CubとSRと

ただの日記

こんな日記を書いていた

2021年08月06日 | 日々の暮らし
 「右直事故」について書いてみようとしているんだけれど、「クルマ社会」の大元は何か、と考えてみた。

 我々は好むと好まざるとにかかわらず、勿論運転免許を持っているいないにかかわらず、クルマのある世の中に生活している。
 つまり「クルマ社会」の中で生きている。「クルマ社会」とは「クルマの(或いはクルマ中心の)社会」ではない。「クルマを必要とする社会」だ。
 「クルマの介在する社会」が現代の社会だ。主役はクルマではなく「社会」。

 「社会」はルールで成り立っている。マナーはルールで成り立つ社会を円滑に機能させようとする潤滑油のようなもの。

 というわけで、以前こんなことを書いていた。
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 ~10月8日の日記より~
 一ヶ月ぶりに、車に乗って出た。
 6年も乗っているのにちっとも上手くならないのは、この頻度の低さのせいか。
 でも、面白がってバイクに能く乗っていても、人並みに見えるかな、と思うようになったのは十年過ぎてからだった。
 車も、あと4年はかかるということか。
 そのもっと前に、バイクにしろ車にしろなかなか上手くならないのは運動神経に問題があるのかも、という疑念は敢えて持たないようにしている。
 「運動神経が鈍いから免許を取り上げる」
 と言われたら、これはもう、
 「はい。仕方がないです。お上の事には間違いはございますまいから」
 、と言うしかない。
 ただし、付け足しではなく、メインで、だけど。
 車社会は「社会」だから、ルールで成り立っている。決して本能や運動神経、センス、ではない。
 そのルールに則って参加しているならば、社会は円滑に流れることができる。
 危険回避に於いて、「社会」では本能や運動神経、センスは二の次だ。
 まずはルールを守ろうとする個々の尊厳が認められねばならない。そこに加えてマナーという潤滑油があれば、成熟した社会ということになるか。
 なんてことを言ってもぶつかれば怪我をする、最悪の場合はあの世行き、というシビアな社会。
 だから、どうしても本能や運動神経、センス、で危険を回避したり、致命的な事故にはならなかったということがクローズアップされる。けど、クローズアップされ過ぎて本末が転倒したりする。
 「高齢者は免許を返納すべき」という声が段々に大きくなってきているように思うけど、それって「運動神経が鈍くなってきているから」「段々頭が怪しくなってきているから」、という、「ルールを守る」という本筋とは違うところで論じられているように思うのだけれど。
 考え、判断し、実行する。これをルールに則って一瞬のうちに行うのが「生活(=社会への参加)する」ということで、その端的なのが車の運転でありバイクの運転(による「車社会への参加」)、だ。
 そして、これらは、「老化を防ぐ」「脳の活性化」の上で特に効果の高い方法だ。
 この「社会への参加」を諦めろ、ということは、真綿で首をじわじわと・・・・、ということになるんじゃないのかな。

 初めて介護被保険者証が届いたものだからね、何となくこんなことを考えました。 

          2018年10月19日 | 重箱の隅
コメント
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