2015.10/07 (Wed)
前回のと同じ流れです。
「消費する」というのは
「ものを費(つい)やして、消(なく)す」
、或いは
「ものが費(つい)えて、消(なく)なる」
ことを指す。
「消費期限」は、だから
「その『期限』までに消費しなけりゃ効能はありませんよ」
、ということで、「なるほど!」な説明なんだけれど、どうも業界によっては「消費期限」と「賞味期限」があるんだそうで。
「食べて美味しい賞味期限」
「食中毒の心配はないけれど、美味しくはない消費期限」
ということかな?
「消費期限」。
「賞味期限」。
考えたら妙な言葉だ。
勿論「消費期限」というのは、それまでに使っていた「賞味期限」という言葉の曖昧さを糺すことから創出された新造語だろう。
しかし、自信をもってお勧めする「賞味期限」が、美味くないけど食べられますよ、と「消費期限」を付け足すなんて、製造者、忸怩たるものがあるだろう。
一見して、「消費期限」と「賞味期限」の間には深くて暗い河がある、じゃなかった、大きな溝がある。
だから食糧庁だったか何かの役所が、「賞味期限と消費期限の違い」の定義をしているらしい。でもそんなことをすればするほど深みにはまっていくように思う。
「美味しく食べられる期間」と「美味しくはないけれど腹痛などの不都合は起こさない期間」なんて、ほとんど言い逃れだ。製造者の渋面が見えるようだ。
「要は、『賞味』などという強引な当て字を使ったのが問題なのだ」
と書かれたものをどこかで読んだことがある。これこそ「なるほど!」だ。
「こりゃ美味いな」
というのは誰か、というと、それは間違いなく食べた客であって、供する方が
前回のと同じ流れです。
「消費する」というのは
「ものを費(つい)やして、消(なく)す」
、或いは
「ものが費(つい)えて、消(なく)なる」
ことを指す。
「消費期限」は、だから
「その『期限』までに消費しなけりゃ効能はありませんよ」
、ということで、「なるほど!」な説明なんだけれど、どうも業界によっては「消費期限」と「賞味期限」があるんだそうで。
「食べて美味しい賞味期限」
「食中毒の心配はないけれど、美味しくはない消費期限」
ということかな?
「消費期限」。
「賞味期限」。
考えたら妙な言葉だ。
勿論「消費期限」というのは、それまでに使っていた「賞味期限」という言葉の曖昧さを糺すことから創出された新造語だろう。
しかし、自信をもってお勧めする「賞味期限」が、美味くないけど食べられますよ、と「消費期限」を付け足すなんて、製造者、忸怩たるものがあるだろう。
一見して、「消費期限」と「賞味期限」の間には深くて暗い河がある、じゃなかった、大きな溝がある。
だから食糧庁だったか何かの役所が、「賞味期限と消費期限の違い」の定義をしているらしい。でもそんなことをすればするほど深みにはまっていくように思う。
「美味しく食べられる期間」と「美味しくはないけれど腹痛などの不都合は起こさない期間」なんて、ほとんど言い逃れだ。製造者の渋面が見えるようだ。
「要は、『賞味』などという強引な当て字を使ったのが問題なのだ」
と書かれたものをどこかで読んだことがある。これこそ「なるほど!」だ。
「こりゃ美味いな」
というのは誰か、というと、それは間違いなく食べた客であって、供する方が
「こりゃうまいな、と言え。言わなきゃ承知しねえ」
なんて言うはずはない。
提供者は「美味い」と言われたら
「そうだろう、参ったか」
、とふんぞり返る・・・のじゃなくて
「これは過分にお褒めいただき、有難うございます」
という。
心の中では「そうだろう、参ったか」と思っても口には出さないもの。
そう考えると提供者の方が「賞味期限」なんて提示するのは変だろう。
「賞(ほ)めて下さいよ、期限内に」。
そんな言い種があるものか。
これもまた当て字が違っていたのだ。正しくは「賞味」、ではなく「笑味」、だ。
味を笑う?その方が変じゃないか?
昔からの言い回しに、自分や配下の仕事を目上の者に見てもらう際、
「どうぞ笑ってやって下さい」というのがある。
同じく目上の人に贈り物をする時、「御笑納下さい」という。「つまらないものですけれど」というのと同じだ。
「笑う」というのは、「寛大な目で」、或いは「大目に」見てやって下さいという意味で、それは同時に
「力不足ではあるけれど、これだけ一所懸命にやった努力は看取ってほしい」
、という思いに満ちている。
その伝から「笑味」という言葉は
「何だこりゃ、と思われるかもしれませんが、不味くはないぞ、と言っていただければ幸甚です」
という意味から用いられるのではないか。
それが「ゴショウノウ下さい」とか「ゴショウミ下さい」と言われ続けるうちに、言う方も言われる方も、「ショウ」の意味を考えもしなくなっていく。
「ゴショウノウ」なんて言葉は滅多に使われなくなって「ゴショウミ下さい」の「ゴショウミ」だけが生き残る。
提供者は
「おれの方から『御』とつけるのは変だろう」
、と「ショウミ」だけを残した。「ショウミ」は「正味」という場合もあるのだから、「笑味」なんて訳のわからん言葉より「賞味」の方が本当なんじゃないか、なんて。
「そんなバカな」?
反射的に「判断」をすることで、少しも考えていないのに「考えた結果、判断したんだ。オレって頭の回転早い!」とか「あ、ワタシ、賢いかも~っ」なんて考えた気になっている。
先日までの国会前の大騒ぎと大同小異。
なんて言うはずはない。
提供者は「美味い」と言われたら
「そうだろう、参ったか」
、とふんぞり返る・・・のじゃなくて
「これは過分にお褒めいただき、有難うございます」
という。
心の中では「そうだろう、参ったか」と思っても口には出さないもの。
そう考えると提供者の方が「賞味期限」なんて提示するのは変だろう。
「賞(ほ)めて下さいよ、期限内に」。
そんな言い種があるものか。
これもまた当て字が違っていたのだ。正しくは「賞味」、ではなく「笑味」、だ。
味を笑う?その方が変じゃないか?
昔からの言い回しに、自分や配下の仕事を目上の者に見てもらう際、
「どうぞ笑ってやって下さい」というのがある。
同じく目上の人に贈り物をする時、「御笑納下さい」という。「つまらないものですけれど」というのと同じだ。
「笑う」というのは、「寛大な目で」、或いは「大目に」見てやって下さいという意味で、それは同時に
「力不足ではあるけれど、これだけ一所懸命にやった努力は看取ってほしい」
、という思いに満ちている。
その伝から「笑味」という言葉は
「何だこりゃ、と思われるかもしれませんが、不味くはないぞ、と言っていただければ幸甚です」
という意味から用いられるのではないか。
それが「ゴショウノウ下さい」とか「ゴショウミ下さい」と言われ続けるうちに、言う方も言われる方も、「ショウ」の意味を考えもしなくなっていく。
「ゴショウノウ」なんて言葉は滅多に使われなくなって「ゴショウミ下さい」の「ゴショウミ」だけが生き残る。
提供者は
「おれの方から『御』とつけるのは変だろう」
、と「ショウミ」だけを残した。「ショウミ」は「正味」という場合もあるのだから、「笑味」なんて訳のわからん言葉より「賞味」の方が本当なんじゃないか、なんて。
「そんなバカな」?
反射的に「判断」をすることで、少しも考えていないのに「考えた結果、判断したんだ。オレって頭の回転早い!」とか「あ、ワタシ、賢いかも~っ」なんて考えた気になっている。
先日までの国会前の大騒ぎと大同小異。