CubとSRと

ただの日記

自衛隊と国防軍(後)

2020年06月10日 | 心の持ち様
2012.12/06 (Thu)

 何気なく過ごしている毎日の生活の中にも危険は常に大なり小なり、潜んでいる。
 その危険への対し方で、他国、世界との付き合い方も個人レベルで見えてくるのではないでしょうか。
 「見極める」の一つの例です。

 武術、特に、徒手格闘技のできる人がいると、必ず護身術として教えて、という人がいます。
 実際、警察なんかが主催して、護身術を教えたりするのをニュースで見ることもあります。
 「抱きつかれたら両腕を振り上げて相手の脇の下をくぐって・・・。」
 いとも簡単に危機からすり抜けられるのを実感、本人も周りも「おお~っ、すご~い!」と感動。
 
 この講習会で、危険を回避できるようになる確率は・・・・限りなく0に近い。
 相手は「別に・・殺したっていい」と思って襲う。
 こちらは、「怪我をさせずに相手を取り押さえたい」と思う。
 「殺しちゃ可哀想だ」と。
 殺される方が「殺しちゃ可哀想」と思っている。もう初めから結果は分かっている。

 前に何回かここで書きました、太気至誠拳法の澤井師範の話です。
 或る時、仕事の都合で、師範が家を留守にすることになりました。奥さん一人置いて出るわけだから、とても心配で、必ずしっかりと戸締りをするように、と話をしたら、奥さんはしっかりしたもので、
「大丈夫です。私だって貴方の妻なんだから。寝る時は、枕元に木刀を置いて寝ます」
 と応えたんだそうです。

 さすがに武人の妻、と思うところですが、師範、その心掛けを褒めるどころか怒り出して、
「これだから、素人は困る!そんなもの見せたらとんでもないことになる。刺身包丁を置いて寝なさい!」・・・コントか?
 「出刃包丁」でも、えっ?なのに、「刺身包丁」ですよ。完全に殺害目的じゃないですか。
 しかし、これは、大正解。です。これ以上の答えはない。

 泥棒が来る。平常心で来るやつはいない。おっかなびっくりで入って来て、出来ることなら静かに帰りたい。どきどきしている。家人に見つかった。騒がれた!ら、舞い上がる。頭の中は真っ白になって、とにかく逃げなければ、と何でもあり、で暴れまくる。
 対抗手段は・・・・。殺すしかないんです。いや、もう一つありますね。
 一気に冷静にさせる。暴れさせない。
 それが刺身包丁です。

 慌てて、木刀を取ったって、その身ごなしで腕はすぐに分かる。
 何より
「殺されることはないな。いや、しかし大怪我をするかもしれない。やられる前にやれ、だ」
と一瞬のうちに計算します。

 刃物は違います。それも刺身包丁となると、匕首(あいくち)より長い。切れ味も誰だって知っている。その上、用もないのに先が尖っていかにもよく刺さりそうだし。
 大怪我どころか、間違いなく殺される!
 ・・・で、腰を抜かすか、慌てて逃げ出すか、です。
 木刀で打ち殺されたり、骨を叩き折られたり、というのを、見る機会はまずありませんが、刃物で切れ味を、これでもか、というくらい見せ付けられる機会は、普通の家庭にだって、在る。
 襲われたほうが、「殺すぞ!」という態度に出れば、ほんの少しの真実がエアバッグになって、襲った方は腰が抜けます。

 「そんな極端な!」?
 でも、命は一つしかないのですよ?

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 上に挙げたのは、2010年3月20日「枕元に木刀置いておくから」 と題して書いた日記です。

 「護身術は役に立たない。何故なら襲う方に比べて、襲われる方には覚悟がないからだ」、と書きました。
 勿論、「襲われる覚悟をしていつも街を歩いてます」、なんて言う人はそうそういるものではありません。でも、問題はその瞬間の心積もりです。一瞬にして相手の上を行かねばならない。
 これは簡単そうで難しい。相手は十分な心の準備をして(?)襲うわけですから、一瞬で襲い返す(??)なんて・・・。
 第一、そんな人間、歩いている時から、身ごなし(雰囲気も含む)、目配りに隙がないから、何となく襲いにくいものです。
 いえ、私が経験したというわけじゃありませんよ。わ、私は人を襲ったことなどありませんからね!

 ・・・気を取り直して。
 沢井師範の話もそうです。
 「襲われたら木刀でやっつけてやる。」
 沢井氏の夫人は、そんなこと思っていません。ただ、木刀見せたら、相手がひるむだろう、と考えただけです。
 少し剣道をやっていたとしても、普段は竹刀ばかりでしょう?木刀なんて使い慣れている筈がない。そんな物、持って、相手が大怪我しないように手加減をして打ちのめす、なんて、その「覚悟」からして、もう負けるのは分かっている。
 相手は命懸けで掛かってくるんです。こっちも命懸けで掛からなければ、勝てる筈がない。余裕なんか、ない。全身全霊を以て向かうしかない。

 要は気構え。
 同じ装備なら、確かに強弱はこれで決まります。
 日本の自衛隊は、よく訓練されていて、装備も他国に特に劣っているわけではない。小さいながら、強力な軍隊だと世界中に知られているように聞きます。
 「だったらそれでいいじゃないか」?

 いいんでしょうか?強力だけど小さいんだから、戦ううちにすぐ全滅する。全滅したら、後は・・・・・?
 それじゃいけない。「強力だけど小さい」では、木刀持って立ち向かうようなものです。
 「日本は小さいけれども強力だから、当方の損害を考えたら簡単には手が出せない」
 そう思わせることが肝腎でしょう?

 「小さいけれども、能く訓練された精強な軍隊」である「自衛隊」。
 その自衛隊の存在のために侵攻を躊躇させるには。
 「画竜に睛を点ずる」こと。我が自衛隊の「晴」とは何か。

 それは「死して護国の鬼となる」覚悟です。
 救助ではない。衛るのでもない。「死んでも『鬼神』となって国を護り続ける」と言い切り、我が国民のみならず、世界中にその姿勢を知らしめることです。
 (『鬼神』は本来は『鬼』も『神』も『霊』のような意味ですが、日本人は『鬼神(おにがみ)』、畏敬の念を持つべき猛威を振るう存在、と認識しています)
 そのためには「自衛隊」ではなく、「国~軍」という名前が絶対に必要です。
 憲法にその存在を肯定、明記されなければ力は真っ当に発揮できないのです。

***************************

 補注)
 《自衛隊は本当の意味では今、強くない、と思います。「上」の問題です。
 政治家の、そして、日本国民の視線一つで「死して護国の鬼となる」覚悟を彼等(自衛隊)は瞬時に手中にするでしょう。
 今は、上層部は言うまでもなく、たとえば防衛大の元教授、現在の学校長からして、戦前の日本を否定的に見ているのですから。
 自分達の存在を否定するものを守るために「強くあれ」と言われても、最後の力は出ぬものです。
 自衛隊は、災害救助のために、或いは国連の決定実行のために存在しているのではなく、国難の起こるに際して、平然として命を捨てるためにある、ということの重大さ、有難さを国民が知ったら、本来の最強の軍隊になるのでしょう。》

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自衛隊と国防軍(前)

2020年06月10日 | 心の持ち様
2012.12/05 (Wed)

 「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」(昭和32年2月)

 ご存知の方も多いと思いますが、誰の言かは、ひとまず置いておきます。「昭和32年2月」ということだけ。
 昭和26年、七年間の長期にわたる占領の後、晴れて独立国となった日本。防衛大学校の第一回卒業式の訓辞だそうです。


 「ここで十分に政治的な立場を意識してこれをいうのだが、ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」

 転載文、初めの方は、時の総理大臣吉田茂。
 後の方は、ノーベル賞作家大江健三郎です。
見方は色々でしょう。私は双方について余りよくは知りません。
それは、我々日本国民の大半と同じ程度の知らなさ加減だと思います。

そんな程度でも一人前に国政に物申すことができる。そして、物申さねばならない。
「知らないから黙っておきます」というわけには行かない。言わなければならない。
それが民主主義国家の、一国民の在り方、務め、です。
無責任なことは言えない。日本国民なんですから。
だから、考える。
考え方の目安。
それは、相手を、対象たる人物を、人間として認めようとする姿勢があるか否か、です。
これくらいだったら、誰にだってできるでしょう。
私はこう思います。

「吉田茂は防衛大学校の卒業生に、日陰者であることに『耐えてくれ』と言っている。卒業生の人格を認めるからこそ、『それが国、国民のため』、とその人格を踏みにじられることを、命じている。」
対して
「大江健三郎は『防衛大学生は若い日本人の弱み、一つの恥辱』と言い、志願者がなくなって欲しい、と人格どころか存在を否定している。」
「それぞれ『国、国民のため』ながら、人格を踏みにじられるよう命じることと、存在を否定することと、どちらに相手を『人間として認めようとする姿勢』があるだろうか。」

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これは2011年09月25日の日記に引用した文です。

 人として、国民として、他人のために、社会のために、国家のために、何かをしようとする。
 そのことに於いて「人格を踏みにじることになるが『~のために』耐えてくれ」
 、と命じたのが吉田総理だった。
 対して大江氏は、防衛大学生の存在は日本人の弱み、恥辱と言い、存在をなくしたい、と言っている。存在を否定するというより、許さない。勿論、言いたいことは分かりますよ。たった一言「自衛隊なんか、軍隊なんか要らない!」ですよね。

 昨年の大地震をはじめとする大災害で、自衛隊の働きは目覚ましいものがありました。
 敗戦後、これまでにも災害は数えきれないくらいあり、自衛隊が救助活動に出動し、大きな働きをしたことは、これまた数えきれないほどです。
 しかし、どれだけ命懸けの活動をしていてもさほど称賛を浴びることはありませんでした。場合によっては、報道関係者から言葉遣いが乱暴だ、とか不親切だとか批判されることの方が目立っていた。そして報道も必要最小限のものでした。

 けれど、今回のように世界中から多くの人の支援があって、自衛隊の活動振りが外国に伝わった時 、却ってあまり報道されなかった自衛隊の働きが、国民に能く見えるようになった。
 結果、故吉田総理が言った「国民から歓迎されちやほやされる事態」になってしまった。これは吉田総理の望まぬことです。

 では、大江氏は今これをどう思っているのでしょうか。
 「お前らには命を救ってもらいたくなかった!」と言うんでしょうか。
 それとも
 「僕は東北に住んでないから、何の世話にもなってない」
 と当たり前のことを言うんでしょうか。

 普段は「自衛隊は憲法違反!」と叫び、危急の際は「早く助けに来て!私らの税金で食べてるんでしょう!?」
 そんな人はいないでしょうけど(あれ?居たような・・・いや、いませんよね)

 でも自衛隊は「サンダーバード」、じゃない。災害救助隊じゃないんです。災害救助もできる、その「能力」も持っている、というだけです。
 飽く迄も自国を他者・他国の侵攻から「衛」、衛る、というのが自衛隊の本分です。自らの命を懸けて、他者・他国から護る。
 国、国民のために淡々と命を捨てる。自衛隊員全員がグスコー・ブドリ(?)。

 ということは、「専守防衛」を標榜する限り、最後には守りきることができず敗退することが運命づけられているということでもあります。
 自衛隊、というのは、そういう組織です。
 「守れるところまで、守る。それが自衛隊です」

 ここまで読んで、「自衛隊をバカにしている!」と感じたなら、それは誤解です。
 誰が同じ国民とは言え見ず知らずの人間のために淡々として命を捨ててくれますか。
 そんな人々のことを「自衛隊」と呼ぶべきか、と言いたいんです。
 「自らを守る」んですか?違うでしょう?「国・国民」を守るんでしょう?
 だったら、「国衛隊」じゃないですか。
 「武器を以て守る」んでしょう?だったら、「軍」じゃないですか。

 「国防衛軍」「国防軍」「国衛軍」。
 おかしいですか?
 諸外国からは自衛隊は軍と認識されている。何で日本人は「軍」と認識しないんでしょう。
 まさか「警察予備隊だったんだから」、なんてこじつけ、本気にしてないですよね。


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もう一度振り返って見る

2020年06月10日 | 心の持ち様
2012.12/04 (Tue)

 村上正邦の「不惜身命」その68 から、部分転載です。

 御存じのことと思いますが、元参議院議員会長で、その影響力の大きさと公正さから、「村上天皇」とか、「法王」等の異名をとった人です。
 勿論、氏はそんな呼ばれ方を喜んではいなかったでしょうが。
 毎朝必ず、各会派の部屋を回って挨拶をし、自民党員でありながら他党の会議の席に平気で入り、各党の委員会での作戦を聞くなどして議会運営に大変大きな力を発揮しました。氏が加藤紘一氏の総裁就任を阻止しなかったら、今の自民党はあったかどうか・・・。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ●衆院選は政治姿勢が見えない政治家たちの権力ゲーム

 ・日本をズタズタにした民主党政権が終わって、自民党の復権が実現する流れですが、どこからも、期待感が、漂ってきません。
 日本の沈滞は、民主党だけの責任だけではありません。
           (略)
 自民党が政権をとっても、防衛・経済・国際金融面での対米従属は、強化されこそすれ、解消されることはないでしょう。
 選挙を前に、閉塞感が広がっているのは、自民党が政権に復帰したところで、明るい展望がひらかれないと、日本人の多くが、諦観しているからです。
 民主党政権よりマシ、という理由から投じられる一票がどうして、日本を元気にするでしょうか。


 ・わたしが、安倍さんに、丸坊主になって、一年間、禅寺にでもこもってから、出直すように苦言を呈したのは、日本を暗転させた新自由主義や政権をとつぜん投げ出した失態を水に流すには、禊が必要と思ったからです。
 安倍さんは、新薬によって、健康を回復することができたとのべていますが、国家、国民のためなら、命とひきかえにして、悔いがないはずの一国の首相の責任を、新薬と天秤にかけて、国民に、宰相としての覚悟がつたわるものでしょうか。
 戦後レジームからの脱却も大事ですが、それ以上に、安倍さんにもとめられているのは、2世、3世の甘えを断ち切る覚悟で、そこに、失った国民の信頼を取りもどすカギがあるでしょう。


 ・石原さんの大同団結は、何のためのものでしょう。
 権力をもぎとるために、小異を捨て、大同をとるというのでは、小泉さんや橋下さんのなりふりかまわぬ権力志向とかわるところがありません。

 石原さんは、もともと、権力志向がつよい政治家で、アメリカの新自由主義や新保守主義と、一脈つうじるところがあります。
「シナになめられ、アメリカの妾に甘んじてきたこの日本を、もうちょっと美しい、したたかな国に仕立て直さなかったら私は死んでも死にきれない」という石原さんの発言は、あまりにも、戯画的です。


 ・滋賀県嘉田知事が新党「日本未来の党」を結成して、これに、小沢さんの「国民の生活が第一」と亀井さんらの「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」が合流をきめました。
 顔を隠して、陰で、権力をあやつるのが、小沢さんの常套手段で、今回、合流にあたって、嘉田さんの言い分をすべて呑んだのは、急場の生き残り手段で、そこに、政治的展望をみることはできません。
 今回の選挙において、選挙互助会の役割をはたすにとどまる未来の党は、かつての社会党左派のような左翼運動家の拠点になりかねず、国民が育て上げるべき政党でも、心ある政治家が、骨を埋めるべき理念の党でもないと申し上げておきます。


 ・その衆院選挙で、決定的に欠けているのが、政治姿勢です。
「維新の会」が権力志向なら、「未来の党」は、曲がりなりにも、反原発や反消費増税・反TPPなどの政策をうちだしてはいますが、代表の政治姿勢が見えません。       
             (略)
 ・ケネディ大統領が、政治姿勢は政策に優先するとのべたように、国民がもとめているのは、民主党が売り物にしたマニフェストでも、渡辺さんがしきりに口にするアジェンダでもなく、リーダーの政治姿勢です。
 幕末の剣豪、島田虎之助は、「心正しからざれば剣もまた正しからず」と喝破しました。
 その「剣の心」に、政治の心や政治姿勢につうじるものがないでしょうか。
 民主主義における選挙は、代議士を選出することで、政策を選択することではありません。
 そこに、政策よりも、政治家の政治姿勢が問われる理由があります。
 信頼できる候補者を議会に送り出した以上、政策については、代議士に任せるほかありません。
 それが、間接民主主義、普通選挙法の精神で、民主主義の政治は、人間中心の、人物本位の政治ということに気がつくべきでしょう。


 ・国民が望んでいるのは、まやかしのイメージでも、すぐに化けの皮がはがれるマニフェストでもなく、政治姿勢にあると、一刻もはやく、気づくべきです。
 20年前にとおってきた多党連立の無責任政権の悪夢が再びくり返されると思うと、居ても立ってもいられない心地で、手を拱いているわけにはゆきません。

   http://blog.shunpunokai.com/?p=356

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 氏の考えに全面的に同調しているわけではありません。
 しかし、貫かれている「政治姿勢」についての考えは、立派なものと思いますし、少なくともこれだけの考えを持って、これを実行した議員は戦後、まず、いなかっただろうな、とは思います。

 今は、氏の文中にあるように、
 「民主主義における選挙は、代議士を選出することで、政策を選択することではない」
 つまり、大事なのは国民を思う心、気持ちなんだ、(だから「代議士」なんだ)ということについて考えるべきかと思っています。

 当然「政策が合えば、どことだって一緒にやれる」と言っているのは、実は欺瞞以外の何物でもない、ということになります。
 みんなの党然り、橋下市長然り。



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「そこまで言うか!?」と思われた人へ

2020年06月10日 | 心の持ち様
2012.12/03 (Mon)

 「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」
 というのは、産経新聞記者、阿比留瑠比氏のブログ名です。

 今日、そこで、氏は「明日の衆院選公示を前にちょっと思うこと。社告込み」というエントリーを挙げておられました。
 民主党のことを身もふたもないくらい、徹底的に貶しておられます。

 けれど、これを読んで
 「そこまで言うか!?程度というものがあるんじゃないか?右翼新聞と評判の高い産経新聞だろ?やっぱり、新聞というものは公明正大、中道を行くべきだろう、朝日みたいに。こんなに自分の意見をごり押しするんじゃなくて、朝日みたいに客観的に書けないかなぁ。その辺、やっぱり冷静さに欠けるんじゃないかなあ。これじゃ二流のままだな」
 、なんて思った人、いません?

 以前、「新聞記者のできるまで」として日記に書いたように、歴史を見れば そこの本性が見えてきます。

 今回の選挙で、本当にやらねばならないのは、まずは民主党政権の冷静な評価と、「民主党の措定」です。
 そして、「国の在り方」、に関して各党の主張を吟味することです。
 原発も、TPPも、年金も、経済政策も、教育問題も、少子化問題も、自衛隊の呼称も、みんなその中に含まれることです。
 石原氏の言われる「小異を捨てて大同につく」というのは、これがことです。

 メディアの言に乗せられてはなりません。事の軽重、それぞれの位置をメディアはごっちゃにして報道しています。

 ごっちゃのままにして、投票に行けますか?
 小異に拘って一票を投じますか?
 我が国の将来を決するのは、彼ら政治家ではない。遠回りのようでも、実際、国の在り方を決するのは我々国民でなければなりません。
 「誰を選ぶか」なんて上から目線ではない。
 「誰に託すか」、でしょう?

 我が国の選挙です。
 世界市民として、「世界連邦をつくろう!」という選挙ではありません。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「明日の衆院選公示を前にちょっと思うこと。社告込み」  阿比留瑠比

            (略)

 今回の衆院選では、争点について原発、消費税、TPP、安全保障、政権の枠組み……などいろいろ言われていますが、やはり絶対に忘れてはいけないのは民主党政権の3年3カ月の評価と総括だと考えます。

 国民に数々の嘘をつき、誤魔化し、ペテンをかけ、居直り、自己正当化を図り、責任転嫁し、いまだに「僕、一生懸命やったもん」「僕、何も悪くないもん」と主張する彼らに、きちんと鉄槌を下さないでなあなあの投票行動で済ませると、次の政権をどの政党が握ろうと、緊張感と責任感が持続しないのではないかと危惧します。

 国民の審判はまっこと恐ろしいものぞと、明確に示す必要があると考える次第です。主権者たる国民をなめ、愚民扱いしたらどういう目に遭うか、思い知らせるべきではないでしょうか。

 今回の選挙にあたり、投票したいと思う政党も政治家もいない方の中には、今、消去法で民主党かなあ、と考えている人もいるかもしれません。民主には失望したものの自民には戻りたくない。でも第三極もなんだかなあ、という人はたくさんいるでしょう。日本未来の党は、政策も構成議員もほとんど「元民主党」ですしね。

 なので、行き場を失った票が、なんとなく馴染んできた民主党にある程度向かう可能性もあるでしょうが、本当にそれをお天道様は許してくれるでしょうか。特に、この3年間余、民主党を率い、主導してきたメインプレーヤーたち、つまりは裏切りと無責任の権化たちには、それ相応の報いを与えることが、日本が生まれ変わるに際して重要なポイントであると思います。

 もう、個々人の名前は挙げません。このブログでも産経紙面でもその他雑誌などの場でも、私は彼らの名前と所業を繰り返し指摘してきました。私は国民の一人として、彼らに国富も国の信用、名誉も奪われ、日々恥ずかしい思いをして傷つけられたと、物理的にも精神的にもとんでもない被害と苦痛を受けたと考えています。それもこれも、彼らが自分たちの無能も不勉強も努力不足も何も自覚せず、「僕なんでもできるもん」と何でもやりたがり、片っ端から失敗したからだとも言えます。

 政府・与党高官らの非常に属人的なダメさ、いい加減さと過信が今日の深刻な事態を招いたのだと考えるのです。未来志向は大事ですが、だからといって彼らを不問に付すことは社会にとってよくないと。


            (後略)

  http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/2943851/
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「どうやって選ぶ」

2020年06月10日 | 心の持ち様
2012.12/02 (Sun)

 「政党が多過ぎて、どこに投票したらいいのか分かんな~い」

 こんなこと言うバカヤローなんて、日本には居ないんですよ。
 いたとしても、認めちゃならないんですよ。「恥を知れ!」って、叱らなくちゃ。
 それ、「社会の良識」たるマスメディアの仕事になっているんですよ。「木鐸」なんでしょう?
 わざとですか?マスコミのみなさん。
 「政党が多過ぎて、どこに投票したらいいのか分かんな~い」
 ニュースショーでは、MCはじめ、コメンテーター連、異口同音にそう言ってません?視聴者がみんなそう思うように仕向けてるんじゃないかと思うくらい。

 「こんなに政党が多いんじゃ、どこに投票していいんだか。名前も覚えられない」
 、なんて。もう何回聞いたことか。

 で、不思議にみんな「多党化」って言うんですよね。
 誰も
 「政界再編が始まった!」
 、なんて言わない。

 「『政界再編』なんて、そんなエラそうなものじゃない」
 と、この期に及んでもまだ政治を上から見下してるんでしょうか。

 マスメディアってのは事実の報道が仕事でしょう?
 それに加えて分かりやすくするために、ニュースなら解説をいれ、ニュースショーならコメンテーターを出演させる。

 メディアは視聴者の代表でも代理でもないんですよ、メディア機関なんですよ、報道が仕事なんですよ。視聴率云々は、この際、口が裂けても言っちゃいけないんですよ。

 今回、急に解散総選挙が決まり、何とかこの、無法・無秩序状態の中で生き延びたい(再当選したい)人や、このどさくさに議員バッジを手に入れたい人が、文字通り跳梁跋扈している。
 でも、その中にあっても、少しくらい、真に国の将来のことを思い、誠心一途に国会議員になろうとする人もあるだろうし、奇策を弄してでも新しい国の方向付けを、と思う人もいる(かもしれない)。
 いや、いる!いると思いたい。います、きっと!

 でもそんなの、誰が国士で、誰が詐欺師紛いの嘘つきか、なんて、ちょっと見では分かりませんよ、その人の話を聞かなきゃ。
 その人の話している時の表情、目の動き、挙動などを見れば、その話の内容はともかく、「これは胡散臭い」とか「この人は信用できそうだ」などは、何となく分かる。坂本竜馬が海舟を切りに行って、翻心、弟子になったように。

 でも、そんな機会、まずないでしょう?仕方がないから目に頼る。耳に頼る。なけなしの関連知識に頼る。
 つまり、テレビを見るか、新聞を読むか、書物やビラを読むか、です。

 で、それ、信用できます?
 テレビはさっき書いたように、視聴率が絶対だから、番組内容を操作する。
 「そこまで言って委員会なんかは、言いたい放題だ」って言うけれど、そんなのウソ、でしょ?
 ちゃんと編集してるし、伏字(伏せ語?)のために「バキューン」とか「ドッカーン」なんて音、入れてる。生放送でできるわけがない。
 生放送の場合だって、先日「モーニングバード」の内幕、暴露してましたよね、鬢長コメンテーターが。

 新聞は言うまでもない。
 じゃ、書物は?これ、完璧に政治家が仕事の傍ら、書き下ろし、なんてできるわけがない。良くて口述筆記。大方はゴーストライター、でしょう?

 こうやって見ると、情報収集なんて「お手上げ」、じゃないですか?
 ネットは?
 ネットだって、個人ブログ以外はマスメディアのものでしょう?挙がるのが早い、以外に利点はない。個人ブログ情報の信頼度は種類によるし、安定供給度は再生可能エネルギー並み。

 それでも我々の一票を「託す」候補者を、個々人が決め、票を投じなければならない。
 各党、マニフェストとかアジェンダとか言ってる「公約」を、各党毎に読みますか?あんな読み辛い文章、読んで理解しろ、なんて拷問以外の何物でもない。
 一国民。誰もそんなもの、手に入れて読もうとはしないでしょう。送りつけられてきたって読みゃしない。ましてや各事務所まで行って、個々人が「マニフェスト、下さ~い」、なんて。行くわけない。
 自民党が大勢力だった頃(30年以上前ですが)、新聞社は「悪魔の辞典」よろしく、「公約とは絶対に守らない約束のこと」なんて書いて、政治を嘲笑していた。
 あの頃から今に至るまで、本当に「頼れる」、いや、「頼るしかない」ものは、自らの頭脳だけです。情報は自分で手に入れ、自分で理解するしかない。

 「だから!それができない、って言って来たんじゃないのか!」

 そうなんです。できないんですよね。
 でも、一票を「託す」候補者を決め、その一票を投じなければならない。
 でなければ、立派な国民ではないし、立派な国民の一票がなければ、立派な政治家など絶対に育たない。
 「宝くじを当てるにはとにかく買うこと」、です。

 選べないのに真剣に選ばなければならない。
 でなければ(選ばなければ)、良い政治家は育たない。
 良い政治家が育たなければ、良い国はつくれない。

 だったら、無理やりにでも選ぶしかない。自分の直感をを信じて。

 「そんなくじ引きみたいなこと、できるか!」・・・?
 ならば、歴史に学べば良い。まずは政党名で選ぶ。政党の歴史は個々人の歴史より分かりやすい。次が個々の候補者。
 その候補者がどんな生き方をして来たのか。ざっと見るだけでいいでしょう。
 そしてその結果が、現在の「顔つき」、「表情」、そして一挙手一投足に現れているのですから。

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