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ただの日記

コロナ宣伝戦(プロパガンダ)をみれば南京大虐殺のウソがわかる。その②

2020年08月22日 | 重箱の隅
 Will9月号別冊 「習近平中国の暴走が止まらない!」
 その中の対談の一部、続きです。ここでは共産主義の「実態」を話されています。

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 「非人間的な共産主義」

 石平
 毛沢東時代、農民たちの土地はすべて奪われ、人民公社の管理下に置かれます。だから収穫物は自分たちのものにならず、最低限の食料だけが分配される。そういう管理下に置かれると、国民たちは徐々に政府に依存し始め、配給のときは感謝の意を示します。
 竹内
 マインド・コントロールされるのですね。一方で、毛沢東は贅沢三昧だったとか。
 石平
 それこそ酒池肉林です。毛沢東のために一週間の献立をつくる食事チームがあって、ある日は西洋料理のフルコース、別の日は満漢全席と日替わりです。
 そうやって贅沢する一方で、毛沢東は国民に向けて「むやみに食べる必要はない。繁忙期によく食べ、閑散期はお粥で凌げ」と言っている。しかも、毛沢東は食欲だけではなく、性欲すら統制しました。毛沢東時代、中国国民は実に禁欲的な生活を強いられていたのです。でも、国民が幸せを感じる瞬間が一年に一回あった。それが建国記念日(十月一日)です。なぜかと言えば、その前日、一世帯につき五百グラムの豚肉が配給された。さらに、それと同時に三十名の犯罪人の公開処刑を実施したのです。
 竹内
 ええ!?
 石平
 罪名は問いません。友人の父親は公安局に勤めていましたが、建国記念日の一週間前になるとにわかに忙しくなる。三十名の銃殺者を揃えるために奔走するからです。処刑当日、一人ずつトラックに乗せられ、数時間にわたって市中を引き回します。残酷な話ですが、公開処刑を見たくて子供たちはワクワクしっぱなし。まるでサーカスが街にやってきたような感じです。
 竹内
 豚肉と一緒でプレゼントなんだ。でも、自分たちもいつか同じ目にあうとは思わないのですか。
 石平
 いや、むしろ「共産党には絶対反抗しない」という気持ちのほうが強まる。
 竹内
 そういう話を聞くと共産主義の恐ろしさを実感します。共産主義は自然発生的なものではなく、マルクスという一個人の頭の中で観念的に生み出された思想です。共産主義の考える理想の社会を実現するためには、どうしても非人間的にならざるを得なくなり、歪んだ感情を引き起こしてしまうのではありませんか。
 石平
 おっしゃる通り。人間的な生き方を無視して無理矢理な支配装置をつくり上げてしまう。先ほど話した人民公社がまさにそう。かつての中国の農村は、その中で一つの共同体をつくり、相互扶助していた。ところが、人民公社によって、そういった伝統的な社会はすべて収奪・破壊されました。人民公社にいじめ抜かれた農民たちは、どんどん残酷になっていき、怒りの矛先は地主階級に向かっていく。
 竹内
 都市部も変わりませんか。
 石平
 知識人階級も地主と同じ目にあいました。しかも農村社会に追われ、農民たちよりも下の立場に追いやられたのです。農民たちはそういった知識人もイジメの対象にしました。文革が始まると、次の対象者は共産党幹部です。
 竹内
 際限がありません。共産主義者は「貧富のない社会」「平等」を口にします。でも、その「平等」の本質は一体何かと言えば、異性にモテない男子に平等に女を回せ、という意味ではないかと私は思うんです。
 (以下略)

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 何だか最後にえらく生臭い話になっています。「一個人の頭の中で観念的に生み出された思想」なのに。
 けど、観念的であればあるほど、実際に行おうとすれば、より生臭く汚いものになってしまいます。
 おそらくそれは「欲心(劣情、我欲)」と真っ向から対峙する、ということを軽視したが故のことでしょう。
 まともに対峙すれば、例えば以前挙げた加納治五郎の「精力善用」とか、禅の教えにある「釈尊こそが煩悩の塊り。一切衆生を救いたいというのが煩悩そのもの」、とかの、一見さかさまのような答えが出てくるはずですから。
コメント
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