弁当のおかずはみんな用意して、ご飯も前日の夕方には炊いておいた。
あとは朝、レンジで温めておむすび山を混ぜるだけ。
なのに寝たのが11時半。起きたのが6時前。
これは「明日がツーリング!」とワクワクしてなかなか寝られなかった、というわけでは、決してない。けど、眠い。クルマなら居眠り運転してしまうかも。
とにかくそれからご飯の用意をしたのだけれど、思いの外、時間がかかり、出たのは8時少し前になってからだった。
先日は「7時半では、少し遅い」と書いているのに。気分でコロコロ変わる。
こんなんじゃグループツーリングなんてやったら、ストレスであの世行き確実。
いやその前に欠席。「ツーリング行きたくない病」になる。
コースは、福崎まではいつもと同じ。(福崎は「民俗学」提唱者の柳田國男の生誕地。「遠野物語」をまとめた学者)
福崎から、夢前(ゆめさき)、山崎、と似たような音の地名の順番を間違えると右往左往することになる。
「山崎」を過ぎ、伊和神社へ向けて北上を始めると、急に景色が変わってくる。特に戸倉峠辺り。
やはり「餘部」に行くことを考えたら、「隼駅」までは楽な道だと思う。
楽なだけでなく、楽しい。
流石に「漁火ライン」なんて二つ名を持つ道ほどの、変化に富んだ景色の美しさはないけれど、心細くなるくらいの静寂の中、深い山間を排気音だけを感じながら走り続ける、ってのは、海沿いの崖路を走るのとは全く違った充実感がある。
隼駅は予想通り何もないところだった。
駅舎も、昔の生まれ育った土地の駅に比べたってはるかに小さい。
ただ、そんなことはどうでも良い。これはアニメやライトノベルの「聖地巡礼」と同じなんだから。
同じ名前だから、と面白がって「隼」乗りが来るようになった、
面白がって、「じゃ、ミーティングをやろうじゃないか」、
「記事にしよう!」
製造元のスズキも「面白い!協力する」・・・。
じゃ、町おこしに、となって店ができたりする。
考えてみれば、これは神社が創建されるのと同じ形なんだ。
大体、「隼」に限らず、「motoトレイン」「モトとレール」が二十年余り前に廃止された今、もうバイクは鉄道に乗(載)れない。
今年はコロナウィルス禍で、ミーティングは中止ということだし、今日は休日というわけではないから、バイクは一台もいない。
梅雨の合間の晴れた一日。蒸し暑く、風のない昼下がり。
そこに、全くきれい好きでない持ち主のせいで、相応に古ぼけたSRが一台だけ。
8時前に出て、帰って来たのは4時過ぎ。
翌日は5時半に起きた。久々に腰が痛かった。久々とは言っても顔をしかめるような痛みではなく、いつもの鈍い痛みで、ストレッチをしたら軽くなった。
疲れが出たのだろうと思う。前日一日の乗車姿勢のせいだろうが、「これでは連日のツーリングはもう無理なのかも、な」、と思う。
今日は調子が良くても、たった一日で腰が痛くて動けなくなって・・・なんてことが当たり前に起こる歳になった、ということか。
そう思いながらも、まだ、「それなりの体力維持と、加減を考えて、の行動」をすれば「できない」と考える方がおかしい、とも思う。
「歳なんだから無理すんな」、なんて声、
「聞こえない、聞こえない。聞こえないよ~~~。」