8月15日
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人は教育されることで人間となっていく。
愛情が大半で躾が少々、の家庭教育から始まり、小中学校では、「躾」は家庭で為されているものとして、今度は社会のルールを教え込まれる。
だから、ここで反戦思想VS皇国史観、みたいな妙な事を教え込まれても、子供は当然のことのように受け入れる。
「機銃掃射をされて同級生が死んだ。(だから米軍が悪い、のではなく)無謀な戦争を始めた日本が悪い」とか。
同じく「日教組が悪い。教員が悪の元凶」というのも大きな間違い。ここにも「子供は何でも『当然のこととして』受け入れる」という考えを適用すべきである。
教員のほとんどは社会科教師ではない。それ以外の国・数・理・英・音・美・保体・技家の免許しか持ってない。更に「国史」という学科自体が存在しない。
そして国史(国史観)を学び、実践しようとしている教師などまず存在し得ない。
精確に言えば「『社会科』教師は存在しても、『国史』の教師は存在し得ない」。授業の一環として社会科は学んだとしても、国史(国史観を持つ)を学び、実践しようとする教師など、まず存在できない。
つまり、教員のほとんどは理論上、子供のまま、であって、「子供は(何事も)当然のように受け入れる」。
社会科教員も含め、教員のほとんどは、まともに習ったことのない「国史」を、知らずマルクス社会主義的唯物史観の「歴史を見る目」で語られた「事実」で批判し、当然のように廃棄すべきものとして把握する。
そして、当然の結果としてその教師は生徒に、ただ「戦争はいけない」、と「負けたのは負けた国が悪いから」(悪い=勝てる筈のない戦をした)、と教え込む。
確かに発せられたのは「終戦の詔勅」だけれど、現実に以降7年間にわたって占領されたのだから、「敗戦」は事実。目を逸らしてはならない。