最高気温が27度の妻女山。貝母(編笠百合)も一気に咲き始めました。同時にノイバラやハルジオンなども旺盛に出てきます。それらを除去しなければなりません。里山は何百年にも渡って里人が手を入れて保全されてきたものです。自然に任せておけばいいというのは、里山に関しては当てはまりません。放っておいても自然林や原生林には戻らないのです。GWにはメンバーを集めて保全作業をします。
貝母の見頃は、17日(日)と20日(水)から24日(日)まで。それ以降は散り始めると思います。
貝母三兄弟。三姉妹かな。和名の編笠百合と分かるように撮影するには、下からあおらないといけません。私はバリアングル液晶のファインダーなのでできますが。そうでないデジカメの時は、当てずっぽうで撮影して確認することです。スマホで撮影する方が多いのですが、その時は自撮りモードで画面を見ながら撮影すると良いですとアドバイスしています。
雌しべの根本には、やがて実となる膨らみがあります。ハナアブがたくさん訪れていました。
上の入り口から入った群生地の景色。中央の大きなクマノミズキは、樹液をポタポタと流して濡れています。この木の周りには、たくさんのオオズキンカブリタケが発生しているので、入らないでくださいと言っています。
上の丸太のベンチから右を見ると林床の貝母の群生が。こちらは半日陰なのでまだつぼみですが、午後には開いてきました。樹木の芽吹きも始まりました。
ベンチの真反対からのカット。小さな実生がギッシリ生えています。この広い台地を陣場平というのは、第四次川中島の戦いで上杉謙信が陣城を建てたと伝わるからです。「甲陽軍鑑」の編者といわれる小幡景憲が、この陣場平に七棟の陣小屋がある絵を描いており、東北大学の狩野文庫に収蔵されています。当ブログでは、許可を得て掲載した記事を載せています。
●冬枯れの陣場平へ。謙信の陣城跡で貴重な貝母の群生地。栽培椎茸で中華の角煮炊き込みご飯。妻女山展望台。金属探知機(妻女山里山通信):小幡景憲彩色の川中島合戦絵図を掲載しています。
左を見ると、小高い段差があるのですが、その奥まで貝母が増えています。種が飛ぶ頃に吹く東風(こち)で増えたものです。
クマノミズキの周囲に生えたオオズキンカブリタケ。非常にもろく壊れやすいキノコです。食菌ですが、ロケット燃料の成分を含むので、調理中に気持ちが悪くなる人がいるそうです。バターやクリームと合います。
積石塚古墳脇の貝母も開花しました。高句麗人の積石塚古墳という看板を立てました。お会いした方には説明しています。篠ノ井の地名の元になったというと驚かれます。
巨樹の根本に咲く貝母。北の端なので、種が飛ぶ時に強い南風が吹いていたのでしょう。
葉の先がクルッと丸まっていますが、これを互いに絡み合わせて、この時期に発生する爆弾低気圧の強風から身を守っています。そう進化したのでしょう。触ると分かりますが、貝母の茎は非常に柔らかく柔軟です。強風には皆でつながって揺れながらいなすのです。
こんな風に下から煽って撮影することをおすすめします。吸蜜に来たセイヨウミツバチやハナアブを撮影できるかも知れません。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集) 「季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は今咲かないのだろうか(咲いていれば摘み取って共に行くのに)」。
天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌の中の一首です。これが貝母のことであるという説があります。貝母は球根の形から、母栗(ははくり)という古名があったそうです。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。二月は現在の三月としてもまだ貝母が咲く前です。
防人というのは、663年に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置されました。668年に唐により高句麗が滅びたことで危機感を強めたこともあったでしょう。防人は、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
貝母を発見したのは、実はこの菱形基線測点を探していて偶然発見した副産物なのです。四箇所でワンセット。全国に26セットあるのですが、地理史の重要な文化遺産なのです。遠く千曲川の青い色が見えます。
帰りにヤマエンゴサクの群生地を見に行きました。まだまだこれからですね。週末の雨でまた新たに咲くでしょう。
妻女山招魂社の駐車場の桜は満開です。杏は散り始めました。桃の花も開花しました。17日の長野マラソンでは、選手は満開の桃の花と菜の花を見ながら走ることになるでしょう。まあ、見る余裕があるかは知りませんが。信州の春は猛スピードで過ぎていきます。
妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業で余ったニシンのアヒージョと、畑の野沢菜のとう立ちと妻女山のコゴミのパスタ。春の滋味を堪能しました。
妻女山で採ってきたコゴミのおひたしと、野沢菜の菜花と鯖の水煮缶詰の臭豆腐とラー油の中華炒め。臭豆腐は、台湾料理大好きという人でも、あれは無理という相当に臭いもの。くさややシュールストレミング、発酵筍に匹敵する臭さです。しかし、これを調味料として使うと一変します。新橋のガード下に(今は移転)「あろいなたべた」というタイ料理の店があり、そこの発酵筍のカレーが臭いけれど絶品だったのです。店の50m先からも匂うほどでした。家族でこれにはまり、横浜中華街のさっちゃんちで、この瓶詰めを買い求め妻に作ってもらいました。今回、久々に食べたくなりネットで買いました。そして作ったこの料理。次はカレーを作ろうと思います。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
貝母の見頃は、17日(日)と20日(水)から24日(日)まで。それ以降は散り始めると思います。
貝母三兄弟。三姉妹かな。和名の編笠百合と分かるように撮影するには、下からあおらないといけません。私はバリアングル液晶のファインダーなのでできますが。そうでないデジカメの時は、当てずっぽうで撮影して確認することです。スマホで撮影する方が多いのですが、その時は自撮りモードで画面を見ながら撮影すると良いですとアドバイスしています。
雌しべの根本には、やがて実となる膨らみがあります。ハナアブがたくさん訪れていました。
上の入り口から入った群生地の景色。中央の大きなクマノミズキは、樹液をポタポタと流して濡れています。この木の周りには、たくさんのオオズキンカブリタケが発生しているので、入らないでくださいと言っています。
上の丸太のベンチから右を見ると林床の貝母の群生が。こちらは半日陰なのでまだつぼみですが、午後には開いてきました。樹木の芽吹きも始まりました。
ベンチの真反対からのカット。小さな実生がギッシリ生えています。この広い台地を陣場平というのは、第四次川中島の戦いで上杉謙信が陣城を建てたと伝わるからです。「甲陽軍鑑」の編者といわれる小幡景憲が、この陣場平に七棟の陣小屋がある絵を描いており、東北大学の狩野文庫に収蔵されています。当ブログでは、許可を得て掲載した記事を載せています。
●冬枯れの陣場平へ。謙信の陣城跡で貴重な貝母の群生地。栽培椎茸で中華の角煮炊き込みご飯。妻女山展望台。金属探知機(妻女山里山通信):小幡景憲彩色の川中島合戦絵図を掲載しています。
左を見ると、小高い段差があるのですが、その奥まで貝母が増えています。種が飛ぶ頃に吹く東風(こち)で増えたものです。
クマノミズキの周囲に生えたオオズキンカブリタケ。非常にもろく壊れやすいキノコです。食菌ですが、ロケット燃料の成分を含むので、調理中に気持ちが悪くなる人がいるそうです。バターやクリームと合います。
積石塚古墳脇の貝母も開花しました。高句麗人の積石塚古墳という看板を立てました。お会いした方には説明しています。篠ノ井の地名の元になったというと驚かれます。
巨樹の根本に咲く貝母。北の端なので、種が飛ぶ時に強い南風が吹いていたのでしょう。
葉の先がクルッと丸まっていますが、これを互いに絡み合わせて、この時期に発生する爆弾低気圧の強風から身を守っています。そう進化したのでしょう。触ると分かりますが、貝母の茎は非常に柔らかく柔軟です。強風には皆でつながって揺れながらいなすのです。
こんな風に下から煽って撮影することをおすすめします。吸蜜に来たセイヨウミツバチやハナアブを撮影できるかも知れません。
「時々の 花は咲けども 何すれぞ 母とふ花の 咲き出来ずけむ」丈部(はせつかべ・はせべ)真麻呂(万葉集) 「季節ごとに花は咲くのに、どうして母という花は今咲かないのだろうか(咲いていれば摘み取って共に行くのに)」。
天平勝宝七年二月に、交替して筑紫に遣わされる諸国の防人たちの歌の中の一首です。これが貝母のことであるという説があります。貝母は球根の形から、母栗(ははくり)という古名があったそうです。丈部真麻呂は、遠江国山名郡(現在の静岡県袋井市)で徴兵され九州に派遣され国境警備にあたった兵士・防人(さきもり)でした。二月は現在の三月としてもまだ貝母が咲く前です。
防人というのは、663年に朝鮮半島の百済救済のために出兵した倭軍が白村江の戦いにて唐・新羅の連合軍に大敗したことを契機に、唐が攻めてくるのではないかとの憂慮から九州沿岸の防衛のため設置されました。668年に唐により高句麗が滅びたことで危機感を強めたこともあったでしょう。防人は、21歳から60歳までの健康な男子が徴兵されました。任期は三年で、延長もされたそうです。食料・武器は自弁で帰郷は一人で帰るため、途中で野垂れ死ぬ者も少なくなかったとか。人民には重い負担になったようです。
貝母を発見したのは、実はこの菱形基線測点を探していて偶然発見した副産物なのです。四箇所でワンセット。全国に26セットあるのですが、地理史の重要な文化遺産なのです。遠く千曲川の青い色が見えます。
帰りにヤマエンゴサクの群生地を見に行きました。まだまだこれからですね。週末の雨でまた新たに咲くでしょう。
妻女山招魂社の駐車場の桜は満開です。杏は散り始めました。桃の花も開花しました。17日の長野マラソンでは、選手は満開の桃の花と菜の花を見ながら走ることになるでしょう。まあ、見る余裕があるかは知りませんが。信州の春は猛スピードで過ぎていきます。
妻女山里山デザイン・プロジェクトの作業で余ったニシンのアヒージョと、畑の野沢菜のとう立ちと妻女山のコゴミのパスタ。春の滋味を堪能しました。
妻女山で採ってきたコゴミのおひたしと、野沢菜の菜花と鯖の水煮缶詰の臭豆腐とラー油の中華炒め。臭豆腐は、台湾料理大好きという人でも、あれは無理という相当に臭いもの。くさややシュールストレミング、発酵筍に匹敵する臭さです。しかし、これを調味料として使うと一変します。新橋のガード下に(今は移転)「あろいなたべた」というタイ料理の店があり、そこの発酵筍のカレーが臭いけれど絶品だったのです。店の50m先からも匂うほどでした。家族でこれにはまり、横浜中華街のさっちゃんちで、この瓶詰めを買い求め妻に作ってもらいました。今回、久々に食べたくなりネットで買いました。そして作ったこの料理。次はカレーを作ろうと思います。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。