8月14日(土)
2時頃になって床に就くが、何だか記憶が信じられなくなるくらい。昨日と同じく、またしても雨。
代わり映えしないというか何というか、とにかく同じことを繰り返しているような感じ。どこかで思い違いをしているのではないか。
晴天ならば夜だって雲の流れ具合や月の光で日々の違いが分かるが、こう何時も同じように雨が降っていると、「あれ?今日?昨日?」と。
昨日と同じく相当強く降っていて、風も強い。
今度は壁からの雨水の浸入のみならず、屋根瓦が再び剥がれそうになってないか、気になる。気になり始めたら眠れない。
「まだ雨は続く」、という予報通り、雨が続いたら、あの一か所から大量の雨水が浸入してくる。
心配だ、心配だ。
でも、こんな夜中に見に行くわけにもいかないし、見に行ったって見えるわけじゃないし、明るくなって見に行ったとして、仮に最悪の予想が現実のものとなって一枚剥がれそうになっていたとしても、雨が続いていたらとてもじゃないけど二階の屋根になんか上れるものじゃない。晴れていたとしても梯子すらないのにどうやって上るんだ。
以前上ったときだって脚立を一階の屋根に掛け、腰痛を気にしながらそこに上って脚立を引き揚げ、一階の屋根から二階に改めて掛けて上ったんじゃないか。
そして、二階の屋根に上った時、危うく脚立を落とすところだった。そうなると、もう飛び降りるしかなかった。
今回は梯子を買うか、それともレンタル業者に借りるかしなければならない。そうなると間違いなく「晴れるまでは無理!」なわけで。
この秋雨前線、一週間は居座るらしいから、まだそれらの行動を起こすわけにはいかない。
それ以前に例の屋根瓦が本当に剥がれそうになっているか否か、現時点(夜中の2時)では全く分からないわけだ。夜が明けなきゃ目視確認すらできない。
そしてこれが一番大事なことだが、この一件、「杞憂」となる可能性がとても高い。
とにかく夜が明けるまでは何もできない。寝よう。今はとにかく寝よう。
‥‥と無理矢理眠ろうとするが、却って気になって眠れない。修学旅行やツーリング前のワクワク感ではない。苛々感。
略してイラ菅‥‥は別な人物を思い出してしまうから使わないでおこう。
こんな時は音楽でも聴くのが一番。
と言うことでいつものようにCDを掛ける。
‥‥眠れないな~。
時計を見ると、まだ十五分くらいしか経ってない。
やっぱり駄目かな~、と思っているうちにCDは終わっていた。いつ終わったか分からない。ということは、眠っていたということだ。
改めてCDを掛ける。「眠れない」から。
一度は眠っていた(らしい)のだから、当然、今度はもっと「眠れない」。寝ぼけ眼でそう思う。それでも、またいつの間にかCDは終わっていた。
三度目。
これまたいつの間にかCDは終わっていた。
5時を過ぎて起き出し、6時前、明るくなったので取り敢えず出てみた。
一段高くなっている隣の空き地前に行って振り返る。屋根瓦にこれと言って変わったところはなく、ちゃんと寄せ棟の屋根を抑えている。
杞さんを笑うのは簡単だけど、当人は至って真面目で真剣に物事を考える人だったんだ。だから、周囲の人は決して考えようともしない「重大事」に気が付き、「これは大変だ」と一所懸命に考え、悩んでいたんだろう。
瓦一枚に比べたら「天が崩れ落ちてくる」かもしれないというのは桁違いの話で、その想像力たるや到底常人のものではない。ノーベル文学賞なんてすっかり色褪せてしまうほどの作家になれる(と思う)。
瓦一枚で「夜も眠れない」奴がそんなことを想像してみた。