CubとSRと

ただの日記

突く 最終回(残心と一途)

2020年06月05日 | 重箱の隅
2011.12/19 (Mon)

 唐突ですが、剣術から出た武術の用語に「残心」というのがあります。
 攻撃をした時や、し終わった時、相手からのもしもの反撃を意識して、
 「気を抜かない(或いは隙を見せない)心積もり」
 、といった意味合いで用いられていますが、これは本来、「心の持ち様」ではなく、「身体の持ち様」をさす言葉です。

 切り付けた時、全身の体重を「切っ先に込めよう」「打撃部位に載せよう」とします。全体重を「物打ち(切っ先三寸)」にかける。
 ところが、実際にやろうとすると、勢い余って(焦って)体勢を崩してしまいやすい。「前のめりになる」「たたらを踏む」状態になってしまうかもしれない。
 前倒しではなく、前のめり。完全にバランスを崩して、転倒を防ぐのがやっと、といった状態になる(かもしれない)。

 全身を投げ出す、叩き付けるわけだから、そうなる可能性は十分にあるんですが、そうなっては全く意味がないことはご承知の通りです。
 バランスを崩してしまうと、全体重を物打ちにかけたつもりがそうはならないわけで、まともな切り付けは実際にはできなくなるわけですから。

 それでは困るから、
 「切り付けた時、身体まで投げ出すのではない。体勢は崩すな。身体をちゃんと残しておけ。それで初めて思う存分の切り付けができるのだ」
 と教えます。
 そうです。「残心」というのは、本来は、「残身」だった。
 そうやって体勢を崩さず切り付けた時は、次の「状況」に対応できる。心の方も、前のめりにはなっていないから、同じく次の「情況」に対応できる。つまり「残心」の意識が生まれる。
 
 切りつける時に「残身」が意識されたからこそ、「残心」に思いが至った。 
 「残心」を発見したわけです。
 「残心」が「残身」を生むのではありません。飽く迄も「残身」という土台があって、「残心」に気がつく。

 そうやって見ると、「残身」は「切り付け」、それも、「正面」か、「袈裟懸け」から生まれるものと分かります。
 「突き」から、ではない。却って「突き」から「残身」が生まれる(意識される)ことは理屈として考えにくい。となると、「突き」から「残心」が生まれることはない。
 ただし、「突き」から、「一途」という意識は生まれるでしょう。「猪突猛進」という言葉もあります。
 ついでながら、「一途」は我々日本人の特質の一つです。勿論、後天的な性質です。

 さて、そこでまた、男谷と大石の話を思い出して欲しいのですが。
 男谷が与えたヒントで、大石は「突きは重要な剣技である」、と武術界の認識を改めさせました。
 これ、「残身」から生まれた「残心」という考えで以って、「突き」を捉え直し、武術界に突きを剣技として認めさせた、と言えるでしょう。

 具体的な何か。一つの事例を、真剣に見詰める。その目的を思い起こしてみる。そうすればそこから物事の道理が見えて来る。
 多くの事例を並べ立てるのではなく、一つだけに決め、その目的を見る。

 決して簡単なことではありません。何しろ、これまでやった事が無い。それに色々見詰めたいことが有り過ぎて目移りがしてしまう。
 大体が、普通いろんなことを併行してやって来ることが効率的だというような生活だったのです。一つだけを見詰めたことなどないのだから、どこをどう見詰めたらいいのかさえ分からない。

 「恋愛をした時は一人の人を~」、なんて、混ぜっ返しちゃダメですよ。
 あの時は見詰めちゃいないでしょう?「恋は盲目」、なんですから。

 けれど目的がはっきりすれば、そして、その目的を常に念頭に置いて、見詰めるようにすれば、我々日本人は、自身、想像もつかないほどの大変な文化の中で生活して来ているのですから、物事の道筋を見出すことは、まんざらできないことでもない。

 身の回りのことをはじめとして、果ては国際社会に至ることまで、世の中は問題だらけ、分からない事だらけ、です。
 こんな、山積している数多の問題を全て考え、解いていく、自身の考えを持つ、なんて簡単にできることではありません。
 けれど、だからと言ってただ言いなりになるのか。それとも、それなりに自身の意志で以って、それなりの行動をしようとするのか。


 日本人は「切り付ける」という具体的な動作から、「残身」という形を作り出し、「残心」という考え方(境地)を見出し、日本文化の根幹の一つにしました。
 そして、その考え方によって、本来なら前のめりになってしまうおそれの大きい「突き」、「一途」という姿勢を、「残心」に裏付けられた、隙の無い、安定した力にしてきました。

 一事例と、その目的から道理を見出そうとする。
 その姿勢があれば、今の世の中が、テレビや新聞の流す情報や物の見方とは、大きく違ったものであることが見えるようになるまで、さほど時間はかからないのではないでしょうか。
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突き④(切るから突くへ)

2020年06月05日 | 重箱の隅
2011.12/18 (Sun)

 やっと最初の話に戻ります。

 テレビの二人には悪いけれど、テレビ局としては視聴率を稼ぐためのお遊びでしかない。けど、当人達にとっては真剣な対決。
 真正面から卓球台の反対側まで0,1秒で到達するピンポン球。
 0、2秒で、それをかわすことができるか否か。

 結果は、前半30秒間は緊迫感があったけれど、後半は卓球の元チャンピオンに焦りが見られ始め、それに比例して、球速は速く、より正確な球筋になっていきました。対して、亀田選手には余裕が見られるようになり、見ている方まで退屈になって、ダレて来てしまった。

 卓球の元チャンピオンの打球は速い。そして正確無比と言ってもいいくらい、反対側、亀田選手が顔を出している卓球台の縁中央部にボールを集中させる。
 左右3センチずつくらいの誤差もなかったのではないか、と思います。
 ということは、ボールに回転がかかってない。スライドしない。イレギュラーバウンドもない。
 打った瞬間に最短距離をストレートに飛んで来る、ということです。

 言い方を換えれば、打った瞬間に、中央より左右いずれか3センチ外側に首を振れば、当たる筈がない、ということです。
 実際、亀田選手は初め、大きく首を振り、真剣そのものの目でした。
 それが後半に入る頃から無駄な動きは一切見せず、ギリギリにかわすようになる。見切りができた証拠です。

 考えてみれば、テニスの選手だって、ゴルファーだって目標を定めてボールを当てることができる。この元チャンピオンのショットが、「正確であればあるほど」、プロボクサーなら安心してよけることができる。
 妙な表現ですが、亀田選手は、この元チャンピオンの打球を後半は「信頼」しきっていた。
 これが「打球は速いけれども、どこに来るか分からない」選手だったら。
 また、「顔面のみならず、胸部より上ならどこでも可」というルールだったら。
 さらに「ゴーグルなし」だったら。
 そして、チャンピオンの「思い通りの間合い、リズム、トスなし」、のショットだったら。

 最初に「大したものです『両方とも』」、と書いたのは、そういう意味だったのです。
 ここから、新しい「何か」は生まれて来ない。当人達は真剣だったけれども、テレビ局の、視聴率を見るしかない目の低劣さ、意識の低さの故に。

 男谷と大石の試合で、「突き」は「切り付ける」こととは質的に違う有理性を持っていることが、証明されました。
 そこでは、刀が脆弱で打ち合いに耐えられなくても、軽くて長ければ、十分に実用に耐えるものであることが明らかになりました。幕末、打ち合いになれば簡単に折れてしまいそうな、軽くて細身の直刀に近い刀が流行したことは、大石神影流の流行と無縁ではないでしょう。

 新しい考え方、価値観は、男谷が大石のあしらいの中で見せた、首を振ってかわすというヒントを、大石が真っ向から受け止め、工夫を重ねたことで生まれました。
 端から、「見世物」「ゲテモノ」と決め付けていたら、何の進歩もなかったでしょう。
 男谷は大石の取り組みに真っ当なものを見出し(認め)、真っ向からこれを完成させる手助けをした。

 西城と藤原の実質的な異種試合は、
 「ボクシングの『突き』が、何故完成できたのか」
 、反対に
 「キックボクシングの『突き』は、何故完成させられないのか」
 、を明らかにしました。

 全てを「突き」のために組み立てるボクサーと、拳、肘、膝、足と多彩な攻撃をするが故にそれぞれの技を完成させられない制約(枠)を持つキックボクシング。
 この試合は、「突き」を絶対のものにする(完成させる)には他の全ては支え役(裏方)に徹しなければならないということを、蹴りでフットワークを封じたことにより、ボクシング界に再認識させ、キックボクシング界には連係技を重要とする打撃主体の総合格闘技への目を開かせました。


 「残心(残身)と一途」、とするつもりが、また長くなってしまいました。
 
 次回は本当におしまいです。
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突き③(ボクシングとキックボクシング)

2020年06月05日 | 重箱の隅
2011.12/17 (Sat)

 亀田選手と、卓球の元日本チャンピオンの異種試合から、剣術の工夫の話になりました。
 最初に挙げたテレビでの異種試合のことについては、まだ何も言っていませんが、もう一つ書いておこうと思います。
 それがこの「ボクシングとキックボクシング」の話。

 西城正三というボクサーがいました。端正な顔立ちで、とにかく打たれることがない。フットワークの見事さに加えて、パンチ力もある。
 早くに世界チャンピオンになったので、シンデレラボーイと言われたけれども、シンデレラではない。実力もありました。
 ただ、この選手、その分、打たれ強さ、となると未知数。何しろ打ち合いにならない。とにかくスマートな戦いぶりで強かった。
 それでも、衰える時は来る。引退する。
 
 それで終わればボクシングでは大きな名前を残したわけですから、伝説の名選手。
 それがキックボクシングの試合に出ないかという誘いに乗って、改めてキックボクサーとしてデビューします。

 その頃を、テレビ、新聞で見た限りでは「ボクサーがキックボクサーに負けるわけがない」というのが、ボクシング界の見方のようでした。
 勿論、キックボクシング界は「ボクシングに負けるわけがない」、です。
 世間は両者の対決を興味津々で見ていました。

 ボクシング界の言い分は
 「キックボクシングのパンチは、ボクシングのパンチのように洗練されておらず、遅いし、威力もない。キックも破壊力があったってパンチより更に遅いから、ボクサーのフットワークにはついていけない。肘打ちや膝蹴りは接近しなければできないのだから、クリンチで逃げることができるし、第一、ボクサーのフットワークについて来られないものがヒットする筈がない」。

 キックボクシングの言い分。
 「遅いといっても手より脚の方が長いから、遠くまで制圧できる。それにキックの破壊力はパンチの3倍から5倍で半端ではない。当たれば衝撃はすさまじいから、ボクサーの神経では耐えられない」。

 そして西城正三がキックボクサーとしてリングに上がる。
 対戦相手になったキックボクサーは、ボクシング界の予見通り翻弄され、蹴りもパンチも悉くかわされ、呆気なくKOされる。勿論、パンチで。
 以降、西城正三、連勝街道まっしぐら、です。

 ボクシングを引退したとは言え、この強さ。所詮キックボクシングはボクシングの敵ではないのか。結局「軍鶏(シャモ)の喧嘩」、見せ物でしかないのか。

 世間がそう思い始めた頃、遂にキックボクシングの全日本チャンピオンとの試合が組まれました。現役のチャンピオン藤原敏男です。

 リングに上がった両者の体型はキックボクシング、ボクシングそれぞれの特徴を見事に現していました。
 胸板が厚く、太い脚。ボウリングのピンのような形の太いふくらはぎの藤原選手。
 細身ながら強靭なばねを感じさせる西城選手。
 ただ、二人を同時に見ると、西城選手の足は細く見える。これで蹴りに耐えられるだろうかと思わせる。それだけ藤原選手の脚もふくらはぎも異常なくらい太い、ということなんですが。

 「ボクシングのフットワークにキックボクサーはついていけない」
 「キックの衝撃にボクサーの神経は耐えられない」

 確かにそうでした。だから西城は、飛び込み、打っては飛び退くしかない。 なかなかダメージを与えられない。
 同じく藤原も、破壊力のある蹴りを西城の脇腹に叩き込めない。

 これ、大石の突きを首を振ってかわす男谷、と同じことを、双方がやっているようなものです。藤原は西城をつかまえられない。西城は決定打を放てない。

 しかし、すぐに様相は一変します。藤原選手の低い回し蹴りが西城選手の脚を捉え始めます。当然、脚は見る見るうちに赤くなり、腫れ上がって来る。
 堪えていない様な表情ではあっても身体のキレは急激に悪くなり、やっと立っているらしいのが分かる。
 それでも、一発、クリーンヒットを決めたらKOできる可能性は十分ある。だから、果敢に立ち向かう。

 藤原選手は試合前、「パンチで倒す」と言っていたように思います。
 そして、脚を執拗に攻めた。
 「話が違うじゃないか」?
 いえ、間違っていません。脚を攻め、足を止めさせ、フットワークが使えなくなったところで、「洗練されておらず、遅く、弱い」と酷評されたパンチで倒そうとした。藤原選手の、パンチ力への自負からです。
 
 「キックの衝撃にボクサーの神経は耐えられない」「ボクサーのフットワークにキックボクサーはついていけない」
 だから、フットワークを殺した。

 結果、あと一、二回ローキックがヒットすれば、西城選手は崩れ落ちていたでしょう。
 しかし、その前に「パンチで倒す」という藤原選手の宣言(?)は実現しなかった。西城選手側からタオルが投げられたからです。

 ボクシングのパンチが強いのは、拳に全体重を載せるように技が組み上げられているからです。両足の向き、腰の捻り方、腰の入れ方、肩の入れ方、拳の回し方、握り方等々、全ては拳に体重を載せるために「奉仕」している。

 キックボクシングは、というと「蹴る場合」と「突く場合」とでは様子が違います。蹴る時には手はバランスを取り、蹴りを強くするためにしか使えない。
 当たり前のことですが、「突く」という一点に焦点を絞れないから、キックボクシングの「突き」が洗練されることはない。
 同じく「蹴り」だけに専念できないから、テコンドーみたいな華麗(?)な大技は生まれない。
 その分、手足の連係より速い手とヒザ、脚と肘、というような強烈な破壊力を持つ連続技が普通に使われる。


 お互いに「あんなもの、ボクシングの敵ではない」「キックボクシングの方が強い」等と、頭から完全否定し合っていることの先に、何か発展はあるのだろうか。

 それぞれが誇りを持って対決した。そしてどうなったか。
 やっぱり、以降も、それぞれが、それぞれのルールの中で、技を磨き続けています。
 今でも、時にはこのような異種試合もありますが、それで個々の選手の優劣を競うことはあっても、相手方を全否定する、ということはありません。
 「空手と相撲、どっちが強い?」「新陰流と一刀流は?」

 これらも同じです。

 そこから、何を見出すのか。
 見詰め、何かを見出すことで、相手にも何かが分かり、遂には新しい何かをみんなが手に入れることになる。


 わけの分からないことを長々と書いて来ました。次回で終える予定です。
 「残心(残身)と一途」としてみるつもりですが、実は、今回の日記も、例によって、「日本人の特性」について考えたことです。
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突き②(男谷の工夫、大石の工夫)

2020年06月05日 | 重箱の隅
2011.12/16 (Fri)

 大石進。男谷精一郎には、最初勝てなかった。

 この男谷精一郎という人、竹刀を持っての立合いでは日本一の腕前だったのではないか、と言われています。
 何しろ誰とでも試合う。意拳の王向斎みたいです。悉く勝利をおさめているところも似ている。
 しかし、何より「ええ~っ?」と思わされるのは、必ず三本勝負をして二勝一敗とすること。

 見山島田虎之助が、この男谷と立合い、一本取れたと男谷を軽く見た発言を他の道場でしたら、道場主に「それはまだ貴方が未熟だから勝たせてもらったんだ」と言われ、改めて立合いを申し入れたところ、此の度は前回とは違い、手も足も出なかった。

 全く頭の挙げられなかったことを恥じ、弟子入りし、後、男谷と前出の白井亨と並び称される腕になるのですが、男谷の方も島田の人柄を大いに賞し、従兄弟の勝海舟に島田への弟子入りを勧めたそうです。
 勝海舟の人格形成には、この島田の影響が大であったと言われています。
 あれ?また脱線した。

 初回は勝てなかったのに、次に工夫をして、今回は勝てた。
 男谷はその工夫を誉め、「もう私の及ぶところではない」と言ったとか言わなかったとか。
 その辺は定かではありませんが、男谷なら言ったであろうと思わせてしまうのが男谷の人格者たる所以。

 当時、三尺五寸ほどの竹刀が当たり前のところを、五尺三寸もある竹刀で、それも変則的な、槍と見紛うばかりの構えから突いて来る。
 「あんなのは剣術ではない。ただの見せ物でしかない」
 と無視、或いは軽視され、勝っても剣名はあがらない筈が、この男谷が誉めたことで一気に剣名が上がり、大石神影流として随分流行するようになったそうです。

 さて、大石の工夫とは何だったのか。
 顔面にいくら「突き」を入れようとしても、頭を左右に振られ、全てかわされてしまった。
 受けるとか、しのぐ、すりあげる等の反応があれば対応する術もあるが、こんな風にかわされるだけでは、どうにもならない。
 で、考えついたのは、顔ではなく、首を突く、ということだった。

 いくら頭を振ってかわしても、その元にある首はほとんど動かない。
 「ならば、首を突こう」
 これが大石の工夫です。
 
 「何だ、そんなことか」じゃ、ありません。大変なことです。
 大石の「突き」以降、首を突くことの有理性が認められるようになったのです。竹刀剣術技の一大発展のきっかけ、と言ってもいい。
 今、剣道の試合では「突き」と言えば首を突くものとみんな思っていますが、本来は別にどこでも良かったのです、致命傷を与えたり、抵抗ができなくなったりすれば。
 しかし、首は言ってみれば「的」としては小さい。頭や胸を突くことに比べたら、首を突くというのは難しいし、それなりの修練が必要になる。

 けれど大石は、そこを見破った。
 「的としては小さいけれども、動く範囲が少ない。ならば、頭は振って突きをかわせても、首はそうはいかないだろう。」

 ここで、「あれ?おかしいぞ」と思われたらうれしいですね。
 そうです。
 「動く範囲が少ないということなら、首より胸があるではないか」
 首を突くよりももっと大きな的で、もっと動かない胸を突いたら・・・?
 これ、当時の考え方の死角になっていました。胸は防具がある。それに胸板は厚いから、そう簡単には倒れないし、第一、剣先が刺さっても、「即死」なんてことは感覚的にないだろうと思っている。
 それに、実際には有り得ない長竹刀の片手突きで、胸を突き、突き倒せるなんて大石本人だって、思っていなかったでしょう。

 「防具をつけるのは、真剣での命の遣り取りを想定しているからだ」
 と、常にみんな思っている。
 「仕太刀が存分に打ち込めるように頑丈な防具を『(仕太刀のために)着けてやっている』のだ」なんて考えなくなっています。
 それでも、現代のように、籠手を打たれたくないから、竹刀を右に倒して自分の右籠手を隠そうとしたり、自らの首筋を曝して身体を左に屈め、正中線の外から相手の籠手を打とう、という様な、命の遣り取りを無視した動き方はしない。
 (ゲームならともかく、籠手を打つと同時に、正面切りで自身の右首筋を深々と切られるのですよ?当然、即死です)

 大石の顔面突きは当時の常識を覆すものでした。
 実際に試合ったら、そんな長い刀でなくとも、軽い棒の先に刃物をつけた手槍のようなものでだって、この突き技を用いることができます。
 大石の技で以って、これで片手突きをされたら・・・。
 「そんなのは剣術ではない!」
 と言ったって、負けるものは負ける。死んでしまう。
 
 それを誰もあしらえなかったのに、男谷は首を左右に傾げるだけで、かわすだけで、大石の突き技を封じてしまった。
 「誰にもできない」ことではない。「誰もしなかった」ことです。工夫をしたか、しなかったか、だけです。

 男谷は大石の技の評判を聞き、工夫をした。工夫は功を奏した。その気になれば、誰でもできる方法だった。
 ということは、いずれ数ヶ月の後にはみんなそれを真似て、首を振って大石の突きをかわすようになる。
 そうなれば大石の突き技、長竹刀は「ただの見せ物」と笑われるだけの物になる。

 しかし、男谷精一郎という男、元首相だった誰かさんの言い回しではないけれど、
 「知れば知るほど」大変な男です。現代にあれば、超一流の教育者として世界中に名を知られていたかも。
 相手の長所を見出し、ほめて伸ばす。

 やる気を出せば、信じられないほどの力を発揮するのが人間で、更にその転換期までの習練、努力があればあるほど、きっかけを与えられると大きく変わる。「化ける」、というやつですね。もっとも、「化ける」というのは品がないから「化(な)る」という方が良いでしょうか。

 男谷に教育者としての姿勢がなければ、大石の突きをかわしざまに徹底的に打ち据え、再度の試合も拒絶したことでしょう。

 男谷の工夫は、冷静に技というものの目的と在り様を分析したものでした。
 そして常に相手の真心、意図するところを認めていたように見えます。
 結果として、大石の突きは見せ物扱いだったのが、剣術を究めようとするものの認識を改めることにまでなっていきます。
 男谷の工夫は大石の工夫を促し、その先の、斯界の認識を発展させた、と言えるでしょう。

 こういうことを書くと「たかがそれだけのことで大袈裟な」と思う人の方が多いかもしれません。
 しかし、実際は鉄道のポイント切り替えのようなもので、ほんの僅かな軌道修正が、後の大いなる変容につながるものです。
 そして当人は、その僅かな軌道修正の時、「命がけ」の覚悟で取り組み、そのくせ、修正は呆気なくできてしまい、拍子抜けしたような気分になる。
 でも間違いなく、そこからは全く違った世界が開けて来る。

 島田虎之助も、「あの男谷から一本取った」と浮かれたままでいたら、そこまで、でしょう。
 そうなると男谷も、海舟を島田の弟子になれと勧めることはなかったでしょう。そして勝が島田の弟子にならなければ・・・・・。


 またもや、続きます。
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突き①(大石進種次と男谷精一郎)

2020年06月05日 | 重箱の隅
2011.12/14 (Wed)

 先日、テレビで面白いことをやっていました。
 卓球の元日本チャンピオンが打つピンポン球を、あの亀田興毅選手が避けられるか、という異種試合。
 
 そんなこと絶対有り得ない、と思って見ていたら、ちゃんとルールがあって、亀田選手は卓球台の縁、ちょうど真ん中に当たる部分に顔だけ出し、ゴーグルをして立つ。
 対する元チャンピオンは、手前で打ち出されるピンポン球を、その顔面めがけて打つ、というもの(ワンバウンドで)。
 制限時間は一分。1,5秒に一打、だそうで、一分間なら40打ほどになりますか。

 スポーツ科学という体育をよく知る学者は、
 「球が顔面に到達するまで、0,1秒。亀田選手が反応するまでは0,2秒ですから亀田選手の方が分が悪い」と言います。
 練習を見るとさすがに元日本一の選手。正確無比、と言っても良いくらいの、しかもおっそろしく速いボールを打って来る。

 この辺りから「?」と思い始めていましたが、結果は、というと想像通りというか、ピンポン球は亀田選手にただの一度も、かすりもしなかった。悉くかわされてしまった。
 本人も言っていた通り、半分くらいからは、すっかり慣れてしまって余裕でかわしていたのが素人目にもよく分かりました。

 この番組を御覧になった方もあるかと思います。どんな感想を持たれたでしょうか。
 「ただの遊びじゃないか」
 「ボクシングの選手だから当然だ」
 「あのルール『でも』避けきったのはすごい」
 等々かと思います。
 やはり大したものです、「両方とも」。

 私は、何か似たような話があったなあ、何だったかなあ、と思い出そうとしていました。

 で、気がつきました。
 これ、大石進と男谷精一郎の話に似ている。
 ついでに、ボクシングとキックボクシングの試合のことも思い出しました。

 先に書いて置きますが、一方はテレビ番組です。表現は悪いけれど、根本はお遊びです。勿論、二人とも真剣だったと思いますよ。
 けれど、テレビ番組としてはただ、視聴率のために、でしかない。
 だから、二人とも「負けたら死ぬ」とまでは考えていない。
 対して思い出した二件は或る意味、命がけの「仕合」です。


 大石進というのは、幕末の剣客。身の丈七尺近い大男。
 七尺と言えば2メートル10センチ余り。「ええ~っ!?」と思いますが、でもこれは間違いなくあったようです。
 その大きな男が、これまたとんでもなく長い5尺3寸の竹刀を持って、「突き」を繰り出す。
 吊るした石(鞠だとも言う)を相手として修練を積み、突きの名人となって江戸に出て、名だたる町道場に行き、仕合う。

 当時の竹刀は3尺5寸程度。現代の竹刀は3尺8寸、115センチほど。3寸、10センチほどの違い、というのは大きい。
 10センチ違いでも打撃は随分違うのだけれど、大石の遣った竹刀は5尺3寸。160センチ近い。

 刀の柄は、普通三握り(拳三つ分)の長さです。それを拳一つ分空けて、右左それぞれ鍔寄りと柄頭寄りを持つ。これで、柄の長さは大体9寸強になる。
 それに対して、刀身はその2、5倍から3倍。
 2,5倍ならともかく、3倍となると、少し特殊な操刀法の流儀でなければ遣えない。バランスが悪いんですね。
 まあ、柄1尺弱、刀身が3尺、などという刀は、新陰流系か、一部の、抜刀に工夫のある流儀でないと遣えない。
 脱線しました。

 「三拳分の長さの柄」の刀なんだから、防具の籠手をつけたら窮屈になる。
 じゃあ、籠手の拳の大きさを基本にして三拳分にしよう、となって竹刀の柄は一尺を越えることになる。
 で、バランスを取ると柄の2,5倍の刀身で、総計が3尺8寸。
 
 これでも「?」となるくらい長くなっているんですから、5尺3寸というのがどれだけ異様な長さなのか分かります。一尺五寸、45センチも長い。
 これで、「突き」、それも左片手突きと言うんだから、ほとんど槍の延びしろくらい、切っ先が伸びて来る。八寸の規矩(かね)、どころではない。

 「八寸の規矩」なら、間合いが八寸狂ってしまうから、「切っ先三寸」で勝敗が決定してしまう剣術では絶対有利になるんですが、元々45センチも長く、それを左手(柄頭側)で突き出すんだから、単純計算でも一メートルくらいは制空権が広がる、と考えてもいい。

 ただし、現実にそんな刀を持って、加えて片手突きができるか、というと「そんなバカな!」となるでしょう。柄を一尺五寸と考えたら刀身だけで三尺八寸。
 それを片手で持って突きを繰り出せる、なんてのは人間業じゃない。
 だから、普通なら、笑い者になっておしまいです。
 
 それが誰と仕合っても、決して負けない、となると様子は変わって来る。
 何しろ突きの威力が半端ではない。
 鞠にせよ、石にせよ、吊るして、その中心を突く。意外にできませんよ。
 「構えて、突く」。切っ先がぶれます。
 さらに「踏み込んで突く」となると、相手が動かないものでも難しい。

 自身の態勢が崩れるような、手先だけの片手突きではなく、切っ先に体重の乗った突きが来たら・・・・。まともに入ったら吹っ飛びます。

 あの千葉周作は四斗樽の蓋かと思うような大きな鍔をつけて立ち合い、その分攻めるに不便で、引き分けた、とか。

 それが男谷道場に行ったところ、男谷精一郎は普通の竹刀で立ち合い、大石の突きを頭をひょいひょいと左右に振って、全てかわしてしまった。

 何しろ向かうところ敵なし、だった大石進です。翌日だったか、或る工夫をして男谷の道場を再訪し、今度は勝ち、男谷を感心させた。

 大石が勝てなかったのは天真一刀流(天真白井流)の白井亨(とおる)ただ一人だったようです。これに関しては今回は直接の関係がないので置きますが。

 男谷が再び勝つことができなかった、その理由を御存知の方も多いかと思いますが、話が長くなりました。

 次回に続く、ということで・・・・・・。
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