午前8時30分頃のお祓い町通り。未だ開いているわけも無く、伊勢のうどんは食べられなかった。次回があれば必ず。
やっと開店準備が始まったぐらい。突き当たるまで歩く。そして左折で、神社を見つける。
猿田彦神社だ。末社や摂社で無く。あの鳥居の右には摂社が?ニニギノミコト降臨の時のお迎え?の神様? w^x^w
午前8時30分頃のお祓い町通り。未だ開いているわけも無く、伊勢のうどんは食べられなかった。次回があれば必ず。
やっと開店準備が始まったぐらい。突き当たるまで歩く。そして左折で、神社を見つける。
猿田彦神社だ。末社や摂社で無く。あの鳥居の右には摂社が?ニニギノミコト降臨の時のお迎え?の神様? w^x^w
今一度、日前神宮を正面で捉えて。正面の拝殿?屋根だけなのだけど?その後ろは?門。出雲大社の八足門みたい。
拝殿?拝むところだよね。でも、柱の内側にも入れなかった。門を開く前に何かを置いて儀式をする?そんな感じ?
左の門と玉垣に囲まれた本殿?銅葺き?比較的新しい形式の屋根だ。何時作り直されたのかの記録も知りたいね。w^x^w
石段の上を眺めてみると、残念ながら、北随神門の姿は見ることが出来なかった。
くぐり抜けてまた石段?その上は門の様な造りで、看板は吉備津宮。そのままも良いけど、読みやすくと言うのもありだと思うけど?
くぐり抜ける寸前、登り切る前に一枚。あれが拝殿?何となく違う、様な?ともかく、一般はあそこまで? w^x^w
川の向かいにある、原爆ドームを撮る。後ろに高い建物を入れない位置は少ない。
これは、ダメだ。韓国人の人は居なかった。その時は、日本人だったから。朝鮮族の方はいたよ。これは、偽りになってしまう。
ここにも偽りがある。広島は戦争中、10万人の都市だった。原爆で直接死んだ人は、8万人だ。東京大空襲の一晩で、10万より少ない。
何故、そんなことを書いたのか?憶測だ。2万人という偽りの数字をそれらしくするためだ。10万人の都市に2万人いたら、誰でも判る。
当時の朝鮮族の人数は二千人前後。しかも、かなりの被爆者が、戦後、半島へ帰っている。直接の死亡者は千人を超えたぐらいだろう。
偽り(噓)を残してはいけない。彼らは噓を重ねて利用することが多いからだ。自分の噓でなく、他人の噓を使う。許されないことだ。
w^x^w
あの松が無くて、もう少し高い位置であれば、見たい物が見られるのに。水面から立ち上がる鳥居の姿が。
上がりきって広場に出るけど、枝があって、せっかくの姿が見ることが出来ない。この枝、何とかなりませんか?
w^x^w
一つ目の鳥居を潜っての絵です。この距離で、石の鳥居を二つ?稲荷なら、小さめの赤い鳥居を並べても良いのでは?
二つ目の鳥居を潜って。「開運」をやたら強調する感じが?何となく違和感が?それにしても、変わった、しめ縄ですね。
中も覗いてみた。お祓いを受ける人が、少人数単位で? w^x^w
神楽殿の屋根が見えるところまで戻ってきた。この大きな屋根の下で、何が行われるのか?見たいな。
門を潜って、巫女さんの活動が見えた。しかし、この先は撮影禁止だ。誠に残念ではあるが致し方ない。
五十鈴川まで戻ってきたとき、雨がやんでいた。あの掲揚塔に、青空の下で、日の丸の翻るのが見たい。出雲大社の日の丸は見た。次は撮りたい。w^x^w
右手に日前神宮が見えてきた。囲われている。
左手には、少し古い?屋根が?トレース?銅葺き?説明が無ければ何も判らない。判らなければ、尊重のしようも無いように思うのだが?
その先にも、同じような屋根の、年代の判らない社が続く。手前に石の道では無く、石垣?で作る段がある。 w^x^w
この辺りの地図だ。山一つ、駅一つで次の神社、吉備津彦神社がある。備前国一宮?ここは?備中国一宮、吉備津神社。この山は、備中、備前の境?
先日、吉備の国は無いと書いたが、古代には吉備の国があった様だ。この地図は下が北になる。桃太郎の元の話が書いてある。
北の入り口?正面だ。比較的急な階段のその先は?随神門の工事現場だった。誠に残念。 w^x^w
火のモニュメントを挟んで、資料館の向かい側に来ました。全てが手のひらに載る?その様に見えますね。
見えづらいので、炎の所だけ原寸で切り取りました。揺らぎがずいぶん大きい?
炎のモニュメントの向こうに、日の丸が翻る。嬉しい眺めだ。でも、今度は炎が見えない。 w^x^w