産経新聞記者阿比留瑠偉氏の寄稿文「靖國参拝反対論の迷妄と矛盾」 の前半を転載しました。
前半では日本の外交官が「日本は韓国とは戦争していないのに、なぜ反対するのか」と聞いたところ、韓国当局がこんなあやふやな返答をした、とあります。
「だって、中国が反発しているからわが国もなにか言わないといけないと思って・・・・」。
「だって、中国が反発しているからわが国もなにか言わないといけないと思って・・・・」。
そして朝日新聞に至っては、昭和二十六年の記事では米国青年の参拝をほめたたえながら、以降は首相の参拝はけしからんとアジア諸国に「ご注進」。支離滅裂としか言いようがない。
今回は後半です。外務省も問題なのではないか、と。
今回は後半です。外務省も問題なのではないか、と。
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~外務省もまた、たびたび首相の靖國参拝の邪魔をしてきたことも指摘しておきたい。
同省が昨年十二月に公開した外交文書は、昭和六十三年の竹下登首相の中国訪問の際、同省が事前の靖國「不参拝」を求めていたことが赤裸々に記されていた。
昭和六十三年二月にアジア局中国課が作成した「極秘」の資料「竹下総理訪中 検討事項とり進め方」には「靖國神社公式参拝問題」の項がある。そこにはこうある。
「昭和六十年の中曽根(康弘)前総理による本件(参拝)実施を契機として中国側より激しい批判が寄せられたため、昭和六十一年及び六十二年には、総理参拝は実施されなかった。(中略)総理の靖國参拝が行われれば、総理訪中自体も危うくなる可能性があるところ、右につき予め、内々官邸と連絡を密にしていく要あり」
「靖國参拝が実施されれば、総理訪中自体が困難になる可能性がある旨を前広に官邸にインプットしていく」
さらに同年三月二日付の中国課の記録によると、中島敏次郎駐中国大使はその前日、竹下氏に日中関係について説明を行った際にこう説いていた。
「国内的に種々困難な事情があることは十分理解しているが、訪中直前ということもあり、靖國参拝は絶対に避けていただきたい。『皆で渡ろう方式』も不可」
皆で渡ろう方式とは、春の例大祭での集団参拝を指すとみられる。
これは昨年明らかになった事例だが、それ以前にもこんなことがあった。
平成十二年四月の国会では、中江要介元中国大使が、昭和六十年に中国の胡耀邦総書記と靖國問題を協議した際のエピソードを証言している。同年八月十五日に中曽根首相が靖國に公式参拝したことをうけてのやりとりである。
胡氏「もう靖國神社の問題は両方とも言わないことにしよう。黙って八十五年でも百年でも騒がずに静かにして、自然消滅を待つのが一番いいじゃないか」
中江氏「もし今黙っちゃったら、日本では『ああ、もうあれでよかったんだ』と思ってしまう人が出るかもしれない」
まるで手柄話をしているかのように聞こえるが、中江氏が少なくとも日本側に立っていないことが分かる。冷静になろうと努めた中国を、逆に騒げとたきつけており、問題を長期化・複雑化させたにすぎない。
国のために戦い亡くなった英霊に哀悼の誠を捧げるという当たり前のことを、天皇陛下や国の指導者たる首相が思うように実行できないという現実を生んだのは、日本人自身なのである。
靖国参拝問題(本来、問題になる方がおかしいのだが)だけではない。戦時の公娼にすぎなかった慰安婦について、強制連行しただの性奴隷だのと嘘をついて国際問題化したのも日本人である。
先日、拉致被害者の横田めぐみさんの父、滋さんが再開を果せないまま無念の死を迎えられたが、北朝鮮による拉致問題を認めず、否定し、嘲笑すらして解決を遠のけたのも日本人である。連合国軍総司令部(GHQ)が一週間かそこらで作文した憲法の改正を、必死に阻んできたのも日本人である。
かつて前野徹氏が『日本人の敵は日本人』という本を著したが、日本社会が抱える諸問題、病理のほとんどは日本人が自ら招き、種を植え育てたものだといえよう。
ただ、いたずらに悲観的になることはないと考える。こうした日本社会に停滞をもたらしてきた左派勢力は、依然、協力ではあるものの徐々に力を失いつつある。
彼らが彼らのネットワークである新聞やテレビを用い、いかに倒錯し、逆立ちした論理を押し付けようとしても、現在では一時的に成功しても長続きはしない。
コロナ禍を奇貨として、さらに普及したSNSを中心に「日本人が靖國神社に参拝して英霊に感謝して何が悪い」といった健全な常識が、左派勢力の不健全で自虐的な論調を駆逐していく。彼らに騙されず、引きずられない人は確実に増えている。
筆者は、安倍首相が在任中にもう一度参拝することは間違いないとみている。
天皇陛下のご親拝も、そう遠くない将来に復活するのではないかと期待している。
(転載了)
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「公式参拝」云々を言って火種を作ったのは、中曽根総理であることは明らかになっていますが、その内実・評価についてはあまり世間に広まっていないようです。
それで、次回、以前に書いた日記を少し再掲しようと思います。