2013.02/06 (Wed)
父の付き添いで診療所に行った時のことです。
どうせしばらく待たねばならないだろうから、と「日本人が知ってはならない歴史 戦後編(若狭和朋 著)」という本を持って行きました。
十数名の患者が診察を待っている中で、その本を取りだし、読み始めたんですが、「殉国七士の墓」の記述のところで、不覚にも涙が出そうになり、少々慌てました。
他人のいる中で、マンガを読んで笑っている人のそばに居るのは些か以上に居心地の悪い、時には気持ちが悪いものですが、本を読みながら泣いているおっさんは気持ち悪い上に、みっともないでしょう?
東条英機を始めとするA級戦犯の処刑前後から、昭和天皇の採られた行動について、書かれた文でした。
この本の中にある、東条英機の遺言を読むと、行間から、彼が決して戦争を望んでいたのではない、彼は却って何とかして戦争を避けようとしていた、などの気持が伝わってきます。
この本を読む数年前、昭和天皇の御発言のメモ、というのが見つかり、新聞でも書き立てられ、大きな話題になったことがありました。
「A級戦犯が合祀されることになったから、私は靖国へ行くのをやめたのだ」
、と昭和天皇が仰った、というメモです。
それによって
「先帝陛下は彼らを嫌っておられた、だから、靖国神社へ行かれなくなったのだ」
というような捉え方の記事が新聞に載りました。
その時はショックでした。
「昭和天皇がこんなことを仰ったのは事実らしい。ということは、陛下は彼らを許しておられなかったのか。」
そう思いました。
これまでA級戦犯とされた人々のことを、事実無根の罪、と頭では、納得していました。
が、恥ずかしいことに、このような新聞記事を見ると、そのメモがあるという事実から、 やっぱり学校で教えられたことが元にあって、陛下は彼らを嫌われていた、という意見が頭の中を席捲してしまうのです。
しかしこの本で、東条英機という人物の心根、陛下の後に採られた行動を知り、先のメモが真実の物ならば、その解釈は180度変ってしまう、嫌っておられたのではない、許しておられなかったのではない、と気付いた時、自分の浅はかさを痛感しました。
昭和天皇は靖国親拝をされなくなったけれども、偶々の行幸先の宿泊所で、この殉国七士の墓の方に向かわれ、唯御一人で、二十分佇立されていた。
そうなると、
「先帝陛下は彼らを嫌っておられた、だから、靖国神社へ行かれなくなったのだ」
のではなく、
「合祀を望まぬ国民もいると聞いている。靖国には行けない」
となるではないか。彼ら国難に殉じた者を悼む以上に、合祀を望まぬ国民の気持ちを思い遣られたのだ、と。七士の祀りは、それらの国民に不快な思いをさせぬよう、人目に振れぬところで、ひそやかにしよう、と。
「人は自分の能力の範囲内でしか、物事を把握できない」と言います。
それを私は一国の総理大臣であった人物の心は勿論、先帝陛下の心、大御心までも、現在の大して努力もしないで生きている自分の心のレベルで判断してしまった。
この恥ずかしさ。
いや、それよりも陛下のなされようを、そんな風に軽々に思い込んでいた申しわけなさ。
それにつくづく思わされた有難さ。
そんな気持ちがないまぜになったんでしょうか。
この程度の心根で、周囲の諸事を見、時には見下し、些かのためらいもなく切り捨てる。自分の把握能力、理解能力の低さを振り返ることもせず、当然、能力の低劣さを恬として恥ずることもなく、です。
能力というのは「能くする力」と書くように、何か一つのことに関して他人より(少しは)「できる」力のことです。
これは「性能」とは違って、生来のものではない。それなりの取り組みの結果、身に備わってくるものです。
理解力にせよ、把握力にせよ、本当なら「理解能力」であり、「把握能力」です。
「そんなこと、言われなくたって知ってるよ」
と言われそうですが、この「能」一文字を考えることなしに遣っている場合が多いんじゃないでしょうか。
そしてその「能力」。「考える」ことに関しては比較的意識することが多いように思いますが、「感じる」ことに関してはどうでしょう。
「感じとる」ことだって大事な能力です。
そして、「能力」なんですから、それなりの取り組みが為されていなければ、身につくことではありません。
指導者には指導能力が問われます。当たり前のことです。
でも、指導される方はどうなんでしょう。指導される能力ってあるんでしょうか?
ありますよね。指導者に応えようとする意気込み、です。それがなくって指導される資格はない。
けれど、指導能力ってのは「能力」である限り、つくらねばならない。
同じく、指導される側も。日本の場合は「謙虚さ」、でしょうか。
勢いの盛んな者には「発心」「発願」という形もあります。
いずれにせよ、そこに、指導者の「思い遣り」、教わる方の「謙虚さ」、というものが常に見られるのが日本のごく普通の風景でした。
そこには決して
「教えて見ろよ、習ってやるから」
とか
「君のやりたいようにやったら良いんだ。主役は君だ。勝てなきゃやめてもらうだけだ」
みたいな形はありませんでした。
「感じ取る」。「謙虚になる」
そんな能力、どこでつくってるんでしょうか。
父の付き添いで診療所に行った時のことです。
どうせしばらく待たねばならないだろうから、と「日本人が知ってはならない歴史 戦後編(若狭和朋 著)」という本を持って行きました。
十数名の患者が診察を待っている中で、その本を取りだし、読み始めたんですが、「殉国七士の墓」の記述のところで、不覚にも涙が出そうになり、少々慌てました。
他人のいる中で、マンガを読んで笑っている人のそばに居るのは些か以上に居心地の悪い、時には気持ちが悪いものですが、本を読みながら泣いているおっさんは気持ち悪い上に、みっともないでしょう?
東条英機を始めとするA級戦犯の処刑前後から、昭和天皇の採られた行動について、書かれた文でした。
この本の中にある、東条英機の遺言を読むと、行間から、彼が決して戦争を望んでいたのではない、彼は却って何とかして戦争を避けようとしていた、などの気持が伝わってきます。
この本を読む数年前、昭和天皇の御発言のメモ、というのが見つかり、新聞でも書き立てられ、大きな話題になったことがありました。
「A級戦犯が合祀されることになったから、私は靖国へ行くのをやめたのだ」
、と昭和天皇が仰った、というメモです。
それによって
「先帝陛下は彼らを嫌っておられた、だから、靖国神社へ行かれなくなったのだ」
というような捉え方の記事が新聞に載りました。
その時はショックでした。
「昭和天皇がこんなことを仰ったのは事実らしい。ということは、陛下は彼らを許しておられなかったのか。」
そう思いました。
これまでA級戦犯とされた人々のことを、事実無根の罪、と頭では、納得していました。
が、恥ずかしいことに、このような新聞記事を見ると、そのメモがあるという事実から、 やっぱり学校で教えられたことが元にあって、陛下は彼らを嫌われていた、という意見が頭の中を席捲してしまうのです。
しかしこの本で、東条英機という人物の心根、陛下の後に採られた行動を知り、先のメモが真実の物ならば、その解釈は180度変ってしまう、嫌っておられたのではない、許しておられなかったのではない、と気付いた時、自分の浅はかさを痛感しました。
昭和天皇は靖国親拝をされなくなったけれども、偶々の行幸先の宿泊所で、この殉国七士の墓の方に向かわれ、唯御一人で、二十分佇立されていた。
そうなると、
「先帝陛下は彼らを嫌っておられた、だから、靖国神社へ行かれなくなったのだ」
のではなく、
「合祀を望まぬ国民もいると聞いている。靖国には行けない」
となるではないか。彼ら国難に殉じた者を悼む以上に、合祀を望まぬ国民の気持ちを思い遣られたのだ、と。七士の祀りは、それらの国民に不快な思いをさせぬよう、人目に振れぬところで、ひそやかにしよう、と。
「人は自分の能力の範囲内でしか、物事を把握できない」と言います。
それを私は一国の総理大臣であった人物の心は勿論、先帝陛下の心、大御心までも、現在の大して努力もしないで生きている自分の心のレベルで判断してしまった。
この恥ずかしさ。
いや、それよりも陛下のなされようを、そんな風に軽々に思い込んでいた申しわけなさ。
それにつくづく思わされた有難さ。
そんな気持ちがないまぜになったんでしょうか。
この程度の心根で、周囲の諸事を見、時には見下し、些かのためらいもなく切り捨てる。自分の把握能力、理解能力の低さを振り返ることもせず、当然、能力の低劣さを恬として恥ずることもなく、です。
能力というのは「能くする力」と書くように、何か一つのことに関して他人より(少しは)「できる」力のことです。
これは「性能」とは違って、生来のものではない。それなりの取り組みの結果、身に備わってくるものです。
理解力にせよ、把握力にせよ、本当なら「理解能力」であり、「把握能力」です。
「そんなこと、言われなくたって知ってるよ」
と言われそうですが、この「能」一文字を考えることなしに遣っている場合が多いんじゃないでしょうか。
そしてその「能力」。「考える」ことに関しては比較的意識することが多いように思いますが、「感じる」ことに関してはどうでしょう。
「感じとる」ことだって大事な能力です。
そして、「能力」なんですから、それなりの取り組みが為されていなければ、身につくことではありません。
指導者には指導能力が問われます。当たり前のことです。
でも、指導される方はどうなんでしょう。指導される能力ってあるんでしょうか?
ありますよね。指導者に応えようとする意気込み、です。それがなくって指導される資格はない。
けれど、指導能力ってのは「能力」である限り、つくらねばならない。
同じく、指導される側も。日本の場合は「謙虚さ」、でしょうか。
勢いの盛んな者には「発心」「発願」という形もあります。
いずれにせよ、そこに、指導者の「思い遣り」、教わる方の「謙虚さ」、というものが常に見られるのが日本のごく普通の風景でした。
そこには決して
「教えて見ろよ、習ってやるから」
とか
「君のやりたいようにやったら良いんだ。主役は君だ。勝てなきゃやめてもらうだけだ」
みたいな形はありませんでした。
「感じ取る」。「謙虚になる」
そんな能力、どこでつくってるんでしょうか。
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そして今。コロナ禍に対する国民の思い。