靖國神社の祭事暦に八月十五日の祭事はない。
2020年05月23日 | 重箱の隅
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神社」、というのは「神々の集う場」、ということで、本来は建物はありません。
神々をお祀りするために天上から降りて来ていただく。
降りて来ていただいて、祭りをする。
終わったら、また天上に帰っていただく。
降りて来ていただく時は、「依り代」を御用意して置き、神主が「降神の儀」という儀式を行います。
「ぉおお~~~~~っ」
、という長い掛け声(?)に乗って、神様が天上界から降りて来られるのが見えるような気がするのが何とも不思議です。
祭祀が終わり、天上に帰っていただく時は、「昇神の儀」という儀式を行います。
これまた
「ぉおお~~~~っ」
という長い声を発するのですが、初めはやや低い声で段々に高くなる。
これもまた神様が天上界に帰って行かれるのが見えるような気がする。
「昔の人はこんなまやかしにのせられて・・・」、と左巻きの人は笑いますが、共産主義にロマンを感じることと比べて大差はない。いや、何かしら実感し、崇高なものを感じるということは大きな力になります。最近よく聞く「パワーをもらえる」という発想より品もある。脱線。
祭りの目的は、神々への感謝、お願いを伝えることです。
例えば、
「豊作になりますように」
「豊作になりました(奉告)」
「目標が叶いますように」
「目標を達成することが出来ました(奉告)」
などです。
「願を掛けて、願を解く」「お参りに行って、御礼参りに行く」
お願いをする時も降りて来ていただかなければならないし、
お礼を言う時も降りて来ていただかなければならない。
その都度、「降神の儀」と「昇神の儀」を行います。
神様は忙しい。その都度、招かれたり、送られたり。
でも、神様ですから、文句なんか言いません。
人の方は、できれば、神様にずっと身近に居てほしい。いつも見守っていてほしい。
だから、それなら、「依り代」を神として祀っていよう、そのために「神社」をつくろう、となっていきます。それが「神社」という名の建物、みたいに思われるようになってきます。
聞かれたこと、ありますよね。「山が御神体だ」、とか、「山の頂上にある磐座に神が降りられた」、とかいう話。それが本来の「神社」、です。
まだ若い神様の御霊を招いて祀る。
戊辰戦争の終結後、東京で、国のために命を捧げられた英霊達を招いて祭りがおこなわれました。
勿論、感謝の祀りです。そして、これからも良い国をつくるよう努めますという「奉告祭」です。
そのために特別に作られたのが「東京招魂社」、です。
「東京」と名がついてはいるけれど、「東京につくられたから」というだけのことで、戊辰戦争に関わった人々を祀るものです。全国が対象です。
当然、一回だけのものなんですが、「つい先日までは、私の肉親だった」などという人が沢山いる。
そうなれば、祭が終わったから帰ってもらう、というのではなく、
「いつだってお参りをしたい」
との希望が殺到するわけで、それなら、常設の神社として建物をつくろう、となった。
「ならば、東京から遠いところの人のために、日本全国でも、招魂社をつくろうではないか」
国のために命を捧げられた人々を祀るんだから、ということで、各地の招魂社は「護国神社」という名前で呼ばれるようになります。
「東京招魂社」の方は、「東京護国神社」となるかと言えば、そうではない。
元々が「東京招魂社」が初め、なわけですから、自ずと護国神社の総本社みたいな立場です。
ならば、ということで「招魂社の本旨は?」となったらそりゃあもう、「国が安らかで発展し続けるように」ということ。
では「國、靖らけく」という願いからなのだから、ということで、「靖國神社」と命名された。
「神社」ではあっても、現実には国のために命を捧げられた人々を神霊(みたま)として祀るのだから、縁者は「供養」の気持ちも持っている。
縁者でなければ、しかし、「感謝」と「護国の誓い」を表する場所である。
でも、縁者でなくたって、同じ日本人として「供養」の気持ちを以て参っちゃいけないというものでもない。
ならば誰だって、神社であっても先祖供養をする気持ちで参拝したって良いではないか。
ということで、春秋の例大祭が始まります。以前に書いたように、太陽暦ですから、春秋の彼岸より約一ヶ月、早い。
敗戦後は、盆の行事も同じようにしたい、という要望があり、これまた太陽暦だから一ヶ月早い七月に「みたままつり」が行われるようになった。
靖國神社が「国家神道の総本社!」みたいな態度で踏ん反り返っていたなら、決して起こり得ないことです。
もうお気付きでしょう、靖國神社は本来の戊辰戦争の祭事で終わる筈のところを、以降の幾多の戦いに命を捧げられた神霊も祭ることをする。日清、日露の両大戦も、大東亜戦争も、です。
そして、国民の思いに応えて色々な祭りを設けて来たのです。
だから、本来なら何の関係もない八月十五日の参拝も「同じように」参拝者の便宜を図っています。
ちなみに「靖國暦」で「祭事暦」を見ると、八月の祭事は、ありません。
八月十五日の参拝は、大東亜戦争に関する個々の日本人の思いに委ねられている、ということです。
~「祭祀場」から「神社」へ。 (主) 2014年8月15日の日記より~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
蛇足ですが、靖國に祀られている英霊は既に神霊となられ、近い将来には神に昇格されます。
だから我々は神を拝するつもりで靖国神社に参拝する。決して弔いに行くのではありません。お寺参りと墓参りは違うでしょう。
英霊達は血のつながりのない我々後生(こうせい)の日本人のために、同じ日本人であるというだけで、命を捧げて下さいました。
「八百万の神々」をもっと丁寧に言うと「八百万の神たち」。「八百万の神の方々」とは言いません。
「方」は目上の人に対して用いる言葉です。貴族などは同じ「人」ではないから、ということで「公達」と称していたことはご存知の通りです。
ということで、英霊を丁寧に言うときは英霊達。「英霊の方々」では、英霊を目上の「人」と目していることになり、神にはまだ遠い、ということになります。
もう一つ。
「天皇制」という言葉は、「君主制」という言葉にみられる「対立(敵対)関係(いずれ打倒、廃止すべきもの)」、を意識して、共産党によってつくられた悪意からの(と言って悪ければ否定的な)新造語です。
この言葉が何の気なしに使われるようになったことと、「天皇家」という言葉がよく使われるようになったこととは不可分です。
勿論、「天皇家」というものは存在しません。あるのは國體の真ん中に位置する「皇室」だけです。天皇を継承する(皇統を継ぐ)のは皇族であって、どこかの一家ではありません。また、元々尊い存在である「皇室」に「御」をつけることはしない。つけなくても初めから尊い。