CubとSRと

ただの日記

避諱(ひき)

2020年08月24日 | 重箱の隅
2019年06月28日

 我々からすれば、単なるウソ。もしくは大嘘。時には大法螺、なんて言ったりすることが、シナ人にとってはもはやDNAとなっている、「避諱」という名の徳目。
 
 日本人なら
 「それは徳は徳でも、『悪徳』ってやつじゃないか!」
 としかならない。
 でも、彼らにとっては紛うことない「徳」。「徳」の中でもおそらくは最高の。
 孔子が推奨してるんだもの。
 あの話、みんな学校で習ったでしょう?
 以前に書いた日記から、一部、転載します。
 ~~~~
 あの「論語」に出てくる正直者の話です。
 「親が盗みをしたのを子が正直に届け出た。それを聞いた孔子が、『正直とは父が子を庇い、子が父を庇う事を言う』と言った」
 一度は聞かれた話ではありませんか?
 これが元になった徳目が、「避諱」なんだそうです。
 そうやって「(事実を)隠す」ことで守るのだから、「嘘」は「悪行」どころか「善行」ということになる。
 何だかとんでもない話ですね。
 でも、ここで気が付いたんですが、この、「避諱」という考え方、自身のためには使わないんですね。飽く迄も、他のために、それも、敬する者のためにウソを吐く。結果、自身がどうなるか、なんて考えない。
 「国のため(国益のため)にウソを吐く。会社のために、上司のために嘘をつく。その際、自らのことは省みない」
 大中華がこれだったら、小中華は形式だけは徹底させるから、例えば「嘘のために命を捨てる」こともする。
 大中華としては「お前、それはやり過ぎだよ」という事になるんだけれど、小中華には、それが苦言ではなく褒め言葉にしか聞こえない。
 ~~~~
 (自分の思う)大義のために嘘をつく。
 ただ、日本ではその後「嘘を吐いたのだから」と責任を取って腹を切る。
 大小の中華の国では「正義を行うための便法なんだから、徹底的に突き通すことこそ正しい。自殺するなんて以ての外」
 孔子の教えに由来するんだけれど、日本と彼の国々とは全く反対の考え方だから、当然結論も正反対。
 それでは転載。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 「日本人と中国人では『嘘』も桁違いに違う」
 宮脇
 中国人はとても頭が良くて政治が上手でお互いに抗争して、本当に一生かけて生き残るために謀略する人たちだけれども、それに頭を使いすぎて、国としても民族としてもぜんぜん成功の人生じゃない。
 宮崎
 要するに、嘘つきは肝心なことが見えないでしょう。
 本来嘘っていうのは、頭のいい人しかつけない。記憶力が抜群でないと自分がどういう嘘を言ったかわからなくなって辻褄が合わなくなる。
 それを中国人は生まれてから死ぬまで、起きてから寝るまでずっと嘘をついている。そうだとすると頭がいいんですよ。
 宮脇
 でも、彼らは整合性を気にしないから辻褄が合わなくたって平気なんです。
 結局その場しのぎにすぎなくて嘘に嘘を重ねる。
 宮崎
 日本人は「あの人は嘘つき」と言われたら人格が劣るような、そういう恥の意識があるけれども、中国人には羞恥心がない。ロシア人にはそれがある。
 宮脇
 だいたい永遠の嘘は無理ですからね。
 
 宮崎
 嘘がばれても「じゃやあその話はおいといて」って次へ行くんだ(笑)。
 宮脇
 日本人は、嘘をつくとまた真面目に辻褄を合わせようとして、新しくどんどん嘘をついて、ついに止められなくなって破綻する。
 宮崎
 アメリカ人だって嘘をつくんだけど、彼らは自分の弱みをみせないために、自己を守るためにそうする。
 たとえば風邪をひいてても「私は病気で寝る、休む」とは言わないでしょう。
 必ず”I,m fine.(なんともない)”って言うんですよ。要するに競争に乗り遅れたら困るという意識から生じる嘘ですが、中国人の場合は日常がもう嘘で塗り固められているから、どれが本当でどれが嘘かという区別さえつかない。
 だから粉ミルクに石灰入れたり、肉まんに段ボール入れたりってことが平気でできるんですよ。
 あれも日ごろの嘘の延長で、日常のパターンに出るんだよね。仕方がない。(笑)
 宮脇
 自分がたべなきゃいいと思っているわけです。よその人のことは知らないっていう。
 全員がそうだから他人を信用しない。誰も信用できないから、さっき言ったように全部自分で考えないといけない。
 全部自分で考えて決断しないといけない人生だから、日本人より一見頭がよさそうに見えるわけですよ。嘘を吐く瞬間は、やっぱり頭を使ってます。
 日本人はとにかくポヤーっとした人がいっぱいいるから。
 けれども全員が誰も信用しないと、ものすごく効率の悪い社会になるわけです。
 
 ~「虚構国家中国の真実」(宮崎正弘 宮脇淳子)より~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 親を守るためにつく嘘が、儒学の「儒」学たる所以である「忠恕」に拡大されると、当然、師匠とか、恩人は言うまでもなく、目上の人、会社の上司までも嘘によって守らなければならなくなる。百万歩譲ったとしても、ここまでならわかる。
 けど、己のための嘘だってひいては「人のため」「国のため」とこじつけたら?
 そうなると言うまでもない、「何でもかんでも嘘だらけ」になってしまう。
 「水は低きに流れ、人は易きに流れる」
 日本ではこの「己のための嘘」を「言い訳」「弁解」として受け入れないけど。
 でも、考えさせられますよね。
 頭が良くて謀略の限りを尽くして生き残るのと、ポヤーっとしてるけど互いに信用し合っていて目標を達成していくのと。
 どっちがいいかは決められないけど、「どっちが周囲に迷惑か」ならすぐ分かる。
 尤も、「有難迷惑」なんて言葉もあるから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「賄賂で共存共栄し、宗族内では人にウソをついたり、騙すことはない。」
 避諱。
 社会(宗族・職分の上下等)のために命がけで不都合を隠し、しらを切り通すこと。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする