですね。
さて、「外交の極意」の続きです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
政治家の秘訣は、何もない。ただただ「正心誠意」の四字ばかりだ。この四字にてやりさえすれば、たとえいかなる人民でも、これに心服しないものはないはずだ。また、たとえいかなる無法の国でも、故なく乱暴するものはないはずだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
確かに。隣国の此の度の乱暴にも、ちゃんとした理由があった。あの乱暴は政治家自身が我が身と共産党を守るために行わせたんでした。
そして国際問題として見た場合、「正心誠意」は彼の国にも、我が国にも、あったとは言えない。逆に策を弄したことばかりが目立つ。
今朝の「特ダネ!」で言ってましたが、あの時破壊されたホテルは緊急に修復が続けられているそうです。
しかしホテルに問い合わせると、今、やってるのはただの改築で、破壊されたからではない。デモ隊だって、ホテルには来なかった、とか。
ネットにあれだけ破壊行為の動画が流出しているのに、なかったことにしようとしている。
天安門事件の時、学生が戦車に轢き殺されて破裂し、シャツとズボンだけが路面に張り付いている写真があっても、そんなことはなかった、誰一人として死んでいない、とNHKは数年前に「北京放送局日本支社」の面目躍如の番組をつくってましたね(クローズアップ現代)。
勝海舟はこう言っています。
○外交の極意は、「正心誠意」にあるのだ。ごまかしなどをやりかけると、かえって向こうから、こちらの弱点を見抜かれるものだよ。
維新前に岩瀬(忠震ただなり)、川路(聖謨としあきら)の諸氏が、米国と条約を結ぶときなどは、五州(世界)の形勢が、諸氏の胸中によくわかっていたというわけではなく、ただ知ったことを知ったとして、知らぬことを知らぬとし、正心誠意でもって、国家のために譲られないことは一歩も譲らず、折れ合うべきことは、なるべく円滑に折れ合うたものだから、米国公使(ハリス)もつまり、その誠意に感じて、のちには向こうから気の毒になり、相欺くに忍びないようになったのさ。
「外交の極意は正心誠意」 (勝海舟 氷川清話より)
「誤魔化しなどをやりかけると、却って、こちらの弱点を見抜かれる」
確かにその通り。だけど、奇手奇策とまではいかずとも、少しでも有利な条件を、と種々の策を弄するのは、昔も今も同じこと。
海舟だって、自分で「おれだってことに処して多少の権謀を用いないこともない」と白状している。
それでも尚且つ「誤魔化しなどはやらぬ方が良い」と言っている。
「おれだって、ことに処して多少の権謀を用いないこともない」
という文は、江戸城明け渡しに関する西郷との談判のことで出て来ます。
同じ「氷川清話」の「古今の人物について」という項目中、「西郷隆盛の人物」という文中にあります。
「西郷の至誠は、おれをして相欺くことができなかった。」
(有利に運ぶために)権謀を用いようとは思ったけれど、させてくれなかった(できなかった)。それをやれば、この人に腹を見透かされてしまう。
「欺いてやろうとすると、却って墓穴を掘ることになる。これは至誠を以って応ずるしかない」
我を捨ててかかるしかなかった。「有利に運ぼう」なんて小刀細工をやれば、あちこち綻びが出てしまう。「絶対に譲れないものは何か。」
海舟にとって絶対に譲れないもの。それは、幕臣として、慶喜公の命を守ること。そして、江戸を守ること。江戸を守れば国を守ることになる。
外国に対して、「外交の極意は正心誠意にあるのだ」と言っているんですが、そういうわけで、実はこの言葉、額面通りに受け取っちゃならない、と思うんです。
これだけ見たら「正心誠意でやれば通ずる。うそ、偽りなんかあっちゃなんねえ」と言っているみたいでしょう?
でも、よく見ると
「外交の極意は正心誠意にあるのだ」
とは書いてあるけれど、
「正心誠意でやれば通ずる」
なんて書いてないでしょう?
「通ずる」なんて思ってない。価値観が違うのですから。
そこをうまくやるためには、どうしたら良いか。
長々と書きましたが「正心誠意」を以ってすれば、
「その誠意に感じて、後には向こうから気の毒になり、相欺くに忍びない(と向こうが思う)ようになる」
、のだ、と最後にちゃんと書いてある。
肝腎要のところは、うそ偽りなく接していれば、
「欺いてやろう、騙して自国(おれ)の有利になるように」と、やっている相手(国)が、
「何だか気の毒だ。それに、こんな人の好い奴(国)をだまくらかす、なんて、おれ(我が国)は自分が卑しい、泥棒見たいな気がしてきた」と思うようになる、と言っている。
本当に人が好いと言うか何と言うか。「人の悪い」海舟で、これです。
実際、日本は悪の限りを尽くした、とか周辺の国々に無理難題をふっかけた、というわけではない。でも、「いや、日本は悪い国だ。そういうことをいっぱいしてきたんだ」と、国内外には声高に主張する人もいる。
けれど、百万歩譲って、そうであったとしても、必死になって
「正心誠意、ことに処していれば、必ず分かってくれる(後には向こうから気の毒になり相欺くに忍びないようになってくる)。」
それでも頑固に「いや、何が何でも日本が悪いんだ!」と言い張る国内外の人は、遂には世界中から逆に非難され始める・・・・・・・、と。
「そんな甘いこと言ってるから」?
「正心誠意」を旨とする外交と、百年は遅れているという、日本の今の外交と。
どっちが「甘い」んでしょう?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一見、アサヒ新聞の言通り、
「挑発せず、挑発に乗らず。あおらず、そして決然と」「平和国家の矜持を以て事を運ぶ」、つまり「緊張感を以て注意深く見守るばかり」
が、良い、と言ってるように見えるかもしれません。
でも、これ、心根が、いや、覚悟が全く違っているでしょう?
「挑発」だとか「決然と」だとか「「平和国家の矜持」だとか、ここにあるの、ただの社会のマナーじゃないですか。エチケットかもしれない。
海舟の言っているのは、「正心誠意」、です。つまり「一所懸命」。「命懸け」。「必死」。
相手も「彼らなりの」正心誠意で日本の領海に侵入してくる。
対して、日本の正心誠意は?
今、海上保安庁だけが、日本の「正心誠意」を実践しています。