松の内っていつまでなのか?
辞書には「元日から7日、また15日まで。」と書いてあります。
地域によって違うということはなんとなく分かっていたのですが、お正月飾りを燃やす行事の時期が、松の内の長さ(お正月飾りを外す時期)に関係あるのかも…と思いはじめました。
実家の地域(長野県東信)では、どんど焼きが1月中旬に行われていたので、7日にはお正月飾りを外していました。
どんど焼き当日に、村営グラウンドまで持って行き、うず高く山のように集められたお飾りの中に、書き初めやダルマと一緒に 門松や注連飾りも納めます。
どんど焼きの残り火で まゆ玉(繭玉)と呼ばれるお団子や みかんを焼いて食べたのを思い出します。
父が柳の木の枝を切ってきてくれ、母とピンク・白・草色の3色の まゆ玉を作ったのが懐かしいです。
京都では、松の内は1月15日の小正月まで。(と、私はご近所さんに教わりました…)
お正月飾りは、2月3日の節分祭の火炉祭に納めるので、1月15日まで飾っていても大丈夫。
1月15日には小豆粥を食べることも、お隣のおばあちゃまから教わりました。
しかし、旧暦では節分とお正月がとっても近かったはずで、そのころはどうしていたんでしょう?
京都でも「左義長」や「どんど焼き」がある地域もあるので、地域によるんでしょうねぇ。
辞書には「元日から7日、また15日まで。」と書いてあります。
地域によって違うということはなんとなく分かっていたのですが、お正月飾りを燃やす行事の時期が、松の内の長さ(お正月飾りを外す時期)に関係あるのかも…と思いはじめました。
実家の地域(長野県東信)では、どんど焼きが1月中旬に行われていたので、7日にはお正月飾りを外していました。
どんど焼き当日に、村営グラウンドまで持って行き、うず高く山のように集められたお飾りの中に、書き初めやダルマと一緒に 門松や注連飾りも納めます。
どんど焼きの残り火で まゆ玉(繭玉)と呼ばれるお団子や みかんを焼いて食べたのを思い出します。
父が柳の木の枝を切ってきてくれ、母とピンク・白・草色の3色の まゆ玉を作ったのが懐かしいです。
京都では、松の内は1月15日の小正月まで。(と、私はご近所さんに教わりました…)
お正月飾りは、2月3日の節分祭の火炉祭に納めるので、1月15日まで飾っていても大丈夫。
1月15日には小豆粥を食べることも、お隣のおばあちゃまから教わりました。
しかし、旧暦では節分とお正月がとっても近かったはずで、そのころはどうしていたんでしょう?
京都でも「左義長」や「どんど焼き」がある地域もあるので、地域によるんでしょうねぇ。